１.

「ね、ねぇ……バーベキューって楽しいね、秀」
「………ああ」
「ほら、このお肉もう焼けてるよ、食べる？　直」
「………食う」

焼き網の上の肉や野菜を引っくり返し、それぞれの皿に乗せては差し出す。そんなかいがしいサービスに精を出す純の額には、うっすらと汗が滲んでいる。

それは焼き網の下で赤々と燃える炎のせいばかりではない。この林間学校初日から、直と秀はほとんど口も利かず、夕食のバーベキューの間もずっとそっぽを向いて、時折険しい視線を交差させるだけだった。

純は、諍いの理由は分からないながらも、何とか二人の心を和らげようと必死だったのだ。

これまでも、直と秀が喧嘩をすることはあった。そういう時純は、理由を詮索したり仲直りさせようとしたりと、余計な干渉は極力慎むようにしていた。

それは二人の絆を信じていたからでもあるし、余計なお節介はするなと、煙たがられるのが恐かったからでもある。

それでも放っておくことはできず、自分は何も気付いてないよ、という風を装って無理やり笑顔を拵え、二人の緩衝剤になろうとした。

結局、不安や悲しさをこらえた作り笑顔で二人の間を行き来する純が健気で、だんだん見ているのが辛くなり、純のために仲直りする、というのがいつもの喧嘩のパターンだった。

そして、それは今も同じだった。延々と仲直りする気配を見せようとしない二人に、純はどうしてよいか分からず、思わず瞳を潤ませた。せっかく、楽しいはずの林間学校だったのに………。

「純……」
「あ、なんか煙が目に……。へへ、網の上にいっぱい乗せすぎちゃったから……ぅ……っく、……は、早く食べないと………」

そしてしゃくり上げながらも、焼けたピーマンを口に押し込む。

「お、おいしいね、これ………」

直ははーっと溜め息をつき、

「そうだよな、早く食べないと、せっかくの飛騨牛さまが冷めちゃうよ。………ほら、秀。箸とソース」
「……ああ、悪いな」

途端に純の顔はぱあっと明るくなる。

「ねえねえ、今度は何焼く？　きのこも美味しそうだよね。あ、秀の前のとうもろこしもう焼けてるよ」
「うわ、純バーベキュー奉行だ」
「だって二人ともぼーっとしてるんだもん。炭になっちゃうよぉ」

ようやく、純たちのテーブルにも活気が戻ってきた。
しかし、にこにこ笑いながら肉を引っくり返す頭の上で、険しい視線がぶつかり合っていることに、純は気付いていなかった。




「いい加減にしてくれ、直。なんでお前に腹立てられなきゃならねえんだ。そんなに俺が彼女作ったことがムカつくのか」
「ああ、ムカつくね。これにムカつかなかったら、一体何にムカつけっつうんだよっ」

秀は呆れたように首を振り、

「まるでガキだな。そんなに弟に先越されたことが悔しいか。話になんないぜ。じゃあな、俺は部屋に戻る」

直はもちろん動じない。ハッ、と馬鹿にしたように嗤って、

「誤魔化すなよ、秀。何もかも分かってるくせに。俺が何で腹を立ててるかも」
「分からねえな」
「彼女に失礼だ」

直はぴしゃりと言い放った。こちらを向いた秀を厳しく見据え、

「今のお前の状態で誰かと付き合うなんて、相手に失礼だ、っつってんだよ」
「………俺は、高階（たかしな）が好きだ。いい子だしな」
「ああ、いい子だよ。だったら尚更、ちゃんと話して、自分のことは諦めるように説得するべきだ。そんな、事実から目を逸らして自分を誤魔化すために利用するなんて―――」
「それでもいいと言われた」

直はとうとう爆発した。

「アホッ、それはなあ、そんくらいお前のことが好きだ、っていう表現のひとつなんだよ。真に受ける奴がいるかっ」

赤い顔をしてはあはあと息を荒げる直。対照的に秀は落ち着いた様子で、

「始まりは“ごっこ”でも、いずれは本気になるかもしれないだろ？　俺も努力するし」
「はッ、“努力する”なんて言ってる時点で恋愛とは程遠いよな。まあ精々がんばれよ。お前はそうやって、自分が抱えているどろどろの欲望を誤魔化すために、これからも色んな人間を傷つけていくんだ」

直は刺々しい声でそう言い置くと、拳を握り締めている秀の横を通り過ぎた。そして去り際に、

「俺たちの“ケンカ”はこれでおしまいだ。純のあんな顔見たくないし。それから、純にちゃんとカミングアウトしろよ、彼女ができました、ってな。きっと喜ぶぜぇ」

口許を歪めて嗤うと、そのまま部屋へ戻っていった。




この林間学校は、夏休み期間中、一年生を対象に毎年実施された。二泊三日の日程で、バーベキューをしたり川遊びをしたりハイキングをしたりと、ほとんど遊びの延長のようなものだった。

一応レポートらしきものを提出する義務があったが、適当に摘んだ花を押し花にして貼り付けて、百科事典から引っ張ってきた記述を丸写しすれば出来上がりなのだから、大した労力は必要ない。

引率する教師だって夜の宴会目当てなのだから、この林間学校の実態、推して知るべし、ということだろうか。

宿泊は、学園が所有する保養施設が使われた。大浴場やジャグジーはもちろん、テニスコートやジムなどもあり、他校にも、料金は多少割高になるが開放されていた。純たちが泊まっていた時も、他校の運動部が合宿をしてたりした。

当然ながら他校生徒とのトラブルも発生したが、それはそれでいい経験だ、というのが教師の中でも一致した見解だった。

彼らも薄々感じているのだろう、この学園は少し特殊だ、ということに。他校との触れ合いで、もう少しノーマルな校風になってくれるかも……。もちろん今のところは、虚しい望みなのだが。




「あれぇ？　純、もう寝ちゃったんだ。つまんないの。水嶋たちとゲームやるって約束してたのに」

どうやら純は早々にシャワーを浴びて、そのままベッドへ直行だったらしい。幸せそうな寝顔を浮かべている。

「今日は、気ぃ使わせちゃったからなあ……。ごめんなぁ、純」

直はまだ湿り気の残る純の髪をそっと撫でると、薄い毛布を引っ張ってふわりと掛けた。そして起こさないようにそぉっと部屋を出て、クラスメートの部屋へ向かった。

それから入れ違いで、秀が帰ってきた。

「純……寝てるのか？」

囁くように問い掛ける秀。ベッドの脇に跪いて、顔を近づける。人の気配を感じたのか、純は何やらふにゃふにゃと意味不明な寝言を零すと、毛布に頬擦りして嬉しそうに笑った。

「お前は赤ん坊か……」

秀は呆れたように呟いたが、自分の顔が緩んでいるのをちゃんと自覚していた。

「直は……水嶋たちの部屋か」

自分に言い聞かせるようにぽつりと漏らす。そう、ここにいれば、純の愛らしい寝顔を独り占めできるのだ。しかし―――

「ん……んっ………ぅん」

もぞもぞと動いてぐずる純を眺めていると、腹の底からもやもやと得体の知れない熱が這い上がってくる。これを自分のものにしたい。めちゃくちゃにしたい。情熱と欲望に流されてしまいたい………。

秀はさらに顔を近づけて、純の唇にかすめるようなキスをした。
そして、そんな自分の振る舞いを難じるようにがん、と腿を殴ると、素早く立ち上がって部屋を出て行った。




ばたばたと廊下を走る足音が聞こえたと思ったら、部屋の扉が勢いよく開いた。

「お、純、起きたんだぁ」

クラスメートの部屋に飛び込んできた純は、はぁはぁと息を荒げながら、切なそうに眉をたわめて、

「ここにいたんだぁ……よかったぁ。目が覚めたら誰もいなくて、待ってても誰も帰ってこないし。何か心細くなっちゃって………」
「ごめんごめん。気持ちよさそうに眠ってたから、俺も秀も起こさずにこっち来ちゃったんだ」

そう言いながら、おいでおいでと手招きする。純はよく懐いたわんこのように、ぱたぱたと駆け寄った。

「ゲームしてるの？　僕も混ぜて混ぜて」
「よおっし。じゃあもう一回最初っからな」
「こういうボードゲームって、何か懐かしいよなあ」

わいわいやりながら、ごく健全な夜は更けていった。しかし、

「ふわぁぁ、俺もうギブ。ねみー。お休みぃ」

直はふらふらとベッドに近寄ると、そのままばたん、と倒れ込んだ。それに続いて純も、

「ぼくもー。眠ぅい……じゃね、お休みなさぁい」

怪しげな呂律でそう告げると、直と同じベッド、その隣にもぞもぞと潜り込んでぴったりくっつき、あっという間に夢の中。

「え、ええっ……それ俺のベッドなんだけど………」

秀は眉をたわめて額を押さえ、

「悪い、水嶋。今夜だけ部屋交換してくれ。お前らは、俺らの部屋で寝てくれないか」

水嶋は顔を赤らめて鼻の頭を掻くと、

「い、いやぁ、別に俺は床の上に寝ても構わないからさ。この部屋で一緒に―――」

秀に凄い目で睨まれた水嶋たちは、すごすごと部屋を移動した。




「ごめんっ」

翌朝、朝食を済ませた後、純と直は赤い顔をして水嶋たちに頭を下げた。

「あ…いいよいいよ、そんな。あっちの部屋でぐっすり眠れたし」

部屋を奪われたクラスメートたちは、笑って手を振った。直は頭を掻いて、

「あー、もうすっげえ恥ずかしい。ガキみてえ」
「みたいじゃなくてまんまガキだろ？」

後ろからぬっと顔を出して口を挟んでくる秀をぎろと睨み、「何で起こしてくれなかったんだよぅ」と不貞腐れる。

「２匹の捨て猫が、やっと安らかな寝床を見つけた、っつう感じだったから、そっとしといてやろうと思ったんだよ」
「なぁんだよそれっ。誰が捨て猫じゃっ」
「これとこれ」

秀は言いながら、純と直の頭を上からコツン、コツン、と叩く。二人とも同じように頭を押さえ、同じようにむくれていたが、

「くっそぉ、純、行くぞっ。捨て猫同盟、攻撃開始っ」
「ラニャー！」

掛け声と共に秀に飛び掛っていった。

「うわっ、ばか、やめろ。痛えよ」

朝っぱらからじゃれ合う３人を前に、クラスメートらは「相変わらず仲いいなあ」と半ば呆れ、半ば感心。その時、

「あ……の、秀くん……」
「いててて………あ、ああ、高階。おはよう」

高階美紅（たかしな・みく）が、おそるおそるといった感じで声を掛けてきた。それは仕方のないことだった。この３人の輪を崩し、中に割り込むのがどれほど勇気が要ることか、クラスメートで解らぬ者はいない。たとえ“彼女”であったとしても。

美紅は、ちゃんと３人に向かって「おはよう」と笑いかけると、

「ね、この後の自由時間、もし良かったら一緒に……」

といかにも申し訳なさそうに誘ってくる。秀は、自分の方から誘うべきだったと、配慮に欠けていたことを心の中で責めた。

「ああ、もちろん。湖の方へ行ってみようか」
「うんっ」

純はこの遣り取りを不思議そうな顔で見つめていた。直はつつつ、と秀に近寄って肘を小突き、

「おい、ちゃんと説明しろよ。純がぽかんとしてるぞ」

少し翳のある声で囁いた。秀は一瞬眉をひそめたが、小さく頷いた。そして、

「そうだ、純。まだお前には言ってなかったけど、彼女と付き合い始めたんだ。だから……」

純はきょとん、としていたが、すぐに顔を綻ばせ、

「ホントっ？　美紅ちゃんと？　えぇ〜、知らなかったよぉ。でも良かったねっ」
「ああ……」

秀も直も美紅も、何故か互いの視線から逃れるように黙って俯いている。

純はこの重い空気に面食らったのか、「あの……」と誰にともなく声を掛けた。すると直はぱっと顔を上げ、

「んじゃ、純。俺らは水嶋たちでも誘って遊ぼーぜい。確かバスケのコートもあったはず。どう？」
「うん、やるやる。じゃあ、秀、美紅ちゃん、また後でねー」

無邪気な笑顔で手を振る純。しかし心の中は複雑な思いで沸き返っていた。




「うにゃー、知らなかったよ。秀が美紅ちゃんと……いつから？」
「つい最近らしいよ。俺もよく知らないんだけどさあ」

コートの使用許可をもらった直たちは、ぶらぶらと外へ出た。純は「そっかぁ……」と溜め息混じりに呟くと、

「でも…でもちょっとだけ淋しいなあ……なんて言ったら、また秀にガキだって言われちゃうね」

直はちろと皮肉っぽい横目で睨むと、

「それを言うなら純、俺たちだって淋しい思いしてたんだぜぇ。お前は尭村さん尭村さんだしさぁ。秀のこと言えねーぞ」
「あ……それは……そ、そうだね、うん………」
「あーあ、俺一人になっちゃったぁ。俺もカノジョ作ろっかなあ」

と、いかにもやる気のない声でそんなことを言ってみる。しかしやる気があろうがなかろうが、直が彼女を作るのは難しいだろう。

自分より可愛いくて目がぱっちりしててお肌つるつるな男のコを、好きこのんで恋人にするような自虐趣味な女子は、皆無ではなかろうが稀少生物に違いない。

もちろん直にはそんな自覚あるわけもなく、「彼女募集中！」と大声で喚いてけらけらと笑った。

純は数日前、尭村の誕生日に秀と交わした会話を思い出した。
会話というより、秀の一方的な通告といった感じで、純も何がなんだか分からぬまま（酔っていたせいもあるのだが）、真意を質すこともできなかった。

しかしようやく分かった。「俺たちは少し距離を置いた方がいい」などと秀が言ったのは―――

―――好きな人が、守りたい人ができたからなんだね。なのに僕ってば、気付くどころか嫌だ嫌だって駄々捏ねたりして……

いつも傍にいて静かに見守ってくれてたから、これからもずっとそうだと勝手に思い込んでいた。何て自分勝手で我がままだったんだろう。大事な幼馴染の幸せを、後押ししてあげなくちゃいけないのに。でも………

「はぁ。これが大人になるってことなんだなあ」
「ぶっ。……なんだぁ？　それ」

笑いながら顔を覗き込んでくる直に、純も笑顔を返した。

しかし、あの大きくて優しい手が自分へ差し伸べられることはもうないのだと思うと、胸の奥の柔らかい部分がちくりと痛んで、思わず泣きそうになった。

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