Loveless ―狂熱の時間―
12話
複数の熱っぽい視線が自分に注がれていることは、とうに気付いていた。しかし二階堂はいつもと変わらぬ淡い笑みを浮かべ、会場内をゆったりと回遊する。
パーティー会場となっているホテルの大広間には、作家や編集者、出版関係者などがひしめき合っていた。ある老作家の全集刊行記念を謳ったパーティーだったが、本人の挨拶が終わった時点で、会場内の話題はすでに移っていた。
「読んでるかい？ 黒崎司の新作」
「もちろんだとも。ここ数年では、間違いなく断トツの傑作だ」
「あの密度の高い文章には、畏怖すら覚えたね」
「僕はひたすら息苦しくなるな。まあ、それが魅力なんだけど」
「しかし“また”二階堂君かあ。ここまで来ると、悔しさも感じないな」
「ああ。どこが掲載して誰が担当しようが関係ない。読めるだけで幸せだって気持ちになるよ」
「まったくだ」
そんな熱を帯びた会話が、広間のあちこちから間欠泉のように湧き上がる。二階堂はその余波をまるで他人事のように浴びながら、知り合いとの軽い雑談に興じていた。
同じ空間には黒崎もいたが、話すどころかお互い目も合わせようとしない。そもそも黒崎の周囲には、うちからもぜひ新作を出させていただきたいと平身低頭の編集者や、何とかツーショット写真を撮りたいと意欲満々の女性たちが群がって、安易に近づけぬ防壁が出来上がっていた。
「彼の人気は相変わらずだな」
いつの間にか近づいていた九条が、一向に減る気配のない人の群れに視線を向けて囁いた。二階堂は肩をすくめ、
「そりゃま、そうでしょう」
気のない返事をする二階堂に、九条は苦笑を浮かべ「君も相変わらずだな」と呟いた。続けて声を潜め、
「で、彼とのことは珠里は知っているのか？」
二階堂は表情を変えず、ただ九条に冷めた視線を送り、
「昔のことをいちいち報告する必要があるとは思えません」
「いや、私が言っているのは“今”の関係だよ」
「仰る意味が分かりませんが」
堂々と白を切る二階堂を、九条は哀れむような目で見上げた。
「計算高いくせに、妙なところで鈍感なんだな、君は。自分がどれほど淫靡な匂いを振りまいているか分かっていないのか」
「俺が魅力的なのは自分でも分かってます」
二階堂の人を食ったような返答に、九条は真面目に応えた。
「その魅力が、これまでと違うということだよ。刹那的な射精の快楽だけでなく、身体の奥をじっくり暴かれる悦びを知りそれに惑溺している者に特有の艶、色気とでも言おうか。今の君は、身体の奥に甘い蜜をたっぷり湛えた花にも等しい。理性を麻痺させる匂いで飢えた虫を誘う」
「ずいぶんと耽美的な表現ですね」
「仕方ないだろう。耽美的な男の話をしているのだから」
二階堂はわざとらしい溜め息をついて、
「先生が何をどう勘繰ろうが構いませんが、珠里にヘンなこと吹き込むのはやめてくださいよ」
「心外だな。私は老婆心から忠告しているだけなのに。気をつけなさい。理性が麻痺し情欲に囚われた男は、何を仕出かすか分からない」
九条はそう言って、他を忍ぶようにそっと笑った。
理性が麻痺し情欲に囚われた男は、何を仕出かすか分からない───二階堂はついさっき聞かされた九条の忠告を思い出さずにはいられなかった。あの爺い、たまに的を射たこと言うんだよなあ、と。
外の空気を吸うため広間から出て、受付係にすぐ戻ると言って暫く廊下を歩いたところで黒崎に捕まった。あの人垣からどうやって逃れたのか分からないが、ともかく問答無用の強引さで二階堂の腕をぐいぐい引っ張ってゆく。
抵抗するのも面倒でそのまま付いていくと、人気のないエレベーターホールへ。銀色の四角い箱に乗って上昇し、降りたフロアにはどこか秘め事の匂いがする静寂が満ちていた。
下階とは敷かれている絨毯の質が明らかに違う廊下を進み、部屋に入ると同時に唇を吸われた。
壁に背中を押し付けられ、四肢の動きを巧みに封じられたせいか、まるで自分が捕われた生き餌にでもなったかのような錯覚に陥る。そして次第に口づけの角度が深まってゆくのを感じながら、二階堂は九条の忠告を思い出したのだった。
まさかここでやるつもりなのだろうか。そもそもこの部屋は？ それに、パーティーはまだ続いている。さまざまな疑問が二階堂の脳裡を駆け抜けたが、口の中の感じる部分を的確に刺激する黒崎の舌技に、思考は徐々に輪郭を失っていった。
やがて黒崎は口づけをほどいたが、四肢の拘束は解こうとしなかった。視線で犯すと言わんばかりに、情欲の焔が宿った瞳でじりじりと睨め付ける。実際、二階堂は肌が灼けるような感覚を覚えた。
「どう…するんだよ。こんなところに連れ込んで……」
咎めるような口調ながら、その声は“何か”への期待で甘くかすれていた。そのことに自分で気付けない二階堂ではない。もちろん、黒崎も。
「ここは私の部屋だ。例の川沿いのホテルに戻るのが面倒だったから押さえた」
答えながら黒崎は、二階堂の身体を服の上からなぞった。そしてぽつりと、
「このシルエットに……誘惑されてしまった」
確かに今日は、いつもより身体にフィットしたデザイン性の高いスーツを着用していた。『モードエレガンス』と呼ばれる様式で、身体の線を強調したタイトなシルエットが特徴だ。
パーティーだから多少モードなスーツでもいいだろうと判断したのだが、まさかこれが黒崎を“発情”させるとは思っていなかった。九条が二階堂を『妙なところで鈍感だ』と評したのも、強ち間違いではないのかもしれない。
「脱がせるのは惜しいが……しかし脱がせないと挿れられない」
黒崎は真面目なのかふざけているのか判然としない口調でそう言ったが、かすかに眉根を寄せた表情を見るとどうやら真剣なようだ。二階堂のベルトを外し、下着ごと少し下ろすとその場にひざまずく。そして先に靴と靴下を脱がせた。
こういう形の“奉仕”には慣れている二階堂は、されるがまま小さく溜め息をついて、
「パーティーはまだまだ続いてるんですよ」
すると下方から、「もちろん分かっている」という答えが返ってきた。つい、溜め息が深くなる。それを知ってか知らずか、黒崎は手早く下着まで剥ぎ取って下半身を生まれたままの姿にした。
さらに立ち上がって上着を脱がせると、軽く唇を合わせてから傍らのキャビネットに置かれた小瓶を取り、中身を指先や手のひらに滴らせた。薄紫色のそれが何なのか訊ねるまでもない。
黒崎は濡れててらてらと光る手で二階堂の性器を握り、甘やかすようにゆったり扱いた。そうしながらも、耳たぶを舐めたりまぶたを吸ったり、唇をやんわり食んだり、丁寧に愛撫を散らしてゆく。
「んんっ……」
二階堂もさすがに感じずにはいられず、背中を反らせ胸を突き出して小さく喘いだ。すると、シャツとこすれ合った乳首がこりっと尖るのが分かった。
布の下からぷつりと浮き上がったそれを目敏く見つけた黒崎は、すぐに上から歯を立てきつく吸い上げた。さらに空いた手をシャツの下から差し入れ、放置されている方の乳首を嬲る。指先でつまんでくにくに揉んだり、乳頭に爪を押し付けたり。
そのたびに意思とは反してびくついてしまう身体は、やはり抱かれる悦びに馴らされてしまったのかと、二階堂は他人事のようにぼんやり考えた。
「亜紀……あそこがぐちょぐちょだ」
「……分かってるッ」
さっきから、黒崎の手の中にあるものがだらだらと涎を垂らして、扱かれるたびに派手な水音をまき散らしていた。
黒崎は喉の奥で淫靡な笑いを転がすと、二階堂の左足をいきなり持ち上げ、小瓶を置いていたキャビネットの上に乗せた。必然、二階堂は壁に背中を凭せたまま脚を大きく開くことになる。
余りにあからさまな姿勢を強いられ、二階堂は抗議しようと口を開いた。しかしその口からこぼれたのは、甘くひずんだ喘ぎだった。
「あうっ、うぅん……んっ……」
黒崎は濡れた手で陰嚢をやわやわと揉んでから、するりと後ろへ滑らせた。片脚を上げているせいで谷間が開かれ、普段は奥処でひっそり陵辱を待っている窄まりが露出している。そこに黒崎の指が突き立てられたのだ。
気が付けば二階堂は、黒崎の首に腕を回して抱き着き、自ら腰を上下に振っていた。吸い込んだ指を陰茎に見立てた性交の真似事は、下手をすれば実際のそれより淫らな生々しさがあった。
黒崎は「降参だ」と呟いて、指二本分だけほころんだ場所に己の剛直を押し付けた。そして両手で二階堂の腰をがっしり掴み、下からぐっ、ぐっ、と押し上げるようにして挿入していった。
「く…あッ、あっ、ああ！」
二階堂は黒崎にしがみついたまま、熱く脈動するもので身体の奥を暴かれる秘めやかな快感に悶えた。
キャビネットの上でアンティークランプに照らされた白い足が、びくびくと躍るように跳ねるのが淫猥だったが、それは二階堂の意思とは無関係のいわば性的反射だったからどうすることもできない。ただ、四肢を駆け抜ける快美な電流に身を委ねるしか。
「あんたの……中で動いてる……」
状況説明しただけなのに、口にすると酷く扇情的に聞こえる。言った本人がそう思うくらいなのだから、黒崎への影響はさらに大きかった。
喉仏が派手に上下し、腹の中に収まったものの体積がさらに増すのが分かった。二階堂ははぁっと悩ましげな溜め息をつき、
「また……デカくなった」
「当然だ。あんなことを言われて、反応しない方がおかしい」
黒崎は怒ったように言い返すと、腰をゆったり動かした。さまざまな液体にまみれた赤黒い逸物が、ぬぷっぬぷっとぬかるんだ音を立てて出たり入ったりを繰り返す。その動きに唱和するように、二階堂の性器もうねうねと蠢いて蜜状の液体を滴らせた。
「いっ、いい……い、くッ……」
二階堂が絶頂が近いことを訴えると、黒崎は何を思ったか自身をずるりと引き抜いた。そして二階堂の身体を反転させて壁に押し付け、尻を無造作に割り開いた。
「いきなり何す───あっ、あああーーーーッ！」
抗議の言葉は歓喜の悲鳴で上書きされた。熟しきった筒肉を奥まで一気に犯され、快感と苦痛の甘いせめぎ合いに一瞬意識が飛ぶ。気付いた時には壁に爪を立て、腰を揺らしながら壁に向かって射精していた。
ぼんやり見下ろした薄明かりの中で、延々と白いものを飛ばし続ける己の性器は、黒崎の手で支えられていた。
ああそうか、出したものが服に付かないよう気を使っているんだな、つまり体勢を変えたのはそのためだったのかと納得し、妙なところで妙な気配りをする男だなと少しだけ愉快になった。
「亜……紀っ……」
切なげに名前を呼ばれ、射精を終えた二階堂は尻の穴をきゅうっと窄めた。黒崎は途端に息を荒げて腰を打ち付け、二階堂のそこで己のものをズリズリとこすった。そして「ぐッ」という野太い呻きとともに抜いて、最後は自分の手で根元をしごいて射精した。
「あ、熱…い……」
ぬかるみのようになった二階堂の後孔に、熱い飛沫がびゅっびゅっと勢いよく当たってとろとろ垂れる。直接交わっているわけではないのに、二階堂のそこはしっかり感じていた。
付着した液体を奥へ染み込ませようとするかのように、くにゅくにゅと勝手に蠢くのが分かる。白蜜に塗れて窄んだり緩んだりを繰り返している究極に淫らな器官を、ようやく全て出し終えた黒崎が愛おしげに撫でてきた。
「亜紀……」
名を呼びながら指を沈め、中でゆったり回転させて、たった今自分が出したものを内側に塗り込める。
「はッ……ん……」
さっきの脳天まで突き抜けるような快感とは全く異質の甘美な陶酔が、背中をさざ波のように伝ってゆく。従順に腰を突き出したままそれを存分に味わっていると、黒崎の声が降ってきた。
「もうすぐ、君との関係も終わる」
淡々と事実だけを告げるその声には、寂寥も惜別も感じられなかった。やはり黒崎は、連載中だけの関係と最初から割り切っていたのだ。
「じきに私は君のことを“忘れる”だろう。しかし君には、私のことを覚えていてほしい。私の苦悩、そして私の……愛」
しかし黒崎は言ったそばから首を振り、
「いや……戯言だ。忘れてくれ」
二階堂はくくっと喉の奥を鳴らし、センチメンタルな男の言葉を笑い飛ばした。すると黒崎も和するように笑い、指をぬるりと抜いて、まずは二階堂の尻と性器を丁寧に拭い、次に己の性器を無造作に拭いて後始末をした。
「まだ、パーティーは続いているかな」
黒崎の無邪気な問いに、二階堂は「ええ、たぶん」と答えて窃笑を漏らした。おそらく、九条など艶事の匂いに敏感な一部の人間には気付かれてしまうだろう。
瞳を爛々と輝かせて探りを入れてくる彼らを言葉巧みにかわすのは、パーティーの余興としてはそれなりに楽しいかもしれない。
「別々に戻るかね？」
「いえ、一緒に戻りましょう」
二階堂は即答を返すと、黒崎の腕に自分の腕をそっと絡めた。
BACK TOP 裏部屋INDEX NEXT