Bitter Simulation

４.

「純、そろそろ夕食だとさ。腹減っただろ？　行こうぜ」
「はい………あれ？　どこへ―――」

テラスから庭へ出ようとする貴仁を不思議そうに呼び止めつつ、素直に後に従う。

「庭に用意してあるそうだ。ほら、もうみんな集まっている」

貴仁の言う通り、芝生の上に白いテーブルと椅子が並べられている。大小さまざまなキャンドルで彩られ、神秘的で且つ温かみのある空間が演出されていた。

「うわあ……キレイ………」
「ああ。あの婆さんにしちゃ洒落たことやるな」

半ば予想できたことではあったが、二人が近付くとみな一斉に視線を尖らせて遠慮なく投げ付けてきた。

純はたじろいで、思わず貴仁の後ろに隠れる。すると貴仁は腕を広げて純の肩を包み込み、一番隅の席に誘導した。もちろん自分もその隣に腰を下ろす。

「貴仁、そこは末席ですよ。あなたはこちらに来なさい」

すかさず絹代の厳しい声が飛び、自分の斜め前の席を指差す。しかし貴仁は笑って、

「俺はここでけっこう。床の間じゃあるまいし、末席もクソもねえだろ。俺の席には成仁坊ちゃんをどうぞ」

絹代はぎろりと睨んだが、何を言っても無駄だと覚ったのか、

「成仁、こちらへ。仁志の隣に座りなさい」
「……はい」

尭村は大人しく、言われた通りの席に座る。その席からだと、嫌でも寄り添う二人の姿が視界に入ってしまう。しかしぐっとこらえて悠然と構える。

すると、そんな尭村の努力を嘲笑うかのように、貴仁は純のナプキンを広げてあげたり風で乱れた髪を直したり、世話を焼くふりをしてイチャつき始めた。

―――くっそぉ……そこまでやるこたねえだろっ。色々触りすぎなんだよッ

腿の上に置いた手をぐぐぐ…と握り締め、込み上げる怒りを抑える。そんな甥っ子の様子を隣の仁志は不審そうに見ていたが、はっと目を見開いて、合点がいったとばかりににやりと口許を緩めた。なるほど、そういうことか、と。

「さあ皆さん、明日はパーティーですから、今宵は気を張らずのんびり過ごしてください。不愉快な人間のことは忘れて」

絹代の遠縁で長年世話をしている女性が立ち上がり、強張った声で夕食会の始まりを告げた。こうして、決して和やかとは言えない淀んだ空気のまま、食事が始まった。

「純、どうした？　口に合わねえか？」

なかなか皿の上のものがなくならない純を気遣って、貴仁が声を掛ける。純は慌てて首を振り、

「い、いえ……とても美味しいです。こんな……僕の分まで用意してもらって………」
「阿呆か。そんなの当たり前だろ。まあ、今どきフランス料理のフルコースってな、相変わらずの鹿鳴館趣味だ。無理して食わなくていいぞ」

純は小さく頷いて、

「ごめんなさい、喉を通らなくて……」

それも仕方あるまい。二人の向かいには、絹代が満を持して連れてきた貴仁の再婚候補がずらりと並んで、錐のような視線を向け続けているのだから。

この状況で、ニース風サラダとかオマール海老のジュレをぱくぱく食べられるような、鋼の神経は持っていない。

しかし周りの人間はみな前菜を食べ終わって、すでにメインが運ばれている。すると給仕がすっと近寄り、この上なく冷たい声で「お口に合わないようですね」と言い放った。そして純の許可も得ず、全ての皿を下げてしまった。

「すみません………」

純はできることならこのまま消えて失くなりたいとばかりに肩をすぼめ、周囲からの咎めと嘲りを含んだ囁きに耐える。失礼しちゃうわね、招かざる客のくせに、きっと高級なもの食べたことないのよ―――

「酷えな。そこまですることないだろうが。なあ？　成仁」

仁志は向かいの絹代に聞こえないよう声を潜めて、隣の尭村に耳打ちする。しかし隣からの反応はない。純に対するほとんど苛めに近い扱いに、尭村は爆発寸前でそれどころではなかったのだ。

全員のテーブルにメイン料理が運ばれているというのに、純の前にはフォークすら置かれていなかった。

「……ざけんな…………」

怒りの熱でどろどろに煮詰められた低音が唇から漏れる。仁志はすっと目を細めて、

「このままでいいのか？　お前の大事な大事な………後輩なんだろ？」

その囁きが引き金になったのかは本人にも分からないだろうが、ともかく尭村はテーブルに両手を突いて立ち上がろうとした。が、それより僅かに先んじて貴仁が立ち上がった。

「純、向こうのテーブルに行こう。こんなとこで飯なんか食えるか」

しかし純はそっと首を振り、

「いえ、せん……貴仁さんは残ってください。僕は部屋に戻っていますから………」
「却下。俺はお前と一緒に食いたい。ついでにお前も食いたい。純、俺を見捨てるなよ。ほら、」

貴仁は人懐こい笑みを浮かべてぬっと手を差し出した。余りに自然で邪気のない誘いに、純の戸惑いは消えてしまった。素直にその手を掴んで、そしてふふっと笑う。

「ああ、その笑顔で俺は救われる。純、お前が俯く必要はないんだ。顔を上げて堂々としてろ。恥ずかしいのは、ぐちゃぐちゃ陰口叩く奴らの方だ」

貴仁は毅然とした口調でそう言うと、さっきの給仕に「まともな飯持ってこい！」と怒鳴った。そして純を連れ、少し離れた円形のティーテーブルに腰を落ち着ける。

「ああ、やっと寛げる」

先刻とは打って変わって神妙な顔付きの給仕が、恭しく料理を運んできた。

「さあ、食うぞ。仕切り直しだ。改めて、乾杯」

純のグラスにチン、と縁を合わせて陽気に微笑む。純もつられて笑い、「いただきます」と言って焼きたてパンに手を伸ばした。そんな二人を仁志は横目で眺めつつ、

「成仁、先越されちまったな。残念」

しかしまたしても尭村からの反応はない。さっきとはまた別種の怒りに囚われていた尭村は、グラスの中のワインを一気に飲み干して荒立つ感情を静めようとした。しかし―――

「純、この肉ちっと硬いから、小さく切ってやるぞ。ほら、」
「あ、ありがとうございます。あの、自分で食べますから……」
「遠慮するな、って。ほら、口開けて。あーん………よしよし、いい子だ。旨いか？」
「はぁい、おいしいですぅ……」

あむあむ口を動かしながら、にっこりと笑う。貴仁はこれ以上ないほど目尻を下げて頷き、次に食べさせてやるものを物色し始めた。純はちょこっとふくれて、

「僕ばっかり食べてます。ね、貴仁さんもちゃんと食べるの」
「分かった分かった。で、純はどれを食べさせてくれるんだ？」
「えと……あの…………」

純はもじもじしてためらったが、貴仁が嬉しそうににやついて待っているのを見て観念した。

鴨肉のパテを切ってフォークに刺し、手を添えて口許へ運ぶ。貴仁はぱくっと食い付いて素早く呑み込んだ。

「うん、旨い。やっぱり食事には環境ってのが重要なんだな」
「ふふっ、そうですね」

秘めやかに笑って同意する純の頬を大きな手のひらで包み込んで、ふわふわと撫でる。

「おお、この頬肉もソテーしたら旨そうだ」

純はむぅっと膨れたと思ったら、ぷっと吹き出してくすくす笑った。つられて貴仁も肩を震わせて笑う。

小さなティーテーブルの上で食事は和やかに進み、どんな険しい視線も寄せ付けない二人の世界が出来上がろうとしていた。その時、

「お前ら気持ち悪ぃんだよ。飯がまずくなる」

尭村が立ち上がり、二人の方へゆっくり近付いていった。純はびくんと跳ね上がって、痛々しいほどの怯えを見せる。しかし尭村は容赦なく視線を尖らせ、

「俺の前でイチャつくな、失せろ。顔も見たくねえ」

重い怒気を含んだ声を、明らかに二人にではなく純に叩き付ける。

「あ、あきむらさん………ぼく…………」
「うるせえんだよ。さっさと部屋に引っ込んで、そこで楽しくやればいいじゃねえか」
「ぁ…………」

ショックと悲しみで瞬きを忘れ、大きく見開いたままの瞳から、涙の珠がひとつ、ふたつ、ころころとこぼれ落ちた。

「ごめ…なさぃ……ごめんなさい………」

嫌悪感剥き出しの視線に耐えられず、顔を伏せて何度も謝ると、純は立ち上がって走り去ろうとした。が、同時に立ち上がった貴仁の胸に抱き留められ、顔をうずめて泣きじゃくる。

「よしよし、いい子だ………」

貴仁は純を優しくあやすばかりで、尭村への怒りを見せようとはしない。やがて顔を上げ、

「悪かったな。俺らは部屋に引っ込んで大人しくしてるよ。お前は楽しい食事を続けてくれ。ほら、大事なお婆様がお待ちだぞ」

そしてほんの一瞬、馬鹿にしたような笑みを閃かせて、純を抱き締めたまま屋敷の中へ戻っていった。

結局、二人が去ってからも夕食会はだらだら続けられた。尭村はその間、罪悪感と悔恨に襲われて何度か腰を浮かせたが、そのたびに絹代に話しかけられ、仕方なく席に戻った。

あいつはまだ泣いているだろうか。それとも親父に優しく慰められて、涙を拭きながら必死に笑顔を拵えているだろうか―――

純の性格上、どんなことであっても、恋人のフリなんてバカバカしいことであっても、いったん引き受けたことはちゃんとやり通そうと努力するに違いない。

そういうクソ真面目で要領の悪いところが純の長所でもあり、魅力でもあると分かってはいるのだが、どうしても苛立ちを抑え切れずそのままぶつけてしまう。

分かっていながら抑えられないのはまんまガキの証拠だ―――貴仁の言葉が鳩尾にずしりとくる。

ともかく早くここを出て家に帰りたい。純を自分の腕に取り戻したい。そんなことばかり考えつつ、尭村はこの苦痛の時間を何とかやり過ごしたのだった。




だらだら続いた夕食からようやく解放され部屋に戻ろうとした時、背後から声を掛けられた。

「ねえねえ成仁。シャワー浴びたらあたしたちの部屋で飲み直さない？」

美伽と留伽からの艶めくお誘い。大抵の男なら、必死に下心を押し隠しつつ頷いてみせるところだろう。が、

「そんな気分じゃねえんだよ。じゃあな」

あっさり背中を向けて去ろうとする尭村の腕に自分の腕を絡ませて、

「むしゃくしゃしてるんでしょ？　ばかね、そういう時こそ楽しくぱあっとやって、嫌なこと忘れるの。ついでに気持ちいいこともする？」

そして尭村の正面に回り、胸や腰をぐいぐい押し付けてくる。

「何だよ、それ。もっと奥床しい誘い方はねえのか。性欲処理なら他の男に頼めよ」

尭村は呆れたようにそう言って身体を引き離し、明らさまに嫌悪を露わにしつつ部屋に戻っていった。置き去りにされた美伽と留伽は顔を見合わせ、

「相っ変わらずムカつく男ねっ」
「ホント、何様なのよ！」

腹立ちまぎれに罵倒したが、はあと溜め息をついて、

「でも、いい男なんだよねえ……」

本音をぽつりと漏らしたのだった。




「月が……キレイ………」

テラスに出た純は、夜空を見上げてぽつりと呟いた。が、そのわざとらしい響きが急に気恥ずかしく思えて、思わず俯いてしまう。

そう、今は月なんてどうでもいい。ただ、隣の部屋が気になったから外に出てきただけなのだ。

―――尭村さん、もう寝ちゃったかなあ………

そろそろと顔を上げてテラスから身を乗り出し、隣の部屋を何とか覗き込もうとする。テラスは真っ暗だったから、もう寝てしまったのか或いはベッドで本でも読んでいるのか………

本当は、夜になったらこっそり部屋を訪ねようと思っていたのだ。他の宿泊客にばれないよう気を付ければ、部屋で少しだけ話すくらいはできるのではないか。

今日はほとんど尭村と会話をしていない。こんな近くにいるのに、たった半日言葉を交わしていないだけで遠い存在になってしまったかのように思えてしまう。

そんな淋しさを、不安を埋めたかったのだが、結局こうしてテラスから隣の部屋を窺うことしかできなかった。会いたいけれど、「何しに来た」と冷たく追い返されるのが恐かったのだ。

「純？　そんなところにいたのか」

純に続いてシャワーを浴びた貴仁が、テラスに出てきた。隣を覗き込もうと伸ばしていた首を慌てて引っ込めて、にっこり笑顔を向ける。貴仁も笑顔を返し、純の背中にゆったりと腕を回した。

「今日は疲れただろ。嫌な思いもさせちまったし………」
「いいえ、そんな……僕は大丈夫です。気にしないでください」

貴仁は安堵の息と共に「それなら良かった」と囁いて、背中を抱く手に力を込める。

「明日のパーティーが本番だ。親戚以外にも、婆さんの友人や知人がたくさん訪れる。今日以上に好奇の目に晒されることになるだろう」
「はい。僕がんばります。先生の恋人に相応しいと思われるように振る舞って、意に反した再婚話に先生が煩わされることのないように―――」

言い終わらぬうちに強く抱き締められ、純は思わず息を呑む。

「せん……せい……？」
「本当に…頑張るか？　明日までちゃんと俺の恋人として振る舞えるか？」
「はい、はい……ぼく………」
「分かった」

貴仁はたったひと言重々しく言い置くと、純の身体をふわりと抱き上げた。そして純の窺うような眼差しを無視して、そのまま隣の続き部屋―――寝室へ入っていった。

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