Loveless ―狂熱の時間―
11話
まるで、手足に鉛の重りでも付けているかのようだった。ちょっと身体を動かしただけで、あちこちからみしみしと軋む音が聞こえてくるような気がする。そんなどうしようもない倦怠感にもかかわらず、腰の芯にはまだ昇華しきれていない熱が溜まって、物欲しげにずくずくと疼いていた。
意思とは関係なく性の快楽を求めてしまう身体を持て余しつつ、二階堂は何とか衣服を身に着け体裁を整える。
「無理して帰ることはないだろう。泊まっていけばいい」
黒崎はそんな二階堂に、ベッドの中から声を掛ける。裸のまま肘をついているため、上腕部や胸部の筋肉が強調され、本人が意識せぬまま美しい隆起を見せつけた。
しかし二階堂は冷ややかな一瞥をくれただけで、返事もせず身仕度を続けた。時計は、すでに日付が変わっていることを示していた。
この部屋に上がってきたのが確か十時過ぎだったから、二時間以上もぶっ通しで情交に耽っていたことになる。家を出る時、こんなに遅くなるとは言わなかったから、きっと珠里は心配しているに違いない。
二階堂に無視された黒崎だったが、不機嫌になることはなく、むしろ面白そうに目を細めてベッドから下りた。
ついさっきまで二階堂の身体を容赦なく貫き、喉が嗄れるまで悦楽の悲鳴を上げさせた凶器は、今はだらりとぶら下がっている。黒崎はそのまま二階堂に近づき、
「身体はふらふらで、あそこもまだ熱く潤っているはずだ。意地を張らずに泊まっていきなさい。今夜はもう何もしない。ゆったりと身体を寄せ合って眠ろう」
「……原稿やる代わりに抱かせろなんて恥知らずな取り引きを持ち出す人間と、仲睦まじくピロートークできるほど人間できちゃいねえよ」
ばっさり切り捨てる二階堂に、黒崎は「ふむ」と神妙な相槌を返し、
「七年前、私と君がしていたことと何ら変わりないではないか」
「違う。あれは決して“取り引き”ではなかった。あからさまな言葉を介さず互いに意思を通わせる、その過程で行き着いた結果に過ぎない」
「それでも、していることは同じだ」
「重要なのは結果じゃなく過程なんだよ。昔のあんたは、自分の欲望を紳士的な振る舞いで包み隠し、時折隙間からちらっと窺わせた。それを俺が汲み取って受け入れることで、関係が成り立っていたんだ。“代わりに”抱かせろなんて恥知らずなこと一度も言わなかった」
「ずいぶん日本的な考え方だな」
「そりゃあ、こんなナリだけど俺はバリバリの日本人だからな。“恥”の感情を失って堂々と開き直っている人間は見るに堪えない」
二階堂はそう言い切って上着をはおると、黒崎に背を向けて部屋を出ようとした。しかし、
「二階堂編集長、次の打ち合わせはいつにしますか？」
からかっているのか真面目なのか、その声から判断することはできなかった。だから二階堂も、極限まで感情を排した声で応えた。
「……一度編集会議にかけて、それからご連絡します」
そして振り返ることなく部屋を辞した。
タクシーの後部座席に身体を沈めた二階堂は、ふぅっと息を吐いた。それは安堵の溜め息ではなく、身体の芯に溜まった熱を吐き出すためのものだ。
少しでも気を緩めると、鳩尾の辺りでくすぶっている快楽の名残りが膨れ上がって身体を支配してしまう。とにかく堪えるのだ。奈智の家に着くまでは。
黒崎の部屋を出た二階堂はすぐ珠里に電話をした。案の定相当心配をかけてしまったようで、別に心配なんてしてなかったよっ、といういつもの勝気な言葉は聞けなかった。
二階堂は珍しく真面目に謝罪したが、本当のことを伝えるわけにはいかない。トラブっていったん社に戻ったら遅くなった、明日も早いから今日は奈智のところに泊まる、という嘘で納得してもらった。
奈智が住んでいるマンションの方が会社には近く、これまでもスケジュールがタイトな時はそうすることがあったのだ。
ようやく奈智の部屋に着いた時には、一時を回っていた。何があったのか詳細には話していなかったが、奈智はすぐに二階堂の尋常じゃない状態を察知した。
「坊ちゃま、何があったのですか」
身体を優しく支えつつ心配そうに質す奈智に、二階堂は力なく首を振り、
「悪い、風呂貸してくれ」
「え？ それはもちろん構いませんが……」
戸惑う奈智をおいて、二階堂は上着を脱ぎ捨て風呂場へ。後に続いた奈智はすかさずネクタイに手を伸ばし、
「お手伝いいたします」
そして慣れた手つきでネクタイをほどき、シャツのボタンを外した。が、首筋や肩に散った紅い情痕、さらにはうっすら浮き出た歯型を目にすると、ぴたりと手を止めた。
「坊ちゃま……まさか、またお兄様方に……」
「んあ？ 違う。兄貴たちじゃねえ」
「そう、ですか……」
二階堂がそれ以上言わないということは、詮索するなということ。当然ながらそれを理解している奈智は、黙って二階堂を裸にすることに集中した。
「坊ちゃま、しかし、これは……」
全身に散る情交の痕は、今夜、二階堂を襲った欲望の凄まじさを余す所なく伝えていた。言葉を失う奈智に、二階堂は軽く肩をすくめ、
「まだ中に精液が残ってる。ああ、気持ち悪ぃ」
不快を隠さず吐き捨てると、バスルームに入って頭から熱い湯を浴びた。そして床に膝をつき、壁に左手をついて、右手を背面から尻にするりと伸ばした。すると曇りガラスの扉が開いて、奈智が部屋着のまま入ってきた。
「ご自分でやるのは大変でしょう。私が掻き出して差し上げます」
奈智はそう言って二階堂の返事も待たずにひざまずき、自分の指にとろとろとローションを垂らした。そして谷間をなぞるようにして指を滑らせ、目的の箇所、いつもよりやんわり綻んだ窄まりを慈しむように捏ねた。
「はっ、ぅ……」
二階堂の腰は、見えない糸で吊り上げられたかのようにビンッと跳ね上がった。やはり、まだ身体のあちこちに燠火のような快楽が残っている。
奈智もそれを分かっているのか、微妙な角度を保って震えている二階堂の性器を包み込むように握って上下に扱く。一気に射精を促すほど激しくはないが、燠火をじっくりと再燃させるには十分というまさに絶妙の力加減で。
「あっ……ふ……」
こういう“処置”は、奈智の方が慣れている。これまでも、異母兄たちに散々抱かれた後の始末をよくしてもらっていた。
素直に委ねることにした二階堂は、両手を壁について脚を広げ、背中をしならせて腰を突き出した。後ろから聞こえる奈智の呼吸が荒くなったが、手の繊細な動きが変わることはなかった。デリケートなその部分を傷つけないよう、注意深く指が這い入ってくる。
しかし、久しぶりの情交ですっかり敏感になった粘膜は、骨ばった節がぬるりとかすめただけで反応してしまう。
「んあっ、あ……」
思わず声を上げると、奈智が心配そうに訊ねた。
「すみません、痛かったですか？」
「いや……そうじゃない……」
返答は、それだけで十分だった。奈智は心得たとばかりに頷き、行為を続ける。人差し指と中指を挿れてくるりくるりと回し、まるで内側から愛撫するかのように広げてゆく。
すると甘い痺れが腰いっぱいに広がり、そこがほろりととろける。奈智がそれに合わせて中で指を広げると、白い液体が細い筋になって垂れた。
「ああ、出てきました。こんなに……」
奈智は驚きとも嘆きともつかぬ声で呟き、深い溜め息をついた。そうするうちにも、二階堂の体内で温められた精液が、内股を舐めるように伝い落ちる。もったりとしたその動きは、嫌らしい触手めいて、二階堂の背中をぞくりと粟立たせた。
「どうやら全部出たようです」
奈智は状況報告すると同時に、性器を扱く動きをスピードアップさせた。思う存分絶頂を味わってくださいとばかりに。
尻に埋め込んだ指も、さっきとは明らかに動きが違う。奥に潜む芯を揉みほぐし、凝り固まった淫靡な熱を散らすような確信犯的な動きだった。
「あっ……あああ！」
二階堂は白いタイルに爪を立て、髪を振り乱し腰をバウンドさせて悶えた。するといきなり視界が暗くなり、呼気ごと吸い上げるような激しい口づけに襲われた。
呼吸もままならぬ状態で舌を搦め捕られ、いいように弄ばれる。口の中は二人分の唾液でいっぱいになり、クチャクチャとはしたない音を弾かせた。
「んはっ、はあ……」
犯すような口づけからようやく解放された二階堂は、舌先と口の端から唾液を滴らせつつ喘いだ。奈智は軽く唇を押し付けてそれを吸い取ってから、今の行為とは対照的なしおらしい口調で詫びた。
「申し訳ありません。あまりの美しさと淫らさに、つい……」
「謝らなくていい。それより……」
二階堂は、奈智の股間に視線を落とした。そこは布の限界まで隆起して、濡れているせいもあるだろうが性器の輪郭がくっきり浮かび上がっていた。
時折ビクビク痙攣するのが何とも淫猥で野卑で、奈智という雄のもう一つの側面を如実に表していた。
「ヤリたいんだろ？」
「それはもちろんですが───」
「だったらやれよ、ほら」
「でも今夜は坊ちゃまが……」
欲望は今にも溢れんばかりだが、部屋を訪れた時の消耗しきった状態を見ているだけに、さすがに躊躇しているようだ。
「構わない。なんか今日はむしゃくしゃしてんだ。だから……」
続きは言葉ではなく行動で。二階堂は奈智の指を吸い込んだままのそこに力を入れ、柔らかい筒肉全体で締め上げた。そして腰を揺らすと、指と粘膜がこすれ合い、ぬちゅっ、ぬちゅっと濃密な交わりを想起させる淫音が溢れた。
その効果は絶大で、奈智は普段の優美な立ち居振る舞いからは想像できないほどせかせかした動きで自身を解放し、黒崎の残滓とローションに塗れた入り口にぐぅぅっと押し込んだ。
限界まで広げられたそこに、奈智の激しい脈動が伝播する。それは下腹部全体に重く響き、腰を甘く痺れさせた。
「中が……すごい。吸い込まれそうです……」
恍惚と呟きながら、奈智は自身をずぶずぶ沈めてゆく。その重量はそのまま、快楽の質量だった。
二階堂は腰を小さく揺らしてゆったり味わいつつ、ついさっきまで同じ場所を同じように犯していたものより長さは若干足りないが、太さならこっちの方が勝ってるなと思い、そんな比較をしている自分が可笑しくなって唇を緩めた。
しかし、冷静でいられたのもそこまでだった。どっしりと根元まで埋め込んだ奈智は、そのまま腰を打ち付けて食らいつくような抽挿に耽るかと思いきや、二階堂の身体を後ろから抱え込んで起き上がらせた。
必然、繋がったまま奈智の上に座り込む姿勢になる。奈智の硬い胸に背中を預け、脚は膝が曲がった状態で宙に浮いた。
姿勢が変われば当然ながら貫いているものの角度も変わる。さらに二階堂の体重も加わって、二つの身体はより深く濃く交わった。
「あああッ！ あ、んっ！」
二階堂は天を仰ぐようにのけぞり、爪先をぎゅっと丸めて、全身をびりびりと伝わる衝撃をやり過ごした。そして荒い呼吸の奥から背後の男を咎める。
「何すんだ、いきなりっ……」
すると奈智は、赤くなった二階堂の膝を労わるように優しく撫で回し、
「申し訳ありません。あのままでは、坊ちゃまが膝を痛めてしまうと思いまして」
過保護な返答に、二階堂の口から思わず苦笑が漏れる。それを許しと受け取った奈智は、二階堂の膝を下から抱えて上下に揺さぶった。そして自分も腰を跳ね上げる。
「あッ……ひ……ひぃぃ！」
二階堂の身体を持ち上げ、下へ落とすのに合わせて腰を突き上げる。その淫靡なリズムが生む快感は凄まじく、二階堂は極まったような悲鳴を上げながら呆気なく射精した。
大きく広げられた脚の付け根で、灼熱の色に染まった性器がビクッ、ビクッと震えながら白い飛沫をまき散らす。それと同時に、尻に突き刺さっていたものがぐんっと伸び、二階堂の奥めがけて熱く粘ついた塊を放った。
それはある一定の律動を刻みつつ、繰り返し吐き出される。気が付けば、そのリズムに翻弄されるように二階堂の腹もひくひく蠢いていた。
「……中に、出してしまいました。せっかく綺麗に掻き出したのに。申し訳あ───」
二階堂は両手を後ろに伸ばして奈智の頭を引き寄せ、謝罪の言葉を口づけで遮った。それはすぐに激しい舌の絡め合いとなり、二人の身体に再び官能の火をつけた。
奈智は二階堂の胸に手を滑らせ、コリコリに尖った乳首を強めに揉み潰す。もう一方の手は濡れそぼった股間のものを掴み、握ったり緩めたりを繰り返した。二階堂は駆け巡る快楽に全身を波打たせ、
「奈…智っ、また、さっきの……」
艶めかしい懇願に奈智は高揚を隠し切れない様子で、すぐさま望みを叶えた。二階堂の身体を揺さぶりながら己の股間を突き上げる。
「から…だ……溶け…る……ああ……っ………」
すでに甘い快楽の坩堝と化して久しい二階堂は、受け入れる悦びに支配されつつある自分を意識せずにはいられなかった。
「───編集長、二階堂編集長！」
「……あ？ ああ」
「そんな風にぼーっとされるなんて珍しいですね。顔色もあまり良くないですし。もしかしてお身体の具合が……」
「いや、大丈夫だ。悪い」
二階堂は軽く頭を振って、「続けてくれ」と促した。
黒崎から作品を預かった翌日。奈智の家から出社した二階堂は、早速プリントアウトして部下たちに読ませた。
案の定というか予想通りというか、編集部は異様な熱気で満たされた。誰もが興奮し、何度も読み返し、二階堂に尊敬と畏怖の眼差しを向ける。
“あの”黒崎司から新作を、しかも七年ぶりの日本語による作品を託されるなんて、やっぱりうちの編集長は凄い、というわけだ。
その熱気は夕方から開かれた編集会議でも薄れることなく、どういう形で掲載するのが作品にとって、そして『幻想小説』にとって最適か、熱い議論が交わされた。
そんな中、ただ一人冷静なのは二階堂だった。いや、単に肉体的疲労が思考を鈍くしているだけかもしれない。ゆうべは二人の男と、心身ともにどろどろに溶けるような濃厚なセックスをしたのだ。ぼーっとするなと言う方が無理だろう。
「やはり三、四回程度に分けて、短期集中連載という形にするのがいいかと思うのですが」
数秒の静寂ののち、二階堂はようやく意見を求められたのだと気付いた。
「ああ、それでいい」
我ながら投げやりな返答だと思ったが、今回は部下たちに任せるのが一番いいと分かっていた。
自分が口を出せば、必ず私情が入ってしまう。連載回数が長ければそれだけ雑誌の売り上げも伸びるのだろうが、その分黒崎との爛れた関係が続くことになる。メリットとデメリットどちらを選ぶか、二階堂は考えることを疾うに放棄していた。
編集会議の結果、連載回数は三回となった。つまり、三カ月。担当編集者は二階堂。普通は編集長が作家を個別に担当することはないが、今回は特例だ。
そうして、二階堂にとって長くもありまた短くもある、狂熱の三カ月が始まったのだった。
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