ユダの弁明
―Love of the Betrayer―
17話＜聖痕の誓い＞
「―――ロマンスだ」
「だろ？」
伶はほんの少し照れたように笑うと、指先で目尻を掻いた。
「でもお前とのロマンスに関しちゃ俺の方が先輩だ。癒しを受けたのもお前を選んだのも、俺が先なんだからな」
「納得できない？ 参ったな。ただひとつはっきり言えるのは、もし僕と君が組んだとしてもうまくいかなかったということだ。僕は君の純粋さを畏れ、疎んじただろうし、君は君で僕のぬるいやり方に不満を募らせ、僕がうじうじと抱えている迷いや揺らぎを決して容認できなかったろうから。
僕が必要としていたのは正義の名の下に共に闘う戦友ではなく、僕のこの弱さや曖昧さを恕し、全てを引っくるめて僕を……愛してくれる人だったんだ」
湊は笑いもせず茶化しもせず、伶の頬から首筋を慈しむように撫でる。そうしながら、先刻会った久遠の姿を思い返した。伶の傍らで悲壮なほどの忠実さと生々しいまでの愛情を隠そうともせず、じっと控えていた久遠の姿を。
そして、その位置に立っている架空の自分を思い浮かべた。やがて彼は妄想の雫を振り払うように頭を振って、
「……なるほどな。確かにお前の言う“愛”は、俺には無理だ」
湊は自分に言い聞かせるように答えながら、伶のシャツをゆっくりと脱がせる。まるで、徐々に素肌が露わになる過程そのものを鑑賞するかのように。
「そう、君には……無理だ………」
シャツを滑り落とした湊は、間接照明を受けて蜂蜜色に輝く素肌に唇を押し当てた。そして首筋や肩、鎖骨から胸に舌を這わせて舐め回す。蜂蜜ほどの糖度はないが、ほのかに甘くて滑らかな舌触りに、一瞬我を忘れてのめり込みそうになった。
湊はいったん顔を上げて貪欲な舌を収め、手による愛撫を始める。胸に手のひらを滑らせながら、微かに芯を持ち始めたピンク色の粒を指先で弾いた。
伶は「んっ、」と鼻にかかる愛らしい吐息を漏らして、慎ましげに腰をよじる。ほとんど凹凸のない平らな胸なのに、匂い立つような色気があった。
初めて見る伶の身体に原始的な欲望を駆り立てられ、湊はそれが命じるまま顔を寄せて、ぷっくり勃ち上がった実に吸い付いた。そして舌先で転がしながら、
「質問の……順番を間違えたな。もっと大事なことを先に訊くべきだった………」
唇で挟み込んだまま喋っているため、時折歯がぶつかる。そのたびに伶は眉根を寄せて、ぴりぴりとした刺激と共に広がる性感の漣に耐えた。
その悩ましく歪んだ表情をもし湊が見ていたら、行為の優先順位をあっさり覆していただろう。
「伶、何故だ？ 何故あれほど隠し、持て余していた能力を突然使い始めた？ 何故危険を承知の上で単独行動を続ける？」
「弟が……死んだ。表向きは事故死ということになっているが、真実は……僕が殺したようなものだ」
伶の告白を受け、湊はゆるりと顔を上げた。しかし身体への愛撫はやめない。下穿きを少しだけずり下ろし、露わになった腰のラインを嫌らしくなぞる。
「弟が死んだのは知っている。お前が殺したというのはつまり、事故の原因はお前だということか？」
「そうだ。弟は僕と二人だけの閉じた世界を望んでいた。弟にとっては僕との生活が全て。他人の存在なんて邪魔でしかなかった。しかし僕はその世界を拒絶した。愛していないわけじゃない、いや、寧ろ誰よりも深く愛している、でも二人だけで生きていくのは不可能なんだとぬるい理論武装をして」
「理論なんて大したものじゃない。ただの現実だ」
湊にぴしゃりと言われて、伶は思わず苦笑を浮かべる。腕を伸ばして湊の首に巻き付け、
「うん、君の言う通り。ただの現実だ。でも弟は、蓮はその現実を恐れ、忌み嫌っていたんだ。だから蓮は、僕と二人きりの世界を取り戻すために賭けに出た。線路の上に車椅子を走らせ、僕に迫った。全てかゼロかどちらかを選べ、と」
湊は伶の身体をしっかり抱き取り、そのまま深い口付けを与えた。そして二人分の唾液で濡れた唇で伶の耳をついばみながら、
「それで、お前はどうしたんだ」
「もちろん僕は蓮を選んだ。彼のいない生なんて考えられない。しかしすでに遅かった。遠くにライトが見えたと思ったら、あっという間だった。蓮は僕の目の前で……」
言葉が続かず、絶句する伶を労るように抱き締めて目尻に唇を寄せる。声が震えているから泣いているのかと思ったが、予想に反してそこは乾いていた。
「お前、泣かねえのか。涙はもう……涸れちまったか？」
伶は薄く笑って、
「久遠にも同じことを言われた。僕は、泣けない。涙で悲しみを昇華させるなんて行為が、僕に許されるはずがない」
僅かな甘さもぶれもない張り詰めた声で答えると、伶は身体を起こして湊のボタンを外し始めた。前を肌蹴て厚く硬い胸板に唇を押し付け、味わうように滑らせてゆく。
そして心臓の上で動きを止め、奥から響いてくる鼓動を唇で聞いた。子供を殺す時、この胸はどんな声を上げるのだろうか。悦びの声か、悲痛の呻きか。それとも、何の声も上げず平常と変わらぬ鼓動を刻むのみなのだろうか。
湊は伶の頭を撫でながら、「自分を責めているのか？」と訊ねた。その声が内包する優しさ、温かさに、伶は思わずよろめきそうになる。彼ならきっと、安っぽい同情や慰めの言葉などかけず、ただ温もりだけで伶の膿み傷を癒してくれるだろう。
しかしそれはできない。伶は自分を叱咤した。自分は湊に対し、誠実であるべき義務を負っているのだ。
「もちろん、責めている。僕ほど罪深い者はいないんだ。湊、僕はもう一つ、君に打ち明けねばならないことがある」
伶はそう言って湊の首に両腕を回し、正面からその顔を見据えた。そして、
「僕は一度も、蓮の障害を癒すために手を翳したことはないんだよ」
「……何故だ」
「理由は単純だ。足が治って欲しくなかった。ずっと車椅子のままでいて欲しかった。そうすれば蓮は、ずっと僕に頼らざるを得ない。僕の傍から離れられない」
何も言わずただじっと見下ろす湊の眼が恐かった。眼差しの力に圧され、伶は抱き着いたまま顔を背ける。すると湊の手に顔を掴まれ、ぐいと正面を向かされた。
「顔を背けるな。真直ぐ俺を見て話せ」
伶は怖れと悦びをもって頷く。再び湊の眼を見据えると、甘美な電流めいたものが四肢の先まで伝わった。
そう、この眼。この眼に見据えられた者は、心の奥底まで覗かれたような恐るべき錯覚に陶然と酔い痴れる。そして全てをさらけ出す快楽に慄えながら、己れの醜さや犯した罪を嬉々として告白するのだ。
「蓮は……僕のものだ。誰にも渡さない。太陽のような子だった……けれど、太陽のようにみんなのものにはさせない。僕の、僕だけのものだ………」
湊はごくりと喉を鳴らして、腕の中の生き物が変容するさまに見入った。
淑やかに潤んだ瞳はぬらぬらと輝き、激しく生々しい飢えを晒す。いつも超然として、聖なるヴェールであらゆる生の感情を包んでいた伶の、剥き出しの叫び。
「醜い執着？ 腐った自己愛？ その通り。何とでも言うがいい。これが僕だ。ははっ、慈悲深き救世主が聞いて呆れるね。でも、湊……」
伶は揺れる瞳を一心に向けて、訴えた。
「信じてくれ。僕は本当に、本当に蓮を愛していたんだ……たとえそれが……壊れた愛でも………」
湊は何も言わず、ただ伶の身体を抱き締めた。骨が軋むほどの、呼吸がせき止められるほどの抱擁。やがて湊はぽつりと、
「お前ら、よく似てるな」
「似て…る？」
「ああ。お前と弟。そっくりだ」
嘗て一度だけ蓮に会ったことがあった。その時湊は彼の中に、愛と安らぎへの渇望を見た。彼の眼は、ストリートチルドレンにも負けないほどの激しい輝きを宿していた。そして今、あの時の蓮の眼と伶の眼が重なる。
「そう…か？ はは、初めて言われたよ………」
「だろうな。俺にしか分からねえよ、きっと」
湊は抱き締める力を緩めて、伶の顔に熱い視線を注いだ。伶はもう目を逸らさず、妖艶とすら言える笑みで受け止めた。
「呆れた、か？ 君たちが目の敵にしている男は救世主でも何でもない。エゴの固まり。ただの弟殺しだ」
湊は肯定も否定もせず、喉の奥で笑って、
「そうやって醜い感情をさらけ出すお前は、慄えるほど綺麗だ」
「湊……」
「理性を薙ぎ倒し、ただ感情のままに求めて求めて求める……。そういう激しさを秘めたお前が好きだ。愛している。ああ……ますますお前を………」
「殺したくなった？」
伶はさらりと訊ねて、不敵な笑みを向ける。君の考えなどお見通しだよとばかりに。そう、それが湊の愛し方なのだ。
伶はずっと考えていた。何故湊は新生の家を出てスイーパーになったのだろうかと。子供たちに慕われなかったから、新生の家に居場所がなくなったからという理由は、どうしても納得できなかった。湊らしくない。そして今なら、その理由が解るような気がする。
恐らく湊は、新生の家のやり方では子供たちに真の救いをもたらすことはできないと考えるに至ったのだ。
ファヴェーラの子供たちは何の目的も展望もなく、ただ生きるために生きている。そんな“無価値な”生に輝かしい死を与えることこそ、真の救いであると考えるようになったのだろう。
だから彼は子供を殺す。殺して聖なるしるし、聖痕を与えるのだ。愛の証として。杏樹ならば、湊の愛も壊れていると言っただろう。
「そうだな……でも今は殺すより……犯りたい」
「ここで？」
「嫌か？」
「ん……ベッドの上がいい」
湊は呆れたように笑って、
「神様は我がままだな」
そして伶の身体を抱き上げ、寝台の方へ移動した。
「ひ……ぃッ」
指で十分ほぐされたはずなのに、余りの重量と圧迫感に呼吸が止まりそうになる。身体がみりみりと音を立てて裂かれる感覚。伶は救いを求めるようにシーツを掴み、涙を染み込ませつつも、湊の快楽に奉仕する姿勢を貫いた。
四つん這いで膝を立て、尻を高く持ち上げて淫らに蕩けた陰部を差し出す。湊は迷うことなくそこに自身を突き立て、容赦なく腰を進めていった。
目に痛いほど白く艶やかな割れ目に、むきむきと血管の浮き上がったグロテスクな棒が呑み込まれてゆくさまは、眩暈がするほど淫猥だった。
まさに首の皮一枚で繋がった理性をよすがに、伶の秘部をなるべく傷付けないよう蕩かしていた湊だったが、本能と欲望の塊である雄の部分を埋め込んだ瞬間、全てが吹き飛んだ。
身体の芯でカッと燃え上がる炎に煽られるように、湊は勢いよく腰を進めた。と同時にぐじゅっと音がして、先走りと潤滑油が混じったものがとろりと溢れる。
それが伶の白い内股を伝い落ちるさまを眺めながら、湊は腰を上下に揺らした。すると陰茎を包む熱い粘膜がきゅぅっと収縮し、恐るべき浮遊感に襲われる。
「伶っ、お前……締め過ぎだ………」
「んっ……み…なとのが……すご………ぃ……ぁぁ…ん………」
「くっそ……もたねえ………」
先に達ってしまうのはプライドが許さないのか、それとも共に達きたいという感傷のゆえなのか、湊はいったん引き抜いて熱を冷ました。そして伶の身体を反転させて仰向けにすると、再び上にのしかかって同じ場所、同じ潤みに突き刺した。
「ゃぅっ………ぅ、ぁ…ん………」
普段の伶からは聞けるはずのない甘い声が、銃声や子供の悲鳴に慣れた湊の鼓膜を酔わせる。
せめて今だけは、美しいものに溺れていたい。湊はあらゆる現実を忘れて、目の前の美しい生き餌を嬲ることに没頭した。
腰を揺らして熟した蜜壺を掻き回しながら、胸に手を伸ばして紅くのぼせた突起を揉む。そして痼った芯の感触が指先に残るほど、強く押し潰した。
「ぅぁッ………ぁ、ぁ……みな、と……痛い………」
涙の膜を透かして訴える伶に、湊は酷薄な笑みを返して、
「痛い、けど気持ちいいんだろ？ 分かってるよ、ほら、」
今度は膨らんだ乳輪ごと摘んでぎゅぅっと潰す。伶は悲鳴を上げてシーツにすがったが、勃ち上がった性器から溢れる愛液の量が、湊の指摘の正しさを裏付けていた。
「あのお弟子さんとも、こうやって遊んでるんだろ？」
湊はねっとりした声で囁きながら、本格的な抽挿に取り掛かる。伶の足を持ち上げて身体を二つ折りにし、腰を激しく上下させて奥へ打ち込む。視線を落とすと、様々な液体でびしゃびしゃに濡れた結合部が、視界を艶やかに生々しく彩った。
腰をズッと引き上げると、灼けた鉄の色をした陰茎に南国の花を想わせる肉厚の紅い花びらが絡み付いて引きずり出される。煮え立つ性欲はそれを賞翫する間も与えてくれず、湊はすぐに腰を落として奥を穿った。
べちゃっと音がして濡れた皮膚と皮膚がぶつかるのとほぼ同時に、伶が「ぁぁッ」と声を上げて下半身をビクビク揺らした。
「何……だよ、まだ誘う気か……？」
そうは言ったものの、これが精一杯の強がりであるという自覚は痛いほどあった。これ以上伶の嬌態を見ていたら意識が飛んでしまう。湊はゆっくりと身体を前に倒して、繋がったまま伶の上に覆いかぶさった。
「このまま……お前を飼い殺しにするのも悪くねえな」
「飼い……殺し……？」
「ああ。お前に手錠と足枷を嵌めて、この部屋に監禁する。そして毎日犯し、嬲って、俺の奴隷にするんだ。お前は徐々に狂い、ガキ共のこともお弟子さんのことも忘れ、ただ俺が与える快楽を求めるようになる………」
伶は翳りを帯びた嗤いで一蹴した。
「君が……そんな頽廃を自分に許すはずがないだろう？」
湊もまた、同様に昏い笑みで応じ、
「そうだな、お前の言う通りだ……。俺がすべきことはただ一つ………」
湊はシーツの襞に埋もれた伶の手を取り、嫋やかな指先を、柔らかな手のひらを撫でた。
「伶……いつか必ず……俺はここを撃ち抜いて…………」
「み…なと……」
「聖なる証を与え……お前を殺すっ………」
湊の宣告を微笑みと共に受け入れ、伶はそっと目を閉じた。それを合図に湊はガツガツと腰を打ち付け、二人はあっという間に高みへ昇り詰めた。
湊の熱い精が注がれるのを全身で感じながら、伶は湊が放った熱い銃弾に撃ち抜かれる瞬間を想像し、目眩く悦びに打ち慄えるのだった。
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