＜暗転＞・５１
「もしもし……あの、純です。ご無沙汰しております。それで………」
純は受話器を耳に押し当てたまま、自らを鼓舞するようにふぅっと息を吐く。そして言葉を続けた。
「父に……伝言をお願いします。日本の学校への編入を希望するので、手続きを始めてください、と」
声は震えていたが、はっきり伝えることができた。しかしそれだけで気力を使い果たしてしまった純はがっくり肩を落とし、疾うに回線の切れてしまった受話器をいつまでも握りしめていた。
「まさと……まさとぉ…………」
我を忘れ身を焦がすほどに激しい交合に溺れ、雅人の腕の中で意識を失う。これまでもそういうことは多々あった。
しかしこれまでと決定的に違うのは―――
「まさ…と………ぅぇっ、ぇ、ぇぇっ……………」
快楽の余韻に微睡む幸せそうな表情など影すらなく、眉根を寄せ、唇を噛み締め、時には無意識のうちに泣きじゃくりながら必死にすがってくる。
何が純を追い詰めているのか分からない。「何かあったのか？」と訊ねても黙って首を振るばかり。とてもじゃないがこんな状態の純を残して二晩も外泊できないと、いったんは参加を決めた屋外授業を欠席しようとした。
しかし何故か純は頑なで、「出席しないとだめ」と言って譲らない。雅人は仕方なくそのまま参加することにしたが、帰ってきたら一度じっくり問い質そうと決めた。
純の身に、自分の考えが及ばないところで何かあったのは確実だった。多少厳しい追及になっても、とにかく何があったのか聞き出して二人でできることを探そう、そう決めたのだった。
「まさとぉ…………ぇっ、ぇっ………めんね、ごめんねぇ……………」
「純……」
雅人は微かに湿った額を撫でながら、答えの出ない問いを胸の内で繰り返した。純、何があった？ 何故謝る？ 教えてくれ―――
雅人はいずれ、その答えを知ることになるだろう。しかし知った時にはもう遅いのだ。何もかも―――
それは、寒い夜だった。雅人の屋外授業の前夜。大きなカバンに下着や日用雑貨、パンフレットなどを黙々と詰める。純も無言で、その様子を見るでもなくぼぅっと眺めていた。
「よし、準備完了だ」
雅人はそう言うと、純に向かって微笑みかけた。すると、純の口許がつつ…と歪んで口端が不自然に吊り上がる。本人は笑みを返しているつもりだろうが、どう見てもそれは泣き出す寸前の表情にしか見えなかった。
雅人は痛ましさを隠すことができず、ふらふらと純の許に近付いて引きつった唇を優しく塞いだ。そしてゆっくり離すと、それは何かを訴えようとするかのようにわなないた。
「純、どうした―――」
「雅人、明日は早いの？」
震える唇から出た意外な問いに、雅人は首を振って、
「いや。いつもの登校時間と同じくらいだから―――」
最後まで言い終わらぬうちに、純は雅人の胸に飛び込んですがり付き、
「じゃあ、じゃあ………抱いて」
「え……」
「だめ？ お願い……まさと………」
―――これが、最後だから………
必死に呑み込んだ言葉はもちろん、雅人には伝わらない。雅人はふわりと笑って純の頬を撫で、
「だめ、なわけないだろ、純……」
その身体を抱き上げて、寝室へ向かった。
「い……や。後ろからはイヤ………雅人の、顔がみたいの…………」
指と舌で丹念にほぐした蕾はすでにとろとろで、雅人は自分でも呆れるほど荒く獣めいた呼吸を隠そうともせず、純の腰を抱えた。
しかし純はいやいやとお尻を振って雅人の拘束から逃れ、身体を起こして勢いよく抱き付いた。
「純……」
「このまま……ひとつになるの」
甘えを含んだ媚態を振りまきつつ、雅人の膝の上に跨る。そして自ら双丘を割り開いて谷間の奥に咲く蜜花を、さらに大きく開花させた。
その部分が見えない代わりに、雅人は指を滑らせて探り熟し具合を確かめる。熱とぬめりを帯びたそこは雅人の指に吸い付いて、早く早くと急かすように波打ち、誘いをかける。
「純、お前のここ……味わわせてくれ…………」
純はこくんと頷くと、反り返ってビクビクと逸る雅人の先端に自ら宛がい、熱い楔に貫かれる感触を身体中に浸透させるかのように、少しずつ腰を落としていった。
「ァ………ァァ………まさと、まさとぉ………………」
しかし半分くらい呑み込んだところで、もっと深く交わりたいという獣の本能にも似た強い欲求に襲われ、じゅぶっと音をたてて限界まで腰を下ろした。
その瞬間、ズゥンと鈍く重い衝撃と共に内臓が押し上げられ、純はたまらず悲鳴を上げた。
雅人は突然の激しい締め付けとうねりに暴発しそうになりながらも、何とか我を保って純の身体を労わる。
「じゅんっ、だめだ、もっとゆっくり………」
しかし純は雅人の首に腕を回してぎゅっと抱き付き、何度も何度も首を振る。いいの、どうなってもいい、頭の中まで掻き回して、僕を雅人でいっぱいにして―――
「ふぅ……ん、ぅぁ、ぁん…………ん、んっ…………」
細い腰をリズミカルに振りながら、呑み込んだ雄をぐちゅぐちゅ音をたてて咀嚼する。雅人という存在を自分の内部に刻み込もうとするかのように。
「くっ………ぅ、純、もたねえよ…………」
首筋にかかる熱い吐息、甘い喘ぎ、汗で湿った肌の感触、腹に挟まれて蜜を滴らせるペニス―――繋がった部分だけではなく、純の細部全てが雅人を昂ぶらせ、酔わせ、快楽の奈落へと強引に引きずり込む。
「くっそ……だめだっ」
純の身体への労わりは呆気なく消え去り、代わりにほとんど暴力的な情欲がむくむくと頭をもたげる。雅人は手を伸ばして純の尻たぶをわし掴みにし、自らの股間に叩き付けるようにして奥を穿った。
「きゃぅっ、ぅっ、ぅぁ、ぁぁっ………ぁぁ………もっと、もっとしてぇ………」
純は雅人の激しさに翻弄されるまま、喉を反らせて狂おしく鳴いた。そしてねだった。もっと、もっと深く、もっと強く、もっと熱く―――
「キャアァッ、ァ………ぁぁぁぁ…………イクッ、イクぅぅ…………」
イク、と叫んだ時にはすでに雅人の腹は純の白濁でどろどろだった。快楽の激しさに言葉が付いていかず、いつイッたのか頭で正確に把握することは不可能。
気が付けば純は雅人の首筋に吸い付いて、その肌を一心不乱に味わっていた。
「ぅぅ………じゅん……………」
雅人もまた、半ば朦朧としたまま純の頭を背中を撫で続けていた。もちろん疾うに射精は済ませ、悶える肉襞の隅々にまで己れの種を行き渡らせていた。
「……っ、こら。お前は吸血鬼か」
首筋の痛みのお陰で明晰な意識を取り戻した雅人は、まだ吸い付いてはむはむしている純の頭をコツン、と軽く叩いた。
純はようやく口を離し、
「痕……付けたかったの。雅人の身体に…………」
紅く充血した部分を愛おしそうに見詰めて、ちゅっと口付ける。そして、
「僕と離れてる間も………僕のことを忘れられないように…………」
「阿呆か。忘れるわけ……ないだろ」
「ふふ、うれしい………」
純は顔をくしゃりと歪めて笑った。久しぶりに見る純の本物の笑顔。雅人は悦びと愛しさの奔流に流されるまま、膝の上の身体を押し倒して組み敷いた。
「純ッ、愛してるっ………」
愛してる、愛してるとうわ言のように呟きながら、雅人はたった今熱い精髄を注ぎ込んだばかりの蜜壷を激しく攻める。
結合部からは白い泡が立ち、爛熟の極みにある花びらは濡れた喘ぎを漏らして、愛しい陵辱者に絡み付いた。
「んあっ、あっ、ああ………すき、すきぃ………まさとぉぉぉ…………」
言葉だけじゃ足りない、表現しきれない。純は脚を逞しい腰に巻き付けてぎゅっと押し付け、背中に痕が付くほどしがみ付いて自ら腰をはね上げた。
何もかも忘れて今の行為に没頭したいのに、ひとつの残酷な事実がどうしても頭から離れてくれない。これが最後だ、という事実が―――
「いやあああ………もっと、もっとめちゃくちゃにしてぇ……………」
純は頭を振って泣き叫ぶ。その瞬間、ガツガツと奥を掘り進めていた雅人の動きが止まり、と同時に下腹の辺りに熱い迸りを受けた。そして純もまた、自分の胸に苦い精の雨を降らせる。
「ぅ……ぅぁ、ぁぁぁぁ……………」
解放の後に待っていたのは甘い余韻でも心地よい倦怠でもなく、胸を押し潰すほどの苦しさ、絶望の澱。
「ぁぁぁぁ…………」
こんな、こんな泣き方をする純は初めてだった。瞬きも忘れ、ぽっかり空いた双つの空洞からとめどなく涙が溢れる。それが血の色をしていても、雅人は驚かなかっただろう。
「純、純っ。やっぱりやめよう。お前を一人にはしておけない。明日は行かないよ」
しかし純は涙を流したままゆったりと首を振り、
「ん……ありがと……でもへいき。たった……二泊だもの、我慢しなくちゃ…………」
涙の奥から魂を切り刻む嘘を吐き出し、そして手を伸ばした。
「まさと………」
雅人の目、鼻、唇、輪郭を指先でなぞる。全ての細部をあらゆる感覚に刻み込むように。目を閉じればいつでも優しい笑顔、温かな眼差しが再現できるように。
「この瞳……鼻、唇、頬―――」
純は誰にともなく、歌うように囁く。指を顎から首、肩に滑らせて、
「―――肩、胸、腕、腰………ぜんぶ、何もかもすき、だぁいすき……ふふ、ふふふふ…………」
「じゅん………」
雅人は背中に腕を回して、あっという間に冷えきってしまった華奢な身体を抱き締めた。しかし温かな腕の中で、純の身体に温もりが蘇ることも、苦い涙が止まることも、安らかな眠りの帳が訪れることもなかった。
悲鳴を上げ、軋む心を必死に宥めながら最後の夜を越え、そしてついに―――朝を迎えた。
キッチンの方で慌ただしく動く音がする。純は鉛の四肢を何とか動かして起き上がり、雅人の許へ。
「雅人、おはよ……。何してるの？」
「ん、ああ。今日の分の飯。明日と明後日の分は冷凍してあるから。ちゃんと食うんだぞ」
そう言って笑う雅人の顔色も優れない。きっと眠れなかったのだろう。心配をかけず、楽しい屋外授業になるよう明るく送り出すべきだと分かってはいたけれど、できなかった。
込み上げる罪悪感を推し戻して純は淡く笑い、
「はぁい。ありがと。ヴァンスと一緒に食べるね」
雅人はほっと息を吐いて頷くと、自分の仕度に取り掛かった。そして、別れの時はあっという間に訪れた。
「それじゃ、俺は少し早めに出るから。戸締りだけはしっかりな」
「うん、行ってらっしゃい……」
雅人は大きな手を純の頭に乗せてわしわし撫で、一瞬だったが辛そうに目を細めた。しかしすぐに己れを律して明るく包み込む声で、
「また明後日な。純」
明後日には会えるんだよということを言外に教え諭すように言い置くと、柔らかなキスを残して出ていった。
「また……あさって…………」
今、純を支えていた全ての糸が切れた。感情の糸も理性の糸も。膝をかくんと折ってその場に座り込み、輝きの失せた眼から無味無臭の虚ろな涙を垂れ流す。
「また……あさって―――」
明日も明後日もいかなる未来も、純には暗闇同然だった。
今、たったひとつの太陽を失ったのだから――――
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