１.

二人きりで迎える休日の朝。蜂蜜色の陽光。甘い睦言。

「純……起きたか？　ん？」

腕の中でもぞもぞと動いたと思ったら、胸に頬をぴったりくっつけて、拗ねるように小声で答える。

「起きてないもん」
「起きてるじゃねえか」
「や。もうちょっとこうしてるのっ」

硬く締まった胸に顔をぐりぐりと押し付けて、

「だって今日は、僕の言うこと何でも聞いてくれるんでしょ？」

その通り。身体も心もずたずたに傷付けてしまった償いを何もできぬまま、純の優しさと愛情に甘える形で仲直りしてしまった。だから尭村は、これからの週末はお前の言うこと何でも聞いてやる、と約束したのだ。
行きたい所に連れていってやるし、して欲しいことは何でもしてやるぞ、と。

しかし純は喜ぶ半面、戸惑いも大きかった。自分の要求を主張するのは、純が最も苦手とすることだったから。それよりも、愛する人の望みを叶えてあげることによる満足感の方が、純を幸せにした。

それは自分の欲求を押し殺して、とか、自分を犠牲にして相手に尽くす、といった浪花節な自虐発想ではなく、好きという気持ちから自然に発生する、緩やかで心地よい感情の流れだった。純はそれに身を任せているだけ。だから、尽くしているとか我慢しているという自覚はなかった。

しかし尭村が、謝罪の気持ちを何とか形に表したいと思っているのは解っていたし、その想いはとても嬉しかったから、純は申し出を素直に受け入れた。

それに……甘やかしモードがそう長く続くとは思えない。たぶん１、２回でいつもの尭村に戻るだろうと冷静に分析していた。なかなかの洞察力ではあるが、まだまだ甘かった。尭村の甘やかしモードが崩れるのは、もっとずっと早かったりするのだ。
純は今日の夜には、自分の読みの甘さを痛感することになるだろう。

「しょうがねえな、お前は。ほら、寒くないか？」
「ん…へいき。尭村さんの身体あったかいから……」
「お前の身体の方がずっと……」

尭村は四肢で純の身体を絡め取って、耳許でねっとりと囁く。

「熱いじゃねえか。アソコん中なんて特に。見かけはピンク色で可愛いのに、中は獰猛なんだよな。火傷するかと思ったぜ」
「やぁ、ん……ばかぁ……」

純はぱたぱたと蹴って抗議の意を表そうとしたが、尭村の長い脚に巻き取られて動かせない。むーっと膨れると、胸に軽く歯を立てて噛み付いた。

「ぃてっ。お前ぇ〜、こんな凶暴に育てた覚えはねえぞ」
「フーンだ。育ての親が凶暴でえっちだからだもん。親の背中を見て育ったのっ」
「そうか。ならもっとエロくしてやるっ」

尭村は楽しそうに叫ぶと、純の身体の上にのしかかって唇に噛み付いた。そして待ち構えていた柔らかい舌をざらざらと舐め回し、吸い上げては、ぐちゅぐちゅと唾液を絡める。もちろん指は、胸を飾る桜色の突起を嬲ることを忘れない。指の腹でぎゅっと押し潰したり捏ね回したり。
ゆうべの余韻もあってか、すぐに勃ち上がったそれに濡れた唇を寄せて、舌や歯で甘い刺激を与える。

「はっ……あぁん……あきむらさ……もう、朝だよぉ……」

純はいやいやと首を振りながら、自分の胸に吸い付いている尭村の髪に指を差し込んで撫でる。

「ああ、朝だな、純……。朝陽を浴びたお前の身体、めちゃくちゃ綺麗だ。肌が透き通ってて、きらきら光ってる……」
「あっ……あぁ…んっ……」

乳首を咥えたまま喋るものだから、吐息や歯が当たってくすぐったいようなじれったいような快感が灯る。尭村は、唇を離して真っ赤に膨れた果実を愛しそうに眺めると、指を股間に滑らせてゆっくりと愛撫を始めた。と同時に耳たぶを舐めて、

「純…午後はどうする？　ドライブでも行くか？　どこでも連れていってやるぞ」

無免許のくせに何がドライブだっ、というツッコミは、甘々モードの朝には似つかわしくない。
純も、普段なら「無免許運転はだめですっ」と厳しく反対するところなのだが、徐々に蕩かされてゆく身体からはまともな判断能力が追い出されてしまったようだ。

「んっ…どこも、行きたくなぁい……はぅ、ん……ずっと、こうして……いたい………」

ねっとりと施される愛撫に合わせて腰をくねらしつつ、甘くかすれた声でこんなこと言われた日には、ただでさえ緩い理性のタガがぶっ飛ぶのは時間の問題。というか秒速。というか光速。

尭村は「じゃあ一日中繋がっていような」などと恐ろしいことを優しく囁いて、本格的に組み敷こうとした。その時―――

―――ピンポーン

くちゅくちゅと後孔をからかう指は一瞬止まったものの、何事もなかったかのようにすぐ再開。しかし、

―――ピンポーン、ピンポーン

「あ、あきむらさん……」
「気にするな。放っておけ」
「でっ、でも……っあぁん、そんな……掻き回さないでぇ………」
「他のことに気を取られた罰だ。ほら、指もう一本増やしてやろうか、ん？」
「やぁっん……音、たてちゃいやぁ………」
「音って、どんな音だ？　ああ、このぐちょぐちょいってるやつか。俺のせいじゃないぜ。お前のアソコが鳴いてるんだ」
「あっ、あぁっ……だめぇ……ソコ……あんっ」

―――ピンポーン、ピンポーン、ピンポーンピンポーンピンポーンピンポピンポピン……

「だぁーっ、ちくしょうっ、いいかげんにしろっ」

貴仁は友人の個展に、額賀は全国執事の会の会合に出かけて留守だった。家政婦は休日は来ない。この二人きりの環境が、裏目に出てしまったようだ。

放っておけばいずれは諦めるだろうと思っていたのに、訪問者はよほど粘着質な性格なのか、ヒマなのか、一向に諦める気配を見せない。

「ね……尭村さん、やっぱり出た方がいいですよ」

乱れた呼吸を抑えながら、純が優しく宥める。尭村はその唇をそっと啄ばむと、

「分かった。秒速で戻ってくるから、ここで待ってるんだぞ」

はぁい、と直前の乱れ方からは想像もつかないあどけない返事を返す純を未練がましく眺めて、尭村は部屋を出た。もちろん服を着て。ついでに怒りのオーラもまとって。




「誰だ」

大抵の訪問販売や宗教勧誘なら、すみません、間違えましたと言って逃げ帰りそうな剣呑な声。しかし訪問者はそれ以上に険しい低音で、

『いるならさっさと出なさいよ』
「だから誰だっ」
『お客に対してどうゆう態度なのよっ。桐生よ桐生っ。桐生朱音（きりゅう・あかね）っ。さっさと門開けて。日差しが強いのよっ。この真っ白な柔肌がメラニンだらけになっちゃうでしょっ』
「うるせえ、鮫肌が。面の皮厚くて紫外線も通さねえだろ」
『相変わらず、妙齢の女性への対応がなってないわねぇ。貴仁はどういう教育をしてるのかしら。……ていうか、どうでもいいから早くここを開けなさーい！』

尭村はインターホンの応答ボタンを切って、「何で来んだよ…」と溜め息をついた。




「うっそ、貴仁も額賀もいないのっ？　信じらんない。いるのはあんただけ？」
「そうだよ。だからうちは無理だ。他を当たれよ」
「駄目よ。今からじゃ間に合わないわ。待ち合わせに遅れちゃう」

貴仁の妹である桐生朱音は、豊かな胸を震わせて抗議した。背中の大きく空いたロングワンピースに、玉虫色のシフォンスカーフを羽織っている。休日の朝に相応しい出で立ちとは言いにくいが、彼女のゴージャスな容姿には似合っていると言わざるを得ない。

そしてその隣には、彼女の息子である桐生雪仁（ゆきひと）が、腿の上にきちんと両手を揃えて、事の成り行きを窺っていた。しかし徐々に飽きてきたらしく、足をぶらぶらとさせたり辺りをきょろきょろと見回したりして、落ち着かなくなっていた。

そんな雪仁の様子に気付くこともなく、二人の押し問答はエスカレートし始める。朱音は、いわゆる“名古屋巻き”と呼ばれる大きくうねらせた髪に指を絡めて、上目使いで、

「ね、おねがいっ。半日でいいの。雪仁を預かって」
「無理だ。雪仁はまだ４つだろ？　そんな小さな子預かって、責任持てねえよ」
「だぁいじょうぶよぉ。ものすごく聞き分けのいい子だから。成仁の言うことならちゃんと聞くって」
「ベビーシッターはどうしたんだよ？　高い金払ってんだろ？」
「実家に不幸があったのよっ。じゃなかったらあんたなんかに頼むはずないでしょっ」
「おーおー、俺なんかにねぇ…。にしても雪仁も可哀想だよな。親の娯楽の犠牲になって。俺ならグレてるぜ」
「あんたみたいになるぐらいなら、グレてくれた方がまだましよっ。ああ、もうっ、時間がないっ。フェニーチェ歌劇場の来日公演なのっ。『蝶々夫人』なのっ。死ぬ気でチケット取ったのっ」
「そんなの知るかっ。太ったババアが喉の肉震わせて“ピンカートーン”って、アホくせえ。そんなもの観たがる奴の気が知れねえ。大体俺だってなあ、予定があんだよ」
「どうせ女でしょ。面倒臭くなったからってドタキャンして、しょっちゅう泣かしてたじゃない。逆に事情を話せば、わあ、尭村くんって見かけによらず、本当に見かけによらず優しいんだぁ、ちっちゃい子の面倒みるなんて〜、うるうる〜ってなるわよ」
「気持ち悪いからギャル声出すな。俺は今日、大事な模試があるんだよ。もうすぐ仕度して出なきゃなんねえ。だからさっさと帰れ。今すぐ帰れ」
「ううぅ〜」

返す言葉をなくした朱音は、怨めしそうに尭村を睨む。対して尭村は、勝ち誇った笑みを浮かべてソファにふんぞり返り、優雅に脚を組む。が―――

「ねえねえねえママぁっ、すごい、すごいよぉ。天使がいたよっ」

雪仁が顔を真っ赤に染めて、部屋に駆け込んできた。

「あっ、雪仁、いつの間に……ちゃんとママの傍にいなくちゃ駄目でしょ。どうしたの、そんなに興奮して」
「あのね、なるひとおにーたんのお部屋にね、すっごいきれいな天使がおねんねしてたの」

自分の大発見を伝えられるのが嬉しくてたまらない様子で、雪仁はぴょんぴょん跳ねながら言葉を続けた。もちろん、二人の表情が凍結したのに気付くはずもなく。

「あのねあのね、しらゆきひめみたいに真っ白でね、髪の毛はきらきらしててね、それでね、すやすや眠ってるの。ぼくびっくりしたぁ、天使ってはじめて見たよ」

さあ形勢逆転。朱音はぐっと胸を反らして脚を組み、

「ほっほー。成仁お兄ちゃんの部屋で、白雪姫みたいにきれいな天使が、裸でおねんねしてたのね？」
「うんっ」

朱音は、あさっての方向を見て知らんふりを決め込んでいる尭村ににっこりと笑いかけ、

「どうやら、成仁は勘違いしてたみたいね。模試は今日じゃなくて来週だったんでしょ？　そりゃあそうよね。大事な模試のある日に彼女がお泊りなんて、あるはずないものねぇ」

びっしりと隙間もないほど棘の生えた声で言い置いた。そして立ち上がって雪仁の頭を撫でると、

「じゃあママは行ってくるから、ちゃんといい子にしてるのよ。いい子にしてたら、天使がご褒美くれるかもしれないわよ」

「ほんと？　ママっ」
「ほんとよぉ。だから成仁お兄ちゃんの言うこと聞いて、待っててね。まあお兄ちゃんは優しいから、少しなら我がまま言ってもいいけどね。それじゃあねぇ〜」

朱音はひらひらと手を振ると、スカーフを羽織って颯爽と去っていった。
残された二人は、朱音が出ていった扉を見つめている。一人はにこにこ笑って。一人は額に翳を落として恨めしげに。

「あっ、天使いなくなっちゃうかもしれない。会いに行かなくちゃ」
「こ、こら雪仁、待てっ。お前勝手に―――」

しかし尭村の言葉を無視して、天使に会いたい一心の雪仁は、渡り廊下をぱたぱたと駆ける。そして尭村の部屋へ。

「わーい、まだいたよぉ」

そしてベッドの端にちょこんと座り、純の寝顔を覗き込む。

「うわー、きれー」
「ゆ〜き〜ひ〜と〜、こっち来いっ」
「やだっ、ぼくも天使とおねんねするんだもん」
「ふざけんなっ、一緒におねんねできるのは俺だけだっ」
「やだやだやだっ」

本気で４歳児と喧嘩をする男。それが尭村。二人はぎりぎりと睨み合ったが―――

「うぅん……んっ………あきむらさん？　お客様はもう帰ったのぉ……？」

柔らかな光の中で、少し眩しそうに目を開ける純。

「うわぁ、しゅごい、しゅごーい」

純の紫色に瞳に感動した雪仁は、思わず身を乗り出して顔を近づける。

「えっ、ええっ、えと……この子は？」
「……悪い、俺の従兄弟だ。今日一日預かることになっちまった」

尭村は心底悔しそうにそう言うと、がっくりと項垂れた。

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