act.21 【迫る影】
それは一颯の背丈ほどもある大きな岩だったが、表面は滑らかで艶を帯び、触れるとひんやりしていた。月明かりを遮ってできた影は秘密の空間めいて、そこに身を潜ませると、まるで異世界に取り残されたような感覚に襲われる。
螢の導きでその岩陰に身を寄せた一颯は、目の前に螢が跪くのを見て眉根を寄せた。
「ケイ？ 何を───」
問いの言葉は喉の奥で消えた。螢の指がジーンズのジッパーを下ろし、下着を露出させるのを見て、朧げながら何をしようとしているか察したからだ。
制止しようとしたが、それに先んじて螢の唇が下着越しに触れてきた。制止の言葉が低い呻きに変わる。螢は下着の上から舌を這わせ、やんわり歯を立ててくる。いつも前戯でじれったい刺激を与えて、その反応を愉しむ一颯への意趣返しと言わんばかりに。
「すげえビクビクしてるぞ、イッサ」
やはり、愉しんでいる。腰にフィットするボクサータイプの下着は、隆々と勃ち上がった性器の輪郭を生々しく浮き上がらせ、螢の指摘通りビクビク蠢いていた。
「ケイ、とにかく一回出させてくれ」
情けないと思いつつも懇願すれば、螢はすぅっと目を細めて艶冶に頷き、下着をずり下ろした。
「いや、自分で───」
一颯は慌てて手を伸ばしたが、やはり螢の方がうわてだった。下着の締め付けから解放されぶるんと奮い立つ剛直に手を添え、濡れててらりと光る亀頭を口に含んだ。
「だ、だめだケイ！」
その言葉は嘘でもやせ我慢でもなかった。もちろん、腰が浮き上がりそうなほど気持ちいい。しかしこんな一方的な奉仕を螢にさせるのは本意ではない。
一颯は螢の肩を押し戻してやめさせようとしたが、そのタイミングを見計らっていたかのように螢は深く咥え込んでいった。そして舌を絡めて愛撫したと思ったら、角度を変えて頬の内側を一颯の先端でぬるぬるこする。
柔らかく濡れた粘膜との接触は、まさに擬似性交ともいうべき淫らさで、一颯を官能の沼にあっさり引きずり込んでしまった。
「くっそ……だめだ、出るっ……」
背筋にビリビリと走る甘い痛みは射精の前兆。そして一颯は、螢の口の中で果てた。喉の奥めがけて、沸々と煮え立つ精を吐き出す。
前半はほとんど忘我の状態だったが、後半は徐々に理性が戻り、ふと視線を落とすと、喉を激しく上下させて嚥下している螢の姿が。
「ケイ……」
苦しいのか、眉間に浅い皺が寄っている。その悩ましげな表情は媚薬めいて、飲みきれずに口から溢れとろとろと顎を這い伝う白濁と相俟って、一颯の獣欲を刺激した。
「あ……ふ……」
螢は口を離して深く息をついたが、その頃にはすでに、一颯のものは再び兆し始めていた。
「ケイ、今度は───」
交わりたい、と荒い呼吸の奥から搾り出し、立ち上がった螢の身体を岩に押し付けた。そして背中から覆いかぶさるように抱き着き、下着の奥に手を突っ込んでまさぐる。
欲望に急かされ荒っぽくなるが、指先がそこに到達すると、労わるべき繊細な器官であることを思い出し性急さを抑えた。
「……濡れてる」
分泌されるはずのない液体で、そこはすでにぬかるんでいた。一颯はうなじや耳たぶに唇を這わせながら、ゆっくりと指を押し込んでゆく。
いや、ほとんど力は必要なかった。粘液のぬめりと入り口の収縮で、指は吸い込まれるように入ってゆく。なかは熱く、むっちりした肉の締め付けに一颯の息は呆気なく上がった。
「準備はいらねえから……早く」
艶っぽくかすれた声でねだられ、一颯の若々しい官能は一気に膨張した。返事をするのももどかしく、頷きながら螢の下半身を剥いて引き締まった尻を夜気に晒した。
白くなめらかなそれは陶器めいた無機質な印象を与えかねないが、谷間を割り開くと露わになる窄まりは濡れてひくひくと蠢いており、いかにも性器といった生々しさを見せ付ける。一颯は腰の奥がずしりと重くなるのを感じながら、大きく張り出した先端をそこに押し付けた。
「あっ、ん……」
両手で抱えた螢の腰が上下に揺れ、密着した部分がずるんとこすれ合う。それだけで腰が痺れるような快感が生じるのだから、自分がこの身体にどれほど溺れているか推して知るべしと言えるだろう。
一颯はいったん熱を吐き出すと、手で支える必要もないほど硬く反り返ったものを螢の中にうずめていった。
「ああ……いい、いい……！」
犯してと言わんばかりに腰を突き出し、岩にカリカリと爪を立てて悶える螢。その淫獣めいた姿は網膜が灼けるほどいやらしく、一颯は全身の血が逆流して頭にのぼるような錯覚に襲われた。
しかし、最前に一度出していたのが奏効したのか、螢のなかを味わう余裕も多少あった。軽く抜き差しするたびにとろみを増す内壁の微動を堪能しつつ、腕を回して螢の性器を掴む。少し強めに握ると、とくとくと一途な鼓動が伝わってきた。
「は、離せ、イッサ」
螢は一颯の手を引き剥がそうとするが、もちろんびくともしない。
「このままだと、すぐ達ってしまうだろ？ もう少し、ケイのなかを味わわせてくれ」
一颯の声は、自分でも分かるほど嗜虐的に歪んでいた。ぐぅっと奥に押し込んだまま腰を揺らし、快感の受容体が凝集したかすかなしこりを刺激する。
「くっそ、イッサやめろ。手ぇはなせ！」
雄々しい命令を無視して、一颯は掻き回すように腰を使った。手は螢のものを縛めたまま。先端からたらたらと蜜状のものがこぼれ、哀れを誘う。しかし一颯は握る力を緩めない。
「ひッ、や、あ、ああっ、あ……」
波の音に掻き消されるほどあえかな嬌声。つい先刻、強い口調で命令した同じ口から出てきたとは思えない。そのめくるめく落差は、身体の交わり以上に一颯を昂らせた。
「ケイ、ケイ……」
名を呼ぶと、岩に片手をついたまま螢がゆるりと振り返った。暗がりでも、目のふちが濡れて上気しているのが分かる。撓む睫毛の奥で瞳は欲情に膿んで、瞬きすら艶めかしい。
喘ぎの形に開いた唇には、一颯の種を受け止めた残滓が白くこびりついて、見ているだけで喉が干上がりそうなほど淫猥な景色だ。一颯は、辛うじて暴走せず腰の奥に溜まっていた快楽が、一気に放たれるのを感じた。
再び螢の腰を両手で掴み、荒々しいピストンで深みを穿つ。ぶちゅぶちゅと弾けるあからさまな性交音が、夜の砂浜を官能の色に染めてゆく。甘くひずんだ悲鳴とともに螢は射精し、その後を追うように一颯も果てた。
「ぅッ……」
びゅくびゅくと注ぎつつ、一颯は手を伸ばして螢の濡れた股間を撫で、項垂れた性器をしごき、手に付着した液体を丁寧に舐め取った。フェアリーの生きる糧。一颯にとって、唯一の糧。
「ケイ、夜の散歩はなかなか楽しいな」
耳元で囁くと、ゴツンと頭突きされた。
「痛いぞ」
「うるせ。バカイッサ、エロイッサ」
罵倒すら心地よい。俺もいよいよ重症だなと、自然と笑みがこぼれる。
「また、散歩しよう」
含蓄ある誘いに、螢は作為的なしかめっ面を向けた。一颯はその上気した頬に、そっと唇を押し付けたのだった。
「あら、ケイちゃん。コロッケ揚げたてよ～。あとこれ新製品。味見してって」
「ケイたん！ またサッカーしようね！」
「おっ、ケイじゃねえか。一杯やっていかねえか？」
商店街を歩いていると、あちらこちらから老若男女問わず声が掛かる。一体いつの間に、名前を覚えられるほど親しくなったのか。特別愛想を振りまいているわけではないのに、人間的魅力のゆえなのか、螢はこの界隈でちょっとした有名人になっていた。
螢はというと、軽く手を挙げて気さくに応じる。お、コロッケうまそう。ああ、また遊ぼうぜ。おいおい昼間っからかよ───そう言う螢の表情は和やかで、一颯は眺めているだけで幸せな気持ちになる。
この街に骨をうずめるのもいいかもしれない。そんな展望とも感傷ともつかぬ想いを噛み締めながら、一颯は螢の少し後についてその優美な背中を見つめた。
そうして買い物客で賑わう商店街を暫くぶらついた頃、螢がわずかに歩調を緩めて一颯に並んだ。どこか店に入るつもりなのかと思ったが、螢は声を潜めて、
「イッサ、絶対に振り向くなよ。何も気付いていないふりをしてろ。俺たちは付けられている」
「……ッ！」
一颯は息を呑んだ。が、螢に命じられた通り態度や表情には出さず、囁きを返す。
「まさか、研究所の……」
「ああ、おそらく」
「見間違いではないのか」
信じられなかった。というより信じたくなかった。螢は陰鬱な笑みを返し、
「だったらいいけどな。ともかく、撒くぞ。ルートはお前に任せた」
一颯は素早く頭を巡らす。なるべく曲がり角の多い、入り組んだ道がいい。
「ケイ、あそこの路地を入るぞ」
狭い飲み屋などが軒を連ねる裏路地のひとつを、目で指し示す。螢は頷き、
「俺の合図で走れ。いくぞ……いち、に、さん！」
二人は同時に路地に飛び込んだ。
「こっちだ！」
一颯が誘導し、狭い道をひた走る。振り向いて確かめる余裕はなかったが、背後から複数の靴音が追ってくるのがはっきり聞こえた。どうやら、螢の思い過ごしではなかったようだ。
何度か角を曲がると、靴音は聞こえなくなった。しかし念のため人通りのない道を選び、尾行者がいないことを確認してようやく部屋に戻った。
「なぜ……ここにいることが分かったんだ」
螢とこの街を結び付けることは不可能なはずだ。暗い声で自問する一颯に、螢はさらりと答えた。
「駅の防犯カメラを丁寧にチェックすれば、俺たちがどこへ行く列車に乗ったか、どの駅で降りたか分かる」
「防犯カメラ？ 警察でもないのに、一般人が見せてもらえるはずがない」
「確かに、ただの個人、一般人なら無理だけどな。あの研究所は裏で色んな権力機構と繋がってるんだよ。融通を利かせてもらうのはわけないと思うぞ」
「そんな……」
一颯は腰をどすんと落とし、床に座り込んだ。春の柔らかな陽光が窓から降り注ぐ明るい室内なのに、視界は未来を暗示しているかのように暗い。
「今日はうまく逃げられたが、ここが見つかるのも時間の問題だな」
螢の言う通りだ。なるべく早くここを引き払い、別の街に移動する必要がある。しかし果たして、奴らから逃げ切ることは可能なのだろうか。最悪の事態が、一颯の頭をかすめる。と同時に、一颯は思わず口にしていた。
「俺が囮になって捕まる。その隙にケイが逃げる。それならうまくいくのでは？」
せめて螢は、螢だけは自由にしてあげたい。もう二度と、非人間的な実験場に閉じ込められるような苛酷な目には遭わせたくない。それは一颯の心からの願いだった。そのためなら自分が捕まってもいいというのも、一颯の本心だった。しかし、
「麗しい自己犠牲だけどな。てことは、俺は逃げた先で新しいパートナーを探すってことになるな」
新しいパートナー。つまり、精液の供給者だ。
「それでいいのか？」
「嫌だ」
一颯の即答。それは思考の結果ではなく、本能的な叫びだった。
「嫌だ。嫌だ、いやだ、いやだ……ケイが、他の男に抱かれるのは、もう、いやだ。耐えられないッ……」
両手で頭を抱え込み、がりがりと爪を立てて煮詰められた本音を吐き出す一颯を、螢は静かに見下ろした。やがてその前に膝をつき、片腕を回してふわりと抱き締める。
「お前、俺に惚れてんだろ？」
螢の腕の中で、頷く一颯。
「俺がいなくちゃ生きていけねえんだろ？ ずっと俺の傍にいたいんだろ？」
畳み掛ける問いに夢中で頷き、一颯は抱き返した。いや、すがりついた。螢はその頭をあやすようにぽんぽんと撫でる。
「しょうがねえな。また泣いてんのか。泣き虫イッサ」
「……俺は、ケイのように強くない」
「はは、別に強いから泣かないわけじゃねえよ。たぶん涙っていうのは、一生のうちに流せる量が決まってるんだろうな」
螢の言わんとすることを察した一颯は、胸の痛みをこらえつつゆるゆると顔を上げた。しかし、こちらを見下ろす螢の表情に自己憐憫は影すらなく、眼差しにも口許にも、一颯に対する慈しみの色が滲んでいた。
それを見た一颯は、己の弱気を恥じた。必ず螢を幸せにすると、ファヴェーラを出た時に誓ったはずではなかったか。
「ケイ、おかしなことを言って悪かった。一緒に逃げよう。そして二人で幸せになるんだ」
一颯の力強い言葉に、螢は微笑みで応えると、そっと唇を合わせた。
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