Bloody Christmas
＜3＞
クリスマスが近づくにつれて、東京駅周辺も賑やかさを増していった。人通りも多く、終電間近まで多くの人が行き交う。
しかし、ファヴェーラの日常に変化はない。いつものようにスイーパーが暗躍し、朝になるとビルの裏口や植え込みの中で子供の死体が発見され、それを警察が黙々と処理する。
中には悪趣味なスイーパーもいて、サンタクロースの格好で「メリークリスマス！」と言いながら銃をぶっ放す輩も目撃されていたが、そういうのは大抵が、銃を支給されたばかりで浮かれている新人だった。
『俺たちは趣味や快楽で殺しているんじゃない。プロに逸脱は許されない』───そう言ったのは、伶の旧友の観崎湊、通称『堕天使』だ。そんな彼からすれば、ふざけ半分で殺しをやるのは唾棄すべきクズに違いない。
それはともかく、ファヴェーラの子供たちにとっては、クリスマスもお正月も師走も歳末も関係ないサバイバルの毎日だった。ゆえにその日、12月24日の夜も伶と久遠は普段と変わらず路上に出て、傷ついた子供を癒した。
「やっぱり、スイーパーにクリスマス休暇はないみたいだな」
四人目の治癒を終えた伶はそう言って、久遠に笑いかけた。疲労の翳が顕著なやつれた笑顔は痛々しかったが、久遠は敢えて「正月休みもないぞ、きっと」と軽口で返した。
伶ははあ、と大仰な溜め息をついて、「ワーカホリックもたいがいにして欲しいね」とこぼす。久遠が相槌を返そうとした時、前方に複数の人影が現れた。
反射的に身構えたが、そこにいるのがほとんど見知った子供たちだと分かって、少し警戒を緩めた。
「颯太じゃないか。何をしてるんだ、危ないぞ」
久遠の口調が咎めるようになってしまうのも尤もだった。颯太を中心として十人以上の子供たちが集まっていたが、夜のファヴェーラでこれは危険極まりない行為だった。
固まっているストリートチルドレンは目立つ、ゆえに標的になりやすい。路上での行動は原則二人から三人。それは、颯太も分かっているはずだ。
「うん、先生にこれを渡したかっただけだから。すぐ散るよ」
颯太は早口でそう言って、手にしていた長いものをずいと差し出した。そして問われる前に説明する。
「これ、マフラー。ここにいるみんなで少しずつ編んだんだ。先生へのクリスマスプレゼント」
「え？」
完全に意表を衝かれたらしい伶は、口を開けて固まった。それは久遠も同じだったが、颯太は気にせず、
「日ごろの感謝とか、そんな美しいこと言うつもりはないよ。ただその、先生いつも寒そうだから。先生が風邪でもひいたりしたら、困るのは俺たちだしさ。でもそういう繊細な心遣いとか体調管理とか、久遠さんにはムリそうだし」
「どういう意味だそれは」
思わず不機嫌な声を出した久遠に、颯太はにやりと笑って、
「病気知らずの体力バカってこと」
久遠は額に青筋たてて詰め寄ろうとしたが、それより先に伶がクスクス笑い出してしまったため、仕方なく怒りを収めた。
伶は笑いの余韻を残したままマフラーを受け取り、胸に押し当てて「ありがとう」と微笑んだ。伶の手からこぼれたマフラーは目の大きさもまちまちで、確かに多くの手が入ったことが窺える。伶はもう一度「ありがとう」と言って、首に巻こうとした。
その時、子供たちの集団で一番端にいた少年がどさりと倒れた。アスファルトに、黒い染みが広がる。
「…………っ！！」
久遠が『散れ』と命令する間もなく、全員が各々違う方向に走った。これも路上の鉄則。決して同じ方向には逃げず、八方に散らばる。そして、己の身の安全だけのために行動すること。
久遠は伶の手を掴んで走りながら、素早く頭を巡らせた。この時間なら、地下街の方が安全だ。まだ閉鎖されていない地下入口に向かって走ったが、その行動は読まれていた。
先回りしていたスイーパーが入口を塞いで立ちはだかり、自分の得物を見せびらかすように掲げていた。
「ずいぶん大仰なものを使うんだな」
久遠の言葉に、男はにたりと嗤い、
「13日の金曜日。キリスト様を殺るにはぴったりだろ？」
そう言って、ギュルギュルと派手な音を立てて回転する電動のこぎりを振り上げた。
「さっきの子もそれで殺ったのか？」
久遠は問いながら間合いを計る。男は「いんや」とかぶりを振り、
「ガキを殺ったのは別のヤツだ。大物が目の前にいるのに、ガキなんか殺ってられっかよ」
「なるほど」
久遠は答えると同時に突進した。まさか、電動のこぎりを振りかざす人間に正面から向かってくるとは思っていなかったのか、男は反応が遅れた。
久遠は最初の一撃を難なくかわしたが、男はさすがこの武器を扱い慣れており、すぐに次の攻撃を繰り出す。のこぎりの刃が久遠の肩に当たり、血が吹き出る。
「久遠ッ」
伶が自分の名を叫ぶのを聞きながら、久遠は己の拳を男の鼻柱にめり込ませた。肩から出血しているが、腕はちゃんと付いている。
久遠の腕を肩から切り落とすはずだったのこぎりは、苦しげな呻きを上げつつ止まっていた。その根元には、マフラーが絡んでいる。
「武器に頼り過ぎるとこうなる」
久遠は冷ややかに指摘すると、砕かれた鼻を押さえて悶えている男の後頭部を殴り昏倒させた。
「久遠！ 腕は大丈夫か」
駆け寄る伶に、久遠は無事を伝えるため両手を軽く挙げてみせた。
「刃がちょっと当たっただけだ。もちろん、回転が止まっていなかったらヤバかったけどな」
「マフラーのお陰というわけか」
「ああ、助かった。でも、ぼろぼろになっちまった。せっかくあいつらがあなたのために編んだのに」
「マフラーは君の命を救った。ということはつまり、僕もマフラーに救われたというわけだ」
だから気にするなと続けて、肩の傷を治すため伶が手を伸ばした時だった。
「危ないッ」
あと少し久遠が庇うのが遅かったら、伶の耳は斬り落とされていただろう。代わりに久遠の背中はざっくり斬られたが、その痛みを掻き消すほどの警報が頭の中で響いていた。
───全く気配を感じなかった。それにこの手口、この斬り方。まさか……
久遠は伶の手を掴んで走った。本当なら地下街に入りたいところだが、待ち伏せされている可能性が高い。地下への狭い階段は、伶を守りながら闘うには不利だ。
久遠は掴んだ伶の手を、ぎゅっぎゅっと二度力を込めて握った。すると同じ回数だけ伶が握り返す。
これは、二人だけの暗号。二度ならツインタワー、三度なら東京駅構内など、握る回数でどこへ向かって逃げるか伝えるのだ。
「くお…んっ……血、がっ……」
走りながら伶が苦しげに伝えてくる。肩と背中の傷から大量の血が流れていることは、久遠自身も分かっている。だからといって、立ち止まって伶の癒しを受けるわけにはいかない。今、自分たちを狙っているスイーパーは恐らく───
「逃がしませんよ」
どこからか嘲るような囁きが聞こえ、全身がざわりと総毛立った。久遠は弾かれたように立ち止まり、大きく腕を広げて伶を庇う。
前方に佇む男は、自分たちを追いかけてきたにもかかわらず、全く息を乱していない。闇に浮かぶ白い美貌はうっすら微笑んでいる。
いや、彼が微笑み以外の表情を見せることがあるだろうか。神を信じ、神の使徒として邪悪なストリートチルドレンを排除する『正義』を執行する使命を与えられた彼は、いつも幸福に満たされているかのように笑っていた。
「……『殉教者』か。今日はクリスマスだぜ。仕事してる場合じゃねえだろ。教会でお祈りしてなくていいのかよ」
「あなたは間違っています。今日はクリスマスイブです。主がお生まれになった日ではない」
「なるほど。確かに日本じゃ、当日は疎かにされてるよな」
久遠は会話を続けながら、『殉教者』の通り名を持つスイーパーを正面から見据えた。そして、颯太の言っていた言葉を思い出す。『あいつは、クリスマスの時期になるとオカシクなるんだ』───確かに、眼前の男からは濃厚な血と狂気の臭いがした。この数日間で、一体何人を切り裂き、逆さ吊りにしたのだろうか。
「静かに主の生誕を祝うべき日を、下劣な祭日に貶める輩は赦せませんが、それ以上に、キリストの名を騙る悪魔が赦せない」
『殉教者』の両手には、銀色に閃くナイフがあった。それを見た久遠は、不思議と落ち着いてゆく自分を感じた。
やるべきことは分かっている。掴んでいた伶の手を一度だけ強く握ると、振り払うようにぱっと離して『殉教者』へ向かってゆく。手を一度握るのは、『俺を置いて逃げろ』の合図だった。
久遠は武器である鉤爪付きの手甲で攻撃を受け止めつつ、反撃を繰り出す。しかし、
───くそっ、こいつ疾え
『殉教者』は四天王で唯一、銃を主要武器としない。それは、銃を凌ぐスピードと殺傷能力に自信があるからだろう。それがただの自惚れではないと、闘ってみて久遠もよく分かった。
加えて、久遠には怪我のハンデがある。腕は斬り落とされなかったものの、肩の傷は思いのほか深く、右手は使い物にならなかった。
それでも左手で防御しながら、鋭い蹴りで攻撃を試みる。その時、どこからかクリスマスソングが聞こえてきた。大通りを走る車から流れているのだろうか。それは聞き覚えのある英語の曲だった。確か、ラブ＆ピースの有名な夫婦が歌っている歌だ。
戦争は終わる あなたが望むのなら
久遠は思わず舌打ちした。そうじゃない、望むと望まざるとにかかわらず巻き込まれてしまうのが戦争だ。今、ファヴェーラで起きている“戦争”を、一体誰が望んでいるだろうか。家族や恋人や仲間と楽しく過ごすこの日に、誰が闘い血を流したいと望むだろうか。
望まなくても戦争は起きる。戦争は、世界というシステムが進化するために不可欠のイベント。言い換えれば、世界自体が戦争を欲しているのだ。だから久遠は断言できた。戦争は、争いは絶対になくならない、と。
「くそっ」
血を流し過ぎたせいか、視界が霞み足がふらつく。これは本格的にヤバいかもしれねえなと自嘲を浮かべ、せめてあの方を逃がすことができただけでもよかったと思った瞬間、ナイフの刃先に太ももを斬られよろめいた。そして鋭い切っ先が、真っ直ぐこちらに向けられる。
左手で防ごうとしたが、思うように動かない。その時、突然視界が遮られた。見慣れた華奢な背中。両手を大きく広げたその姿勢はまるで、十字架に磔にされた救世主のようだ。
「さあ、殺せ。死ねば僕は“神”になる」
久遠は驚愕のあまり、その場で硬直した。文字通り身を投げ出して久遠を庇った伶は、殺気が宿ったナイフを臆せず見返している。
殉教者とファヴェーラのキリスト、二人の睨み合いは数秒に満たないものだったが、久遠にとっては永遠に等しいほどの長さに感じられた。やがて、
「死ねば“神”になる、か。確かにそうだ。クリスマスに殺されたファヴェーラのキリスト、衆愚はそういう下らぬ符合が好きですからね」
『殉教者』は侮蔑を込めて吐き捨てると、くるりと身を翻して闇に融けた。呆気ない幕切れだったが、久遠が安堵の息をつけるはずもなかった。鳩尾の奥から熱塊とともに、怒号が飛び出す。
「何をやってるんだあなたはッ！ なぜ逃げなかった！」
伶の肩を掴んで激しく揺さぶる。彼に対しこんな乱暴な振る舞いをすることは、滅多にない。しかし伶は平然と受け流すどころか、厳しい表情で久遠を見返し、
「約束したはずだ。僕より先に死んではならないと」
「それはっ……」
「裏切りは赦さないよ、久遠」
容赦ない伶の言葉に、久遠はがくりと項垂れた。
「あなたは……非道い人だ。俺に、あなたの死を耐えろと言うのか……」
すると伶は打って変わって優しい声で、「大丈夫だよ」と答えた。
「大丈夫だよ。世の中に耐えられないことなんてない。僕だって、弟が死んだのにこうして生きている。君だって、僕が死んでも───」
久遠は最後まで言わせなかった。無理やり唇を塞ぎ、続くはずの残酷な言葉を舌で絡め取る。唇が離れると、伶は悪戯っぽく笑い、
「公道で堂々とキスするなんて、君も見かけによらず大胆だな」
そう言って濡れた唇を舐めると、首をちょんと傾げ、
「いや、見かけによらず、じゃないか。見かけ通り大胆と言うべきかな」
暢気に自問する伶に、久遠はつい溜め息がこぼれてしまう。
「どちらでもいいではないか。とにかくここにいるのは危険だ。移動するぞ」
「うん。でもその前に……」
伶は久遠の傷にそっと癒しの手を翳した。
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