独桜―ひとりざくら―
3話
「すごい、刺さってる……」
分かりきった事実をうっとりと呟いて、奏は下腹部を愛おしげに撫でた。
「ああ。奥まで届いてるぞ、ほら」
喬允は両手で奏の腰を掴み、軽く上下に揺さぶってみる。すると、喬允の陰茎をしっとり包み込む内部がどよめいて、快感に腰が浮き上がりそうになったが、それ以上に喬允の心を奪ったのは、両手で掴んだ腰の細さ、たおやかさだった。
女性のようにはっきりくびれているわけでもなく、ちゃんと筋肉もついているから見た目だけではそうとは思わなかったが、こうして触れてみると分かる繊美な造形に、喬允は感動すら覚えた。
「お前はほんとに……きれいだ」
喬允は、緩やかな曲線を描く腰のラインを手のひらでなぞりながら、自然と溢れる感動をそのまま言葉にした。
「同じ男なのに……いや同じ男だからこそ、お前がどれほど特別で奇跡的か分かる」
喬允は自分の言葉に半分酔いながら、目の前で誘うように震える性器に手を伸ばした。それは喬允のものと全く同じ機能を持つのに、全く違うものに見える。
柔らかな下生えからにょきっとそそり立ち、血管を浅く浮かせたそれは鴇色のぬめりを帯びて、指を絡めるように握るとトクトクと一途な鼓動を伝えてきた。
「喬兄の方が……ずっときれい、だ……」
性器に与えられた刺激、そこから湧き上がる官能をこらえるように顔を歪めながら、奏はお決まりの反論をしてくる。
いつもそうだ。喬允が「奏はきれいだ」と言うと、「喬兄の方がずっときれいだ」と大真面目で言い返す。奏が、外見だけではなく内面も含めた評価としてこう言ってくれているのは分かっているのだが、だからといって全面的に納得はできない。
自分は普通に狡く、普通に世知賢い、普通に汚れた大人だ。ただ、他人を傷つけることに対する怯えが人よりは強いかもしれない。それとて、褒められるような美徳ではないだろう。なのに、
「喬兄の方こそ、奇跡なんだ……奇跡的にきれいなんだ……あっ、ああ！ やめっ……」
裏筋を指先ですぅっと撫で、鈴口をぐりっと強く押し潰しながら腰を上下に揺らすと、奏は上半身を弓なりに反らして快感を訴えた。
露わになった白い喉は、先刻の残滓を付着させて妖しくぬめっている。ぐっと突き出された滑らかな胸の上では、生々しく充血した赤い実が二つ、陵辱を待っている。喬允は片手は性器を弄んだまま、もう片方の手でそれを交互に揉み潰した。
奏はいやいやをするように頭を振ったが、喬允の手を振り払おうとはしない。ただ、必死に舌を駆って懇願した。
「も、やめっ……この…まま……いっちゃ…うっ……」
「いいぞ。このまま出して」
「いや、だ……いっしょ、がいいっ……」
舌足らずな訴えに喬允は目を細めたが、「とにかく一度いけ」とやんわり拒否して性器への刺激を強めた。さっき一度口でイカされたからこれでおあいこというちょっとしたプライドと、奏が絶頂を迎える姿をじっくり堪能したいという欲求。この二つが喬允の行動を先導していた。
「やッ、や、あ、あああ……もうがまんできな……あああーーー！」
奏は腰をバウンドさせ、自ら奥深くをズコズコ突いた。喬允は反射的に下腹に力を入れ、奏の性器を乱暴にこすり上げた。
「いっ、い………」
イク、という言葉も掻き消されるほどの勢いで精漿を撒き散らす奏を、喬允は官能にけぶる瞳でひたすら凝視した。
先端から飛び出す勢いに引っ張られるように、奏は股間を前後に揺らしている。そうして吐き出されたものの多くは、喬允の胸や腹に溜まって小さな白い水溜りを作った。
「あっ、あ、まだ、出る……」
喬允の手に後ろから支えられた奏は、上半身を緩やかに反らせたまま射精を続ける。ところどころ薔薇色に染まった白皙の身体は暈然と輝き、快感に悶え淡い焔を吹き上げているようにも見えた。
「んっ、は、はあ……」
しっとり汗ばんだ頬を上気させて、今にも蜜が滴りそうな唇から熱く湿った息を吐く。そして情欲にとろりと潤んだ目で喬允を見つめ、「一緒にイキたかったのに」とちょっとすねてから、奏はくたりと弛緩した身体を喬允の胸に預けた。
喬允はそれをしっかり受け止め、こめかみや額にキスを落としながら抱き締めた。視線を落とし、汗でぬめった背中の美しい曲線に目を奪われたのも束の間、まだ喬允のものを咥え込んだままの尻に自然と目が吸い寄せられる。
白くなまめく尻は絶頂の余韻を追うように、ひくひくと痙攣めいた動きを見せ、その淫猥さが喬允に再び火をつけた。
結局お前には敵わないのか、と嬉しいような悔しいような本音を噛み締めながら、まだゆらゆら揺れている尻をがっしり掴んだ。五指にみなぎる力に陵辱の意思を察したのか、奏は顔を上げて笑みに挑発の色を乗せた。
淫蕩でもありまた神秘的でもある名画の微笑みを想わせる唇を、喬允は乱暴に吸い上げ、こじ開ける。そして舌のざらつく表面同士をこすり合わせながら、腹筋を存分に行使して突き上げた。
「んくっ、う、うっ、ん！」
舌の動きを封じられた奏は、喉の奥で苦しそうに喘ぎをこもらせる。しかし抵抗するそぶりは一切見せず、唇も舌も後孔も、全てを喬允に委ねた。
喬允はそれをいいことに、奏のあらゆる淫らな部分を味わい尽くす。絡まり合う舌もまぐわう粘膜も、ぬちゃぬちゃとあからさまな性交の音をたてて次々と快感を呼び込んでいった。
「ぐっ、う……」
喬允も思わず呻く。絶頂の余韻にうっとりと微睡んでいた奏の柔肉は、全身に飛び散った快楽の火の粉を集めるようにきゅぅっと窄まり、蛮刀さながらに反り上がった喬允の表面に吸着する。
さらに、うねうね波打ちながら奥へ向かってすすり上げてくるのだからたまらない。喬允は唇をほどいて奏の首筋に顔をうずめ、そのまま手の中の尻をがくがくと揺さぶって最奥部めがけて射精した。
「あ……あああーーー……」
耳元で壊れたような嬌声を上げた奏も、ほぼ同時に達していた。喬允の背中に爪を立ててしがみつき、びゅっびゅっと一定のリズムで飛沫を上げる。それと連動して内部も痙攣し、喬允の種を搾り取った。
「かな…で……」
長い放埓を終えた喬允が、ほとんど無意識のうちに名を呼ぶと、柔らかな口づけが返ってきた。それを呼び水に、どちらからともなくじゃれ合うようなキスが始まる。そうするうちに、二人の唇は笑いの形に変わっていった。ついにくすくす笑い出し、
「ほんと、際限ないよな、俺たち」
「喬兄が絶倫なんだよ」
「どっちが。立て続けにイッたくせに」
「だから、喬兄のアレが凄いんだって」
笑み含んだ声で、睦言レベルの言い合いをする二人。やがて奏は、喬允の胸にぺったり抱き着いて、
「ありきたりな言葉だけどさ、幸せすぎて怖くなるよ」
「別に、何も特別なことじゃないぞ。好きな人間と一緒にいるだけだ。怖がる理由なんかない」
きっぱり答える喬允を、奏は嬉しそうに目を細めて見上げた。しかし、
「この幸せが……なるべく長く続くといいな」
これが、奏が口にできる最高の希望的表現だと喬允には分かっていた。“ずっと”ではなく“なるべく長く”。その根底には、重い言葉で喬允を縛りつけたくないという思いとともに、“正常な”世界にいた喬允を自分の棲む世界に引きずり込んでしまったという罪悪感もあるのだろう。
どんなに情熱的で見栄えのいい言葉を並べたところで、それを簡単に消し去ることはできないと、この一年で喬允も学んだ。地道に愚直に“今”を積み重ねてゆくしかないのだと。だから、
「ああ。なるべく長く、あと五十年くらい続くといいな」
喬允の真面目くさった言葉に、奏はぷっと吹き出した。
「五十年て、その頃まだ生きてるかなあ」
「縁起でもないこと言うな、こら。きっと、近所でも評判の仲のいい爺さん夫婦になってるぞ」
「そう……だね」
ためらいながらも肯定する奏が愛しくて、喬允はきつく抱き締めた。
その金曜の夜を境に由紀恵から頻繁に連絡が入るようになったのは、喬允にとって想定外の展開だった。
飲みに行こうとか買い物に付き合ってほしいとか、そんな他愛のない誘いではあったが、結婚する前に付き合ってた頃でも、彼女の方から誘ってくることは稀で、喬允が彼女の行きたい場所や食べたいものをリサーチしてセッティングするのが常だったことを考えれば、“異常な事態”と言えなくもなかった。
奏の『復縁迫られたりして』という、からかいと牽制の混在した言葉が頭をかすめたが、喬允はすぐに打ち消した。宙美を預かった時に一緒に旅行していた男とはもう別れたようなことを言っていたから、今はフリーで暇を持て余しているのだろう。
毎日毎日、テーブルセッティング教室やワイン講習会に出かけるわけにもいかず、一番手近な男で暇潰ししようと考えるのは、彼女らしいといえばらしい。喬允はそんな風に自分を納得させつつ、由紀恵からの誘いを時にやんわり、時にきっぱりと断り続けた。
自分を納得させるより難しかったのはもちろん、奏を納得させることだ。最初こそ冗談混じりで「未練タラタラだね〜」と笑っていた（多分に作り笑いは含まれていたが）のだが、徐々に顔つきが険しくなり、「なに考えてんだあの女」と苛立ちをそのまま露わにするようになった。
喬允は内心ハラハラしつつも、何も疚しいことはないのだから堂々としているべきだと自分に言い聞かせ、「どうせ暇潰しだ。いずれ飽きるさ」と宥めた。それでもむっつりしている奏の機嫌を直すのに最も手っ取り早い方法は──
「そういえば、もうすぐだな。記念日」
二人が一緒に暮らすようになって、来週の金曜日で丸一年となる。ちょうど桜の開花が告げられた頃で、引越し作業を中断して近くの川原へ出かけ、まだ咲き始めの桜を眺めた。
言葉にこそしなかったが、これからの新生活に思いをはせ、大きな喜びと小さな不安を噛み締めつつ、綻びかけの蕾に自分たちの姿を重ねていたことが思い出される。
つい一年前のことなのに、なんだかずいぶん昔のことに思えてしまうのは、奏とともに過ごした時間が、一分一秒が濃密な瞬間の積み重ねだったからに違いない。
「当日は、何があっても早く帰ってくるから」
喬允の言葉に奏はようやく表情を和らげ、
「俺もその日は、面倒な仕事入れないようにするよ。で、早めに帰宅してご馳走作って待ってる」
「ああ。俺たちにとっては、結婚記念日も同然だからな」
特別喜ばせようという意図があっての言葉ではなかったが、奏の反応は大きかった。顔から発火してもおかしくないほど赤くなって、喬允を直視できないのか視線を宙に彷徨わせ、
「け、結婚記念日って、そんな大袈裟だろ」
「そうか？ だって、結婚という制度がない日本のゲイにとって、一緒に住むことがひとつのけじめになるって教えてくれたのはお前だぞ」
「それはっ……そうだけど」
「だったら結婚記念日でいいじゃないか。そうだ。真っ赤な薔薇の花でも買ってこようか？」
半分冗談だったが、半分は本気だった。たまにはそういう芝居がかったことをするのもいいかもしれない。そもそも記念日というのは、日常の中に紛れた非日常なのだから。しかし、
「ううん、いらない。その分、一分でも一秒でもいいから早く帰ってきてほしい」
ひたむきに、真っ直ぐ向かってくる奏の言葉と想いに喬允は胸打たれ、無言のまま頷いた。何があっても、たとえ外科部長からの呼び出しがあっても提出資料に不備が見つかっても、この日は定時に帰るのだと自分に誓いを立てつつ。
しかしその日、唯一無二の記念日に、喬允は奏の待つ家に帰ることができなかった。
BACK TOP 孤独なライオンINDEX NEXT