真夏の情事

４.

昼間の自由時間、生徒たちに混じってバスケをやったりテニスの相手をしたり、忙しく身体を動かしつつも目はいつも雪仁の姿を探していた。しかしあの優雅な長身を視界にとどめることはできず、そのまま夕食の時間に。

ゆうべのようなバーベキューではなくテーブルでの食事だったから移動もできず、結局ほとんど言葉も交わせぬまま今日一日が終わろうとしていた。


―――一緒に……色んなことしたかったのに……雪仁くんのバカ………


部屋に戻ってシャワーを浴びてから、明日の帰り仕度を整える。一度もシャッターが押されることがなかったカメラを仕舞い込むと、何だか無性に淋しくなってきた。

ふぅと苦い息をついて鞄を投げ出し、ベッドの上にころんと転がる。意識せずとも、テラスの方へ目が行ってしまう。

今夜は来てくれないだろうと分かってはいても、木の上で少し得意気に笑い、「どうしても会いたかったんです」と飾らない言葉を捧げてくれた昨夜の雪仁を思い浮かべてしまうのだ。その時、

「純せんせい………純せんせいっ………」

外から切羽詰った声で、名前を呼ぶ声が。純は慌てて起き上がって窓を開け、テラスに出る。
下を覗き込むと、暗がりの中に誰かいた。女生徒のようだ。

「どうしたの？　何かあったの？」
「はい、怪我人なんです。こんな時間にすみません」

純は「すぐ行くから待ってて」と声を掛けると、素早く着替えて救急箱を持ち、階下へ急いだ。

「お待たせ。場所はどこ？」
「こっちです。案内します」

教えに来てくれたのは、Ｂ組の高岡という女生徒だった。純は黙って彼女の後に続く。

宿泊施設のある本棟から次第に離れ、それに比例して暗闇の濃度も増してゆく。頭上を照らす月だけが、僅かな頼りだった。

「あの倉庫の中です」

行く手にぼぅっと大きな建物が浮かび上がってきた。

「どうして……あんな所で………」

高岡は少しためらった挙句、「すみません」と頭を下げて、

「最後の夜だから、二人きりで会おうと思って……それで………」

事情を察した純は、「これからは気を付けるんだよ」と言うにとどめた。恋人とこっそり会う約束をして、この場所を訪れたのだろう。その時に転んだか何かで、怪我をしてしまったに違いない。

「こっちが入口です。今、戸を開けますね」

中は想像以上に暗かった。かなりの広さがあるように見受けられたが、実際はどの程度なのか見当もつかない。

「怪我人はどこ？」

振り向いて高岡に尋ねようとした瞬間、ガラガラと音をたてて戸が閉められた。と同時に倉庫内に照明が灯され、純は眩しさに耐え切れず目をぎゅっと閉じた。目の奥の鈍痛を意識しつつ、ゆるゆるとまぶたを開けると―――

「先生、こんばんは。今日は怪我の手当てありがとうございました」

双眸に不穏な輝きを宿した男たちが、にやにや笑いながら舐めるように見返してきた。

「君たちはっ―――」

途中で背後から口を塞がれ、手も拘束される。力の限り暴れて抵抗しようとしたが、四人がかりで押さえ付けられてはどうしようもなかった。

「桐生の奴、本当に来るかな」
「根は単純バカだから、来るんじゃねえの？」

彼らの会話を耳にした純は、叫び出しそうになった。まさか彼らは雪仁くんを………


―――来ないで……来ちゃだめ………


純は祈るような気持ちで念を送り続けた。




「あの……桐生、これを君に渡すように頼まれたんだけど………」

クラスも違う、何の面識もない男から紙切れを渡された雪仁は、胡散臭げに眉を歪めて男を睨んだ。途端に蒼褪めて、

「ほ、ほんとだよっ。俺は頼まれただけなんだ」

雪仁は疑わしい表情を崩さず、取り敢えず畳まれた紙を受け取って開いた。その瞬間、きりきり音がしそうなほどの勢いで眉が吊り上がる。まさに鬼形を凝らすとはこのことで、手紙の仲介をした男はこくりと喉を鳴らした。

「あいつら………許さねえ………」

雪仁は目の前で震えている男に「このことは誰にも言うな」と釘を刺すと、凄い速さで駆け出した。

あっという間に小さくなった背中を見送った彼は、「だれにも言わないよぉ…」と力ない声で呟くのが精一杯だった。




「センセ、本当に綺麗だよなあ……。ほら、肌なんか真っ白でさ、指が吸い付いて離れねえの」

及川はうっとりと呟きながら、肌蹴たシャツの隙間から覗く雪原のごとき胸に指を這わせた。さらに指を滑らせて、ぷっくり膨らんで淡い主張をする桜色の飾りを押し潰す。

「んぅっ………ん、んっ…………」

白い猿轡を噛ませられ、両手を後ろ手に縛られた純はただ腰をくねらせて抵抗を示すしかできない。もちろんその姿態は、彼らの滾る性欲に油を注ぐものでしかなかった。

「なあ……服脱がしちまおうぜ」

その提案に反対する者などいるはずもなかった。シャツを肩から滑り落として上半身を露わにし、次に前のジッパーを下ろして下着ごとずり下ろそうとする。

「んんーーっ、んっ、んんっ………」

純は辛うじて自由になる部分を総動員して抵抗を試みるが、男たちはにやにや笑いながら、焦らすようにわざとゆっくり脱がせようとする。

「マットレス敷いてやったんだから、痛くないだろ？」

及川は優しい声で囁きつつ、背後から上半身を抱きかかえて乳首をつまみ、執拗に捏ねる。よほど純のここが気に入ったようだ。次第に赤みを増して硬く尖ってゆく肉の実に、誰もが食欲を隠そうとはしなかった。

「それ、食いてえなあ……」
「後でな。時間はたっぷりあるさ」

嫌らしく顔を見合わせて頷くと、腰に手をかけて下穿きをゆっくり引きずり下ろす。露わになった細い柳腰、その艶めかしいラインに目が釘付けになる。

「こいつ……本当に男かよ。おまけにすげえいい匂いがする」
「桐生が入れ込むのも分からなくもないな」

口々に呟きながら、臍の周りの滑らかな肌を撫で回す。複数の手による無骨な愛撫に、純は不快の余り眉をひそめる。辱めに耐える処女の如き健気な風情に、四人の股間も一気に膨張した。

腹を撫でていた手はそのまま下方へ移動し、柔らかな茂みを掻き分けて愛らしい半身に到達した。温かくて柔らかい性器をきゅっと握り込み、

「やっぱり、れっきとした男だったぜ」

掴んだものを引きずり出そうとした。その時、外でガサガサッと草が鳴った。

「来た！　桐生だ」

予め決めていた通り、及川は純を押さえ付け、笹本、河内、坂上の三人は素早く立ち上がって身構える。と同時にガラガラ音をたてて戸が開けられた。闇を背負って現れたのは―――

「桐生、よく来たな。待ってた―――」

言い終わる前に、笹本が吹っ飛んだ。余りの速さ、破壊力に残る者は言葉を失い、壁に叩きつけられて低く呻く仲間を呆然と見つめるしかできない。

が、雪仁は容赦なく次の獲物に襲い掛かる。坂上の胸倉を掴んで喉を締め上げ、そのまま上へ持ち上げる。

「ぅっ………ぐ、ぐるじぃ…………」

その瞬間、坂上は雪仁の顔を見た。闇と間接照明がもたらす複雑な陰翳が刻まれたその顔は、憎悪に狂った闘神そのものだった。

朦朧とする意識のさ中、坂上は自分たちが侵してはいけない領域に踏み込んでしまったことを覚った。しかしもう遅い。雪仁はさらにギリッと喉を締め、拳を打ち込むため腕を振り上げる。が―――

「待てっ。い、いいのか？　この先生がどうなっても……」

ようやく我を取り戻した及川は、自分の手の中に最強の切り札があったことを思い出した。震える手で傍にあるバタフライナイフを取り出し、銀色に閃く刃先をちらつかせる。

「お前、この先生に惚れてるんだってな？　大事な人を傷付けたくないだろ？　こんな風に………」

そう言って、尖った刃先を純の胸に向ける。そして乳首の先端にちょんと触れた。

「んんッ……」

こもった呻きと共に鮮血の珠がぷぅっと膨れ、白皙の胸に紅の筋を刻んでいった。雪仁は顔面を硬直させ、寸前で止めた拳をぶるぶる震わせる。

その反応に勝利を覚った及川は、純の悲鳴を聞かせてさらに勝利を確たるものにするため、猿轡を外して口を自由にしてやった。そして傷つけた胸を揉んでさらに血を溢れさせる。

しかし予想に反して純は悲鳴も上げず、唇をぎゅっと噛み締めて痛みに耐えた。

「やめろッ」

雪仁は悲壮な声で叫んで、掴んでいた坂上を投げ捨てた。そして駆け寄ろうとするが、再び刃先を純の胸に向けられ「近付くな！」と凄まれ、言う通りにするしかなかった。及川は酷薄な笑みを浮かべて、

「俺らは別に、秋原センセに怨みがあるわけじゃねえ。だからお前さえ大人しく俺らにぶちのめされてくれれば、先生にはこれ以上手ぇ出さねえよ」
「分かった。好きにしろ」

雪仁は僅かの間もおかず即答を返す。及川は頷いて、

「おい、笹本、坂上、生きてるか？」
「あ、ああ……何とか」
「よし。お前らも聞いてただろう？　桐生君は俺たちにぶちのめして欲しいそうだ。ボコボコにされたいそうだ。望みを叶えてやろうぜ。なあ？」

笹本と坂上と、唯一無傷の河内は顔を見合わせてにんまり笑い、低い唸り声を上げて殴りかかった。

「雪仁くんッ」

びちッと肉が打たれる嫌な音がして雪仁はよろめいたが、倒れることなくその場にとどまった。

続けて腹に重い一発を浴び、さすがに耐え切れず膝をつく。するとすかさず背後から踏み付けられ、終に地面に倒れ込んだ。

「雪仁くんっ、抵抗しなさい！　僕のことは忘れて！」

純の懸命の叫びにかぶせるように、及川は陰険な低音で告げる。

「分かってるよなあ？　先生はこう仰ってるが、もし抵抗したらどうなるか……」

もちろん、雪仁は抵抗するつもりなどなかった。自分が傷付くことで純を守れるのなら喜んでそうする。腕の一本や二本、くれてやってもいい。

しかし、意識だけは失うまいと自分に言い聞かせていた。奴らに気の済むまで殴らせた後、ちゃんと純を助け出さねばならないのだから。

「ぐっ……ぅ………」

手で殴るのが面倒になってきたのか、足で踏み潰し、蹴り回し始めた。尖った靴先で背中を蹴られ、余りの痛みに気が遠くなる。

失神してしまった方が楽なのだろうが、雪仁はぎりぎりと歯を食いしばって耐えた。

「雪仁くん、雪仁くんッ」

純は及川の拘束を振り切ろうと暴れながら、何とか雪仁の許へ近付こうとする。その時、血に汚れた雪仁の顔がこちらを向いた。殴られながらも、純に向かって優しく微笑みかける。そして唇を動かし―――


―――大丈夫です、必ず助けますから………


しかしその笑顔も長続きしなかった。上から足で踏み付けにされ、こめかみを蹴られ、血が溢れ―――

「笹本、河内、坂上、そして及川。やめなさいッ」

三人の攻撃がぴたりとやんだ。純の険しい叫びには、そうさせるだけの力が漲っていたのだ。が、もちろん彼らの優位は変わらない。にやにや笑いながら、

「どうしたんすかあ？　センセ。今さらお説教ですか？」

しかし純は鼻先で嗤い、

「説教？　冗談じゃない。君らみたいな腐った人間に、諭しの言葉なんてもったいない。相応しいのは脅迫だ」

純の意外な反応に、みな一様に戸惑う。対して純は冷酷とさえいえる落ち着きを見せ、淡々と口を開く。

「これ以上雪仁くんを傷付けるのは許さない。よく聞きなさい。僕の恋人は、とても恐い人なんだ。そして僕の頼みなら何でも聞き入れてくれる。四人の高校生を、証拠を残さず半殺しにするくらいのこと、朝飯前だ」

優しい秋原先生の口から、まさかこんな言葉が出ようとは。四人は驚きの余り呆然とするばかり。そんな彼らを純は冷ややかな眼差しで突き刺す。

「生徒はみな平等に扱うべき、確かにそれは正論だ。でも僕は教師である前に一人の人間。雪仁くんを守るためなら、君らを痛めつけることぐらい何とも思わない。さっきは保健医の職務として手当てしたけれど、学外で君らがどんな目に遭おうが僕の知ったことではないからね」

純は四人の顔を順番に見据え、

「笹本、河内、坂上、及川、もう一度言うよ。これ以上雪仁くんを傷付けたら、東京へ戻ってからの無事はない。外を歩く時はせいぜい気を付けるんだね。突然車が突っ込んで来ないとも限らないから」
「こ…んの不良教師っ―――」

及川は呪詛を込めて吐き捨てたが、もう純の身体を拘束してはいなかった。純の最も近くにいるからこそ、脅迫の本気度が直に伝わってくる。

情けないと歯噛みしつつも、「これでやめれば何もしないんだな」と念を押した。純は重々しく頷いて、

「最後に、これをほどいて。そして真っ直ぐ部屋に戻りなさい」

及川は命じられるがまま、腕を括っていた縄をほどいた。そして小さい声で「戻るぞ」と言い置くと、他の三人を促して倉庫から出ていった。

「雪仁くんッ」

純は足をもつれさせながらも倒れている雪仁の許へ駆け寄り、震える手で抱き起こす。

「ッ……クッ、クククク…………」
「ゆき…ひとくん……？」

肩を揺らして、泣いているのかと思った。しかし、

「すげ……生徒を脅迫する教師なんて聞いたことねえよ」
「そんな暢気なこと言ってる場合じゃないでしょっ。ほら、立てる？」

差し伸べられた手をやんわり払って、

「一人で立てます」

喉の奥で呻きつつも、ゆらりと立ち上がった。純は慌てて腕を掴んで、

「僕に掴まって。それでゆっくり歩くの。無理しちゃだめ」

しかし雪仁はふいと顔を背け、純の肩を押して遠ざける。

「あなたの助けなんて要りません。一人にしてください」

肩を押された純はそのままよろよろと後ずさり、膝を折って地面にぺたんと座り込んだ。そのままの姿勢で、真っ赤な顔をして叫ぶ。

「どうしてそんなに意地を張るの！　身体、痛いんでしょう？　辛いんでしょう？」

雪仁は顔を背けたまま、ぽつりと呟いた。

「意地を張るのは当たり前でしょう？　誰だって、惚れた人間の前ではカッコよくありたいし、命をかけて守りたいと思います。なのに……俺は何もできなかった。それどころか、あなたに守られて………みっともなくて、顔も合わせられねえ」
「雪仁くん……」
「あなたは強い人だ。なのに俺みたいなガキが守ろうだなんていい気になって………」

力ない呟きと共に立ち去ろうとする雪仁に、純は声を嗄らしてすがった。

「行かないで……お願い、そばに来て………」
「純……」
「僕は強くなんかないよ。さっきだって、恐くて恐くてたまらなかった。でも、雪仁くんを助けなくちゃ、って」

弱々しく震える声ですがる純をその場に残して去るなんてできるはずもなく、雪仁はくるりと踵を返して歩み寄った。

「もう背中を向けないで……ね……？」
「俺みたいな……役立たずのガキでもいいんですか？」

純は答える代わりに、血の塊がこびり付いた唇に自分のそれをふわりと重ねた。そして潤んだ瞳で甘えるように見上げ、

「今夜は……ずっと一緒にいてね。今日一日淋しかったんだから」
「………はい」

掠れた声で答えつつ、喉の奥から込み上げてくる塊を必死に呑み込むと、胸がずきんと疼いた。それは今日受けたどんな痛みより、雪仁の胸に深く濃く刻み込まれたのだった。

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