９.
二人が目を覚ましたのは、日もずいぶん高くなってからだった。昨夜は遅くまで密な戯れに没頭し、シャワーを浴びてからようやく眠りについたのだから、無理もなかった。
しかしこんなにぐっすりと、途切れ途切れの嫌な夢に惑わされずに眠れたのは久しぶりで、純は心地よい倦怠感にうっとりと身を浸した。
「おはよ……秀」
少し恥ずかしそうに頬を赤らめて声をかける純をふわりと抱き締めて、秀は耳許で「おはよう」と答えた。そしてそのまま深く唇を重ねる。
「ぅ………ん、ふっ…………」
裸の胸に触れる滑らかな肌の感触と、ふっくらとした唇の甘さに暫し陶然となる。そしてゆっくり唇を離して、上からじっと純の顔を覗き込んだ。
「しゅう―――」
「愛してる」
二度目の告白。しかし、神社の拝殿で雷鳴に挑むかのように吐き出された「愛してる」とは、全く異なる響きを湛えていた。
思わず両手を差し出して恭しく受け取り、胸に押し当てて温めたくなるような、神聖な艶を帯びた誓言。どんな高価な宝石にも勝る、愛の捧げ物。
「秀、僕も―――」
答えようとした純の唇は、しかし、秀の指によって塞がれた。
「純、焦らなくていい。俺は、ただ自分の気持ちを伝えたかっただけだ。お前の言葉が欲しかったわけじゃない」
秀は指を離して優しく微笑むと、
「ずっと秘めていた想いを伝えることができた。それだけで今は十分だ」
純は腕を伸ばして秀の首にかじり付く。
「秀、秀っ、ずっと傍にいて。お願い」
「当たり前だ。俺はそのためにここにいるのだから―――」
遅い朝食兼昼食をとった後、二人はまたベッドの中、裸で抱き合っていた。
「ぁ……んっ……秀が…こんなにえっちだと思わなかった………」
「そうか……俺を見くびってたな、お前」
「ち…がうよぉ……もっとストイックな人だと………あぁん」
秀はちらと苦笑を漏らし、
「男はみんな、そういうことを考えてるいやらしい生き物なんだぜ。特に相手がお前なら……」
「あっ、あぁっ、ん、だめ………やぁ……ぁ……………もおっ」
余りに好き勝手に翻弄されてばかりでは悔しいとばかりに、純は力任せに起き上がって秀の上に乗った。
「おっ、なんだなんだ」
秀は楽しそうに笑う。純はむぅっと膨れて、
「僕だって、僕だってやろうと思えばできるんだからっ」
そして秀の唇にぶちゅっと口付ける。
「なぁんだよこれ、色気ねえなあ」
「うるさぁい……これでどうだぁ………って、わわっ」
唇を尖らせて秀の首筋に吸い付こうとした純の腰に腕を回して、秀はいきなり起き上がった。
そして純を上に乗せたまま、唇を重ねてねっとりと口腔をまさぐる。まるで、これがキスだぞと教えるかのように舌を絡めてこすりつけ、快感を植え付ける。
「ぅ……ふぅ………ん、しゅ、しゅう………」
名残り惜しそうに離れた唇は、唾液でぬらぬらと光っている。純はうっとりと咎めるように、
「こんなに……うまくできないもん………」
秀は笑って、
「いいんだよ、俺がするんだから。でも、さっきしてくれたのも可愛かったぞ」
そして純の腰をさらに抱き寄せて股間に手を伸ばし、桜色のペニスをやわやわと弄ぶ。
「ここも可愛いけどな」
「や……ん、もぅ……いじっちゃいや………」
いやいやと首を振りながら腰を引こうとする。そんな風に恥らう仕草を見せられると、余計に苛めたくなってしまうのが男というもの。
秀はゆったり勃ち始めた二つのペニスをまとめて掌で包むと、ぐりぐりとこすり合わせながら扱いた。
「あっ……ん、だぁめ……も…………」
勃起すればするほど、二つのモノの違いが明らかになる。純は湿った喘ぎを零しながら怨めしそうに見下ろして、
「なぁんでぇ……昔はおんなじだったのにぃ………。秀ばっかりおっきくなってずるい………」
「昔は、って、おまえ……その頃から俺のそんなとこ見てたのか」
「ちっ、ちがうもんっ、っていうか、よく３人でお風呂とか入ってたでしょっ、その時に―――」
「その時にじっくり観察してたのか。なるほど。気がつかなかったなあ」
秀はにやにや笑いながら、扱く手にさらに力を込めた。純はびくん、とのけぞって自分からこすり付けるように腰を揺らす。秀の手は二人分の蜜に塗れて、上下させるたびにクチュクチュと濃厚な水音を奏でた。
「ああっ、秀、秀っ」
空いている手で後ろの蕾を押し広げ、内壁をざらざらと撫でる。純はたまらず悲鳴を上げ、秀の首に抱きついた。
「純……来いよ………」
秀は純のお尻を持ち上げて割れ目をくいっと開き、涎を垂らして反り返る自身の上にずぶずぶとはめ込んだ。
「ひっ…ぃ………ぁ……ぁぁ……」
余りの快感に純は言葉を忘れ、秀の首にすがったまま腰を上下に振って快楽の泉を自ら掘り進める。
「純……すげえ……いいぜ………ぅ…ぅっ……」
自分のモノを呑み込んだ白い双丘がうっすらと汗をにじませて揺れるさまは、眩暈がするほど淫らだった。
秀は暫しそれに見惚れていたが、徐々に湧き上がる、愛情の裏面をなす嗜虐心を満足させるため、純の脚を下から抱えて持ち上げ、激しく揺り動かし始めた。
「いっ、やああぁっ、ああっ、ああっ、だめぇっ、死んじゃう、おかしくなっちゃうよぉ………」
純は涙を振りまきながら、行き過ぎた快感への恐怖を訴える。しかし秀は加減するどころか、薄い笑いを浮かべて、
「言っただろう？………おかしくなっちまえ、もっと、もっと……狂って………何もかも忘れろ！」
それが不可能だということを誰よりもよく知っているのは、他ならぬ秀だった―――
「たま姉ちゃん、やっぱりホントなのか。秀が………」
「ええ……秀ってば、直にも言ってなかったのね」
沖家のリビングには、直と我聞と環、そして尭村が顔を揃えていた。純と秀が家を出てから二日経っていた。
直は林間学校から帰ってすぐ、我聞を伴って親戚への挨拶回りに行っていた。沖家の長男としての務めを果たすという名目だったが、社交的な直にとってはそれほど苦痛ではなかった。
しかし、数年前までは同行していた秀が行かなくなってからは、楽しさも半減してしまったのだが。
「で、秀からの連絡は？」
「家を出た日に一度あったきり。それから何度か携帯に電話したけれど、電源を切ってあるみたいで」
直は環から視線を外して、窓辺に身体を凭せてじっと考え込んでいる尭村をちらと見た。そして、
「あいつ……とうとうブチ切れたな」
「どういうこと？」
「奇襲攻撃による宣戦布告ってこと」
意味が分からない環は、苛立ちを隠さず重ねて訊ねようとする。しかし直は環の頭上を通り越して尭村へ向かって、
「あいつは、何度も諦めようとしたんですよ。なのにあなたが付け入る隙を与えるからこんなことに………」
尭村は表情を変えず、ただ視線だけを向けた。環は思わず息を呑み、
「秀…が、まさか純のことを………」
汗もかいていないのに、額をごしごしとこする。直は「まさかじゃないよ」と厳しく言い置いた。
環は切なげに眉を寄せて、いつも黙って純の傍にいた秀のシルエットを思い浮かべる。
「そうだったの……………でも、」
環の呟きに直は頷きを返し、
「うん。でも、こんなことは駄目だ。こんな風に逃げたって、何にもならない。純のことを愛しているなら尚更、ちゃんとけじめを付けさせなくちゃいけない。だよね？ 環姉ちゃん」
「そうね。秀もたぶん分かってるとは思うわ。いつまでも逃げてはいられないってね」
直は「よし」と声を上げて膝を叩き、
「それで、だ。二人が今どこにいるかなんだけど……」
「色んなところを見て回るって言ってたから……。二人が興味を持ちそうなところ？ うう〜、幅が広すぎて、雲を掴むようなハナシだわ……」
「それはないと思いますよ」
突然、我聞が穏やかに割り込んできた。直も環も、無意識のうちに姿勢を正して耳を傾ける。
彼は、特に声を張り上げなくても、たったひと言で自分に注意を向けさせることができる、そういう牽引力を持った男だった。
「色々なところを転々とするには、それなりの資金が必要でしょう？ でもキャッシュカードは置いて行かれてますし、現金はそれほどお持ちでないはず。おそらく、宿泊するのにお金のかからないところにいらっしゃるのでは、と。つまり……」
「別荘か！」
直は明るい声で叫ぶと、我聞に車の用意を頼んだ。しかし、
「必要ない。俺が行く」
初めて口を開いた尭村。その声は、赤黒い煮凝りのようにどんよりと重く、微かな腥臭が混じっていた。
環は思わず震えて、自分の腕をさすった。そしてすがるように直を見つめる。だめ、彼を行かせちゃだめよ。直は微かに頷いて、
「尭村さん、気持ちは分かります。でも純はあなたから逃げたんだ。ここであなたが追いかけても―――」
「だからお前が行っても無意味なんだよ。これは俺と純の問題だ。お前が口を挟むことじゃねえ」
直は口を噤んだ。確かに尭村の言う通りなのだ。ここで自分が行って宥めたとろこで、何の解決ももたらさない。しかし、この尭村の状態では純がどんな目に遭わされるか……。
「彼に行ってもらいましょう。ただ、今日のうちに解決できなかったら一旦戻ってくる。これでどうですか？」
我聞の提案を頭の中で反芻した直は、
「うん…。ずるずる長引かせてもしょうがないし。尭村さん、それでいいですか？」
「ああ」
感情のこもらぬ声で答える尭村に、直は真剣な表情で呼びかけた。
「尭村さん、純は俺の大事な幼馴染み、秀は大事な弟です。くれぐれも無茶なことはしないでください。お願いします」
しかし聞こえているのかいないのか、尭村はじっと俯いたまま微動だにしない。仕方なく視線を外すと、環の今にも泣き出しそうな不安げな眼差しにぶつかった。
「気持ちいーい！ ほらほら秀、はやくぅ」
「こら待てっ、あぶねーから先に行くなっ」
バケツやら掬い網やらレジャーシートやらを抱えた秀は、はやばやと裸足になって水の中にばしゃばしゃと入っている純に慌てて声をかけた。
川は浅いとはいえ、急に流れが速くなっているところもあるし、川底の石はぬるぬるして滑りやすくなっている。気を付けないと思い切りすっこけて流される……なんてこともあるかもしれない。
それに純は、何も障害物のないアスファルトでもたまにコケることがあるのだ。
「純っ、しっかりと足を川底につけて、滑らないのを確かめてから進むんだぞ」
「はぁーい、せんせいっ」
きゃっきゃと笑いながら水飛沫をあげている純を横目で見守りながら、秀は大きくて比較的平らな岩の上にレジャーシートを広げた。飛ばないように四隅を石で押さえて、裸足になってジーンズの裾をまくり上げ、川へ入る。
「やっと来たぁ。遅いよっ」
「お前なあ。ひとに荷物全部持たせたくせに」
上から頭をコツン、とやると、むぅっと膨れた純を無視しててきぱき指示を出す。
「いいか、大きめの石でこの罠を固定して、ここに魚を誘い込むんだ。一旦入っちまえば出ることはできない」
「こういうの初めて。わくわくするなあ」
そして大きなヒョウタンのような罠を仕掛けると、魚の追い込みを始めた。
「ほらっ、そっちだ、純っ」
「ええっ、わ、わわっ、どーだっ、入れ入れっ」
ばしゃばしゃと水を掻いて追い込むが、なかなか思う通りにはいかない。
「純、今、魚が舌を出して逃げていったぞ」
「ううぅ〜、あっ、そらどーだ、えいえいえいっ」
「今度はバーカって笑いながら去っていった」
純は眉を吊り上げてずんずんと秀に近寄り、
「もうっ、バカにしてるのは秀でしょっ。一生懸命やってるのっ」
「それで？ 俺には水遊びをしているようにしか見えない」
「うるさぁい」
腕を振り上げて飛びかかろうとした時、つるっと滑って派手な水飛沫をあげつつ、水の中に尻餅をついた。
「純っ、大丈夫か」
慌てて手を差し伸べる秀。しかし純はそれを払ってざばっと立ち上がり、
「ええいっ、秀もびしょ濡れになっちゃえ〜」
びしょびしょの身体のまま、秀にぎゅうっと抱きついた。
「うわっ、冷てっ。やめろこら」
しかし純は秀に抱きついたまま離れない。
「純……」
―――無理してはしゃぐことないんだぞ
口から出かかった言葉をためらいつつ呑み込む。言ったところで、辛そうに眉根を寄せた表情で「無理してないもん」と返ってくるだけだろうから。
こんな生活がずっと続くはずがないことは分かっている。破局が近いということも。そういった現実から必死に目を逸らしてしがみついてくる純が痛々しくて、健気で、秀はきつく抱き返した。
「お前のせいで濡れちまったぞ」
「だって…秀がいじわるだから……」
ゆっくり上を向く純の唇を優しく塞ぎ、そのまま舌を滑り込ませる。
「ん……しゅ…ぅ………」
ねっとりと口腔を犯してから唇を離し、
「純…服脱げよ。岩の上に広げておいたらすぐ乾くぜ」
「や…ぁだ。へーき。このままで………」
「何にもしねーよ。安心しろ」
純は濡れた唇をちょっと尖らせて、
「嘘。ぜったいするもん」
「お、だんだん学習してきたな」
秀はにやりと笑うと、純を抱き上げて川岸へ上がった。そして大きな岩に押さえ付けて無理やりシャツを剥ぎ、ズボンのジッパーを下ろして中に手を入れた。
「あっ……だめ……も………」
「シャツが乾くまで……身体が冷えないように熱くしてやる………」
川のせせらぎや小鳥の囀りに混じって、緑深い渓流に純の嬌声が響き渡った。
「ねえ、これ食べちゃうの可哀想だね。家で飼えないかなあ」
「阿呆か。水槽なんかで飼ったらすぐ死んじまうぜ。これは今日の晩御飯だ。藤枝さんに頼んで料理してもらおう」
「塩焼きがいいなあ。小さいのは天ぷらでも美味しいかも」
「おまえ……食べるの可哀想って言ったのはどの口だよ」
バケツいっぱいの川魚をぶら下げて、二人は手を繋いで帰ってきた。日が落ち始める頃まで粘った甲斐あって、なかなかの大漁だった。
そして門をくぐり玄関へと続くアプローチを半分ほど歩いたところで、二人は身体を強張らせた。車寄せに、黒く輝く高級車が止まっている。
秀は不審げに眉根を寄せた。あれは家の車ではない。しかし純には心当たりがあるようで、激しく震え始めた。
「あ、あれはまさか……」
「純、知ってるのか？ あの車―――」
その時、玄関の扉がゆっくりと開き、双眸に冷たい光輝を宿した尭村が現れた―――
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