独桜―ひとりざくら―
2話
扉を開けると同時に、凄い勢いで人影が覆いかぶさってきた。しかし全く予測していなかったわけではないので、喬允は驚くことなくその身体をがっしり受け止めた。
「……ただいま、奏」
「おか……えりっ」
喉の奥にからんだようなかすれ声。そこにどんな想いが凝縮されているか、喬允は知っていた。
「な？ ちゃんと帰ってきただろ？」
おどけた調子で訊ねると、奏は抱き着いたままこくんと頷く。優雅にして獰猛な猫科の獣を想わせる普段の彼からは想像できない幼い仕草に、喬允は胸の奥が甘くすくむような、言葉にできない感情の高まりを覚えた。
いや、言葉にしようと思えばできるが、愛しいとか可愛いといった表現の檻の外で自在に飛び回る不穏な熱のようなものが、この感情の核心なのだろうと喬允は分かっていたのだ。
「すごく……会いたかった」
朝出かけて夜遅く帰ってきたのだから、空白は一日にも満たない。しかし大袈裟だなと嗤うことは、喬允にはできなかった。耳元で「ああ」と相槌を返し、
「俺も、会いたかったよ」
「ほんと？」
「接待のない金曜の夜にしたいことといえば、ひとつしかないだろ」
喬允の、含蓄と呼ぶにはあまりに分かりやすい欲望が秘められた言葉を、奏は不敵な笑みで受け止め、赤い舌先でちらと唇を舐めてから、答えの分かりきった問いを投げかけた。
「したいことって、なに？」
喬允はうっすら目を細め、奏の形のいい顎を手で支えて顔を近づけた。朝も昼も夜も互いを求めてやまない二つの唇が、今にも淫らな抱擁を遂げようとした時──
「ぶわっ……か、奏……」
大きく広げた奏の手にぐわしと顔を覆われ、ぐいっと押し戻される。そして有無を言わせず腕を引っ張られ、そのまま風呂場へ。
「はああ……やっぱり風呂へ強制連行か……」
奏は「当然だろ」と素っ気なく言いながら、喬允の着ている物を次々と剥いでゆく。露わになった首筋にずいと顔を近づけ、
「……うん。首にも胸にも痕はないな」
「当たり前だろっ。お前、俺を信用しないにもほどがあるぞ」
奏が本気で情事の痕を探しているわけではないと分かってはいたが、つい尖った声で反応してしまった。すると奏はちょんと肩をすくめ、
「信用してないというより、心配なんだよ。喬兄、最近やたらカッコいいし。女性に騒がれたりしない？」
「え？ いや、それは、そんなことは……」
店で騒がれたことが一瞬頭に浮かんで口ごもってしまい、それを敏感に察した奏に突き刺すような目で見られ、ますます萎縮してしまう。
「へ〜え、やっぱりあるんだ。ブランド志向の人間にありがちだけど、我が強いわりに他人の意見や評価に左右される人間ているよな。喬兄の奥さんもそういうタイプじゃないか？ 復縁迫られたりして」
「馬鹿なこと言うな。だいいち、こんな綺麗で魅力的な恋人がいるのに、誘いに乗るはずないだろう」
それまで冷静に攻め続けていた奏だったが、喬允のこの言葉で途端に失速した。慌てた仕草でふいと横を向き、
「ほ、ほら。そんなセリフをさらっと吐けるようになっちゃって」
見れば、奏の美貌を悪魔的に冷ややかなものにしている白磁の肌が、ところどころ薔薇色に染まっている。
何てうるわしい変容だろう。そんな甘い砂糖菓子を想わせる肌を見せつけておきながら、表情はまだ強気を保っているところがたまらない。
「キスだって、俺の方が巧かったのに。今では──」
「今では、何だ？ ん？」
喬允があやすように続きを促すと、奏は艶めかしさすら漂うゆったりした動きで両手を喬允の首に巻きつけて、身体をぴったり重ねてきた。次に重なる場所といえばもちろん──
「……いじわる」
物欲しげに膨らんだ唇を素通りして、薔薇色の余韻が残っている耳たぶを優しく吸うと、甘えた抗議が返ってきた。
小さく突き出された唇に自分のそれを触れ合わせ、弾力を愉しむように軽く押しつけると、奏は喉の奥でくつくつと笑いを転がし、唇を合わせたまま「ヘンなキス」と呟いた。喬允はしかめ面をこしらえ、
「何だと。ではこれならどうだ」
舌先で唇を割り開き、形の揃った歯列を愛撫してから、熱炉のような口内をまさぐる。舌を絡め合うと自然に溢れる唾液が、とろりとろりと奏の口に流れ込む。
「んく、んく」とどこかいとけない嚥下音が喬允の鼓膜をくすぐり、込み上げる愛しさに目を細めながら、喉の奥の粘膜を舌先でくすぐるように舐めた。
「んうぅっ……」
苦しげにこもった呻きは、感じている証拠だ。それは身体の秘めやかな変化からも分かる。それまではかすかな隆起に留まっていた場所が、とくとくと激しい鼓動を刻みながら形を変え始めていた。
「風呂……一緒に入るか？」
いったん舌をほどき、喬允は荒い呼吸の奥から甘い低音で誘いをかけた。しかし、
「もう入りました」
素っ気ない言葉が返ってきた。続けて奏は唇を尖らせ、
「誰かさんの帰りが遅いから、風呂でも入って気を紛らわせてないと淋しくて」
「そんな可愛いこと言われたら、力づくでも風呂場に連れて入りたくなるな」
すると奏はくすっと妖艶に笑い、
「ベッドで待ってるから……」
喬允が超高速で入浴を終えたことは、言うまでもない。
素肌に白いシャツを懶惰にまとい、ベッドの端にぺたんと座り込んだ奏は、傍らに立つ喬允の猛るものをうっとりと舐めしゃぶっていた。
喬允はその頭を撫でたり、髪の中に指を滑り込ませてひんやりした絹糸のような感触を味わったりしながら、定期的に込み上げる射精感にひたすら耐えていた。
奏には全てお見通しなのか、喬允の限界が近いと見るや、浅く咥えて刺激を弱めたりと、長く引き伸ばされた快楽を巧みに演出していた。
しかしさすがに、絶頂感が訪れる間隔が狭まってきた。奏の口内は、圧迫感こそアナルの比ではないが、熱さやぬめり、むっちりした肉の感触は、後孔を犯した時に勝るとも劣らぬ快感を与えた。
それに加えて、舌の動き。舌技と呼ぶにふさわしいそれは、喬允を容赦なく追い込んでいった。溜まりに溜まった情欲のせいで腰がずしりと重く、立っているのもつらいほどだ。
「奏っ……もう、だめだ。頼むっ……」
切羽詰った声で限界を訴えると、奏はうっすら上気した眦に艶めかしい笑みを乗せて、口内からゆっくりと陰茎を引き抜いた。
ちゅぽん、と愛らしい音が耳朶をくすぐったが、奏の口淫は愛らしいどころではなく、さらにエスカレートしていった。パンパンに腫れて赤黒い照りを見せる亀頭を、舌の表と裏を使ってぬるん、ぬるんと弄ぶ。そのたびに、鈴口からぴしゃぴしゃと薄く濁った液体が弾け飛んだ。
奏は先端の窪みに溜まった液体を丁寧に舐め取ってから、再び竿全体を口内に収め、頬をすぼめて勢いよく吸い上げた。その瞬間、喬允は腰ごと持っていかれるような強烈な射精の欲求に我を忘れ、気が付けば奏の頭を両手で掴み、股間を前後に揺らして喉奥を犯していた。
奏は眉間を険しく寄せ、悩ましげに歪んだ表情で、うぐうぐと苦しげに呻く。最終的に喬允を絶頂まで飛ばしたのは、他ならぬその歪んだ顔だった。
アンティークドールを想わせる整った美貌が苦悶に歪むさまは、オスの浅ましい欲望をこれ以上ないほど刺激する媚薬そのものだった。
「出すぞっ……」
喬允は、普段の温厚な彼からは考えられない傲慢な宣告とともに奏の口内に発射した。頭は掴んだまま、股間を揺らしながらびゅくびゅくと注ぎ込む。奏の顔はもう歪んではおらず、恍惚と目を閉じて注がれるものを享受している。せわしなく上下する喉仏が、射精の勢いと注がれるものの多さを物語っていた。
嚥下が追いつかないのか、口の端から白いものがだらだらと滴り、奏の顎から首筋を降下する。しかしそこに下品さはなく、白い肌との対比がただ美しかった。
とはいえ、喬允の中に罪悪感が湧かなかったわけではない。口の中に出したのは初めてではないが、この行為には愛情確認より性欲処理の側面の方が強いように思えて、出し終わった後はいつも自己嫌悪を覚えてしまうのだ。しかし、
「……美味しかった、とっても」
奏は満足げにそう言って、顎に付着した粘液を指ですくってぺろ、と舐めた。そして嫣然と笑う。
喬允は、自己嫌悪と征服欲が満たされた満足感と増幅する愛情が入り混じった複雑な精神状態のまま、ベッドに飛び乗って奏を背後から抱き締めた。
「お前……腹壊しても知らないぞ」
「大丈夫。好きな人のはちゃんと栄養になるって、WHOが言ってた」
「豪快な嘘をつくな、こら」
喬允は言いながら、両手を奏の内股に滑らせた。女性のようなたっぷりとした弾力性はないが、吸い付くようなしっとりとした肌の質感は、指先に極上の悦びをもたらした。
喬允は慈しむように撫でながら、脚の付け根に進む。そして左手は性器を、右手は陰嚢の裏側を愛撫する。どちらも生温かい粘液でコーティングされ、ぬるぬると淫らな触感を伝えた。
「なんだ、俺のものしゃぶっただけで、こんなに濡らして」
喬允は、黒い諧謔のにじんだ低音で嫌らしく囁いた。普段の紳士的な口からは決して出てこない声だが、こういった別の顔を見せると奏が興奮するのが分かっていたから、時折卑猥なことや暴力的なことを言って煽ることがあった。
「ここも……ほら。ローションなしでも指があっさり入ったぞ」
喬允はその事実を知らしめるように、菊門に挿入した二本の指をぐちょぐちょ音をたてて出し入れしてみせた。
奏は軽くのけぞって、脚を大きく開いたまま、見えない糸で吊られているかのように、股間をひく、ひくと、とぎこちなく揺らした。
「だって……喬兄の感じてる顔が色っぽかったから……」
「だから、濡れたのか？」
こくんと頷く仕草がたまらなく可愛い。普段の、完璧で隙のない奏も高貴な獣めいて魅力的だが、たまに見せるいとけない姿には、喉の奥をくすぐられるような愛おしさを掻き立てられた。
「お前の方がずっと色っぽいじゃないか。ほら……」
喬允は耳元で囁きながら、根元まで呑み込ませた指をぐっと広げた。奏の中でＶ字を作った指は、次の瞬間、その戯れの仕返しと言わんばかりにぬめった肉に締め付けられた。
「はっ、すごい……」
思わず素直な感想が出たが、もっと素直なのは奏の方だった。さっきより激しく股間を跳ね上げ、もっともっとと淫らにねだる。喬允は、ぎゅうぎゅうに圧迫してくる凶暴な筒肉を手なずけようと、軽く曲げた指先で奥の凝りをぬるぬるっと撫でた。
「やっ、そこ！ あっ、あん！」
青い静脈の浮いたしなやかな脚がぶるぶるっと震えるさまは、網膜が灼けるほど淫らだった。
「ここか？ 奏。ここをどうしてほしい？」
「喬兄の太いので……突きまくってほしい……」
「分かった」
喬允はまとわりつく粘膜ごと引きずり出すようにゆっくり指を抜き、仰向けになった。すぐさま意図を察した奏は向かい合わせになってその上にまたがり、まだ唇に残る喬允の精をちらと舐めてから、杭のようにそそり立つ喬允の陰物に、自身の蜜壺をぐぶぐぶとはめ込んでいった。
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