３日間降り続いた雨もようやく止み、雲間から光が差し始めた。しかし２−Ｂの教室に突然現れた彼は、久しぶりの太陽よりも美しく、華やかに輝いて教室中を照らした。
「おっはよー」
予期せぬ出来事にみな呆然としたのも束の間、わあっと歓声があがり、彼、麻生晶（あそう・せい）を取り囲んだ。
「麻生くんだっ、いつ帰ってきたのー」
「晶姫、お帰りっ」
「うぅ……うれしい……」
目頭を押さえる男までいる。そんな大歓迎の嵐を、笑顔全開で掻き分けて自分の席を探す麻生。
「ね、僕の席ここでいーの？」
「もっちろん」
隣の男はぶんぶん頷いて、椅子まで引いてやる。麻生はこういう扱いに慣れているのか、「お、サンキュ」と言ってすとんと腰を下ろす。
「はあ〜、やっぱ落ち着くわ」
机にすりすりと頬擦りして、にっこりと笑った。
麻生晶、通称“晶姫”は、大輪の蘭を想わせる華やかな美貌の持ち主だった。
さらさらの黒髪も大きな黒瞳（こくどう）も、いつも濡れたように輝いて、人の視線を否応なく惹きつける。
しかし、深窓の令嬢めいた容姿とは対照的に、性格はさっぱりしていて男気溢れる好男子だった。そのオープンな性格のゆえか、男性遍歴もなかなかのもので、一年の頃は女子からやっかみ半分で“月極め駐車場”などと揶揄されることもあった。
とはいえ麻生は無類の“別れ上手”で、振られた相手は麻生を恨むどころか、喜んで友人関係を保った。そして楽しかった思い出と、“オトモダチ”というちょっぴり切ない称号を大事に大事に慈しむのだ。
「でもどうしたの？ 留学って夏いっぱいまでじゃなかったっけ？」
「なんかつまんなくてさ〜。早めに切り上げてきちゃった」
蒼薇学園では、パリ郊外にある提携校への短期留学を奨励しており、毎年一人、学内で選抜された学生が渡仏することができた。この制度は生徒間では大変な人気で、その選抜試験には毎年４、５０名がエントリーした。
が、人気の理由は異文化に触れられるとか語学の修養に役立つといった殊勝なものではなく、超豪華な学生用アパルトマンや、歓迎パーティーを始めとする楽しく開放的な催しにあるのだが。
そんな高倍率の選抜試験に合格して渡仏したというのに、「つまんないから帰ってきた」などと堂々と言えるのは、麻生ぐらいのものだろう。しかしそんな不遜な態度を咎める者など一人もいない。
「晶姫がいないとさ、なんか教室の空気がモノトーンでよー。いやあ、淋しかったっす」
「そうそう。新学期始まったのになんかどよーんとしちゃってね」
一年の頃からのクラスメートたちは口々に喜びを伝えながら、フランスでの生活について色々訊いてくる。麻生は、一刻も早く隣の２−Ａに行きたかったのだが、仕方なく話に付き合い、ＨＲが終わったらすぐに駆け込もうと決めた。
「やっほーい！ 貴志っ」
教室の入口でぶんぶん手を振る麻生を見つけた森下は、口をぽかんと開けて懐かしい友人の顔に見入った。そして、
「麻生じゃねーかっ、お前いつ戻ってきたんだぁ？」
「昨日の朝早くこっちに着いたんだ。なんか向こういてもつまんなくてさ、もういいやと思って帰ってきたんだ。やっぱ僕には蒼薇が一番っ」
朗らかな声でそう言いながら、ずかずかと教室の中に入ってくる。
「うわーっ、麻生だ麻生だ。ひさしぶりー。ねっ、俺のこと覚えてる？」
「ばぁか、忘れるわけないじゃん、藤崎」
薫も嬉しそうに寄ってきた。蒼薇が誇る姫たちがきゃらきゃらとじゃれ合っている光景は、なかなか見ごたえがある。
「なあ貴志、成仁は？」
目当ての人物の姿が見えず、麻生は勢い込んで訊ねた。
「ああ、もうすぐ来るだろ。あいつ最近、月曜は必ず遅刻なんだよ」
森下は意味ありげに声を低めて、苦笑する。
「ほえ？ なんで？」
「なんでって、そりゃあお前……」
森下が言い終わらぬうちに、麻生の顔がぱぁっと明るくなった。
「あっ、なるひとーっ、ひさしぶりぃ」
明らかに寝不足と分かるだるーい歩き方で、尭村が教室に入ってきた。そして、それとは対照的に晴れやかな笑顔の麻生をじっと見ると、
「お前……学校来てたのか。ずい分会ってない気がするな」
森下は新喜劇ばりにコケて、
「お前はボケじじいかっ。麻生は留学してたんじゃねえかっ」
しかし麻生はからからと笑って、
「なぁんか成仁らしー。ウケるー。ところでさっ、二人とも今日の帰りひま？ ひまだよねっ。どっか寄ろうぜ。でもって、“晶くん帰ってきた記念”でなんかおごって〜」
尭村は柔らかく笑って、
「ったくお前はしょうがねえな。分かったから、もう教室に帰れ。授業が始まるぞ」
麻生は驚いたように目を見開くと、頬を微かに赤く染めて頷いた。
昼休み、食事を終えた麻生は、再び２−Ａの教室に来ていた。
「なあ貴志ぃ……成仁、ちょっと変わったよな。僕のいない間、なんかあった？」
不在の席に視線を送りながら、麻生は神妙な声で訊ねた。森下はちらと麻生を見ると、
「おう、あったぜ。……恋人ができた」
「ぶっ」
肩を震わして笑う麻生に、ムッとした声で「何がおかしい」と言い放つ。
「だっ、だぁってぇ……成仁にとって、そんなの一番どーでもいいことじゃん。いっつもとっかえひっかえでさぁ。まあ僕も人のこと言えないけどっ。貴志があんまりマジな顔で言うから……」
まだくすくす笑って、「やっぱ気のせいなのかなあ」と呟く麻生に、森下は真面目に同じ言葉を繰り返す。
「恋人ができたんだよ。とびっきりのな。但し、男だけど」
麻生の笑いはぴたりと止まった。心なしか震える声で、
「な、なんだよ、その冗談、笑えねー。成仁が聞いたら怒るぞ。だってあいつは男には―――」
「確かに男には興味ないって言ってたけどな。その尭村をめろめろにしちまった姫が現れたんだよ。１年にな」
「う、うそだ………」
震える手をぎゅっと握り締めて俯く麻生。そんな友人の変化に気付いていない森下は、気安い調子で言葉を続ける。
「信じられねえのも分かるけど、まあ傍から見てても呆れるぐらいでれでれしててよ。今だって裏庭でイチャイチャしてんだぜ。ったくやってられねーぜ。それに―――」
「森下っ」
近くで本を読んでいた薫が、突然割り込んできた。厳しい表情で森下を睨み、
「もういいじゃねーかっ。人の恋愛についてうだうだ言うやつは、馬に蹴られて死んじまえってゲーテもゆってるんだぞっ」
「な、なんだよ、藤崎。とつぜん……」
訳が分からずうろたえる森下に、麻生は平静を装った声で、
「僕、もう教室戻るから。あ、それから、今日急用ができちゃってさ、誘っといて悪いけど、“帰ってきた記念”は日を改めて。成仁にもそう伝えといて」
そう告げると、自分の教室とは逆方向へ駆けていった。
「なんだあ……あいつ」
呆然と見送る森下に、薫は盛大な溜め息を贈った。
「はあ〜、森下って、尭村の心の変化には敏感だけど、それ以外のことには鈍感なんだなあ」
「やっ、やめろよ。その誤解を招くような言い方」
薫は「だってホントのことじゃんか」と冷たく言い放って、再び読書に戻った。
どこをどう走ってきたのか分からない。けれど、一人で泣くにはぴったりの場所にいつの間にか来ていた。
それなのに、こういう時に限って涙が一滴もこぼれないのだ。麻生は、自分の強情さに呆れて思わず笑った。哀しい笑い。
「うそだ……うそだよぉ………なるひとが―――」
―――男を恋人にするなんて
ずっと我慢して我慢して、そして終に諦めた。自分が尭村の恋人になることは絶対にないのだと。でも、まだ好きだった。
フランス行きも、環境が変われば少しは気持ちも開放されて、他に目が向くかと期待してのことだった。
もちろん結果は散々。余りにありがちな展開で笑っちゃうけど、会えない分想いは募るばかり。どうにもならなくて、堪らず帰ってきたのだ。なのに、帰った途端こんな事実を知らされるなんて。
いわゆる幼馴染という仲だったけれど、いつから好きになったのかは分からない。気が付けばいつも目で追っていて、夢の中で何度も抱いてとせがんだ。
なんであんな傲慢で無愛想で冷たい奴を好きになっちゃったんだよ、と自分に呆れてみせる余裕があるのは、尭村が持っている“優しさ”というものは、一般的な“優しい男”のそれとは違うのだと誰よりもよく知っている、そんな自負があってこそだった。
尭村は、安易な同情や励ましの言葉は口にしない。しかしそれは優しさに欠けるからではなく、思ってもいないこと、できもしないことは口にしないという、彼のストイシズムの故なのだと、麻生はきちんと理解していた。
困っている人間全てを助けてやることなんてできない。だから尭村は付き合う人間を選別して、自分が選んだ人間には黙って援助の手を差し伸べた。そしてそれ以外の者は、見事に無視した。
そのせいで必要以上に敵意を蒙ることになっても、彼は意に介さず自分のやり方を貫いた。それはある意味不器用な生き方だったけれど、麻生にはとても美しい生き方に見えたのだ。
その尭村は自分を選んでくれている、麻生はそう確信していた。自惚れではない、厳然たる事実。
変な男に付きまとわれた時、尭村はよく恋人の振りをして追い払ってくれた。相談するたびに、「んなこと知らねえよ」と突き放されるのではないかと怯えたが、必ず「俺に任せろ」と言ってちゃんと実行してくれたのだ。
これで十分だ、と麻生は自分に言い聞かせていた。恋人にはなれなくてもいいじゃないかと。
そして尭村への想いを振り切るために次から次へと男を変えた。けれど尭村の代わりを務めることができるような男は終に現れなかった。そんなこと、最初から分かり切っていたのだけれど。
セックスの時も、生理的な快楽はあるものの、心は冷えていた。
思わず愛しい人の名前を呼びそうになり、それを閉じ込めるためぎゅっと唇を噛み締めることも。すると相手の男は何を勘違いしたのか、にやりと口許を緩めて「気持ちいいんだろ？」と囁く。屈辱的な瞬間。
そうだ、尭村を忘れるために色んな男と付き合って、色んな男と寝て、ここまで穢れてしまった自分。今さら彼に、何を言えるだろうか―――
「帰ってきたんだな、晶」
突然の呼びかけに思考を遮られた。麻生が振り向いた先にいたのは、留学する直前まで付き合っていた男。“別れ上手”の麻生の、数少ない失敗例。彼が逆上したせいで、麻生の渡仏はあやうくめちゃくちゃになるところだったのだ。
「ああ、帰ってきた。だから何だよ」
普段の麻生なら、こんな愚かなことはしない。うまく相手を宥めてやり過ごすため、頭を働かせるはずだ。
しかし今はそれどころではなかった。苛立ちや悲しみで頭はぐちゃぐちゃ。そんな混乱した険しい感情そのままの目つきで男を睨むと、さっさとその場を去ろうとした。しかし、男はすかさず麻生の腕を掴んで引き寄せた。
「いってえ！ 何すんだよっ。離せ！」
麻生は暴れたが、威勢のいい言葉ほど身体は動いてくれなかった。両手を背後の壁に押し付けられ、華奢な身体はあっさり男の支配下におかれた。
「晶……愛しい尭村にはもう会ったか？ お前がフランスへ行ったのは、尭村を忘れるためだろ？ お見通しなんだよ。でも残念だったなあ。あの男、新しいお姫様に夢中だぜ」
「ぅるせ……離せ」
「可愛くねえなあ、そんなんだから尭村に相手にされないんだぜ。でも俺はまだ、お前のことが好きだ。なあ……もう一度………」
「やっ、やめっ……っうぅ」
強引に唇を吸われ、舌まで挿し込まれた。麻生は怒りと悔しさで朦朧としながらも、男の脛を思いっ切り蹴ってその拘束を振りほどいた。そして罵声を浴びせる余裕もなく逃げたが、追ってきた男に呆気なく捕まる。
振り切ろうと必死でもみ合っていると、向こうから近づく二つの人影が。
それは他ならぬ尭村と、もう一人は―――
―――いやだいやだっ、こんなとこ見られなくないっ。来んな、こっち来んなよぉ
「晶……晶……俺のものになれよ、なぁ……」
「いやだああぁっ」
麻生はたまらず大声をあげた。すると、
「おい、何してんだっ、てめえっ」
「な……なるひとぉ」
尭村は駆け寄って男の胸倉を掴み、麻生から引き剥がした。
「尭村……お前には関係ねえだろっ、は、はなせっ」
「関係ねぇかどうかは俺が決めることだ。二度と麻生に近づくんじゃねえぞ」
ぎりぎりと締め上げてから、男の身体を放り投げた。男は苦しそうに何度も咳き込むと、あたふたと立ち上がって逃げていった。
「なるひと……ありがとぅ………」
麻生はお礼を言いながらも、尭村のことは見ていなかった。その隣に、心配そうに眉をたわめて立つ一人の少年に、目を奪われてしまったから。
「あぁ………」
思わず溜め息がこぼれる。なんて、なんて綺麗なんだろう。外見だけじゃない。こんなみっともない姿を晒している自分を、心底労わるように見守っているその表情には邪気のかけらもなく、シャルトルの大聖堂で見た天使像のように無垢な美しさで輝いていた。
だめだ。敵わない。敵うはずがない。こんな、穢れきった自分が―――
「……きれいなコだね、成仁。恋人なんだろ？」
「ああ。純、秋原純っていうんだ」
純は控え目に微笑んで、小さく頭を下げた。これまで尭村が付き合っていた女だったら、こういう時には必ず尭村の身体に腕を巻き付けて「よろしくぅ」と笑い、麻生を牽制してきたはずだ。
しかし純はまだ心配そうに、黙って麻生のことを見つめている。
「そっか、なんかごめんな。こんなキレイなコに、あ、あんな汚らしい光景見せちゃってさ」
尭村は不審げに眉根を寄せて、
「麻生……お前何言ってんだ？」
「成仁だって、ホントは僕のこと男狂いの汚ねえ奴だって思ってるんだろ？ そうだよ、僕はそのコみたいにキレイじゃないっ。色んな男と付き合って、色んな男と寝て、ヤリまくって―――」
その時、純の表情が苦しそうに歪んだ。すると尭村はその身体をそっと抱き寄せて、優しく髪を撫でた。静かな、温かいコミュニケーション。自分がこれまで付き合った誰とも共有できなかったもの。
麻生はこれ以上耐えられなかった。くるりと身体を反転させて、全力で駆け出す。頼むから追いかけてくるなと、心の中で叫びながら。しかし、
「あ、あきむらさんっ、早く追いかけてあげてっ。このまま放っておいちゃだめっ」
「わ、わかった」
尭村は純の剣幕に圧されて、慌てて後を追った。確かに今日の麻生は変だ。フランスで何かあったのかもしれないな―――
「麻生……どうしたんだ、お前」
逃げきれないと観念したのか、麻生は立ち止まって息を整えている。しかしこちらを向こうとしない。
「なあ、向こうで何かあったんじゃねえのか？ 話してみろよ。もちろん強要はしないが―――」
「なにかあったのは成仁の方だろっ。なんだよっ、男には興味ないって言ってたくせにっ。だから僕、必死に諦めようとしたんじゃないかぁっ。色んな男と、大して好きでもない男と付き合って、お前のこと忘れようとしたのに……なのに………」
「麻生……お前」
「好きだよぉっ、ずっとずっと前から、今も、成仁のことが好き」
告白と同時に尭村の胸に縋り、唇を重ねようとした。が、
「止めろ、麻生」
冷たい拒絶。麻生は、二人がこれまで築いてきた関係が崩れ去ったことを悟った。精一杯の虚勢で尭村の胸をどん、と突き放し、そのままふらふらとその場を去った。
尭村はもう追いかけてはこなかった。
自分はまだ泣いていない、そのことに驚きつつ、麻生は教室へ戻るため廊下をとぼとぼと歩いていた。
結局あれから、グラウンドや裏庭を彷徨って５限をすっぽかしてしまった。が、いつまでもふらふらしているわけにはいかない。その時、
「あら、麻生くんじゃない」
以前、尭村と付き合っていた女だ。名前も覚えていない。それは尭村も同じだろうが。麻生は面倒くさそうに「ああ」と答えた。が、女は話を続けたいらしく、ねえねえと擦り寄ってくる。
「ね、聞いた？ 尭村くんが付き合ってる相手。信じられないわよね〜、あんなコと。何人もの男に、よってたかってレイプされちゃったのに」
「えっ？」
麻生は思わず硬直した。女は嬉しそうに口許を緩めて、
「知らなかったの？ あのコさあ、３年の京極先輩とか桜小路先輩とかに呼び出されてヤられちゃったのよ。きっと、尭村くんも可哀想で捨てられないのねー」
“僕はそのコみたいにキレイじゃない”と言った時の、純の苦しそうな表情が思い出される。
そうだったのか、僕は気付かないうちにあのコを傷つけていたんだな――麻生は、自分の痛みにばかり目を向けていたことを恥じた。そして、もう一度尭村に会ってちゃんと謝ろうと決意した。
まだ純のことを淫乱だなんだと言っている女に向かって、
「悪いけどさ、僕お前のこと知らないんだよな。誰？ で、成仁の何？」
馬鹿にしたようにそう言うと、言葉を失った女を無視して教室へ戻った。
「成仁、呼び出したりしてごめん。それから、さっきは変なこと言って困らせてごめん。それから、無理やりキスしようとしてごめん。それから―――」
「謝ってばっかじゃねえか」
尭村は苦笑して、麻生の言葉を遮った。放課後の、無人の屋上。さっきあんなことをしてしまったというのに、尭村はちゃんと来てくれた。
「そうだね。でももう一つだけ謝らせてくれよ。そのつもりがなかったとはいえ、あのコを傷つけるようなこと言ってしまった。ごめん」
「……聞いたのか」
「成仁の元カノに捕まって、えんえん聞かされたよ。ホントお前って、女の趣味サイテーだな」
「男の趣味は最高だろ？」
麻生は笑って頷いた。が、すぐに顔を引き締めて、
「なあ成仁。もし……僕が先に告白してたら、僕と付き合った？」
「付き合わねえな」
一瞬の間も置かず即答する。余りに彼らしくて、笑ってしまう。が、尭村は真面目な表情を崩さず、
「俺がお前と付き合わないのは、お前が男だからじゃねえぞ。お前は俺の友人だから。ほら、俺って友だち少ねーだろ？ これ以上友人失いたくないんだよ」
これは嘘だ、と麻生は思った。尭村が、友だちが少ないとか多いとか、そんなこと気にするはずがない。けれど、自分を傷つけないように気を遣ってくれるのは、素直に嬉しいと思えた。
「それによ、男だ男だって言ってるけど、お前の方がその辺の女よりずっと綺麗じゃねえか」
意外な一言。麻生は震える声で「本当に？」と訊き返した。
「ああ」
―――これで十分。もう本当に十分だ
目頭がつんと熱くなり、やがて涙がこぼれた。ああ、やっと泣けた。麻生は深い感慨に浸りつつ、
「成仁、キスして。おでこでいいから」
尭村は黙って唇を付けた。掠めるような儚いキス。でも、温もりは十分に伝わった。
「……ありがと。これで僕の話はおしまい。成仁、また明日」
「ああ。また明日な」
麻生は笑って手を振った。愛しい背中が見えなくなっても、振り続けた。
ばいばい、成仁。
頬を撫でる風も、溢れ続ける涙も、おでこに受けたキスも、全てが甘く温かい。変だな、悲しいはずなのに。なんで穏やかに笑っていられるんだろう。
悲劇がいつも、苦い涙と嘆きで終わるとは限らない。微笑みで終わる悲劇だってある。
―――甘い悲劇
（Fin）
BGM「Sweet Tragedy」 Song by PSY・S
