深淵の愛
２.
自室に戻った遼牙はいったん床に入ったが、自分の夜着から甘ったるい匂いが漂うのに気付いて舌打ちしつつ起き上がった。
彼女が身体に塗り付けていた香油の匂いが移ってしまったのだろう。こんな不愉快な匂いに包まれて眠るなんて真っ平だと思い、素早く新しい夜着に着替えてようやく人心地ついた。
再び床に入って目を閉じたが、もちろんそう簡単に眠りにはつけない。不眠の長い夜を覚悟したその時、突然部屋の扉が凄い勢いで開いた。
驚いて起き上がった遼牙は、無言のまま近付く嵯我の姿をただ呆然と眺めた。嵯我は寝台の傍らに立つと、冷たい夜気を凝結させたような声で、
「遼牙、私の言いたいことは分かるな？」
遼牙は一瞬返答に詰まったが、すぐに我を取り戻して決然と答えた。
「このような時間に、何のお話でしょうか。客人に対する礼というものを、叔父上はどのようにお考えで？」
「生憎だが、人の妻を寝盗ろうとする間男に対する礼儀など、私は持ち合わせておらん」
嵯我はぴしゃりと言い置くと、続けて「立て、遼牙」と命令した。遼牙は言われた通り寝台から下りて立ち上がり、冴えた眼差しで嵯我の顔を見返した。
「遼牙、もう一度訊く。私の言いたいことは分かるな？」
「分かりません」
「お前は私の妻の部屋に忍び込み、力づくで情交を迫った」
遼牙は奥歯をぎりぎりと噛み締めて、今にも口から迸らんとする言葉を呑み込んだ。でないと、彼女を口汚く罵ってしまいそうで。
「答えろ、遼牙」
無言で見返すばかりの遼牙に対し、嵯我は苛立たしげに畳み掛けた。遼牙はぎゅっと拳を握り締め、
「馬鹿馬鹿しい。もう一度きちんと奥方を問い質していただきたい。私に対して何をしようとしたのかを」
「ほう。では否定するというのだな？」
「当たり前だ。彼女が叔父上に何を吹き込んだが知らないが、私は―――」
遼牙の答えを最後まで聞かず、嵯我は寝台の傍らに投げ出されていた夜着を拾い上げた。そしてそっと顔を近付けるとじろりと睨み、
「この匂い、妻が好んで付けている香油に間違いない。何故お前の夜着にこの匂いが移っているのだ。しかも、いかにも慌てて脱ぎ捨てたように見受けられるが」
「確かに私は先刻、奥方の部屋へ行った。しかしそれはあちらに呼ばれたからそれに応じたまでのこと。奥方の侍女に訊いてもらえば分かる」
言ってから遼牙は思わず眉をひそめた。侍女を問い質したところで、主人に不利な証言をするはずがないと気付いたからだ。
つまり、誰も自分の潔白を証明してくれる者はいない。だからと言って、屈するわけにはいかない。無実は無実。それは少しも揺らがない。
遼牙の態度を受けて、嵯我は考える素振りを見せた。やがて「ふむ…」と唸って口を開き、
「分かった。では遼牙、これから私の質問にイエスかノーで答えなさい。お前は今夜、妻の部屋を訪れた」
「……イエス」
「さらに妻の寝室に入った」
「……イエス」
「妻の寝台に、身体を横たえた」
「それは奥方が―――」
「イエスかノーで答えろと言ったはずだ」
遼牙は唇を噛み締め、震える声で「イエス」と答えた。嵯我は「よろしい」と応じ、
「最後の質問だ。たとえどんな事情があったとしても、夜、他人の妻の寝室を一人で訪れるという行いは間違っている。咎めを受けて当然だ」
「……………イエス」
嵯我は満足げに頷いて、遼牙の顎に手を掛けた。顔を背けようとした瞬間、片方の手で腰をぐいと抱き寄せられた。
「何をする！」
厳しい抗議と共に身体を押し返そうとする遼牙を、嵯我は冴えた目付きで見下ろした。
「何をする、だと？ たった今、お前は咎めを受けて当然だと言った。そうだな？」
「くっ………」
「犯した罪は償ってもらわねばならん。それとも、王位継承者という権力を振り翳して罪を逃れるか？」
そういう卑劣な行いは遼牙の最も嫌うことだと承知の上での問いだった。案の定、遼牙は嵯我の胸を押し戻していた両手をだらりと下げた。そして力ない声で、
「どう……すればいいのだ……」
「うん？ 決まっている。身体で償ってもらおう」
「………好きにするがいい」
半ば自棄気味に言い放つと同時に、唇を激しく吸われた。明確な陵辱の意志を持った舌が口内にねじ込まれ、余りの嫌悪感に本気で吐きそうになった。
やがて唇は解放されたが、それはこれから始まる狂宴の序奏に過ぎなかった。嵯我は遼牙の身体を易々と寝台の上に押し倒し、自らも飛び乗った。
エピキュリアンでありながら快楽に我を失うことはなく、自らの情慾も冷めた目で見ることの多い嵯我が、飢えに突き動かされるように夢中で遼牙の衣服を剥いでゆく。
やがて露わになった裸体は、少年から青年への過渡期、柔らかさと逞しさが混在した芸術的な輪郭と陰翳を帯びて薄闇を照らした。
それを目にした嵯我は悦びと興奮の余り、威嚇する獣のような濁音を喉奥から響かせた。そう、彼はもはや人ではなく、飢えと本能のままに目の前の生餌を嬲るだけの鬼畜と化していた。
いや、ただ人の皮を被っていただけで、もうずっと前から人であることを放棄していたのかもしれないが。
「……そら、もう二本入ったぞ。どうだ？ ん？」
その事実を知らしめるため、嵯我は後孔に埋め込んだ指を激しく揺り動かした。と同時に反り返った陰茎を強く扱き上げる。
するとぬちゅぬちゅと粘っこい音が尻の奥と濡れた陰茎の両方から溢れて、卑猥な二重奏を響かせた。
「く……ぅっ……ぅぁっ…………」
長い指をシーツの襞に絡ませて、快楽の暴虐に耐える遼牙。じわじわと侵蝕する性の快楽に必死で抵抗しようとするその姿は憐れでもあり気高くもあり、眺めているだけで下腹部が煮え立つような興奮が沸き上がる。
すでに探り当てている奥の膨らみを指先で掠めると、腰を悩ましく跳ね上げて赤い先端から透明の粘液をたらたらこぼした。嵯我はそれを舌先で舐め取って、
「聖人君子のような顔をしているくせに、ちょっと嬲られただけでこんなに悦んで。全く、呆れたやつだ」
さも軽蔑したかのように吐き捨てて、埋め込んだ指をグリッとねじる。肉の薄い膜が指に絡み付く淫猥な感触に身悶えしながら、嵯我は遼牙の濡れそぼった竿を一気にくわえ込んだ。
そしてさらに指を一本ねじ込み、中で嫌らしい触手のように動かしながらぐちゃぐちゃに掻き回した。
「ぅぁぁっ………や、やめっ………」
口から出るのは拒絶の言葉だったが、下半身が与えられる刺激を快感と受け止めているのはもはや明らかだった。
嵯我の口内で性器はビクビクと激しく揺れ、その動きゆえに薄い外皮が歯に当たる。そこから生じる刺激すらも未知の快感となり、遼牙はついに敗北を覚った。
「いやだっ………ぁ、ぁぁ……ぁぁぁぁーーーーっ」
蕩ける喘ぎにも引き攣った悲鳴にも聞こえる叫びを漏らしつつ、遼牙は憎んで止まない叔父の口内に射精した。
熱い迸りを喉の奥に受けた嵯我は、最後の一滴まで搾り取らんと口を窄めて味わった。そして咥えていたものを解放してゆっくり身体を起こすと、端整な顔を嘲笑で歪めて、
「罪を償うはずのお前が先に達ってどうする。何と浅ましい奴だ」
そして続けて、
「さあ、犯した罪の代償だ。この屈辱を受け入れてもらおう」
冷ややかな興奮を孕んだ声で宣告すると、たった今受け止めた精液の残滓がたっぷり付着した唇を近付ける。
「舐めろ。自分が排泄したものだ」
遼牙は嫌悪で歪んだ顔を背け、拒絶を示す。嵯我は鼻先で嗤って、
「所詮、口先だけの子供だな」
吐き捨てるようにそう言って、強引に唇を押し付ける。そしてまだ苦味の残る舌をねじ込んで、遼牙の舌にこすり付けた。己れが吐き出した精の味を教え込むように。
「んぅ………ぅ、ぅぅっ………」
不快と屈辱に苛まれながら、遼牙は服従の口づけを受け入れた。口端からどちらのものか分からぬ唾液がとろとろと流れ、意識が微かに白み始めた時、ようやく解放され呼吸を許された。
舌と舌が、白く濁った唾液の糸で繋がっている。精液混じりの唾液。嵯我はその事実を知らしめるようにゆっくり吸い上げると、ちらと唇を舐めて「これが次期国王の味か」と淫笑った。
遼牙は怒りと悔しさで潤んだ瞳を強く向けて、
「な…ぜ……ここまで私を辱めるのだっ………」
「辱める？」
嵯我は心外だと言わんばかりに眉をひそめ、
「呆れた奴だ。自分が被害者のつもりなのか？ 可哀想に、妻は泣いて私に訴えたのだぞ。大事な妻を傷付けられて、黙っている男がいると思うか？ ええ？」
遼牙ははっと息を呑んで、嵯我の顔を改めて観察した。言葉こそ義憤に満ちているが、その声も、表情も、今の言葉が全くの嘘、三文芝居であることを露呈していた。
―――まさか……これが目的で自分の妻に私を誘惑させた？ いや、違う。先刻の彼女、私を寝台に引き込んだ彼女の双眸は、本物の情慾で煮え立っていた。しかし……
「私は妻の代わりにお前に制裁を与えているのだ。それを辱めなどと言いおって」
やはり嵯我の言葉には、本物の怒りも、妻への愛情さえも感じられない。ということは、つまり……
―――この男は、いずれ妻が欲望に負けて私を誘惑するだろうと分かっていた。だからわざと夜は外に出て、その機会を作った。そして私が誘惑を撥ね付けることも、逆上した妻が嘘の訴えで私に復讐を試みるだろうことも分かっていたのだ
「叔父上……あなたはっ………」
この城を訪れた時点ですでに、自分は彼が張り巡らせた思惑の糸に搦め捕られていたのだ。そして彼の筋書きの上で踊らされていたのだ。
「遼牙、どうしたのだ？ そんな……驚いた顔をして」
嵯我は遼牙の頬を撫でると、残酷なほど優しく笑ってみせた。その顔は無言のうちに告げていた。もう遅い、今さら気付いても無駄だぞ、と。
「あなたという人は―――」
力ない抗議の言葉は、荒ぶる口づけで遮られた。唇が離れると、そこにいるのは嵯我であって嵯我ではない何者かだった。
「いいだろう。お前がそのつもりなら、本物の辱めというものを教えてやる。覚悟するがいい」
彼にとっては、性の快楽こそが唯一神聖なものなのだろう。先刻の浮薄な優しさなど微塵もない、厳かとさえ言える重々しい口調で言い置くと、素肌にまとっていた長衣を脱ぎ捨てた。そして遼牙の脚を大きく開かせ、ぐいと持ち上げる。
「これまで私を拒み続けてきた高飛車な花。存分に咲かせてやろう」
すでに指でこじ開けられ、とろりと柔らかくなっていたその場所に、嵯我は己れの先端を押し当てた。赤黒くつるりとした面をぐいと押し付けて、そのままぐにゅりと押し込む。
すると遼牙の後孔は一瞬怯えたように震えたものの、引き攣りながらも従順に先端を呑み込んだ。それと連動するように、抱えていた脚がびくんびくんと宙を蹴る。
「は、は………これはすごい………」
ほんの僅かな部分を埋め込んだだけなのに、下肢全体が痺れるような途轍もない快楽に襲われる。
これまであらゆる種類の人間とあらゆる種類の性戯に耽ってきたという自負を持っていたが、自分はまだ快楽の上澄みしか味わっていなかったのだと思い知った。
奥まで貫いた時、自分は本当の快楽というものを知るだろう。嵯我は灼け付くような期待と共に、ぐぶぐぶ音をたてて一気に根元まで沈めた。
「ぁぁっ、ぁぁぁーーーっ…………」
絶対に悲鳴を上げるまい、涙を見せるまいと自分に誓った遼牙だったが、誓いは呆気なく破られた。誇りだとか屈辱だとか意地だとか、そういった人間的な感情は動物的な感覚には敵わないものなのだ。
圧倒的な痛み、尻を裂かれるような、身体の芯を灼かれるような痛みの彼方から、じわりじわりと這い寄る快楽。遼牙はそれに怯えつつも、それが訪れるのを待った。それが己れを魂ごと喰い尽くすのを待った。そしてそんな自分を、吐き気を催すほど嫌悪した。
「ぅぁ、ぁっ、ぁぁっ………」
これ以上ないほど適確に攻めてくる嵯我を、遼牙の身体は徐々に受け入れていった。太く熱い楔に戸惑いを見せていた秘孔は、濡れて大きく開き、嵯我の逸物をずっぷり呑み込んでいる。
引き攣っていた肉襞はにちゃにちゃ音を立てて陵辱者に絡み付き、嵯我の動きに合わせて引きずり出されたり押し込まれたりした。
性感に悶えているのは結合部ばかりではない。反り返った性器は腹の上でぴちぴち跳ね、乳首はきゅぅっと勃ち上がり、半開きの唇は悦びと嗚咽の鬩ぎ合いに震えた。
シーツをぎりぎりと掴み、長く艶やかな黒髪を振り乱して喘ぎ悶える遼牙には、神ですら欲情しただろう。嵯我は狂喜のうちに腰を打ち付け、奥の奥まで犯し、そして獣の如く吼えながら遼牙の中に射精した。
大量の精液が収まりきらず、尻の穴からどろどろと溢れるのを目にした瞬間、嵯我は本当の快楽というものを悟った。
「遼牙……お前を愛している、愛しているぞ………」
嵯我はうわ言のように「愛している」と繰り返しながら、再び注挿を再開したのだった。
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