Everlasting Melody

８.

その夜。楽しい食事を終えてゆったり風呂に浸かった二人は、再びあの部屋にいた。

尭村の母が生前使っていた部屋。窓から射し込む月明かりと、間接照明がもたらす琥珀色の陰翳をまとったピアノの前に並んで座り、時折鍵盤をぽろんと叩いてはその響きに聞き入った。

「お前のお陰で、このピアノは呪縛から解放された」
「え…？」

何の前置きもなく、尭村はまるで独白するかのように抑揚のない声でぽつりと言った。純は尭村の横顔に視線を注ぎ、続く言葉を待つ。

「俺たち家族はみんな、まるで腫れ物に触るかのようにこのピアノを扱っていた。死んだ母親の思い出と余りに密接で、処分することもできず、かといって新たな思い出を刻んでやることもできない。お前も気付いたと思うが、母親が死んだ時からこの部屋の時間は止まったままなんだ」

純は神聖な夜の興趣を乱さぬよう、そっと身体をすり寄せて尭村の腿の上に手を置いた。尭村はその上に自らの手を重ね、力を込めて握る。

「でもお前が弾いてくれたお陰で、このピアノは本来の姿を取り戻した。止まっていた時間は、再び流れ始めたんだ」
「それで……よかったの？」

純はおそるおそる訊ねた。過去に囚われず前へ向かって進むべき―――それが正論だと分かってはいるが、思い出に微睡むことで傷付いた心が癒されることもあると知っていたから。常に前向きでいられるほど、人間は強くない。

しかし尭村は力強く頷いて、

「これでよかったんだ。親父も額賀も、晴れやかな顔をしている。こういう感傷的な物言いは好きじゃねえが、母親もきっと………天国で喜んでいるだろう」
「うん、僕もうれしい………」

微かに震える声で自分の気持ちを伝えた純は、少し逡巡した挙句思い切って口を開いた。

「あの……尭村さんのお母さんってどんな人だったの？」

尭村は一瞬苦しげに目を細めたが、すぐにいつもの端整な表情に戻った。そして、

「そうだな、ひと言で言えば、我慢強い人だった。俺は、母親の笑った顔しか記憶にない。どんな時でも、身体中をガンに侵されても恐くない、痛くない、苦しくない振りを必死でしていた」
「ああ……」

純は思わず両手で顔を覆ってしまう。淡々と語る尭村が、余りに痛々しくて。

「たぶんそうすることで、病に打ち勝とうとしていたのだろう。というか、それしか方法がなかったんだ」

小刻みに震える純の肩を抱き寄せて、優しく撫でる。そして僅かに口調を速めて続けた。

「母親を襲ったのはスキルス性癌と呼ばれるもので、発見が難しい上進行が早い。見つかった時には、もうどうにも手が付けられない状態だったそうだ。親父は悩んだ末、病院から家に引き取って在宅看護することにした。最期の時を、家族に囲まれて過ごさせてやろうとしたんだ」
「先生が……」

尭村はフッと柔らかな笑みを漏らして、

「こんな話するつもりじゃなかった。悪かった」

純は何と答えてよいか分からず、ただ目の縁に涙を溜めて何度も何度も首を振った。尭村は無骨な指先で、涙の珠をそおっと拭ってやる。そして濡れた目尻にふわりと唇を押し当てて、

「なあ、純。コンクールは終わっちまったが、これからもこのピアノを弾いてくれ」
「は、はいっ」

過去の思い出を慈しみつつも、また新たな思い出を刻んでゆく。純は、自分がその役目を担えることを、心の底から嬉しく思った。

「月明かりが綺麗だ。こういう夜には―――」

尭村の言葉に応え、純は鍵盤の上に指を翳す。そしてゆったりと弾き始めた―――ドビュッシーの『月光』。

尭村は隣で、降り注ぐ月光の化身の如く澄んだ音色に聴き入る。鍵盤を滑る白い指先を眺め、薄闇の中で暈然と輝く横顔に見入り―――

「ゃっ………ん…………」

突然耳に口付けを贈られ、純は小さな悲鳴を上げて身体を震わせた。ピアノはタァ…ンと控え目な不協和音を響かせて、穏やかな夜陰に微かな漣を広げた。

「お前……ピアノ弾いてる顔、色っぽいな」
「も……からかわない…で………」

恥ずかしそうに俯いて、続きを弾こうとする。しかし―――

「んふっ………だ、めぇ………」

再びキィ…ンと甲高い不協和音が。いつの間にか純の前は寛げられ、股間の辺りで何かがもぞもぞ動いている。

「あきむらさ……手、手…いやぁ………」
「ん？　嫌か？」

純はこくこく頷いて、「手を抜いて…」と訴える。尭村は「分かったよ」と応じると、さらに激しくいやらしく手を動かしつつ引き抜いた。

すると同時に、やんわり勃ち上がった桜色のペニスも飛び出して、冷ややかに澄んだ外気に驚いたのかぷるんと揺れた。尭村は笑いを含んだ声で、

「なんだ？　ずいぶんと可愛いモノが出てきたな」

純は慌てて仕舞おうとするが、それより先んじて尭村の大きい手に握り込まれてしまい、その手を上からぺちぺち叩くことしかできなかった。

もちろん尭村はそんな抵抗に構うことなく、握ったり緩めたり巧みに力を加減しながら可愛がる。

純の分身はあっという間に膨れ上がり、尭村の手のひらに健気な鼓動を刻み込んだ。さらにくにゅくにゅと上下に扱きながら、耳許に口を押し付けて、

「ご褒美……欲しいんだろ？」

身体の蕊まで蕩かすような甘い低音を注ぎ込む。純は身体じゅうをぶるぶると震わせて、注がれた囁きを反芻する。しかし悩ましげに眉根を寄せて、

「だって……だって僕ぅ……なんにもしてないもん。閉じ込められてただけで………」
「そうか……なら、ご褒美は要らないんだな？」

尭村はそう言って、薔薇色に膨れた先端の小さな割れ目を親指でぷちゅ、と押し潰した。と思ったら優しく円を描くように撫でる。

するとそこから透明の蜜珠が次から次へと生まれて、とろとろと滴り落ちた。純は啜り泣きをこぼして、

「欲しくても……ご褒美もらえないもんっ………ばかぁ………」

肩を揺らしてしゃくり上げるたびに、手の中の性器がくちゅくちゅと鳴く。生温かく蕩ける蜜の感触は余りに甘美で、尭村は思わず喉を鳴らした。

限界ぎりぎりまでせり上がった情欲の熱を何とか抑えて、努めて冷静な声で、

「でもお前はがんばった。毎日毎日一生懸命練習して、それが浅倉の自信にも繋がったんだ。浅倉が今日、堂々とあの舞台に立てたのはお前の力あってこそなんだぞ」
「ほ……ほんと……？」
「ああ、本当だ。もう一度訊くぞ。ご褒美は欲しくないか？」

純はんくっと喉を鳴らして嗚咽を呑み込み、

「ほしい……ご褒美ほしいの。いっぱい………」

尭村は唇を舐めて満足げに嗤い、「いい子にはたっぷりご褒美あげないとな」と囁いた。




尭村の寝室へ場所を移した二人は、ベッドの上で向かい合わせに座り、身体を密着させていた。

もちろん二人とも一糸まとわぬ姿。裸でこの姿勢をとれば、必然的に互いの性器も触れ合う。脚を広げて尭村の上に座った純は、自ら腰を揺らして勃ち上がった自身を尭村のそれにこすり付けていた。

灼けつく熱さとぬめる感触が悶えるような性感を喚び、純は切ない喘ぎをこぼしながら夢中で腰を揺らしていた。

「こうした方が……もっと気持ちいいぜ」

尭村は片手で純の腰を抱いたまま、片手で二人分の性器を掴む。そして手首をひねって、グリッ、グリッ、と揉み合わせた。

「ああッ、ィィ、ィィッ…………」

純は尭村の首にしがみ付いて快感を訴えた。

「純、見ろよ……二人分だぜ。すげえだろ」

尭村は手を離し、純の顔の前に翳してみせる。それは二人分の愛液に塗れ、指先からぽたぽたと滴るほどだった。

「んっ……すごぉい………」

純は嬉しそうに目を細め、手首を掴んで自分の方へ引き寄せる。そして濡れた指先に吸い付いて、ちゅっちゅっと音をたてつつ丁寧に舐め始めた。

「んふっ……ん、んっ………」

鼻から抜ける可愛らしい吐息が指にかかり、尭村は思わず目を細める。さらに純は指を深く咥え込み、舌を絡めてぬるぬると滑らせた。

「いい表情だ、純………」

巧みな舌先と艶めく表情に、尭村自身の質量もさらにぐんと増す。尭村は空いている手を純の股間に差し込み、そのまま後ろへ滑らせて目的の場所へ、狂気じみた快感を生み出す甘美な秘部へと進めた。

純はぴくんと身体を揺らしたものの、指を舐めるのをやめようとはしない。尭村は、すでに愛液が滴ってどろどろに濡れ、陵辱への期待にひくひく蠢く花芯に指を一本突き入れた。

途端に熱い肉壁がきゅぅっと収縮して、ささやかな異物を締め上げる。

「はッ……すげえな………」

尭村は感じ入ったように呟くと、さらに一本、もう一本と指を埋め込んだ。合わせて三本の指を純の中へ収めると、尭村は手首を繰り返しひねって柔肉を掻き回し、時には鉤状に曲げた指先で奥のささやかな突起をそっと掠めた。

「ああーーーッ、あ、ああっ……ン…………」

さすがに純は悲鳴を上げ、尭村の首にしがみ付く。

「も……だめ、おしり……だめ…………」

尭村は陰湿な笑いを漏らし、さらに勢いをつけてズボズボと指の出し入れを始めた。見て確かめなくても指に伝わるぬめりだけで、今や花は咲き誇り、濡れ紅に色づいた花びらはとろとろに蕩けていることが分かる。

「純っ……欲しいか……？」

もはや言葉も情欲の彼方なのか、純は黙って何度も頷くことで自身の欲望を伝える。

尭村は指を抜いて純の膝を下から抱え、淫らな潤みに自身の先端を宛がった。そしてそのままゆっくり下ろし、純の身体を生きた凶器で串刺しにした。

「イヤアアアーーーーッ、アッ、アアッ……ぁ………ふぅ…ん…………」

内臓ごと押し上げるかのような重量感、圧迫感に悲鳴と涙をこらえることができず、泣き叫びつつも白い精を吹き上げた。

たっぷり時間をかけて射精した純は、四肢を小刻みに震わせて余韻の電流が駆け巡るのを味わった。やがて我に返り、かくんと首を折って「ごめんなさい…」と謝った。

「挿れただけでイッちまったぜ、お前。しかもすげえ量飛ばしてくれたな」

そう言って、腹や胸に掛かった白濁を指ですくい舐める。純は鼻をくしゅくしゅ鳴らしつつ、もう一度「ごめんなさい」と掠れ声で謝った。

「ずっと我慢してたのか？　ん？」

優しくあやすような問い掛けに、こくんと頷いて、

「がまん……してたの………」
「いい子だ……」

慈しみを込めて甘く囁いたのも束の間、「俺も限界だ」と物騒な低音を叩き付けて、膝を抱え直した。そして「しっかり掴まってろ」という命令と共に、腰をがくがくと上下に揺らして奥座を突き上げた。

「んあっ、あっ、ああっ、」

逞しい首に腕を巻き付けたまま、純は喉を反らして切なく喘ぐ。一度溜まりきったものを存分に吐き出したペニスは柔らかくふわふわしていたが、突然の激しい突き上げに反応し、ぴく、ぴく、と震えながら角度を変えていった。

「ぁぁ………す…ごいのぅ……奥……まで………ぁぁ…ん…………」

腰を突き上げると同時に抱えている純の身体を落とす。重力の助けも借りて二人の交接はより深くより密になる。内臓ごと掻き回されているかのような恐るべき錯覚に、純は戦慄と悦びを覚えた。

「ぁ………ぁぁ…ぁ、ぁ…………」

半開きの唇からこぼれるのは、もはや爛れた母音と涎のみ。尭村に貪られるだけの生餌と成り果てた純は、時折四肢を波打たせては暴虐的なまでの性感を訴えた。やがて―――

「ぐっ………」

疾うに限界を超えていた尭村は喉の奥で低く唸り、純の尻を掴んで自らの股間に押し付けた。そして腰を微かに揺らしつつ、沸騰寸前の精液をどくどくと注ぎ込む。

収まりきらぬ精が結合部からじわじわ溢れ出てもまだ止まらず、ようやく出し切った時には溢れたモノでシーツまでびしょびしょになっていた。

「ははっ………どんだけ出たんだよ………」

半ば呆れたように呟くと、純は「ふぅん…」と吐息を漏らして「お腹が重ぉい…」と淡く笑った。尭村も「だろうな」と言って笑うと、純の腰を持ち上げて突き刺したままの自身を引き抜いた。

「ああっ…ん………や、やだぁ……も………」

収まっていた白濁がどぷどぷと流れ出て太ももを伝い、シーツに大きな染みを作る。純は真っ赤な顔でおろおろしつつ、次々と溢れる液体を何とか堰き止めようとする。

「別に構わねえよ。つうか、まだまだこれからだからな」

宣告と同時に純の身体を押し倒し、上からのしかかって脚を大きく広げる。たった今執拗にこすり上げたばかりの秘部は熟した柘榴のように赤く腫れ、白い蜜に塗れてぐじゅぐじゅと蕩けていた。

「いい眺めだ……」

尭村は感慨込めて呟くと、すでに臨戦状態の怒張を無造作に掴んで押し当て、熟した果実に埋め込んでいった。

「ふぁ……ぁぁ……ぁん………」

純はシーツをきゅっと掴み、自らの指を食んで悶えながら熱い楔を受け入れる。長時間におよぶ行為で恐ろしいほど敏感になった純の柔肉は、くにゅくにゅと蠕動しながら侵入者に絡みついた。尭村は思わず眉をしかめ、

「暫く……堪能させてもらうぞ」

さっきのような激しい注挿ではなく、ゆったりとした律動で腰を揺らしつつ蕩ける肉の感触を味わった。

「んふっ………ん、んんっ………」

純もそれに合わせて腰を振る。すると平らな胸の上で健気に存在を主張する紅い実が、ふるんふるんと揺れて尭村の目を悦ばせた。腰を使いながらそこへ手を伸ばし、下から揉み上げてぷちっと潰す。

純は痛みと快感のせめぎ合いに「きゃふっ」と声を上げ、シーツにしがみ付いていやいやと首を振った。

「お前は本当に………可愛い」

傍から聞けば微笑ましい睦言かもしれないが、尭村の声は微笑ましさとは対極の生々しい欲望で淀んでいた。

食べてしまいたいほど可愛いとは、よく言ったものだ。恐らくいつか、この身体を愛しさの余り喰い尽くしてしまうに違いない。

「純……純………お前は俺のものだ………」

愛しさに駆られて腰の動きも徐々に早まり、気が付けば、二つ折りにした身体を上からガツガツ犯していた。純が力ない悲鳴を上げて意識を手放すのは、それから僅か数秒後のことだった―――




「へいきっ、平気ですってば！」
「何が平気だよ。脚がふらふらしてんじゃねえか」

翌日の朝。何とか遅刻せず学校に着いた二人だったが、階段の下で揉めていた。近付いて両手を差し伸べる尭村に対し、純は手摺りにしがみついていやいやと首を振る。

「ほら、意地張ってねえでこの前みたいに大人しく抱かれろ。教室まで連れて行ってやるから」
「大丈夫です！　階段くらい上がれるもんっ」

真っ赤な顔で怨めしげに見上げる純に、尭村は呆れたような笑いを向けて、

「今さらなに恥ずかしがってんだよ。ゆうべ散々乱れておいて」
「ば、ばかばかばかぁっ、なんてこと言うんですかっ」

どこからどう見ても、最強の痴話喧嘩。にやにや口許を緩めて眺める者、頬を赤らめてそそくさと通り過ぎる者はいるが、もちろん仲裁に入ろうなんて無粋な輩がいるはずもなく。

と思ったら二人の学生が徐に近付いてきた。

「尭村先輩、秋原先輩、おはようございます」

見れば浅倉と相澤が、微妙な笑みを浮かべて立っていた。純はぱあっと顔を輝かせて「おはようっ」と元気いっぱい応え、尭村も親しげに目を細めて「おう」と返す。

「どうしたんだ、お前ら。そんな改まって」

尭村の問いに浅倉は神妙に頷き、

「はい。ちょうど今職員室に呼ばれて行ってきたところなのですが、選考会の結果、僕が研修生に選ばれました。ありがとうございました」

誰より大きな反応を示したのは純だった。「ほんとっ？」と飛び上がって浅倉のもとに駆け寄ろうとする。しかし膝と腰がかくんと折れ、その場にへなへなと座り込んでしまった。

「わっ、純先輩！　大丈夫ですかっ」
「ふ、ふぇぇ………だいじょうぶ………」

慌てて助け起こそうとする後輩たちを、純は顔を真っ赤にして押し戻した。尭村は肩を竦めて、

「だから言っただろう。腰が立たねえんだろ？　素直に助けを借りろよ」

そんなはっきり言わなくたってっ、と純は咎めるように睨み付ける。相澤は呆れたと言わんばかりに溜め息をついて、

「まったく、誰のせいなんですか」
「ああ？　俺のせいだ、もちろんな」

ふてぶてしいとしか言いようのない答えに、相澤の溜め息はさらに深まる。そっと純に近付いてしゃがみ込み、

「純先輩、もっと身体を大事にしてください。あなたは俺の想い人なんですから」
「ほえっ？」

尭村のいる前で、堂々と純へ告白する相澤。当然のごとく尭村の表情は冷たく硬直し、二人の間に割り込もうと近付く。が相澤は「でも、」と言葉を続け、険悪な顔つきの尭村を見つめた。

「でも、俺はあなたにも惚れてるんです」

相澤はさらりとそう言うと、にっこり笑ってみせた。突然の意外すぎる告白に完全に毒気を抜かれた尭村は、「気持ち悪ぃんだよ」と吐き捨てつつも苦笑を浮かべた。相澤の“告白”に込められた想いを覚ったからだ。

これからも、秋原先輩を大事にしてください―――

「あ、相澤くん、尭村さんのこと好きなの？」
「はい、好きです」

純はすがるような眼差しで見上げて、

「だめ、だめぇ………好きになっちゃ。尭村さんは……僕のなんだから………」

控え目で且つ見当違いの宣戦布告をする。それでも尭村は嬉しそうに目を細め、純の頭を優しく撫でた。

「相澤、悪いが今日はお前が純を教室まで送ってやってくれ。俺は浅倉に用事があった」

相澤は驚きを隠さず尭村を見つめたが、やがて「分かりました」と頷いて純をそおっと立たせた。

さっきまでは恥ずかしがって固辞していた純だったが、いざ尭村に突き放されるとちょっと淋しくなってしまう。

「さあ、純先輩、掴まって。ゆっくり上がりましょう」
「う、うん。ありがと……」

二人が階段を上がってゆくのを見送ると、尭村は浅倉に向かってある頼みごとをした。それを聞いた浅倉は屈託ない笑顔を咲かせ、「ぜひやりましょう」と明るい声で請け負ったのだった。




それから一カ月後、第二音楽室でささやかなコンサートが開かれた。浅倉自らが率先して企画したそのコンサートでは、選考会で弾いたフランクの曲はもちろん、シューベルトの『アヴェ・マリア』やマスネの『タイスの瞑想曲』など、誰もが知っている名曲が演奏された。

ピアノ伴奏はもちろん純。浅倉と共に練習してきた成果を、審査など関係なく自由にのびのびと披露するその表情は、穏やかな幸せに溢れていた。

このコンサートが尭村の依頼で開かれたということを、純は知らない。
（Fin）


＊最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました♪

BACK　　　　　　TOP　　　　　　INDEX