深淵の愛
３.
こうして、高貴な彼岸の花として誰にも手折られず、生臭い欲望の対象となりながらも凛乎として咲き続けていた遼牙は、嵯我が弄した策に搦め捕られ、その手の中に落ちた。
しかし汚されたのは身体だけ。魂まであの卑劣な男に屈したわけではない。遼牙はそれを証明してみせるため、翌朝何事もなかったかのように朝食の席に着いた。
もちろん普段通りというわけにはいかない。身体はぎしぎり音を立てて軋み、動くたびに慣れない行為で酷使された部分が悲鳴を上げる。
顔色は青ざめて覇気はなく、瞳の輝きも翳りを帯びて疲労の色が濃かったが、それでもこうして叔父夫婦の前に姿を現すことができるのは、彼の強靱な精神力の所以だろう。
遼牙はいつものように優雅な所作で一礼し、朝の挨拶を述べた。そして真直ぐ自分の席に向かうと、いつもよりゆったりとした動作で着席した。
その瞬間下半身に鈍痛が走り、思わず顔をしかめそうになったが何とかこらえ、給仕が注いでくれた茶に口を付けた。
―――無理をしおって。身体を動かすのも辛いだろうに
嵯我は揶揄を込めて呟いたが、それに苛立ちが含まれていることに気付かぬわけにはいかなかった。目の前で、あなたの存在など気にもかけていませんよと言わんばかりに粛々と食事を続ける遼牙に対し、苦々しいものを感じる。
それは恐らくある種の敗北感なのだろうが、嵯我はそれを頑なに認めようとはしなかった。
―――面白い。その自己抑制がいつまで続くか見届けてやろう
嵯我は自分にそう言い聞かせて、ニタリと笑った。
それから嵯我は夜ごと遼牙の部屋に忍び入っては、制裁の名のもとに陵辱の限りを尽くした。
ある時は恋人のように身体の隅々までねっとり舐め回し、ある時は専制君主のごとく有無を言わせず犯す。
そのたびに遼牙は掠れた悲鳴を上げて生理的な涙をにじませたが、翌朝には必ず朝食の席に現れて、青年らしい意固地さで自分が背徳の行為に染まり切っていないことを誇示したのだった。
そして、また、今宵も―――
「遼牙、私の顔を跨ぎなさい」
ベッドの上では、嵯我の命令は絶対だった。すでに一度、強制的に射精させられていた遼牙はのろのろと起き上がり、言われた通り尻を向けた状態で嵯我の顔を跨いだ。
小振りでよく引き締まった尻は、嵯我の手にぴったり収まった。五指に力を入れて尻たぶを掴み、そのまま左右に割り開く。そしてゆっくり顔に近付けると、舌を伸ばして後ろの孔に押し込んだ。
「んっ……く、ぅ………」
尻の浅い部分をぬるぬると嬲られる感覚に、思わず顔をしかめる。決定的な快感でもなく、挿入時のような引き攣る感覚でもない。形容し難い薄気味悪さ。
が、嵯我の手が前に伸びて遼牙自身をぎゅっと握った瞬間、それはあっという間に快感へと変じた。
嵯我の手が上下に動くと、遼牙は悩ましげに腰を震わせて喘いだ。浮遊感を伴う微電流が四肢を染め上げてゆく。
やがて嵯我は舌を引き抜いて身体を起こし、舌を挿れていた場所に勃起した自身を突き刺した。
「ぅぁッ……ぁっ、ぁっ………」
背中から覆いかぶさるようにして身体を密着させ、腰を揺らして突き刺したモノの重量を知らしめる。そうしながら前に手を回して、真っ赤に逆上せて膨れた遼牙の竿を愛撫し、
「さっき私がここを扱いた時、ずいぶんと感じていたな。お前の肉の蠢きが、私の舌に直接伝わってきたぞ」
耳朶を舐めながら責めるように囁く。
「これは甘美な交わりではなく厳酷な制裁なのだと何度言えば分かるのか。まったく呆れた奴だ」
そう言いながら、遼牙の根元に金属製の細い輪を嵌めた。
「何…だ、これは………」
「うん？ 今に分かる」
嵯我は素っ気ない答えを返すと、後ろから遼牙の両足を抱えた。そして身体ごと上下に揺さぶると同時に、自身の腰を突き上げる。身体を落とすタイミングと腰を突き上げるタイミングが合致して、これまで以上に深部を抉られた遼牙は喉を反らせて悲鳴を上げた。
下腹に密着して震える性器からは、微かに濁った先走りが溢れる。いつ射精してもおかしくない状態だったが、根元に嵌められた細い枷の縛めに封じられ惨めに喘ぐしかできない。
しかし嵯我の突き上げは容赦なく、僅かに残された遼牙の理性を吹き飛ばさんばかりの勢いで攻め立てる。
もちろん、嵯我自身の理性も風前の灯火。激しくうねってはきゅっきゅっと絡み付いてくる柔肉には、どんな娼婦の手管も敵わない。
「すご…い……この淫売め………」
嵯我はいったん腰を止め、耳許に口を付け、
「快楽と苦痛の鬩ぎ合い、これこそが理性を麻痺させる最も強力な媚薬。さあ、遼牙、このままでは本当に狂ってしまうぞ。私に懇願するのだ、叔父様、達かせてください、と」
遼牙は下肢をビクビクと揺らしながら、涙でふやけた声で拒絶する。
「い…やだ………」
嵯我はニタリと笑った。こうでなければ面白くない。再び腰をゆったりと揺らし、
「では、今夜は一晩中このままだ。融通の利かない己れの性格を怨むがいい。そら」
嵯我は角度を変えて掻き回した。遼牙は喉を嗄らしてひぃひぃ鳴いたが、その唇から嵯我に対する懇願の言葉が出ることはなかった。やがて―――
「ぁっ、ぁっ、ぅぁ、ぁ、ぁぁ………ぁ………ぁ――――」
遼牙の身体がぐったりと弛緩した。嵯我は舌打ちと共に忌々しげに吐き捨てた。
「失神したか………どこまで強情なのだ。ふん、まあいい………」
一旦逸物を引き抜いて寝かせると、意識のないままその身体を一晩中犯し続けたのだった。
人間というのは、一体どこまで堕ちることができるのだろう。どんなおぞましい悪徳であっても、躊躇するのは最初だけ。一歩踏み込んでしまえばもう、あっという間に馴致されて身も心も染められてしまう。経験に麻痺する、という感覚が最も近いかもしれない。
嵯我が遼牙の身体を弄ぶための口実となった“制裁”がもはや意味をなしていないのは明白だったが、相変わらず夜ごとの陵辱は繰り返され、遼牙もそれを受け入れた。
これは確かに、憂慮すべき精神の頽廃だった。そう、身体ではなく精神の頽廃。自分を清く保つためきりきりと研ぎ澄ませていた精神が、今では倦み疲れて醜く爛れていた。
純白の生地にたった一カ所泥が跳ねただけで、汚れに無頓着になってしまう。これ以上の暴虐を許すわけにはいかないと叔父に立ち向かう気力をどうしても奮い立たせることができず、遼牙はそんな自分に諦めにも似た微温い嫌悪を燻らせていた。
獣じみた情交にのめり込んだ翌朝、依然として遼牙は何事もなかったかのように食事の席に着く。しかしそれは以前のような叔父の暴虐に屈するまいとする意志の現れではなく、経験に麻痺した心身の条件反射に等しかった。
何事もなかったかのように振る舞っているのではなく、本当に何も感じず朝食の席に着き、パンに手を伸ばす。遼牙はある時そんな自分に気付き、慄然と竦んだ。
このままではいけないと厳しく自戒したものの、すでに自壊は始まっていたのだ。
嵯我との行為は徐々にエスカレートしていった。
嵯我は白昼堂々、遼牙を抱いた。陽光射し込む小さなサロンで本を読んでいる遼牙を目敏く見つけると、嵯我は素早く近付いて背後から襲いかかり、出窓に身体を押さえ付けた。そして長衣の中に手を突っ込んで秘孔を探り、乱暴に押し広げる。
一応抵抗を見せる遼牙だったが、情慾に湧く彼には何を言っても無駄だとすでに悟っていたから、結局裾を捲り上げられ後ろから犯されるままになった。
サロンの扉は大きく開け放たれ、外は使用人たちも普通に利用する廊下になっていた。前を通りかかれば中で何が行われているか一目瞭然だったが、もちろん嵯我は気にしない。というより寧ろ、人目を意識することで性的興奮を煽り立てていた。
また、ある夜。嵯我は見るだにおぞましい性の秘具を遼牙に使った。
それは腐緑色をした粘液の固まりだったが、寝台の上に置くとまるで意志を持っているかの如くうねうねと蠢いて、シーツの上をゆっくり這う。
その下等生物めいた動きだけでも十分嫌悪に値するが、しかし、その粘液は遼牙の身体に到達するとさらに細かく分裂して四肢に絡み付いてきた。
余りの不快に遼牙は顔を歪めたが、声を漏らさぬようきりきりと唇を噛み締めた。やがて複数の触手と化した粘液は、遼牙の身体のあらゆる突起を嬲り、愛撫し始めた。
やんわり勃ちつつある性器にとろりと巻き付き、激しく波打って人間の手が与える以上の快感を刻み込む。平らな胸の上でせわしなく上下する乳首をちろちろと舐め、乳輪を嫌らしくなぞる。
「くふっ……ぅ、ぅぅ………」
嵯我との度重なる情交で愛撫に慣れた身体は微かな刺激にも敏感で、弦をきつく張った名器の如くふるえる。これ以上ないほど艶かしい揺らぎを見せる四肢や腰を、嵯我は腕を組んで冷笑を浮かべ見下ろした。
もちろん冷たいのは見せかけで、張り詰めた股間は熱気を立ちのぼらせていたのだが。
遼牙の素肌を這い回っていた触手はやがて下腹部を滑り下り、熱く蕩けるあの場所へと狙いを変え始めた。
それを察した嵯我は厳かとさえ言える声で「俯せになれ」と命令する。ベッドの上での嵯我の命令は絶対。遼牙はのろのろと身体を起こして反転させた。
すると待ち構えていたと言わんばかりに触手は激しくうねり、遼牙の下半身に絡み付く。そしてぐいと尻を持ち上げて膝を立たせると、内股から尻の割れ目へぬるぬると這い上がった。
「んぁッ、ぁッ、ぁぁッ」
悩ましげな喘ぎと共に、腰がびくんびくんと上下に揺れる。腐緑色の触手は一本の太い楔となって、遼牙の秘孔を貫いたのだ。奥まで達すると中で細かく分裂し、再び細い触手となって内壁を撫でこすった。
すでに熱く熟していた粘膜に与えられた未知の刺激は途轍もない快楽を生み、遼牙の理性を根こそぎ奪い去った。
「ああああーーーーッ、ぅぁ、ぁ、ぁぁっ」
無意識のうちに両手でシーツを掴み、腰を突き出してもっと激しくとねだる。覚え立ての快楽に狂う淫獣のように。そして呆気なく射精した遼牙は、己れの精を胸に浴びながら尚も浅ましく腰を揺らした。
「さすがだな。堕天使の血が入っているだけのことはある。この淫売」
冷たく言い放つつもりが、抑え切れぬ情慾が声ににじみ出てしまった。しかしもはやそんな体裁に係う余裕もなく、遼牙の中から性具を引きずり出すと、前をからげて猛る自身を突き刺したのだった。
―――今日で三日目か……。一体どうしたのだろうか……
ほぼ毎日届いていた紫衛那城からの伝達。国王の容態に大きな変化がなくとも、離れた場所で心配している遼牙のために毎日届けられていたのだが、それがここ三日ほど途絶えていた。
気にはなるが、何があったのか確かめる術がない。勝手に城へ戻ったりすれば、多くの者に迷惑を掛けてしまう。ただでさえ国王の重病で大変な時に、自分の独断専行で余計な混乱を与えたくはなかった。
そして伝達が途絶えてから四日目の朝、突然それは訪れた。全ての終焉と始まりが。喪章を付け、悲しみに打ちひしがれた城からの使者が遼牙の許を訪れ、驚くべき事実を伝えたのだ。
「国王が崩御されました。遼牙様、すぐ紫衛那城にお戻り下さいませ」
「なん……だと………」
余りに突然の知らせに遼牙は言葉を失い、わなわなと震えつつ伝達者の顔を睨み付ける。やがて厳しく詰め寄って、
「何故もっと早く私を呼ばなかった！ せめて、せめて父上の最期を看取る機会を……何故ッ―――」
すると伝達者は大いなる不審と微かな不快をにじませて、
「何を仰いますか。私は王のご病状が著しく悪化したため、遼牙様にご帰城願いたいと幾度もお伝えに参ったではありませんか」
遼牙は瞬きも忘れて目の前の男を見詰める。彼が何を言っているのか、暫し理解できなかった。
「そのたびに、病をうつされたくないからまだここにいると。私が何度もお願い申し上げても、お父上が遼牙様に会いたがっているとお伝えしても、まだ城には戻りたくないと嵯我様を通じてお返事されたではありませんか」
「馬鹿なッ……そ、そんな………」
次の瞬間、遼牙の怒りは沸点に達した。部屋を飛び出して嵯我の許へ。
「貴様ッ、何故あんなふざけた真似をっ！」
夜叉の形相で突然飛び込んできた遼牙をいつもの冷笑で迎えた嵯我は、ちらと肩を竦め、
「叔父に向かって貴様、とは。自分が国王になると決まった途端、これか。全く、これだから権力者というものは―――」
「黙れ！ 私の質問にだけ答えろっ。何故私が城に戻りたくないなどと―――」
「うん？ 本当のことだろう？ お前はできるだけ長くここにいて、私との閨事を愉しみたかったのだ。でなければ、あれほど悦んで尻を振るはずがなかろう。それに、」
怒りの限界を超えて青ざめる遼牙にゆっくりと近付いて、
「それに、私もお前を返したくはなかったからな。もう二度とこんな機会には恵まれないだろうから、できるだけ長く手元に置いて可愛がってやりたかった。人はいつか必ず死ぬ。お前が城に戻って父親の手を握ったところで、もはやどうにもならん。死にゆく者の感傷に付き合うくらいなら、性の悦びに没頭していた方がずっと―――」
快楽主義者の面目躍如たる嵯我の言葉は、遼牙の拳で身体ごと吹っ飛ばされた。もしこの時帯刀していたら、迷わず斬り付けていただろう。
嵯我は切れて出血した口許を拭って、まだ足りないと喚くかのようにぶるぶる震える遼牙の拳を冷めた目で見た。そして、
「宴は終わりだ。愉しかったよ。お前はきっと、立派な国王になるだろう。しかし覚えておくといい。どんな清廉且つ高潔な人間も、頽廃や堕落への誘惑には抗えないということを」
そう、それこそが、あらゆる哲学、神学を軽蔑する嵯我が唯一信奉する真理だった。それを静かに言い置いて、嵯我はゆっくり立ち上がった。
「もう行くがいい。次に会うのは即位式だな」
遼牙は壊死しかけていた彼生来の理性と自制心を総動員して、嵯我に背を向けた。
「……叔父上こそ、覚えておくといい。私はいつか必ず、あなたに復讐する」
「そうやって荒れ狂う感情を必死に抑えようとするお前もとても魅力的だ。ベッドの上の嬌態以上にな。愛しているよ、遼牙」
歪んだ愛の言葉を背中に浴びながら、遼牙は黒鴉城を後にしたのだった。
（Fin）
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