＜神威紅──16歳と11カ月12日＞・III
「一族の覚醒？」
「そうだ。僕や香西、真田は前世の記憶は持っているが、神霊力は失ったままだ。もし転生した全員が嘗ての力をを取り戻すことができれば、我が一族は現代でも大きな力を揮うことができるはずだ」
「紅の命と引き換えに、転生した暁一族全員の潜在能力を引き出そうということか」
御剣の重く沈んだ声を暁一族への羨望の表れと取ったのか、蒼は勝ち誇った顔つきで何度も頷いた。しかし、
「馬鹿な真似はやめろ。今さら過去の栄光にすがろうというのか？ 神代の世ならともかく、この現代日本で暁一族の力を集めたところで、何ができる？」
「馬鹿な真似……だと？」
「それに、紅は普通の人間として転生したんだろう？ 前世の記憶を取り戻したところで、神子の能力を発揮できるとは思えない。お前の計画はただの誇大妄想だ」
御剣の冷静な諭しに、熱くなりかけていた蒼も冷静に応じた。
「それは違う。紅は間違いなく身体に緋の六芒星が刻まれた神子として生まれた。しかし紅の両親がそれに気づき、紅の記憶と神子としての能力を赤子のうちに封じてしまったのだ。はっ、誇り高き暁一族の生まれ変わりでありながら、我が子可愛さのあまり愚かな真似を」
蒼の言葉は、御剣の頭にあるひとつの可能性をともした。首筋が、ざわりと総毛立つ。
「まさか、紅の両親を殺したのはお前……」
「ほう。紅が過去の誘拐事件まで君に話していたとは驚きだ。相変わらず、あれの心を懐柔するのが巧いな。そうやって紅の信用を得て、また裏切るのか？ 前世のように」
「安い挑発だな。俺の質問に答えろ。紅の両親を殺したのはお前たちだな？」
真正面から挑む御剣に、蒼は優越感に染まった笑みを返し、
「それを知ってどうする？ 紅に伝えても無駄だぞ。そんなたわ言信じるはずがない。警察に通報でもするか？ しかしあれは対外的には事故死となっているから、今さら警察が動くとは思えない」
今の蒼の答えで、彼らが何をしたか察するには十分だった。
「前世の宿業から我が子を解放し、下らぬ陰謀から守ろうとした紅の両親を、お前たちは事故に見せかけて殺したのか。そして紅には、紅を誘拐しようとした変質者に殺されたと嘘を吹き込み、自分を兄と思い込ませた」
御剣は怒りを抑えて淡々と指摘する。それに対し蒼は薄笑いを浮かべたまま、否定も肯定もしない。それこそが答えだった。
「幸せに暮らしていた家族を……貴様らは一族の利益のために……」
御剣は拳を握り締め、荒れ狂う感情に耐えた。全てを奪った男を、兄として心から慕っている紅が哀れでならなかった。しかし蒼はフンと鼻先で嗤い、
「大事の前の小事だ。君にも分かるはずだ。かつては特殊な呪法とそれを操る能力を持ち、一時は我ら暁と拮抗するほどの勢力を誇っていた終夜一族。なのに生まれ変わってみればひよわなただの人間。悔しいだろう？」
「いや、むしろせいせいしたな。ただの人間で何が悪い？ 内乱も疫病も飢餓もないこの平和で豊かな現代日本に生まれて、お前らはこれ以上何を望むんだ、何が不満なんだ」
「何が不満かと？ 全てだ。僕たちは嘗て、支配する者だった。生まれ変わってもそうであるはずだった。なのにこのありさま。このふざけた現状を打開し、一族が本来の姿を取り戻すためなら、僕は喜んで人を殺めよう。それが一族を率いる長の務めだ」
暴発寸前の熱気を孕んだ蒼の言葉に、香西と真田は何度も頷いた。支配者一族としての前世記憶はあるのに、それに見合った能力のないただの人間として生まれ変わってしまった彼らが、輝かしい前世をもう一度実現させようという妄想に取り憑かれてしまうのは仕方ないことなのかもしれない。しかし、
「それでまた、紅を犠牲にするのか？ 少なくともあんたはこの十年間、兄として紅を守ってきたはずだ。そして紅も、あんたのことを本当の兄だと思い込んで深い愛情を捧げている。そんな彼を残酷な供犠に───」
「当たり前だ。僕が紅を守ってきたのはそのためなのだから。まあ、闇の一族である終夜の生まれ変わりなぞに分かるはずもなかったな。もういい。とにかく、全てが終わるまで大人しくしていてもらおう」
蒼が軽く目配せをすると、香西と真田が同時に地を蹴った。そして左右から御剣めがけて拳を突き出す。鋲打ちの鉄手甲がはめられた拳は、ひゅぅっと鋭い音をたてて空を裂いた。
しかし御剣は優雅に飛翔して軽々とかわし、まだ御剣の残像を追っている二人に次々と重い蹴りを入れた。
「ぐぁっ……」
潰れた呻きとともに膝をついた真田の延髄に手刀を入れ、よろめく香西には鳩尾めがけてもう一度蹴りを入れると、二人は呆気なく落ちた。その間、わずか二十秒。
「……なるほど。終夜の力がなくとも十分闘えるということか。ならば、」
背後に複数の気配を感じ、御剣は素早く振り向いて固く握った拳を振りかざした。しかしそれは誰にも命中することなく、空中でぴたりと止まった。
「お前ら……」
双眸に鋭い光を宿し、威嚇するようにずらりと並んでいるのはみな御剣のクラスメートだった。御剣が驚いている隙をついて真っ先に攻撃を仕掛けてきたのは、日ごろから御剣への好意を隠そうとせず何かとまとわりついていた葉山美優。我流の拳法めいた動きで、御剣の人体急所を的確に狙った。
御剣は全てを難なくかわすことができたが、防戦一方で反撃をしなかった。いや、できなかった。
「武器を持った男には容赦ない攻撃ができても、丸腰の女性を、しかもクラスメートを殴ることはできないか。やはり君は優しい男だ」
蒼のからかいを含んだ指摘は、実際その通りだった。美優に加勢する形で他の生徒らも次々と攻撃を繰り出したが、御剣はよけるだけで拳や蹴りを返そうとはしない。
「あたしね、御剣君のこと好きなの。だからお願い、全てが終わるまで大人しくしてて。でないと、今度は本当に殺されちゃうよ」
美優の言葉は皮肉や脅迫というより、懇願に近かった。彼女が心から御剣の身を案じているのは、間違いなかった。
「あんなヤツのために、御剣君が怪我する必要なんてないよ」
「一族の大事な神子をあんなヤツ呼ばわりか。結局、お前たちにとって紅は使い捨ての神子。敬意も感謝もないってわけか」
「それとこれとは別。神子には感謝してるわ。でも神威紅は大っ嫌い。クラス中から無視されてるくせに、いつも平然としてて。おまけに、何度も御剣君に助けてもらって！」
美優はどうやら、暁の一員としての義務よりも紅に対する私怨の方が強いようだ。叫ぶと同時に飛翔し、両手を固めた拳を御剣の頭上へ勢いよく落とした。
しかし御剣は間一髪でかわし、彼女の腕を掴んで背中にねじ上げた。そして冷静に諭す。
「俺は、前世で紅に救われた。だからその恩を返さねばならない。それだけだ。葉山、もうこんなことはやめろ。長の命令には絶対服従なんて、そんな時代じゃない」
その言葉が効いたのか、美優の身体から力が抜けた。御剣は拘束していた腕を解放しようとした。その時、
「甘いわよ」
美優はくるりと身体を反転させ、体重を乗せた当て身を食らわせた。そして御剣が一瞬よろめいた隙をついて、複数の生徒らが襲いかかってきた。
「くそっ」
御剣は美優を突き飛ばして攻撃を受け止めたが、やはり決定的な反撃をすることはできない。それを見ていた蒼は嘲りと哀れみを込めて、
「分かっただろう？ 暁一族は一枚岩の結束を誇る。ここでは多勢に無勢。お前一人では何もできない」
厳然たる宣告は、すぐに現実のものとなった。がくりと膝をついた御剣は、誰のものか分からぬ非情の靴先に鳩尾を蹴り上げられ、嘔吐感と激痛に苛まれながらついに倒れた。
「殺すと面倒なことになる。しばらく起き上がれない程度に痛めつけておくといい」
蒼の命令の忠実な実行者らは、それを無言で遂行した。
「あの終夜の男はこれでしばらく動けないでしょう。しかしあまり時間もありません。神子を目覚めさせるためには、もっと確実な方法を考えた方がいいのではないでしょうか」
そう言って判断を仰ぐ香西の表情には、焦りが色濃く影を落としていた。無理もあるまい。運命の日は刻一刻と迫っている。蒼も長である以上、心に抱く鬼胎をさらすわけにはいかなかったが、その実かなり焦っていたのだ。
「これまでのように偶然を装うのではなく、伊達や宗岡といった武闘派の連中に私刑を───」
「いや。身体の傷は最小限に留めたい。暁天之命に捧げる身体は綺麗な方がいい」
「しかし、もし間に合わなかったら元も子も……」
蒼は余裕の笑みをこしらえて香西の肩を軽く叩き、
「分かっている。もちろんこのまま手をこまねいて待つつもりはない。ただ、やり方を変えてみようと思う」
「と言いますと？」
「紅は男性恐怖症なところがある。精神の深いところに前世が影響を及ぼしているのだろう。それを利用して精神的なダメージを与えれば……」
「その衝撃が記憶の枷を破壊する、と。分かりました。すぐに手配します」
香西はそう言って、指示を待つまでもなく部屋を出ていった。蒼の言わんとすることを即座に汲み取って、それを具体的な実行に移す。香西は蒼の腹心としての己の役割を熟知していた。
「自分が前世で付けてしまった心の傷を利用されるとは、御剣戒は考えてもいないだろうな。哀れな男だ」
同情めいた言葉とは裏腹に、蒼の唇を酷薄な笑みがかすめた。
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