それぞれの不安
―喧嘩・その3―
＜3＞
ぬるい馴れ合いの空気はあっという間に凍り付いた。肩にともった鈍い痛みに、奏は思わず声を上げる。
「い、痛ッ……」
しかし喬允は奏の肩を壁に押し付けたまま、重く淀んだ声で問い質す。
「今夜、俺がお前を捜しにあの店へ行ってなかったら、お前はあの二人と二階の部屋でヤッてたんだな？」
「あ……それは……」
「正直に言え。ヤッてたんだな？」
喬允が耳元でねっちこく問いを重ねると、奏は瞳をじんわり潤ませつつ「ごめん、ごめん…」と繰り返し、
「喬兄に……完全に嫌われたと思ったから……だからヤケになってて……」
「そんな言い訳が通用すると思ってるのか？」
喬允の厳しい追及に耐え切れず、奏は唇を噛み締めて顔を背けた。しかし喬允は口調を緩めず、奏の濡れた目尻を指先で弾いて、
「泣いたら許してもらえるとでも？」
奏は必死に嗚咽を呑み込み、謝罪の言葉を絞り出した。
「ごめんなさ…い……もうしない、ぜったいにしない…からっ……ゆる…して……」
喬允は奏の謝罪を吟味するように暫し無言を貫いたが、やがてすぅっと目を細め、
「俺には確かに、揉め事を避けるため我を抑えようとするところがある。けどな、俺にも限界はあるぞ。喧嘩して自棄になった挙げ句、他の男と寝るなんてことしたら……絶対に許さない」
何度も何度も頷いて了解を伝える奏を、喬允は冷ややかに見下ろした。そして小刻みに震える奏の股間に手を伸ばし、ゆっくりとベルトを外してジッパーを下ろした。まるで、捕えた生き餌をいたぶるように。
そのまま下半身を覆うもの全てを剥ぎ取ると、黒と青の中間で揺蕩う深海のごとき闇の中に、白く艶めく下肢が現れた。その付け根を飾るペニスはまだ柔らかく、恥ずかしそうに項垂れている。
「喬兄……」
奏の声や表情には、期待と怯えが織り交ざっていた。その複雑な感情の綾を愉しみつつ、喬允は奏の身体を反転させて壁と向かい合わせにし、腰に手を掛けてぐいっと持ち上げた。
「あっ……」
雄をせがむように腰を突き出した己の姿が、テラスに面した大きな窓ガラスに映っている。奏が咄嗟に目を背けると、耳元に熱く湿った息が掛かるのを感じた。
「嫌か？ こんなところで……」
表面上は労りと優しさに満ちた問い掛け。しかしその奥で脈打つ嗜虐の欲望に気付けぬような奏ではない。ちらと唇を舐め、
「嫌だけど……でも、お仕置きなんだろ？」
その瞬間、喬允の喉奥から聞こえた低くこもった嗤いに、奏はぞくりと慄えた。早く犯されたい、辱められたいという感情の火照りに煽られるまま、背中を反らしてさらに腰の位置を高くする。
喬允は目の前に突き出された滑らかな曲面を、手のひらで嫌らしく撫で回した。そして潤滑油を垂らし、割れ目に指先を滑らせて塗り付けてゆく。
夜気に晒された双丘の表面はひんやりして陶器を想わせたが、谷間の奥はほんのり温かく、また指先がかすめるたびに孔の周囲がヒクッと収縮するなど、生の鼓動が感じられた。もちろんこのさらに奥には、比較にならぬほどの熱いうねりが待っているのだ。
喬允は人差し指と中指を小刻みに回転させながら陰孔にぐにゅぐにゅと押し込み、狭き門を徐々に広げていった。
「ぅぁっ……ぁっ……」
浅いところを指で掻き回されるもどかしさに、奏は壁にカリカリと爪立てて悶えた。もっと奥、今はまだ閉ざされて硬い筒肉をまさぐってほしいのに、喬允の指はそこまで届かず入口を広げるのに専念している。
あまりのじれったさに奏が尻を突き出そうとした時、指が抜かれ同じ場所に熱く張り詰めたものが押し当てられた。奏が驚きにひゅっと息を吸い込むと同時に、尻の孔に物凄い圧力を感じた。
「あ……ああ……すご…い……」
その部分が見えるはずはないのに、潤滑油と指による前戯でとろとろにほぐれた陰唇が、喬允の大きく張り出した亀頭を呑み込んでゆく様子が脳裏に鮮明に浮かび上がる。まるで、下半身と脳の想像回路が直結しているかのように。
「ほら、奏。見ろよ。ここまで入ったぞ」
色っぽく毛羽立った低音で囁かれ、奏は背筋を慄わせながら顔を横に向けた。
「ほん…とだ……入ってる……」
窓ガラスに映った自分たちの姿は、この上なく淫靡だった。喬允の両手によって限界まで開かれた白い尻に、黒々とした茂みからにゅっとそそり勃つ極太の陰茎が突き刺さっている。
まだ挿入の途中だったが、だからこそ今まさに尻が犯されようとしているという光景の生々しさが際立って、二人の情慾を一層昂進させた。
喬允は少しずつ腰を進め、交わりを深めてゆく。
「あっ、ああっ、すごい……まだ……まだ入ってくる……」
「ああ……まだまだだぞ、奏……」
陵辱の主体たる陰茎は容赦なく侵入してくるが、それを受け入れる蜜壺の奥はまだ萎縮していた。
「あ、待っ……無理っ、そこはまだ…………あ……やあああーーーーッ」
凶器と化した肉の矛が、硬く閉じた肉をみちみちと裂いてゆく。その尋常でない締め付けに喬允は一瞬我を失いかけたが、何とか保ったまま根元までねじ込んだ。そしていったん息をついて熱い塊を吐き出し、奏の腰をがっしり抱えて重厚な抽挿を繰り出した。
「んっ、凄っ…い………ひ…っ……ぃ………」
脳天まで響く重いストロークに引き攣った悲鳴を上げつつも、奏は窓から目が離せなかった。喬允の雄々しい分身が、何度も突き立てられては引きずり出される。
抱かれている自分をこうして客観的に眺めることは、思いのほか刺激的な体験だった。肉と肉の直接的な交わりの感覚とはまた違った淫靡さで、奏を陶酔に誘った。
一方喬允は、最初は硬く締まっていた筒肉が、抽挿の回数を重ねるごとに柔らかくとろけてゆく甘美な感覚に酔っていた。
突き上げながら奥を掻き回すように腰を上下に揺らすと、柔壁が悶えるように波打つ。締め付ける力は弱まったものの、それを補って余りある快感を与えてくれた。
喬允は全身でそれを反芻しつつ、腰の動きを速めてゆく。そして絶頂へのスロープを、奏とともに駆け上がった。
「か…なでっ……」
腕の中の奏の身体も、皮膚の下に電流が流れているかのように震えていた。
「んっ、あっ、あっ、いいッ、いくっ、いくぅ……っ………」
半開きの唇から唾液を滴らせ、絶頂を告げる奏。その白き淫獣とも言うべき官能的な肢体の奥処（おくか）に、喬允は己の精を勢いよく注ぎ込んだ。
「は……ぁっ……」
奏は自身も放出を遂げながら、やはり窓を凝視し続けた。できるだけ奥へ飛ばそうという雄の本能なのか、喬允は射精しながら小さく腰を上下させている。
その卑猥な動き、そしてかすかに波打つ腹筋の美しさ。それらに収斂された喬允の男性的な魅力から、奏は目が離せなかった。
ようやく全て出し切った喬允は汁を垂らしながら引き抜き、弛緩した奏の身体をそっと抱き締めた。奏もしなやかな腕を喬允の首に巻き付けて抱き返す。そのままどちらからともなく顔が近づき、濡れた唇がとろりと交わった。
濃厚な口づけに耽りながらも、射精の余韻を留めた股間をぬるぬるとこすり合わせる。さらに奏は片脚を喬允の腰に絡ませ、ぎゅっと締め付けた。
喬允は眉根を寄せて低く呻き、唾液を弾かせて唇の抱擁をほどいた。と思ったら奏の腰を抱いたままベッドの端に座り、
「奏、来いっ」
喬允の意図をすぐに察した奏は、喬允を跨いでベッドの上に膝をつき、肩に掴まってゆっくりと腰を落とした。喬允の尖端が奏の熟した部分に付着し、そのままぐぷ、ぐぷ、と音を立てて竿が沈み込んでゆく。
「あ、ふっ、んっ、んぅっ」
全てが収まるより早く、待ち切れないとばかりに喬允が腰をはね上げた。奏もそれに応え、腰を上下にくねらせる。
二人が二度目の絶頂を迎えたのは、それから数分後のことだった。
「ん……んっ……………ひゃっ」
自分の間抜けな悲鳴で目を覚ますという初めての経験をした奏は、大きく瞬きして眠気の残滓を払った。そして間抜けな悲鳴を起こさせた原因と思われる違和感の源泉へ視線を滑らす。
「なっ……んだよもぉぉ……」
何だか胸の辺りがもぞもぞしてちょっと気持ちいいなあと、眠りと覚醒の境界上でゆらゆらしつつぼんやり思っていた。それもそのはず、一糸まとわぬ姿で背後から喬允に抱き締められ、その上胸の突起をふにふに弄ばれていたのだから。
背後からかすかに聞こえる安定した寝息から、喬允がまだ深い眠りの中にいることが分かる。おそらく無意識の行為なのだろう。幼い子供がお気に入りの玩具をいじるような。
とはいえ奏は玩具と違って意識や感覚を持っている。たとえ無意識の行為であろうとも、喬允の指に乳首をいじられればちゃんと反応はする。事実、普段は淡い隆起を見せる果実は芯を持ってコリコリに勃ち上がり、珊瑚色にのぼせていた。
「喬兄、喬兄っ」
奏は小声で喬允の名を呼び、手の甲をぺちぺちと叩いた。力任せに無理やり引き剥がせば済む話なのだが、惚れた弱味でなかなか強い行動に出られない。
「ん……ん〜〜？」
「喬兄、起、き、ろ、」
「ん〜」
喬允は寝惚けた声でうなり、ゆるゆると目を開けた。
「かなで〜〜、おはよ……」
「おはよ。で、朝っぱらからナニしてるんだ？」
ほんの少し声を低めて聞きながら、再び喬允の手をぺちっと叩く。一瞬の間をおいて、
「うわっ、わわわ」
「うわっ、じゃないだろ。まったく、寝惚けながら人の乳首を揉むってどういうことだよ」
「い、いや……その……すまん」
一応弁解の言葉を探したものの、言い訳不可能と察したのか喬允は素直に謝った。奏はころんと身体を反転させて喬允に向き直り、
「ほら、見ろよ。お陰でこんなに腫れちゃったじゃないか」
奏の言う通り、平らな胸の上でピンと勃って痛ましいほどの充血を見せる突起を、喬允は暫し見つめた。が、やがてのそりと身体を起こし、
「ごめんな。ほんとに腫れてるな。よし、舐めて治してやろう」
そう言って乳輪ごと唇に含み、やんわり吸い上げつつ舌の表面で突起をざらざらと舐め回した。
「ひっ……や、やめ………」
ただでさえ性感帯として十分機能するほど敏感な場所なのに、長時間の愛撫で吐息にすら反応するほど感じやすくなっていたのだ。こんな風に舌で嬲られたら……
「あっ、はっ、はぅ…っン………」
喘ぎとともに、自然と腰が揺れてしまう。それだけではない。さっきまでは半勃ち状態だった股間の若茎はむくむく膨張し、熱い蜜をじゅわっと溢れさせた。それを察知した喬允は、すかさず股間へ手を伸ばす。そして濡れたペニスをぬるりと掴み、
「奏……べちょべちょだぞ」
「んっ……るさい……」
ぷいっと横を向いた奏の赤い耳たぶをやわやわ食みながら、喬允は茂みの奥へ手を進め、まだ昨夜の名残りを留めてとろりと熟した菊門に指をねじ込んだ。
「ぅぁッ」
下肢をぶるっと震わせて快感を訴える奏に、喬允は「どうしてほしい？」と訊ねた。奏は官能に潤んだ瞳で切々と見上げ、
「挿れて……」
喬允は頷く間もなく奏の両脚を抱え、望みを叶えたのだった。
「うう〜〜ん……」
シャワーを浴びて昨夜からの情交の痕跡を洗い流すと、二人は再びベッドに戻り、無為にして贅沢な時間をだらだらと過ごしていた。が、突然喬允が何やら深刻げな唸り声を上げた。
「どうしたんだよ、喬兄」
「いや……俺ってその……こんなに性欲強かったかな。寧ろ、どちらかといえば淡白な方だと……」
すると奏はほんの少し不機嫌そうに眉根を寄せ、
「あのさあ、そこでどうして、“相手が奏だからだ”って考えに到達しないんだよ」
「えっ？」
虚を衝かれたような喬允の反応に、奏はますますむくれる。喬允はすぐに表情を緩め、
「ああ、そうか。うん、そういうことだよな」
「……無理に納得しなくていいよ」
「ほら、不貞腐れるなって」
喬允は四肢を伸ばして、奏の身体を搦め捕った。そしてまだ仏頂面しつつも、大人しく身を任せる奏の背中を優しく撫でながら、
「俺もゲイだったらよかったと、最近特にそう思うんだ」
「な…に言ってんだよ、喬兄……」
「俺がゲイだったら、お前が抱えている不安の半分以上は解消されるはずだ。でも、幸か不幸か俺はゲイじゃない。だから日々の行動で、お前の不安を少しずつ拭ってやるしかないんだ」
奏は黙って喬允の言葉を反芻していたが、やがて感慨深げに口を開き、
「喬兄がそこまで考えてくれてるなんて……思ってもいなかったよ」
「はは。俺は自分の想いをこうして口にするのが……苦手なんだよ。ごめんな。でもこれからは、なるべく言葉にする努力をするよ。お前が、余計な不安に苦しまなくて済むように。だから、奏も―――」
「分かってる。もう駄目だとか嫌われたとか勝手に思い込んで自棄になるようなことはしないよ。それに、一緒にいるからこそ不安も生まれるんだもんな。やっぱり……俺は幸せなんだ」
「俺たち、だろ？」
奏は涙の予感に疼く瞳を閉じて、喬允の指摘に何度も頷いたのだった。
（Fin）
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