Snow Christmas

５.

12月24日、クリスマスイブ。その日は朝から灰色の曇り空で、身体の芯から凍えるほど寒かった。

天気予報は、曇りのち雪。ホワイトクリスマスなんてドラマかクリスマスソングの中だけの話で、東京では体験できないと思っていた。

テレビのニュースでは、真冬なのに半袖ワンピースを着た女性予報士が、ロマンチックなイブになりそうですねと笑顔で伝えていた。

「ホワイトクリスマスかあ………」

薫は窓から空を見上げ、誰にともなく呟く。しかしすぐに首を振って、今の呟きを打ち消した。

ロマンチックなイブだとか、そんなの関係ない。別に恋人と過ごすわけじゃないんだし。家の中で、家族と過ごすホームメイドクリスマスには、雪が降ろうが星が降ろうが関係ないのだ。

そして視線を部屋の中に戻し、明良と一緒に飾り付けしたクリスマスツリーを眺めた。二人でクリスマスの思い出を話しながらオーナメントを飾るのが、毎年の恒例だったのだ。

母ちゃんが作ってくれたブッシュ・ド・ノエル、どう見ても切り株に見えなかったよなあ。ほら、父ちゃんがさ、サンタの格好して帰ってきた時、明良ってば恐くて泣いたんだぜ。そういえば、サンタの正体を暴くんだって言って、二人で夜中まで起きてたよなあ―――

けれど今年の明良は、どこかおかしかった。薫が何か話し掛けても強張った笑顔で相槌を打つだけ。時折「あのさ…」と何か言いたげに口を開いては、極まり悪そうに俯いてしまう。

何度も「言いたいことがあるならはっきり言え」と口から出かかったが、そのたびに呑み込んでは必死に“いつも通り”を貫こうとした。

大丈夫、何があってもずっと一緒。家族の絆が壊れることはない。家族みんなで祝うクリスマスには、誰も割り込むことなんてできないんだ―――

そう言い聞かせながら、自分の中にある濃厚な怯えを無視することができずにいたのだった。

「明良は今日も練習かあ……」

昼過ぎ頃、練習だからと言って家を出ていった。夕方には帰るからと言い残して。

薫も一緒に出かけて見学したかったが、片瀬と顔を合わせる可能性を考えて思いとどまった。今日の６時と言われたけれど、行くつもりはなかったから。

家族と過ごすクリスマスには、誰も割り込ませない。これまでも、これからも、ずっと―――


―――ちょっと待って、来なかったら諦めて帰るよな、うん


たった一人、ぽつんと待ち続ける片瀬のシルエットが頭に浮かんだが、慌てて打ち消した。胸の痛みが消えることはなかったが。




「ただいまぁ。すっげえ寒い〜」

明良が帰ってきた頃には、外はすでに暗くなっていた。練習に片瀬は来たのか訊きたい気持ちを抑えて、薫は些かぶっきらぼうに「お帰り」と応えた。

すると明良は「おう」と返してそそくさと自室へ上がり、暫くしてばたばた騒々しい足音をたてて下りてきた。どうやら着替えてきたようだ。

「どうしたんだよ。オシャレなかっこしちゃって」

薫の不審げな問いかけに「うん…」と曖昧な相槌を返し、薫の顔を見ずに答える。

「ちょっと出掛けてくる」
「え？　これから……？」
「ああ。帰りはそんな遅くならないと思うけど」

玄関で靴を履きながら答える明良。薫はその背中に「ちょっと待てよ！」と噛み付き、

「これから出るってどういうことだよ！　今日はクリスマスだろ？」
「彼女と約束してるんだ」

明良は立ち上がって、そのまま家を出ようとした。薫は裸足のまま追いかけて背中に飛びついて、

「何でだよっ。クリスマスはいつも家族で―――」
「今までは、だろ？　俺ももう子供じゃねえし」
「こ、子供とかそんなの関係ない！　なら、大人になったら家族の絆は壊れちゃうのかよッ。幾つになったって家族は家族だ。ずっと、ずっと一緒だって―――」
「もうやめてくれよ！！」

温厚で声を荒げることのほとんどない明良の険しい叫びに、薫は表情を強張らせて立ち竦む。明良は薫に正面から向き直り、苦しそうに顔を歪めて本音をぶちまけた。

「家族の絆とかずっと一緒にいるとか、そういうの息苦しいんだよっ。薫の思い込みを押し付けられるのは、いい加減うんざりなんだ」

予想もしなかった明良の言葉に、薫の思考回路は凍り付いた。反論どころか、何も考えられない、呼吸もできない。そんな薫に、明良は追い討ちをかける。

「俺には俺の考えがあるし、俺の道もある。兄弟だからって、いつまでもずっと一緒にいるわけにはいかないんだ。俺、高校は別の学校に行くよ。もっとサッカーに打ち込める環境で―――」

明良は続く言葉を呑み込んだ。初めて本音を打ち明けたことで気持ちが高ぶっていたが、ようやく目の前の薫を思い遣る余裕が生じたのだ。

薫は大きく見開いた両眼からぽたぽたと大粒の涙をこぼし、痛ましいほど切実な眼差しを明良に向けていた。

「な……なんで……どして………」
「薫………」
「ずっといっしょだって………何があっても俺が守る……あきら……だいじなだいじな弟っ………」

明良は唇を噛み締め、思わず目を逸らす。その顔には後悔の色濃い翳が。

「かぞく……俺の……いちばんだいじなもの………うれしくて、しあわせで………クリスマスをいっしょに過ごせるのが………」

薫はこくんと喉を鳴らし、消え入りそうな声で本音を漏らした。

「ずっと………ひとりぼっちだったから………」

父親が再婚するまでは、クリスマスは一人だった。父親は、プレゼントに薫の欲しいものを何でも買ってくれた。

淋しい思いをさせてしまって申し訳ない、そんな父の気持ちを分かっていたから平気な振りをしていたが、薫が本当に欲しかったのはプレゼントなんかではなく、家族で過ごす楽しいひとときだったのだ。

明良は何か言おうと唇を震わせた。しかし言葉が出てこない。苦しそうに顔を歪めたが、何も言わずそのまま逃げるように家を出ていった。

明良のいない空間を、薫はただ呆然と見つめる。喪失感が余りに大きすぎて、現実のこととして実感することができなかった。

「薫ちゃん？　どうしたの？　そんなところで―――」

いつもと変わらぬのんびりした母親の声が、薫を現実に引き戻した。ゆっくりと振り返り、

「母ちゃぁん………」

涙でぐしゃぐしゃの顔を見て何があったか覚った彼女は、黙って薫の身体を抱き締めた。薫はしゃくり上げながら、

「明良……明良が行っちゃった………ずっといっしょにいるのやだって、息苦しいって………」
「ううん、違うの。薫ちゃん、聞いて。あの子はね、薫ちゃんにすごぉく感謝してる。小さい頃からいつも守ってくれて、心配してくれて。そういう支えがあったからこそ、こうして自分の道を見つけることができたんだっ、って」

母親の胸にしがみ付いたまま、薫はくすんと鼻をすすり上げた。彼女はその背中をそっと撫で、

「だから今度は、薫ちゃんが自分のやりたいことを見つける番だって」

俺はもう大丈夫だから、俺のことは心配しないで―――明良はこれまで幾度となくそう言って、切なそうに笑った。その言葉には、そんな想いが込められていたのか―――

薫は顔を上げてこしこし目をこすり、

「でも……どんなに大きくなっても、立派になっても明良は俺の弟なんだ」
「もちろんよ。どんなに大きくなっても、あなたたち二人は私の大事な大事な息子。私たちは、世界で一番の家族なんだから」

母親の明るい声に促されるように、薫はこくんと頷いた。まだ明良の門出を笑顔で祝うことはできない。でもいつかきっと―――

「さあ、もう少ししたらパパが帰ってくるわ。今年のクリスマスは三人でお祝いしましょう」
「うん………」

薫は部屋に戻ってソファの上にちぢこまり、クリスマスツリーと窓の外を交互に見つめた。すでに外は真っ暗で、そしてちらちらと雪が舞い始めている。ホワイトクリスマスの予報は、どうやら当たったようだ。

きっと去年までだったら、明良と二人で雪だ雪だと大はしゃぎしていたに違いない。そう思ったらやっぱり悲しくて、胸の奥がきゅぅっとなってしまう。

これ以上母親に心配かけたくなかったから、自分の部屋に戻って泣こうと思い、立ち上がった。すると玄関の方からばたばたと足音が聞こえてきた。と思ったら、さっき出ていったはずの明良が仏頂面で部屋に入ってきた。

「あ、明良？　お前どうし―――」
「薫が泣くからっ。薫の泣き顔が頭から離れねえんだよ！」

薫はぱちくりと大きく瞬きしたが、すぐに顔を真っ赤に染めて、

「だ、だってクリスマスは……彼女は……？」
「プレゼント渡して謝ったよ。いいよって笑って言ってくれたから大丈夫だと思う」

さっきまでは明良を奪った彼女が憎らしかったけど、急に申し訳ない気持ちが湧いてきた。かくんと首を折って、

「ご、ごめん……俺………」
「もういいよ。って、俺も悪かったし。でもな、薫、」

明良は近付いて薫の肩を強く掴んだ。そして真直ぐ目を見て、ひとつひとつの言葉が伝わるよう力強い声で諭した。

「クリスマスを一緒に過ごさなくたって、俺たちは家族だろ？　同じ学校に通わなくたって、俺たちは兄弟だろ？」
「明良……」
「家族の絆はさ、そんな小さなことで壊れはしないよ」

薫ははっと息を呑む。いつだったか、同じことを言われたような―――


―――クリスマスを一緒に過ごさなければ、本当の家族じゃないのか？

―――家族の絆は、そんな小さいことで壊れたりはしないさ


「片瀬っ………」

薫は慌てて壁の時計に目をやる。時刻は７時前。約束の時間から１時間が経とうとしている。薫の呟きを聞き付けた明良はすかさず詰め寄り、

「片瀬先輩？　先輩がどうかしたのか？」

薫はゆるゆると明良に視線を戻し、

「プレゼント……渡したいから待ってる、って………」
「約束の時間はっ？」

明良の勢いに押されて、「ろ、６時…」と正直に答える。途端に明良は血相を変え、

「何で行かないんだよッ。もう１時間も過ぎてるじゃないか！」
「だ、だって……何で俺なんだよ……何で俺にプレゼントなんて………」

明良の剣幕におろおろしつつ、ずっと胸の内でくすぶっていた問いを口にする。しかしその答えは、他ならぬ明良が知っていた。

単純にして明快な答え、それは―――

「決まってるじゃないか！　あの人は薫のことが好きなんだよっ」
「………えっ？」

ぽかんと口を開けて見返す薫に、明良は思わず頭を抱えた。

「ああああーーーっ、もうっ。そこまで鈍いとは思わなかった！」
「だって、俺、男だし……それに………」
「だから何だよ。今どき珍しくもないって。特にうちの学校では。もう一度言うよ、片瀬先輩は、薫のことが好きなんだ。たぶん、もうずっと前から」

それでもまだ信じられない薫は、泣きそうな顔で明良を見つめるばかり。明良は苛立ちを隠そうともせず頭をばりばり掻いて、

「あの人が転校してきてからずっと、サッカー部の指導をしてくださいってお願いしてたんだ。最初は、もうサッカーはやめたからと言って断られた。でもある時、急にグラウンドに現われて、俺で良ければ付き合うよと言ってくれた。何でか分かる？」

もちろん薫には見当もつかず、ぶんぶん首を振る。明良は続けて、

「薫を見たからだよ。グラウンドのベンチに座って、俺たちの練習を一心に眺めている薫を。とても楽しそうで、誇らしげで、その横顔を見ているだけでこちらまで温かな気持ちになったって。あんな風に見守ってくれる人がいるなんて、お前たちは幸せだなって心底羨ましげに言ってた」
「片瀬が……」
「そうだよ。そして俺だけにぽつりと言ったんだ。もし自分のことをあんな風に見てくれた人がいたら、サッカーをやめずに済んだかもしれないのに、って…………薫っ」

最後まで聞くことなく家を飛び出そうとした薫に、明良は自分が着ていた上着を投げた。

「これ着て行けっ。それから、今日は帰ってこなくてもいいからな」

最後の言葉の意味は分からなかったものの、薫は「おうっ」と返して上着を着込み、外へ飛び出した。明良は豪快な溜息をつき、

「ったく、世話の焼ける兄貴………」
「ホントよねえ……」

いきなり背後から相槌を打たれ、明良はぎょっとして振り向いた。

「か、母ちゃん……もしかして………」
「聞いてたわよぅ。片瀬くんって、サッカーの巧い子でしょ？　しかもとってもカッコいいって。薫ちゃん、やるぅ。今夜はお赤飯ねっ」

きゃっきゃとはしゃぎながらキッチンへ向かう母親を見送りながら、俺は本当にこの女性の子供なのだろうかと頭を抱える明良だった。

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