２.

「ええっ？　天使じゃないの？」
「う、うん……違うよ。僕はね、純っていうの。純おにいちゃん」
「じゅんおにーたん？」
「うん、そうそう」

雪仁は納得いかないように首を傾げると、

「ちがうよぉ。おにーたんっていうのは男のひとだよ」
「うぅ……だから僕は男なんだってば………」
「ええーっ、うそだぁ」

純は少なからずショックを受けた様子で、がっくりと肩を落とした。尭村は面白そうににやにや笑いながら、

「なら証拠を見せてやりゃあいいじゃねえか」

純は横目でじろりと睨むと、「ホントに見せたら怒るくせに」と小声で言い返した。

「ねえねえどうしたの？　どこか痛いの？」

雪仁が、心配そうに顔を覗き込んできた。
まん丸な黒い瞳に艶やかな黒髪。尭村さんの小さい頃もこんな感じだったのかなあ、いやもっとふてぶてしい子供だったのかなあなどと想像を巡らせていると、何だか気持ちが浮き立ってきた。そうだ、この小さい子に心配かけちゃいけない。ただでさえ、母親から離れて心細くなっているに違いないし。
純はにっこり笑うと、

「ううん、大丈夫。あのね、僕のことは純、て呼んで」
「純たん」
「はぁい、雪仁くん」

顔を近づけてくすくす笑いを交換する二人を、強制部外者モードの尭村は不機嫌そうに眺める。純が子供に好かれるというのは、分からなくもない。内面の優しさもさることながら、この美貌に惹き付けられるのだろう。

子供というのは実は残酷で、美しいものと美しくないものを遠慮なく差別して明らさまに態度に出す。大人のように気を使ったり誤魔化したりはしない。綺麗なものイコールいいもの、綺麗な人イコールいい人という、単純な方程式を信じていられる幸せな黄金時代。

美しいお姫様の内面に凝るどろどろの葛藤や、醜い魔女の真摯な苦悩などに気付くのはまだまだ先のことなのだ。

「純たん純たん、おなかすいたよぉ」
「あ、もうこんな時間かあ。雪仁くんは何が食べたい？」
「んとねー、ホットケーキ！」
「よぉっし、じゃあ作ろうっかなあ。尭村さん、キッチン借りますねー」

二人は手を繋いでぱたぱたと部屋を出ていった。
一人残された尭村は、空のベッドを未練がましく眺めた。あんな訪問者がなかったら、今ごろ……一日中繋がって……あぁ………

悲しき玩具、じゃなくて悲しき下半身を宥めて、とぼとぼとキッチンへ向かった。


「あっ、尭村さーん、ちょうどよかった。ホットケーキミックスってありますか？」
「んなものあるわけねーだろ。俺と親父二人で、休日の午後ホットケーキでティータイムか？　想像してみろ。だんだん気分が悪くなってくるだろ」
「う……ホントだ。だんだん気分が………」
「悪かったなあ（怒）」

自分でフッておきながら、不愉快そうに眉根を寄せる尭村。純は慌てて話題を変える。

「困ったなあ。あ、尭村さんっ、ホットケーキミックス、買ってきてもらえますか？」
「はあ？　俺が？　冗談じゃね―――」
「食べたーい、ホットケーキ食べたいよーっ。おにーたーん」
「うるせえっ、このクソガキっ」
「わぁーん、純たーんっ」

純の腰に縋りついて訴える雪仁。尭村は引き剥がそうと思わず手を伸ばす。
てめえ、ソコに顔をすりすりできるのは、地球上に生息する生命体の中でも俺だけなんだよっ。
しかし―――

「尭村さんっ、忘れたんですか？　今日は僕の言うこと何でも聞いてくれるって」

純は尭村の物騒な手をぱしっと撥ねて、厳しい口調で問い質す。そんな約束などほとんど忘れかけていた尭村は一瞬固まったが、

「わかったよっ、行ってくりゃいいんだろ、ちくしょうっ」

どかどかと荒々しい足音をたてて出ていく尭村の背中に、「メープルシロップもお願いしまぁす」という朗らかな声が追い討ちをかけた。「おねがいちまーす」と純の口調を真似る雪仁。

尭村は、余ったメープルシロップは今度使ってやるからなっ、覚悟しとけよっ、と胸の内で吠えて、買出しに出かけて行った。




「うわぁ、純たんしゅごーい。ママよりじょうず」
「ふふっ。雪仁くんお腹すいたでしょ。はい、お待たせしましたっ」

ダイニングテーブルだと雪仁が食べにくいだろうと考えて、リビングに運んで床に座るスタイルで食事をすることにした。

テーブルの上には、きれいな焼き色のついたホットケーキが湯気をたてて並んでいる。雪仁の前には、バターとたっぷりのメープルシロップがかかったもの。それを、慣れた手つきで切り分けて、せっせと口に運ぶ。

「おいしい？」
「うん、おいひい」
「慌てないで、ゆっくり食べるんだよ」

純はそう言うと、尭村の前にも皿を差し出して、

「はい。甘みを抑えて、薄く焼き上げたものです。ハムとチーズを乗せて、このソースをかけて食べてくださいね」
「ああ、悪いな」

尭村は言われた通りにして、焼きたてのパンケーキを食べた。

「……おいしい？」

同じ問いかけなのに、雪仁に向けたものとは明らかに異質の響き。尭村はそっと腰を抱き寄せて、

「旨い。これならたくさん食えそうだ」
「よかったぁ」

純は満面の笑みで尭村の身体にぎゅっと抱きつく。

「あ……ごめんなさい。これじゃ尭村さん食べにくいね」

そっと離れようとする純を乱暴に引き止めると、腰に、いやお尻に手を回して、

「純……せっかくの休日なのに、こんなことさせちまって………」

口では殊勝なことを言いながら、手はさわさわとお尻を撫でる。

「そんな……僕は一緒にいられればいいんだもん………やぁんっ」

最後の可愛らしい悲鳴は、尭村がお尻の割れ目を指でなぞったからだ。

「ああ、腹へった。食いてえな」
「ごめんね、くっついてて。離れるからゆっくり食べて―――」
「ばぁか。俺が食いてえのはこっちだ………」

尭村は、柔らかな肉をぎゅっと掴むと、ふにふにと揉み始めた。

「あきむらさぁん、もぅ………」
「マジで、食いてえ……」

微かに潤んだ紫色の瞳に映る自分は、明らかに欲情している。尭村は本気でこのまま押し倒してしまおうと思い、ぐっと身を乗り出した。ちょうど目の前にメープルシロップもあることだし。が―――

「純たん、おかわりっ」
「あっ、はいはい。今焼くから待っててねー」

雪仁よ、お前は前世で俺の敵役だったに違いない。尭村は行き場を失った“食欲”を、目の前のパンケーキにぶつけるしかなかった。




食事の後は一緒にゲームをして、雪仁持参のアニメビデオを観た。さすがにこれで解放されるだろうと思ったのも束の間、今度は絵本を読んで〜、ときた。

純は怒り心頭の尭村を宥めると、雪仁を膝の間に座らせて本を広げ、読み始めた。

「“自分がいちばん美しいと思っているお妃は、鏡に向かってたずねました。鏡よ鏡、この世界でいちばん美しいのはだぁれ？　すると鏡は答えました。それは、白雪姫でございます。それを聞いたお妃は―――”」
「ちがうもん。鏡まちがってるよ。しらゆきひめより純たんの方がきれいだもん」
「そ、そんな……えと………」

雪仁は挿絵のお姫様にぎゅっと指を押し付け、

「ほらほらぁ、純たんの方がきれいだよ。ねっ」
「そうだな。純の方がずっっときれいだ」
「あ、尭村さんまでっ」

いつの間にか純の横に座っていた尭村は、真剣な声で答える。

「子供にだって真実を教えるべきだろ。いいか雪仁、こんな女なんか大して綺麗じゃねえぞ。どうせ化粧塗りたくってガードルで締め上げてんだから。もしかしたら整形してるかもしれねえ」
「もうっ、尭村さん」
「お前の母ちゃんだって、ウエスト細く見せかけてはいるが、実は……」
「ママはねぇ、おなかにお肉いっぱいあるんだよ。おふろの時にぼくがつまむと、すごく怒るの」

―――こ、子供ってこわい……

「あとねえ、ママは魔法のおくすり使ってるんだよ」

何だかアヤシゲな単語が飛び出してきた。純はおそるおそる「魔法のお薬ってなぁに？」と訊いた。

「うんとねー、えすけーつーっていうの」
「……そのお薬、何か聞いたことあるなぁ……」

尭村は勝ち誇ったように笑うと、

「ほら見ろ。そんなものに頼らなくちゃならねえんだって。白雪姫だってな、今は若さでカバーできるからまだいいが、あと４、５年経てば、今度はてめえが毒リンゴ食わせる側に回ることにな―――」
「もうおしまいっ。白雪姫はおしまいっ。つぎつぎっ」

純は絵本をバタン、と閉じると、尭村を睨んだ。子供の夢を壊してぇ〜（怒）

「ええーっ、白雪姫はぁ〜？」
「白雪姫は、王子様とちゅーをして幸せに暮らしましたっ」
「そう、こんな風にな」
「えっ……ん、ふっ………んんっ」

突然唇を奪われた純は、図らずも甘い吐息を漏らしてしまった。

「あーっ、ぼくもちゅーするっ」
「却下。王子様は一人だろ？」

雪仁はむーっと膨れると、じゃあ次はこれ読んでっ、と言って差し出してきた。タイトルは、『眠れる森の美女』。

―――確かこれも、最後は王子様とキスするんじゃなかったけ？

そんなことを考えながら尭村を見上げると、にやにや笑いとぶつかった。純は思い切り無視して本を広げ、微かに尖った声で朗読を始めた。

「―――そしてオーロラ姫１６歳のお誕生日。４人の花婿候補が……」

話は第一のクライマックスに差し掛かった。が―――

「あっ……ん、姫に結婚の申し込み、を……やぁっん、あきむらさん、やめて………」
「純たん？　どうしたの？」
「う、ううん。何でもないよ。続きね。えと…姫は、恥ずかし、そう…に………はぁん、ひとり…ひとり、と……い、いやっ、も……だめぇ……」
「ずい分色っぽい童話だな」

尭村は心底楽しそうに囁くと、下着の中に突っ込んで不埒な動きを繰り返す手に、一層力を込めた。

「あっ、あっ、んんっ……いやぁ……おねがい……やめ、て………」

尭村の手の中でそれはゆったりと勃ち始め、時折ぴくぴく震える。潤んだ眼差しで訴える純はすでに息が上がっており、半開きの口から濡れた舌をちらちら覗かせて尭村を誘う。それでも純は続きを読もうとしたが―――

「あふっ……ん、んんっ」

きつく舌を吸われて苦しそうにもがき、本をばさりと落としてしまった。

「ああっ、おにーたん、ちゅーはまだだよぉっ」

雪仁は『眠れる森の美女』のことを言っているのだが、もちろん童話のキスがこんな濃厚なものであるはずはない。しかも股間からぐちゅぐちゅといやらしい音を漏らしつつ、だなんて。

「んふっ……んんっ………っふ」

純は何とか尭村の手を引き抜こうとするが、もちろん力では敵うはずもなく。ようやく舌を解放した尭村は、濡れた唇を歪めて雪仁に笑いかけると、

「今度はお兄ちゃんが遊んでもらう番だ。一人占めは駄目だからな」

言うが早いか、純を抱き上げてあっという間にさらっていった。

「ぼくもー、ぼくも一緒にあそぶー」

雪仁はその後を慌てて追いかけていった。

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