act.19 【Sweet Home】
「一颯！ 遅えぞ。早くっ」
「待て。そんなヒールの高い靴で下り坂を走るのは危ない。慌てなくても海は逃げない」
一颯の忠告をさらりと聞き流し、螢は海に続く坂を駆け下りる。朝、目覚めての第一声が「海が見たい」だった。朝食も摂らず、身支度もそこそこに部屋を飛び出したのだ。
「うああ、すげえ、でかい！」
拙い表現だが、生まれて初めて海を目にした者の正直な感慨は、修辞法や比喩に長けている作家や詩人でもこんな感じなのかもしれない。
螢は興奮そのまま、階段を三段飛ばして砂浜に着地した。そして波打ち際に向かって走ろうとしたが、靴のかかとが砂に埋もれてよろめく。
「うおおっ、おもしれえ」
全ての体験が新鮮なようだ。足を上げては、わざと砂の中に靴をめり込ませるようにして歩き、けらけら笑う。だが徐々にじれったくなってきたのか、靴を脱ぎ捨て裸足で駆け出した。
一颯は穏やかに目を細めその全てを眺めていたが、波飛沫にも躊躇せず突き進もうとする螢を見て、慌てて駆け寄った。
「ケイ、どこまで行く気だ」
「泳ぐ！」
「まだ四月だぞ！」
「もう四月、だ。寒くねえよ」
「海水は冷たい。夏になれば海水浴はいくらでもできる」
「夏まで待てねえ───ぅ、わッ！」
「危ない！」
足元をすくわれ、大きくよろめいた螢を助けようとした一颯を波が襲った。一颯は後ろに倒れて尻をつき、そこに次の波がかぶさる。
「なんだよ、結局お前が海水浴してんじゃねえか」
「……誰のせいだ」
立ち上がり憮然と返す一颯の濡れた身体に触れた螢は、わざとらしく首を縮め、
「おお、確かに冷たいな。やーめよ」
そしてさっさと砂浜に戻る。置き去りにされたびしょ濡れの一颯は、肩を落として螢の後を追った。
「大丈夫か？ イッサ」
「一応心配してくれるのか」
「まあな。バカは風邪ひかないとか言うけど、お前はバカじゃねえもんな」
これは褒められたのだろうかなどと思いつつ、「大丈夫だ」と返して頭や身体をぶるっと振るい、水気を飛ばした。螢は「うおっ」と叫んで飛びのき、
「冷てえよ」
「さっきは飛び込もうとしたくせに」
「さっきはさっきだ。ていうか、ほんとに犬みたいだな」
そう言って指差す先には、黒いラブラドールレトリーバーが。さっきの一颯のように身体を振るって水分を弾き飛ばしている。
「だから誰のせいだと」
「はいはい、俺のせいですよ。ていうかお前、案外根に持つタイプだな」
揶揄めかした口調は、心底楽しそうに弾んでいた。一颯は、この海辺の街を選んでよかったと、自分の選択の正しさを噛み締めた。
「……なあ、イッサ。ファヴェーラの外ってこんなに……美しいんだな」
螢の目は海ではなく、砂浜に向けられていた。家族や恋人と、晴天の休日を謳歌する姿が多数見られる。
「ファヴェーラの中と外は全く違うと聞いてはいたけど、こうして実際目の当たりにすると驚きが大きいな。街並みや風景だけじゃなく、人間の表情も違う。とても美しい」
この街にも、狡猾な人間、暴力的な人間、他者への悪意を腹の底に溜め込んだ人間はたくさんいる。もちろん、螢はそんなこと承知の上で言っているのだ。だから一颯は同意した。
「ああ、そうだな」
続けてくしゃみが出る。螢は肩をすくめ、
「身体が冷えてきたんじゃねえか？ フェアリーが風邪ひくことはねえけど、部屋に戻って熱いシャワーでも浴びろ」
一颯は螢の傍に近づいて遠慮がちに、
「シャワーもいいが、もっと別のもので温めてくれないか？ ケイの肌とか……」
「却下」
即はね付けられしょんぼりする一颯を、螢は呆れたと言わんばかりに見上げた。そしてばっさり。
「前言撤回。やっぱりお前はバカだ」
しかし、そう言う声はどこか愉快げだった。
特に何をしたわけでもないのに、一日があっという間に過ぎていった。食材を仕入れて、窓辺にベッドを移動させ、新しく買って二人で運んだ（ほとんど一颯が運んだが）マットレスを敷いた。
今日やったことはそれだけ。しかしファヴェーラでは味わったことのない深い充実感が、二人の身体に程よい疲労をもたらした。
そして夜。シャツ一枚だけをまとい、ベッドの上で開け放した窓に肘をつき、螢は飽くことなく波音に耳を澄ませる。潮香の混じった夜風に身を浸して。
「風呂上りの身体に夜風は良くない。閉めるぞ」
風呂場から出てきた一颯はベッドの上に乗り、螢の後ろから手を伸ばして窓を閉めた。そしてそのまま、両腕で拘束するように抱き締める。
「やはり、身体が冷えている」
シャツの下から伝わるのは素肌の温もりではなく、陶器のような冷ややかさだった。一颯は自分の体温を与えるため、ぴたりと身体を密着させた。すると螢はくくっと笑い、
「ほんと、イッサの身体はあったかいよな。筋肉が多いからよく燃焼するのか」
「かもしれん。今はまだいいが、夏になったら暑苦しいと言って邪険にされそうだな」
「いや、夏が来る頃にはきっと……」
「ん？ なんだ？」
「……何でもねえよ」
言葉を濁すのは、螢には珍しい。気にはなったが、螢のことだから話すべき時が来たら話してくれるはずだ。一颯は追究せず、その代わり耳元に顔を近づけた。
ふっくらして形のよい耳たぶに吸い寄せられ、唇で挟んで軽く食む。さらに耳孔の入り口を舐めれば、腕の中の身体がくたりと柔らかくなった。それはごく些細な変化だったが、そこに含まれる艶めかしい弛緩を一颯は敏感に察知した。
「ケイ、これからのことなんだが……」
真面目な言葉を囁きながら、シャツのボタンをひとつ、ふたつと外す。そして襟元からするりと手をすべり込ませ、平らな胸に手のひらを這わせた。
「暫くは、この部屋で大人しく様子見をしよう。奴らがこの場所を嗅ぎ付けることはないと思うが、念のためだ」
「ん、ん……」
吐息のような喘ぎのようなそれは、一颯の提案に対する了承なのか、胸への愛撫から生じる快感への反応なのか。
「慌てて仕事を探さなくても、これまで溜めた金で当分は生活できるからな」
胸を撫で回す手のひらに、硬い突起を感じる。一颯はそれを押し潰すように揉みながら、空いた方の手をシャツの裾から差し入れた。
螢は下着を付けておらず、指先に尾てい骨が触れる。そこから下方へ滑らせると、淡い窪みが。谷間の入り口はまだ浅く、徐々に深みを帯びてゆく。
一颯はその過程を楽しむようにゆっくりと指を進め、そして目的の場所に到達した。谷間の奥、細かな襞が集う窄まりに。
「仕事……するのか？」
問いながら、螢は腰を軽く浮かせた。そのさりげない誘いに一颯は喉を鳴らしつつ、指先を押し込んだ。そこはすでに程よくぬかるんでいる。一颯は指先を回して入り口を広げ、指をもう一本追加した。
「ああ、いずれはな。ケイは働く必要ないぞ。これまでのように自由気ままに過ごしてくれ」
一颯は答えながら、根元まで押し込んだ二本の指を中で屈伸させた。濡れた内壁が嫌らしく蠕動しながら、指に絡み付いて締め上げる。
「そ…いうワケにもいかね…だろ……あ、あ……」
奥のしこりを甘やかすように撫でると、螢は喉を反らしてあえかに鳴いた。一颯はぬるぬると抜き挿しを繰り返しながら、耳に唇を押し付けて囁く。
「いや。今でもあんたは女王で、俺はイヌだ」
そしてシャツを大胆にめくり上げ、尻から背中に続く優美なラインを露わにした。暗がりに慣れた目に、白皙の肌がしみる。美しさに溜め息をつくと、それに応えるように股間がズキズキと疼いた。
それもそのはず。腰回りにぴったりフィットしたボクサータイプの下着は布地の限界まで押し上げられ、見るだに痛々しい。一颯は素早く下着をずり下ろし、ぶるんと揺れながら傲然と天を衝く自身を無造作に掴んで螢の谷間に宛がった。しかし、
「イッサぁ、さむい……」
螢がそう言ってくしゅんと鼻を鳴らすのが耳に届いた。
「分かった」
一颯は螢をベッドに寝かせると、その上に覆いかぶさって布団を引っ張り上げた。
「これなら寒くないだろう？」
「ん……」
頷く螢の脚を抱えて開かせ、急いた熱でじゅっと音をたてそうな剛直をぬかるみに突き立てる。布団をかぶっているため、全て手探りでやらねばならなかったが、それが却って隠微だった。
布団の中の秘め事。何度か違う場所をこすり、ようやく探し当てたそこは、ぬかるみというよりゼラチン質の水溜りのようで、一颯の猛るものをつるつると呑み込んでいった。螢はまるで、稲妻に打たれたかのように全身を波打たせる。
「あああああ……いい、いい……ッ……！」
菊門を破り侵入したものは、中で蛮刀のごとく反り返り、そう意図せぬまま螢の弱い部分をズリズリとこすり上げた。
螢は一颯の背中にしがみついたまま、目に涙を浮かべ助けを求めるように首を振る。半開きになった唇の隙間からちらちら覗く濡れた舌に、性欲を凌ぐ食欲を覚えた一颯は、我を忘れて上から塞ぎ、こじ開け、吸い上げる。
「んッ！ んんーー……！」
口と舌を犯しながらも、腰の動きが疎かになることはもちろんない。盛り上がった布団は激しく上下し、ぬちゃぬちゃとこもった性交音が中から漏れる。
上と下で深く且つ濃密に交わる二つの身体。今まさに、布団の中という狭い密空間で熔け合おうとしていた。
「…イ……ケイ……」
重なった唇の隙間からうわ言のように愛しい名を搾り出し、一心不乱に腰を打ちつける一颯。動くたびに、布団の奥から湿った熱気が立ちのぼり、交合の生々しさがより一層強く感じられた。
「い、い…ぐ……ぅ……」
囚われた唇と舌を必死に動かして絶頂を告げようとする螢に、一颯はほとんど狂気じみた愛執を覚え戦慄した。
しかしすぐに思い直す。自分は疾うに狂っているのだと。螢と出会った月の夜、彼が身代わりに銃弾を浴びたあの時から。
「ううっ……」
腰が浮き上がるような快感に続いて、粘った熱い塊が勢いよく飛び出す感覚に襲われる。一颯は半ば朦朧としながらも延々と射精を続け、ようやく全てを螢の中に吐き出した。
「ケイ……」
おそるおそる螢の性器をまさぐる。それは柔らかく項垂れ、周囲はべとべとになっていた。よかったと安堵して自身を引き抜き、まだ荒い息をついている螢の口を軽く吸った。
「もう、寒くないな？」
身体はしっとり汗ばんでいたが、一応確かめる。螢が頷くのを見ると、一颯は布団の中に潜り込み、
「今度は忘れず摂取する。ケイ、味わわせてもらうぞ」
そして飛び散ったものを丁寧に舐め取る。もちろん、フェアリーが命を維持するために必要な精液を摂取するためだ。
「ん、ぅ！ イッサ、そこは……あ、やめ……ッ……！」
飛び散って肌に付着したものを全て舐めると、微妙な角度を保った性器を口に含んで吸い上げる。それは口内であっという間に硬度を増し、とくとくと一途な鼓動を刻み始めた。一颯はいったん口を離し、
「どうする？ ケイ」
螢は下唇を噛んでじろと見上げてきたが、
「……欲しい」
「承知した」
一颯はにやりと笑って、再び螢の身体を組み敷いたのだった。
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