NOVEL - Wedding Simulation1

１.

「純、ちょっと……」
「あ、勇人さん……」
「どうしたのですか？　元気がないように見えますが」

期末試験も終わり、夏休みも間近、という誰もが浮かれてしかるべきこの時期に、純はひたすら溜め息をついてとぼとぼと校内を歩いていた。

もちろん、そんな憂愁に沈んだ姫の大人びた溜め息も艶っぽく、密かに後をつけては隙を見て声を掛けようという不届きな輩も多かった。

相変わらずというか、当人はそんな不穏な影には無頓着で、日向は堪らず近寄って肩を抱き、無人の生徒会室に連れ込んだ。

「純、また尭村に何か言われたのでしょう？」

純は驚きも露わに日向を見上げて、

「すごい、何で分かるんですか？」
「あなたのことなら、何でも分かるんですよ」

聖母の微笑みでそう答えながら、心の中で苦笑を漏らした。あなたがここまで落ち込むなんて、尭村のこと以外にあり得ないでしょう？　と。

「また誰彼構わず嫉妬して、あなたに無理難題を吹っかけたのでしょう。全く、あの男にも困ったものだ」
「あ、いえ……違うんです。あの、実は………」

紅く染まった頬を隠すようにもじもじと俯いて「あの、あの」と繰り返す。その世界遺産級の可愛さを暫し堪能した日向は、「遠慮しないで」と優しく促した。そして純がぽつぽつと話し始めたその内容に、思わず頭を抱えたのだった。

話は二日前に遡る。試験休み中ということもあり、純は尭村の家に遊びに来ていた。

「純、ちょっとこっち来い」

貴仁を交えてリビングでお茶を楽しんだ後、二人は尭村の部屋へ向かった。そして部屋に着くなりいきなり険しい声で呼びかけられたのだ。

純はほとんど条件反射的にびくんと震えて、おずおずと傍へ行った。

「お前、俺に隠してることねえか？」
「え、えっ？　ないです、何も……」
「じゃあ訊き方を変えよう。俺に何か言いたいことがあるんじゃねえのか？」
「い、いえ……別に、何も………」

と語末を濁して俯く純。こいつは本当に嘘がつけねえんだよなぁ、とそんな純を愛しく思いながら、厳しい表情を崩さず追及する。

「ずい分前から、俺のこと窺うような目でよく見てるだろ。ちゃんと気付いてたぜ。言いたいことがあるならはっきり言え。悪いが、俺はそういうの疎くてな。言ってもらわなきゃ分からねえんだよ」

純は観念したのか、こくんと頷いて顔を上げ、

「あ、あのね。来月の８日って……尭村さんのお誕生日でしょ？　それで僕、何か尭村さんの喜ぶものあげたいって思って一生懸命考えたんだけど、いい物が思いつかなくて」

まるで、そのことに関して罰を受けるかのように再び俯いて、

「変なもの、趣味じゃないものとかあげたら却って迷惑だろうし。こんなに考えても思い浮かばないってことは、僕は尭村さんのこと分かってないってことなんだって思ったら、何だか……自分が情けなくて………ごめんなさい」

尭村はふかーい溜め息をついた。そして、すぐ隣で恐縮している純をふわりと抱き締めて耳許に唇を寄せると、

「本当に、お前は俺のこと分かってねえな」
「ごめ……ごめんなさい………」
「お前がくれたものを、俺が迷惑がるわけねえだろ。何だって嬉しいに決まってる……純、」
「ぁっ……」

少し乱暴に腕を引かれて、純は尭村の胸の中に倒れ込んだ。おずおずと腰に腕を回して、ぎゅっとしがみつく。尭村は純の顎に手を掛け上を向かせ、

「誕生日、祝ってくれるのか？」
「あ、当たり前でしょっ。大事な日だもん。ね、何が欲しい？　今から間に合うか分からないけど、僕頑張って用意するから」

尭村は上から唇に吸い付いて暫く舌を絡めてから、ちゅぷ、と音をたてて離した。そして、

「お前が欲しい」

その短い言葉に込められた熱に、純は心も身体も蕩かされそうになりながら、むぅっと唇を尖らせる。

「僕はとっくに尭村さんのものでしょ？　真面目に答えて」
「お前が欲しい。お前の全て、未来も含めたお前の全てが」

熱くかすれた声で訴えながら、純の首筋や耳たぶに歯を立てる。

「ぁ……ぁっ、ん……あきむらさ………あっ」
「純……俺に“約束”をくれ。誓ってくれ。“病める時も健やかなる時も……”」
「んっ……誓い、ます。あなたを、一生愛し………あっ、あぁん」

いつの間にか不埒な手はシャツのボタンを外し、紅く実った果実をつまんでくりくりと捏ね回していた。尭村は、純の耳に舌を挿し込んでねっとりと舐め上げると、そのまま微熱を帯びた問い掛けを流し込んだ。

「じゃあ、着てくれるよな。ウエディングドレス」
「ふぁ？」
「俺の誕生日に、純白のウエディングドレス着てくれるよな？」

端整な顔に甘い笑みを浮かべて囁く尭村。しかし、熔解寸前だった純の理性は一気に蘇った。

「やっ、いやですっ。そんな、ド、ドレスだなんてっ」

途端に、尭村の笑みはぴきぴきと凍りつく。

「ほーお、俺の喜ぶものあげたいなんて殊勝なこと言ったのはどの口だったかな？」
「あ、あの……それは………」

熱したカスタードみたいにあまあま熱々だった空気は、あっという間に急転直下。尭村は、もともと涼やかな目元を一層険しく細めて、

「やっぱり上の口は嘘つきだな。下の口の方が聞き分けがいい。じっくり時間をかけて説得するとしようか。……純、うんと言うまで抜かねえからな」
「え、えっ……………ひゃぁん、あっ、あっ、も…やぁんっ」

渾身の“説得”を始めた。ただでさえ、期末試験ということで長らくお預けを喰らい、欲望を溜め込んでいた尭村の半身は、ねちっこい“説得”にはぴったりの大きさと硬さと熱を持っていたのだった。

その後どうなったかは……もはや言うまでもない。

「―――と、いうわけなんですぅ……」
「は、はぁ……何と申し上げてよいやら。それは災難ですねえ」

と、他人事のように返す日向。というか、それどころではないというのが実情だった。

瞳を潤ませて、不安げに眉根を寄せてすがるように見上げる純の憂い顔に理性を掻き乱され、おまけにウエディングドレス姿の妄想までぽわんぽわんと湧いてくるものだから、平静な外見を保つのだけで精一杯だったのだ。

―――純、今二人きりなんですよっ。少しは警戒心を持ちなさいっ

と、湧き上がる欲望を純の無防備さのせいにした日向は、目の前の獲物を可愛さの余り苛めてみたくなった。

かすれた声から今の悶々とした情態がバレるのを防ぐため、腹に力を入れて声を低め、

「それで、あなたは尭村に約束したのですか？　ドレスを着る、と」
「は、はい。だってその時は……そうするしか………」

日向はすっと目を細め、

「約束したのならきっと、尭村は楽しみにしてるでしょうねぇ。あなたの可愛いドレス姿が見れる、と」
「そ、それは……」
「なのに今になって嫌だなんて言ったら、あの男のことだからまずは怒りまくって、それからきっと……ひどく哀しむでしょうね」

純は見るも憐れなほど萎れて、俯いてしまった。耳たぶや首筋を紅く染めて。そこに吸い付きたい衝動を何とか抑えて、日向はさらに畳み掛ける。

「それにね、あなたは知らないでしょうが、去年まではこの時期大変だったのですよ。尭村に誕生日の贈り物をして何とか気を引こうとする女子生徒たちが、それこそ行列をなして。もしあなたが、ドレスが恥ずかしいから嫌だとか言っていると知れたら、これはチャンスとみな挙って―――」

日向は思わず言葉を呑み込んだ。純が濡れた唇をぎゅっと噛み締めて、いやいやをするように首を振ったのだ。

そのいじらしい仕草を目の前にして、理性のタガが吹っ飛んだ。日向は荒々しく腰を抱き寄せて囁いた。

「ああ……泣かないでください。私が言い過ぎました」

そして潤んだ目の縁や耳たぶにそっと口づける。

「やだぁ……そんなのやぁ……尭村さんが、他のひとと………」

必死に訴える純。日向は、唇に吸い付きたい衝動を、指でそっとなぞる仕草で何とか誤魔化して優しく微笑んだ。純は、あどけない仕草で涙をこしこしと拭い、

「ぼく……ぼく、ドレス着ます……尭村さんが喜んでくれるんだったら。でも………」
「でも？」
「ドレスなんて似合うはずないもん……きっと笑われるよぉ」

その時の状況を想像したのだろうか、純は恥ずかしさの余り日向の胸にしがみついて、顔をうずめた。

日向は、棚からぼた餅的なこの状況に、思わず心の中でガッツポーズ。そして、

「好きな人が自分のために装ってくれるというのに、笑うわけないでしょう？」

と、口では殊勝な励ましをしつつ、あるいたずらを思い付いて、にんまりと嫌らしい笑みを零した。

「あの…旦那様、ちょっとお話が………」

額賀が、困惑と苦笑と諦念を微妙にブレンドした複雑な表情で、貴仁の許を訪れた。

「なんだ？　改まって。長期休暇なら構わねえぞ。久々に羽伸ばしてこいよ」
「いえいえ、滅相もございません。“執事には盆も正月もない”が、全国執事協会理事長賞を十年連続で獲得いたしました亡き父の口癖でございました。
私がお話ししたいのは、その、成仁様のことで。先ほど、おかしなものが成仁様宛てに届きまして」

貴仁はちらと肩を竦めて、

「今はネットで買えねえものはないからな。知ってるか？　あのエロガキ、寝室のキャビネットの一番上に、色々買い込んだもの隠してんだぜ。徐々に試していくんだろうな。昔っから、親に見られたくないもんはあそこに隠してたんだよなぁ。成長しねえ奴。ま、放っとけよ」
「い、いえ。そういったものでしたら別に構わないのですが」

と、成仁坊ちゃんの教育係としてあるまじき爆弾発言をかます額賀。まあ、今さら教育もへったくれもあったものではないが。

「今日届きましたのは、その、ウエディングドレスのカタログで」
「ぶはっ」

思わずコーヒーを吹く貴仁。暫くげほげほとやった後、がっくり肩を落として、

「ああ……どこで育て方間違えたんだろうなぁ。結納も済ましてないのにもうドレスかよ。早えっつうの」
「旦那様、そういう問題では……」
「額賀額賀、まともに取り合ってたらお前まで脳みそ腐ってくるぜ。どうせ、誕生日だから俺のためにドレス着てくれとか、そんでもって、そのまま脱がずにベッドでショー・マスト・ゴー・オンだろ？　放っとけよ」

額賀は「はあ」と間の抜けた返事を返すと、微かに眉をしかめて、

「しかし秋原様にはまたご迷惑を……この前のワンピースの時も、あ、あんなことに………」
「ああ、あのべろべろワンピースか。あれはひどかったな。原型を留めてなかったもんな。後部座席のシートまで………」

二人は揃って額を押さえた。

「まあ、何と言っても神聖な純白のウエディングドレスだからな。さすがにあそこまではしないだろ、と父は信じている。純には申し訳ないが、４歳児のお守りをしてるんだと思って耐えてもらうしかないな。俺からも謝っておくさ」

などと珍しく父親らしいことを言って、額賀を少しだけ安心させた貴仁。だが―――

「阿呆かお前、こういうミニのは邪道なんだよっ。肌が出てりゃいいってもんじゃねえっ」
「うるせえんだよっ。俺の誕生日なんだ、親父は黙ってろっ」
「いいか成仁、こういう時は年長者の意見っつうのは貴重なんだ、よおく聞け。ウエディングドレスは、シンプルで、スタンダードなのが一番萌えるんだっ」
「ジジイの萌えなんてどうでもいいんだよっ。俺は、ミニの裾から覗く生足が―――」
「だーっ、お前はエロという観念がぜんっぜん分かってねえ。いいか、エロとはチラリズムなんだよ。見えない部分を想像することが興奮を呼んで―――」
「だからジジイの興奮なんざどうでもいいんだっ……………お、これ、いいな」
「どれ。おお、なかなか可愛いじゃねえか。このふわふわのペチコートが、また……」
「だろ？　肩を出したデザインもいいし。きっと、純の華奢な頸とか鎖骨が強調されて……」
「それを、このシフォンのスカーフで包んで隠すところが奥床しくてたまんねえな」
「そうなんだよ。やっぱり脱がす過程も考えねえと―――」

馬鹿親子の馬鹿会話が繰り広げられているその横で泣きべそをかいている純は、呆れ顔の額賀に慰められている。

「う、ふぇっ……あきむらせんせいまで………」
「も、申し訳ありません秋原様。たぶんお二人ともふざけて言っているだけだと思いますので―――」
「よしっ、これに決めた。純、採寸だ。俺の部屋に行くぞ」

カタログを片手に、勢いよく立ち上がった尭村。

「さ、さいすん？」
「そうだ。ドレスのデザインは決めた。これでお前のサイズを測ってこのオーダーシートに記入して、ファックスで送れば完了。知り合いの店だから、何とか誕生日まで間に合わせてもらえそうだ」

尭村は上機嫌で説明すると、純の手を取って連れて行こうとする。が、

「お前の部屋じゃなくたっていいじゃねえか。ここで採寸しろよ」
「阿呆かっ。採寸つうのは服を脱いでやるものだ。誰がこんなとこで」
「はっ、どうせ採寸するとか言って服脱がして、そのまま挿入だろが。お前の行動パターンは読めてんだよ」
「俺はやる時はちゃんとやるんだっ。きっちり採寸してから挿入だっ」

馬鹿親子の馬鹿会話は留まるところを知らず、純はついにえぐえぐと泣き出した。

もしここに日向がいたら「下品な会話はお止めなさいっ」と一喝しただろうが、額賀にとってこの二人は腐っても主人。口を挟むこともできず、ひたすら純を宥めるしかなかった。