＜光明＞・１７
「済みませんが、次の授業の準備をしなければなりませんので。急いでもらえませんか？」
「なんだと？」
一瞬、険しい翳が額を掠めたが、すぐににやりと緩めて、
「面白い。ならここで話すとしようか。お前、どういう手を使ったかは知らんが、余りいい気になるなよ」
「意味が分かりませんが」
「純に近付くな。これは警告だ」
「断ります。友人は自分で選ぶ」
雅人は即答を返すと、くるりと後ろを向いて去ろうとした。すると、男に襟を掴まれてぐいと引き寄せられ、頬に重い殴打を受けた。身体がぐらりとよろめいたものの、足と腰にぐっと力を入れて堪え、厳しい眼差しで男を見返す。
渾身の一打をまともに喰らったにも拘わらず、倒れるどころか挑むように見返す雅人に、男は微かな畏怖を覚えた。それを隠すため、ぐいと胸を張って低い声で、
「もう一度言う、純に近付くな」
「断る」
男は顔を赤紫色に染めて雅人に掴みかかり、腕をねじ上げた。
「こいつを折ってやってもいいんだぜ。日本人の腕なら何したってお咎めなしだ」
雅人はふっと息を吐いた。全く、なに無頼漢を気取ってるんだか。この男、隙だらけだ。きっとまともに喧嘩したこともなく、ハリウッド映画のワンシーンをそのまま演じているだけなのだろう。
しかし、逆にこういう男の方が恐いとも言える。キレたら何をするか、どんな手を使ってくるか分からない。それに下手に反撃した場合、何やかんや理由を付けて悪者にされるのは恐らく自分の方だ。
雅人は、学院の中における自身の位置をいうものを冷静に把握していた。
「折る前に、まずはこいつだ」
想像通り、男はナイフを取り出してちらつかせてきた。そして雅人の頬に当てる。
「お前もけっこう綺麗な顔してんな。傷の付け甲斐がある」
嫌らしい声で囁きながら、刃先を頬に滑らせた。たちまち紅い線が浮かび上がり、鮮血が滴る。しかし雅人は声も上げない。抵抗もしない。自分が確かに傷付けられたという、動かぬ証拠を作ってから反撃しようと考えていたからだ。その時、
「雅人、まさとぉっ」
悲愴な叫びに喉を嗄らして、必死に駆け寄ってくるのは―――
「純、どうしてここへっ」
しかし純は答えず、はあはあと荒い呼吸のまま、ぎり、と男を睨み付ける。そして、
「ランディ、許さない………」
ランディと呼ばれた男は哀れなほど狼狽して、
「い、いや、純……こいつに付きまとわれて、お前が迷惑してるだろうと思ったから……」
しかし純は取り合わない。きりきりと引き絞られた瞳孔で、男を射抜く。その怒りの激しさ、熱さ。
怒りに我を忘れた純は黙示録の天使のように美しく、雅人はこの状況を忘れて思わず見惚れた。
「雅人、行こう。傷の手当てをしなくちゃ」
純に手を引かれてようやく我に返る。雅人は頬の傷に当ててもらったハンカチを押さえ、言われるがまま純の後に付いて行こうとした。
「ま、待てよ、純！ 何でそいつなんだ、そんな…どこの馬の骨か分からない日本人なんかに―――」
純は顔だけ振り向いて、馬鹿にしたように言い放った。
「僕も日本人なんだけど」
そして雅人の手をぎゅっと握って、医務室に着くまで離そうとしなかった。
「おお、派手にやられたな。しかし傷自体は深くはない。そこに座って待っていなさい」
医務室に常駐している専属の校医は白髪の好々爺で、雅人の傷を見るとすぐに薬を調合するため奥に入っていった。
「まさと……ごめん、ごめんね………」
「お前が謝ることじゃない。俺が上手く対処できなかったから……」
雅人の言葉ひとつひとつに痛々しいほどの震えを見せる。言葉でお前は悪くないと伝えても萎縮させるだけだと気付いた雅人は、立ち上がって腕を伸ばし、カタカタと震える細い身体を胸に抱いた。
「純……そんな風に自分を責めないでくれ。痛いよ、こんな傷なんかよりずっと痛い………」
純は温かい胸におそるおそる顔をうずめる。すると、抱き締める力が強くなった。
「まさとぉ……」
縋っちゃいけない、頼っちゃいけない。こんな綺麗な人を巻き込んではいけない――そう分かっていながら、純は自分から身体を離すことができなかった。
その時、雅人の指が顎に掛けられ、そっと上を向かせられた。重なった視線の思いもよらぬ熱さに、どきりと胸が波打つ。
「純、俺は……」
しかし、何かを伝えようとした唇は戸惑うように震えた挙句、そのまま閉じられた。そしてどちらからともなく身体が離れた。共有していた温もりは、あっという間に消えてしまった。
純は淋しさを紛らわすため、俯いて自分の身体を抱き締める。すると、雅人のポケットから飛び出たリボンが目に入った。
「雅人、そのリボンどうしたの？」
「え？ あ、ああ。もらったんだよ、下級生の子に」
「そう……」
ちくりと痛む胸を宥めて、
「その子と付き合うの？」
「まっ、まさか。そんなわけないだろ。男と付き合うなんて……」
さっきとは違う種類の痛みが走った。しかし面てには出さず、
「でもリボンは受け取ったんでしょ？」
「ええっ、それってそういう意味なのか。やばいな、すぐに返さないと」
明らかに狼狽して額の汗を拭う雅人を、純は悲しそうに目を細めて見つめた。リボンを返されて傷付き悲しむ下級生の姿が、自分自身と重なって見える。
「純、どうした？」
「ううん、何でもない。あ、先生が来たよ。僕は教室に戻るから。それから…今日は一緒に帰れないから……」
「そうか、分かったよ。ハンカチありがとな」
純は小さく首を振って、部屋を出ていった。雅人と医師は、その後ろ姿を黙って見送る。
「さあて、手当てをしようか。と言ってもこれを塗るだけじゃがな」
朗らかな声でそう言うと、怪しげな臭いの薬を頬に塗り始めた。“これ、ホントに効くのか？”と声に出さず呟く雅人。
「信じなさい。ちゃんと治るから」
「うっ、どうして分かったんですか……」
「これを塗るとみんな、怪訝な顔をするからな」
医師はふぉっふぉっと笑ったが、すぐに顔に引き締めて、
「しかしお前さんも災難じゃな。あの純のせいで要らぬ怨みを買って―――」
「純のせいではありませんっ」
医師はふと手を止めて、雅人の顔を正面から見据えた。
「お前さんは見たところ、高潔で真っ直ぐな好青年のようだ。あの子には近付かない方がいい。あれは……魔性の子だ」
「違う」
雅人は、医師の言葉を粉砕するかのような勢いと力を込めて否定した。
「違う。そういう間違った思い込みが彼を孤独に追いやり、苦しめているんだ。純は少し繊細な魂を持った、普通の少年だ」
雅人は立ち上がって一礼し、
「手当てありがとうございました。俺も教室に戻ります」
「……相楽雅人」
突然フルネームで呼びかけられ、驚いて振り向く。医師は穏やかに笑って、
「変なことを言って済まなかった。私が今言ったことは忘れてくれ」
雅人は心からの笑顔を返して、医務室を後にした。
このままではいけない。このままでは、あの綺麗な雅人を自分の穢れた世界に引き込んでしまう―――そして純は決意を固めた。彼から離れよう、と。
ほんの短い間だったけれど、一緒にいられて楽しかった。世話係が持ってきた夕食を一緒に平らげ、一緒に後片付けをして、明日の予習をする。それからお休み、と言い合ってそれぞれの部屋に戻る。
そして夜。あの嫌な声が完全に消えることはなかったけれど、“スノー”の魔力を借りなくても何とか夜をやり過ごすことができたのは、朝に希望が持てたから。
朝になれば雅人が迎えに来てくれる。あの包み込むような綺麗な笑顔を見れば、苦しい夜の幻影など一瞬で払われた。幸せだった。
しかしその幸せは、自分のような人間にとっては過分なものなのだ。ずっと続きますようにと願うなど、許されるはずがない。
それに雅人には、オスカー・グレンを始め素晴らしい友人ができ始めている。その邪魔をしてはいけない。
そして今日の事件。このまま一緒に居続ければ、類似の事件は後を絶たないであろう。自分のせいで雅人が傷付けられるなんて、絶対に嫌だ、耐えられない。
―――雅人、本当にありがとう。すごく楽しかった
純は胸の裡で呟いて、そっと目を閉じた。一方的な別れの言葉だけれど、雅人もじきに自分のことなど忘れて他の人間と楽しく付き合い始めるだろう。
最初は未知の土地で一人、不安だったかもしれないが、今ではもう、ずっと前からこの学院にいたかのように溶け込んでいるのだから。
純は頭を振って、感傷的なモノローグを消した。これからしなければならないことがある。雅人を傷付けた男への制裁。
絶対に、許さない―――
「あの、ランディ……話があるの」
瞠目したまま硬直したランディに、純は媚びるような笑いを投げかけた。
我ながら嫌な笑いだ、と鳥肌が立ったが、当のランディはその造形的な美しさに逆上せてしまったのか、裏に隠された昏い陰翳に気付くことなくふらふらと純の後を付いていった。
そして人気のない厩舎の裏側で、再び向かい合う。純はランディの頬にそっと触れて、
「ね、ランディ、なんであんなことしたの？」
思いもかけぬ優しい接触に、返す言葉を失う。純は微笑みを深めて、
「馬鹿な人……。僕があんな子を本気で相手にするはずないでしょ？ 一人であんまり不安げにしてたから、ちょっと可哀想に思って一緒にいただけ。でももう、飽きちゃった」
「純……それじゃあ………」
掠れた声で何か言おうとするランディの唇を指でそっとなぞって、
「僕が……欲しい？」
艶めかしい問いをまともに浴びて、ランディは痴呆のようにかくかくと頷く。純はふっと微笑って首に腕を回し、胸と胸をぴったり付けた。ごくりと唾液を嚥下する生々しい音が聞こえた。と思ったら、激しく唇を吸われた。
「んぅっ………ん……ふっ…………」
溜め込んだ欲望をそのままぶつけるような荒々しい口付け。歯列を割って侵入してきた舌に口腔を掻き回され、思わず悪寒が走る。しかし純は何とか堪えてそれに舌で応え、股間をこすり付けた。
その効果は甚大だった。ランディは一旦唇を離して純の身体を抱き上げ、その場に押し倒す。柔らかな芝生の上で組み敷かれた純は、抵抗はせずにぎゅっと唇を噛み締めて顔を背けた。
「純……純……俺の…………」
露わになった白く細い頸に、僅かに残っていた理性まで粉砕されたランディは、はあはあと肩で息をしながら純のシャツに手を掛け、力任せに引き裂いて胸まで露出させた。
そして頸に噛み付いてきつく舐め回し、胸に灯る柔らかな肉の実を指でつまんでくにくにと揉み始める。
「あっ、あぁん……ランディ………」
可愛い喘ぎに呆気なく煽られたランディは、頸や胸に幾つも紅い花を散らせ、さらに胸の突起に吸い付いてちゅっちゅっと執拗に吸い上げた。
純は、ちりちりとした痛みと込み上げる嫌悪感を宥めすかして、自分の胸に吸い付く金髪の頭を撫でた。
が、ランディの手が股間に伸びてくるのを認めると、
「ランディ、だめ……こんなとこじゃ、いや………」
「純…最後まで、やらせてくれよ………」
純はのしかかる身体をぐっと押し戻して、
「もちろん。でも、ちゃんとベッドの上で愛されたいの。ね、ランディ。僕との関係がこれきりで構わないというなら、今ここで犯してもいいよ。でもこれからも続けたいというのなら………」
ランディは拳を握り締め、きりきりと奥歯を噛み締めた。今の突発的な欲望を満足させるか、それともこれからの甘い関係のために我慢するか―――
「……分かった。今日は止めておこう」
「ありがと、ランディ。その代わり、今度ゆっくり……ね？」
もちろん、“今度”などあるはずもないのだが。
―――コンコン……コン
変則的なノックは、純にだけ許された秘密の合図。少しの間をおいて、「入りなさい」という返事が中から聞こえた。
扉を開けてするりと中に身体を滑らせ、目の前に立つバージェズを見据える。
「……誰にやられた？」
「ランディ・アシュトン」
「ああ、あの男か……」
バージェズはコツコツと靴音を響かせて純に近寄ると、その身体を舐めるように眺め回した。引き裂かれたシャツ、髪にまとわり付いた芝生、頸に散った劣情の刻印、そして………
「あっ」
バージェズは有無を言わせずシャツに手を掛けて脱がせた。そして、紅く充血して膨れた乳首を凝視する。そこをぎゅっと押し潰すと、純は「あぁん」と高らかに鳴いた。
「バージェズ…せんせい……、ぼく………」
バージェズの瞳はぬらぬらと輝き出す。怒りと嫉妬と情欲。原始的な感情の虜囚となった男は純の腕を乱暴に掴み、そのままソファに押し倒した。
「純……嬲られたのはここだけか？」
「あなたが……確かめて」
バージェズは淫笑を漏らして唇を舐め、あっという間に純の下半身を露わにした。脚を掴んで腰が浮き上がるまで持ち上げ、大きくＭ字に広げる。その中心では、固く閉じたままの蕾が外気に晒されたせいかひくひく蠢いていた。
「これでは分からん」
バージェズは谷間に顔をうずめて舌を伸ばし、桜色の襞を削り取るように強く舐め上げた。そして無理やり舌を押し込む。
「はぁっ、あ、ん……せんせ………」
中で活発に動き回る舌の感触に追い上げられ、純のペニスはゆったりと勃ち始めた。
バージェズは舌を引き抜いて前を寛げ、血管の浮き上がった自身を押し当てて直接愛液を塗り付けた。そして両手の人差し指と中指、計４本を突き入れて動かし、蕾を咲かせることに専念した。
早く、早くここに挿れたい。犯したい。そんなストレートな欲望を曝け出した、慎みに欠ける行為と言わざるを得ない。
しかしそんな体裁に構っている余裕のないバージェズは、息を荒げながら漸く蕩け始めた純の秘孔に逸る自身をあてがい、一気に奥まで貫いた。
「んあっ、あっ、あぁっ………」
待ち構えていた熱い媚肉の蠢きをうっとりと堪能しながら腰を打ち付けつつ、
「純…あの男、どうして欲しい……？」
「あ、ああ…ん、っふ………や、あの男いやぁ………こわいの……先生………」
「お前を、私の可愛い純を犯そうとした……許すわけにはいかんな………」
「きゃああッ、ああっ、ああん、ソコぉ……もっと、もっと突いてぇ………」
純はバージェズの腰に脚を巻き付けて、深い交合をねだる。バージェズはさらに腰を浮かせて奥を穿ちながら、
「純…私の質問に答えていないぞ。どうして欲しい？ お前の……願いなら何でも叶えてやろう………」
「ん、んっ、せんせ……追い出して……あいつを……ここから追い出してぇ………」
「承知した。その代わり……今日は遅くまで愉しませてもらうぞ」
ねっとりと囁きながら、バージェズはわざと避けていた奥のふくらみをぐりぐりとこすり上げた。
その瞬間、純は甘えたような悲鳴を上げながら、熱い白濁を自分の胸にたっぷりと降らせた。
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