VELVET MOON
２＜月も嫉妬する＞
「透麻さん……入ってもいい？」
「もちろんです。どうぞ」
乳白色の湯気の中から現れた游月は、透麻の熱い視線を受けて恥ずかしそうに腰をくねらす。湯気でしっとり潤った肌は、羞恥のせいかほんのり色づいている。
二人が一緒に住むに当たってこのマンションを選んだ理由のひとつは、二人でゆったり浸かれる広い浴槽があることだったのに、こうして一緒に入浴することにまだ恥ずかしさを拭えない游月だった。
「あの……失礼します」
楚々とした仕草で透麻の待つ浴槽に入り、反対側の隅っこで小さく身体を丸める。
そんな少女めいた恥じらいを見せられて、透麻の雄の部分が黙っていられるはずもない。無言で手を伸ばして游月の身体を引き寄せ、後ろ向きのまま胸に抱き留める。
游月は微かに身じろぎして抵抗感を示し、
「透麻さん……離して………」
「私と一緒にいるのは嫌ですか？」
「そ、そうじゃなくて……あの……恥ずかしいの………」
「なぜ？」
耳許に口を寄せて甘く問いかけ、肉厚で柔らかな耳たぶに優しく歯を立てる。游月は「くふっ」とこもった喘ぎを漏らして、いやいやと首を振った。
「おかしな人ですね。いつも私の前で淫らな花を咲かせ、いやらしい蜜を滴らせて誘ってくるではありませんか。透麻さん、もっと、もっとちょうだい、もっと深く突いて、と………」
粘着質な嗤いを含んだ声で囁きながら、滑らかな胸の上であどけない自己主張をする突起をくにくにと捏ね回す。游月は背中を透麻の胸に預け、腰を揺らして悶える。
「………はぁ…ん、んっ………だ、め…………」
「おや？ こんな真っ赤に膨れて、どうしたのですか？ まだ入ったばかりなのにもう逆上せてしまったのかな？」
「そう…です……のぼせたのっ」
「分かりました。では、」
游月の身体を軽々と抱え上げて、透麻は浴槽を出た。そして柔らかなバスマットの上に游月を抱えたまま腰を下ろした。
「身体を洗ってあげますからね。痛かったら言ってくださいね」
シルクのボディタオルで石けんを泡立てて、肌の上に滑らせてゆく。
「と…まさん……自分で……やりますからっ………」
透麻の手が直接触れているわけではないのに、肌を優しくこすられるたびにちりちりと緩い電流が這い回る。それは紛れもなく、セクシュアルな快感そのものだった。このままでは身も心も溺れてしまう。
危機感を覚えた游月は透麻の手からタオルを奪って、自分でやろうとした。しかし、
「だぁめ。自分でやったらごしごしこするでしょう？ こすると磨くは違うのです。私がちゃんと磨いてあげますから、游月はいい子で大人しくしていてください」
確かに透麻の言う通り、丁寧に磨かれた游月の肌は珠の艶を帯びてしっとりと輝き出す。
そうやって誠真込めて磨きつつも、空いている片手はいつの間にか股間に伸びて、美味しそうなサーモンピンクの半身を可愛がっていた。
「……ぁぁ………ふぅ…ぅ……ん………」
游月はもう抵抗しようとはせず、透麻の奉仕に身を委ねる。腰をひくひくと波打たせ、濡れた唇から秘めやかな吐息を溢れさせながら。
「ゆづき……気持ちいいですか……？」
「ぁ……ィィ………きもち……いい…の…………」
「何て可愛いのでしょう、あなたは………」
言葉に込めた感慨を行動で示そうと、親指の腹で先端を優しく撫で回す。紅くてつるんと剥けた先端からこぼれ落ちる透明の雫を指で受けて、
「游月、これは悲しい涙？ それとも嬉しい涙ですか？」
「んっ……うれしくて、きもちよくて………しあわせな涙です…………」
途切れ途切れの拙い言葉には、游月の想いがいっぱい詰まっていた。透麻はそれを歓喜と共に受け取って、手の中で健気な脈動を繰り返す可愛い半身を巧みに扱き始めた。
「ぁ……ぁぁっ………イクぅ……も、イッちゃうからぁ……だめぇ…………」
白い喉を反らして喘ぐ嬌態を堪能した透麻は、扱く手を休めず耳に舌を挿し込んでぬめぬめと舐め回した。すると「きゃんっ」と短い悲鳴と共に、游月の先端から白いモノがぴゅっぴゅっと放たれた。
「……はぁ………ふ………ぅん…………」
吐精の余韻が全身を巡っているのか、透麻の硬い胸に背中を預けて、緩やかに躯を波打たせる。
そんな今にも蕩けそうな游月を、透麻は先刻同様丁寧に、手早く磨いた。そして自分の身体と髪を超高速で洗うと、浴槽に浸かることなく游月を抱えて浴室を出る。
何故透麻がこんなに急いでいるのか、改めて問うまでもないだろう。彼の隆々と、悲壮感すら漂わせつつ勃ち上がった雄を見れば嫌でも分かる。
「ベッドの上でも、嬉しい涙をたくさん流してくださいね」
ふかふかのタオルにくるまれた游月にそっと囁いて、寝室に運ぶ。そして裸にしてベッドの上に横たえると、游月はまっさらなシーツが冷たかったのか、微かに震えつつ透麻に腕を伸ばした。
「すこし寒いの……早く温めて………」
「すぐに身悶えするほど熱くして差し上げます。游月、覚悟してくださいね」
「はい……でも、この前みたいに腰が立たなくなるのはちょっと困るの。明日は出かける用事があるから………」
透麻の表情が微かに曇った。もともと切れ長の涼やかな目をすっと細めて、
「どこへ行くのです？」
「はい、蒼架書房の本社まで。レイアウトの打ち合わせをしたいと言われたので……」
「……一人で行くつもりなのですか？」
明らかに、透麻の機嫌は急降下していた。気のせいか、部屋の温度まで下がったように感じる。
游月は無意識のうちに自分の腕をさすりつつ、素直に「はい」と答える。
「この前透麻さんに引き合わせてもらったから、もう一人でも大丈夫です。神谷さんと簡単な打ち合わせをして、そして二階堂編集長にご挨拶して帰ってきま―――」
「駄目ですっ。游月、打ち合わせなら本社ではなくどこかの喫茶店で―――」
游月はキッと眦を決して「何故ですか？」と鋭く問う。そして返答に詰まった透麻に、ずっと胸の内に痞えていた疑念をぶつけた。
「透麻さんは……僕を二階堂編集長に会わせたくないのですね。そうでしょう？」
「そ、それは……」
「この前だって、わざわざ彼女が出張の日を選んで僕を連れて行ったのでしょう？」
「………は？」
透麻はぽかんと口を開けて訊き返す。しかし游月は厳しい表情を崩さず、
「も、もしかして透麻さん……昔彼女と何かあったのではないですかっ？ 優秀で文学的素養も高い昔の…こ、恋人に、僕みたいなのを紹介したくないって、僕みたいな何の取り柄もない―――」
「游月」
重厚な天鵞絨（びろうど）の光沢、温もりを思わせる低音で名を呼ばれ、游月ははっと我に返る。それは自分の醜さを突き付けられた苦い瞬間でもあった。思わず両手で顔を覆い、
「ごめ…なさい……僕、なんてこと………」
透麻の視線に耐えられず、背中を向けて小さくちぢこまる。そして消え入りそうな声で謝罪を繰り返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい………僕、嫉妬を………」
そのまま立ち上がって部屋を出て行こうとしたが、呆気なく透麻に腕を掴まれ拘束される。游月は項垂れたまま必死に首を振って、
「お願い……離して………顔を見ないで………」
「游月……」
「恥ずかしい、僕………何て醜い…………」
透麻は優しく目を細め、腕の中で震える身体を抱き寄せた。
「游月、このままでは風邪をひいてしまいますよ。さあ、」
温かい労わりのこもった宥めに、游月は素直に頷いて従った。布団の中に入ったが、そこでもやはり申し訳なさそうに身体を丸めて震えている。
「こんなに冷えてしまって……」
透麻の温かな四肢に絡め取られ、ぎゅっと拘束される。游月はおそるおそる顔を上げて、今度は透麻の目を見て謝った。
「ごめんなさい、透麻さん。子供じみた嫉妬をあなたにぶつけてしまいました……」
血色が蘇り始めた丸い頬をふわふわと撫でて、透麻ははあ、と溜め息をつき、
「まったく、何の取り柄もないだなんてよく言えたものです。こんなに清らかで、美しくて、私を虜にして離さないというのに………」
「透麻さん……」
「自慢ではありませんが、子供じみた嫉妬なら私は毎日していますよ。あなたが可愛いと言って撫でた近所の犬とか、あなたが好きなテレビタレントとか―――」
大きく瞬きをして、驚きを表わす游月。透麻はそのまぶたにちょん、とキスを落として、
「だから、これでおあいこ。分かりましたね？」
游月は頬を染めてしっとりと頷き、伸ばした腕を首に巻き付けて甘えた。透麻も背中に腕を回して力を込め、裸の胸と胸をぴったり密着させる。そして、
「たまには妬かれるのも悪くありませんね」
本音を漏らしつつ游月の上に覆いかぶさり、待ち構えていた柔らかな唇に喰らい付いた。
「お待たせいたしましたぁ、游月さ―――あ、あら、先生っ？」
蒼架書房の本社、打ち合わせ用の小会議室に通されると、すぐに神谷女史が現れた。が、そこに游月だけでなく透麻までいるのを見て、素直な驚きの言葉を口にする。
「どうされたんですか？ まさか付き添いとか」
「そのまさかです。私のことは気にせずどうぞ」
仏頂面で答えると、付き添いに徹するという意志表示なのかむっつり黙り込んだ。
「僕、一人で大丈夫ですって何度も言ったのですが、どうしても一緒に行くって……」
申し訳なさそうに肩をすぼめる游月。神谷女史は慌てて手を振り、
「いえいえ、もちろん来て下さっても構いませんよ。他ならぬ先生の著作のことなのですから。ではさっそく始めましょうか」
神谷女史の号令のもと、打ち合わせは粛々と進んでいった。
透麻は最初に、装丁や挿絵については全て二人に一任しますと宣言していた。そしてその言葉通り、透麻は一切口を挟まず、真剣な表情で頷いたり意見を述べたりする游月に、温かな眼差しを送り続けた。
「分かりました。では、この感じで進めさせていただきますね。二、三直しやサイズ変更などあるかと思いますが、それはその都度ご連絡差し上げますので」
「はい、お願いします」
游月はぺこりと頭を下げて、ほっと息をついた。何の問題もなく、順調そのもので打ち合わせは終わりそうだった。
何故透麻が強引に付いてきたのかよく分からない。やっぱりただの心配性なのかなあと思った矢先、扉の向こうからどかどかと荒々しい足音が近付くのが聞こえてきた。そして―――
「どうだ、打ち合わせは終わったか？」
何の断りもなく扉が大きく開けられ、長身の男性が姿を現した。彼は部屋に入るなり、
「なんだぁ？ 透麻。なんでお前がいるんだよ。誰が来いと言った」
しかし透麻はじろりと睨んだだけで返答せず、再び仏頂面で黙り込む。彼はちらと肩を竦めると、今度は游月の方をじっと見て、
「おおぉ〜、これはなんと……噂以上に美しい。誰かの恋人にはもったいねえな」
游月は何と答えてよいか分からず、ぽかんと口を開けてこの派手な闖入者を見上げた。
身長は透麻よりは少し低いが、それでも優に１８０センチはある。長めの茶色い髪にグレーがかった瞳。光沢のある上質な生地で仕立てられたスーツはよく似合っていたが、老舗出版社の狭い会議室には些か不釣合いだった。
口許は温厚そうに緩んではいるが、瞳に宿る輝きは鋭く、一瞬にして相手の能力や経験値を見抜いてしまいそうだ。
透麻に劣らぬほどの美形ではあるが、どこか自堕落な陰翳をまとっている。外見だけなら、ホストかモデルかビジュアル系バンドマンか。しかし―――
「初めまして、だな。この前は俺が出張中で会えなかったもんな。全く、わざわざ俺がいない日を選ぶなんてやることが姑息なんだよ」
游月は取り敢えず「はじめまして…」と答えるが、まだぼぅっと見詰めている。彼は苦笑を漏らして、
「そんな綺麗な目でじっと見詰めないでくれよ。いくら俺が超絶美形だからって」
「あ、あの……あなたは………」
「ああ、悪い悪い。自己紹介が遅れた。『幻想小説』の編集長、二階堂亜紀だ」
「ぇ………ええええーーーっ？」
頭のてっぺんから声を出して驚く游月。二階堂はうんうんと頷いて、
「その驚き、解るぞ。文芸誌の編集長といえば、薄汚れたオッサンと相場が決まっているからな。こぉんな若くていい男が出てくるとは思わなかったんだろ？」
しかし游月は馬鹿正直に首を振って、
「あの……僕、女の人だと思い込んでて………」
思わずコケる二階堂。その横で神谷女史は笑いを噛み殺している。
「ま、まあ、名前が名前だからしょうがねえよな」
そしてちゃっかり游月の隣に腰を下ろし、依然として黙り込んだままの透麻に視線を向けた。
「で、榊大先生は何をしにいらしたんで？」
「……私のことは気にしないでください。壁か椅子とでも思ってくださって結構です」
「ふ…ん。ま、壁に向かって話しかける趣味は俺にはねえからな。それで、と。神谷、打ち合わせは済んだのか？」
神谷女史はぴっと背筋を伸ばして頷き、てきぱきと説明した。二階堂は、これまでの饒舌から一転、黙って耳を傾けていた。游月のイラストに炯々たる眼差しを注ぎつつ。
―――ど、どうしよう……こんなんじゃ駄目だって言われたら………
二階堂の沈黙に耐え切れず、救いを求めるように透麻の方を盗み見る。すると透麻はふわりと微笑って、小さく頷いた。大丈夫ですよ、游月―――
「よし、決まりだ。これで行こう」
二階堂のゴーサインが出て、神谷女史もほっと安堵の息をつく。そして游月に向かって親指を突き上げ、ウインクしてみせた。二階堂は尚も游月の作品を賞翫しつつ、
「不思議な個性だな、この絵は。平面的なのに奥行きを感じさせる。日常的なモチーフを扱っているのに神秘がある。面白え」
「はい。榊先生の文章にこれほど合う絵は、そうそうないと思います」
神谷女史の指摘に頷いて、
「そうだよなあ、シンプル且つ的確な描画。榊大先生のやたら衒学的でしつこくて形容過多で変な漢字いっぱい使って接続詞だらけで途中で主語が何だか分からなくなってもう投げ出したくなるような文章を、うまく中和してくれるだろうな。うん」
游月は内心びくびくしながら、透麻の顔をそおっと窺った。しかし先刻と変わらず、彫刻のような無表情で黙って腕を組んでいる。さらに二階堂は続けて、
「これであの女シュルレアリストがグロい挿絵なぞ描いた日には、とんこつラーメンの上にラード乗せたみたいにギトギトのこてこてになって、読んだ人間の血糖値が上がりまくるに違いねえ」
何だかよく分からない表現だが、言わんとすることは伝わる。游月は思わず頷きそうになったが、慌てて止めた。
「さあて、めでたく決まったということで、これから食事でもどうだ？ 游月」
「………呼び捨てにしないでください」
すかさず透麻の突っ込みが入る。しかし二階堂は「壁が喋んな」と一蹴して、游月の肩に手を掛け、
「な、行こうぜ、游月ちゃん。あ、俺は亜紀ちゃんでいいからな。可愛いだろ？」
「手を下ろしなさい」
不穏なほど凪いだ声で再び命令する透麻。しかし二階堂は堂々と無視して、
「たまには外でぱあっとやらねえと。変態耽美作家といつも一緒じゃあ、青春が腐っちまうぜ」
いつの間にか手は腰に回り、ウエストのラインを撫で回していた。
「細いんだな……それに、いい匂いがする………なあ游月、俺の文学論聞きたくねえ？」
「あ、あの………」
透麻の目の前で、こんな風に堂々と誘われたことなど初めての游月は、どうしてよいか分からずただ困惑するばかりだった。しかも透麻は黙りこくったまま俯いている。それをいいことに、二階堂はさらに勢いづいて、
「お前、色っぽいな。一見清楚だが、その奥に秘められた濃厚な色香がビンビンくる。たまんねー。なあ、いいだろ？ 俺の奢りだから一緒に―――」
ガンッ、という重く鈍い音が響いたと思ったら、透麻の拳を起点にしてデスクに亀裂が走った。そして―――
「………二階堂……それ以上調子こいたらぶち殺すぞ…………」
「…………」
思考停止状態に陥る游月と神谷女史。今の言葉、透麻以外にはいないと分かってはいるのだが、俄かには信じ難い。対照的に二階堂はにやにや笑って、
「へえへえ。失礼いたしました。游月ちゃん、また今度な。俺はまだ死にたくない」
名残惜しそうに游月から離れて、ウインクしてみせたのだった。
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