１.

何気ないひと言、つまらぬ思い付きが人を傷つけ、挙句決定的な断絶にまで発展することもあり得ると、経験から教訓を汲むことのできる人間なら知っているものだ。

一度発してしまった言葉は、否定はできても取り消すことはできない。心ない言葉により傷ついた心は、その何倍もの慰めや謝罪をもってしても完全に癒されることはないのだ。

尭村はそれを身をもって思い知ることになる。言ってしまった後で己れの軽率さを呪うことになるが、悔やんだ時にはすでに遅い。いや、すでに遅いからこそ悔やまれるのだろうが。




「お前、蒼星の生徒に告られただろ？」
「あ………」

ほとんど一方的に突き上げられて、自分の飢えを満たすだけのセックスに翻弄された純は、痺れた頭の片隅で一人納得した。尭村の不機嫌はそのせいだったのか、と。

「告られたことが悪いと言いたいんじゃねえ。なんで俺に隠してたんだ、ああ？」
「か、隠してたわけでは……っぁ……あっ、ん」

たった今放ったばかりだというのに、純の中に突き刺したままの尭村自身は、再びどくどくと怒張を始めた。どうやら尭村の場合、怒りの感情とも同調しているようだ。声が低く険しくなるにつれて、太く硬く、純の秘孔を押し広げる。

「なんだよ、淫乱な声出してねえでちゃんと説明しろ」

そう命令しながら、ゆっくりと焦らすように腰を使い始める。

「あぁ……っう………ち、ちゃんと断ったも…ん、だから……ああっ」
「だから、俺なんかにいちいち言うまでもないと思った？　ふざけんな」
「ちが……う、心配、かけたくなかった…から………あっ、あぁっ……やぁっ」

尭村は純の腰を後ろから本格的に抱えると、乱暴に打ち込み始めた。その激しい動きに純の細い身体はがくがくと揺さぶられる。まるで、壊れかけた人形のようだ。

「はっ、そんな可愛いこと言って俺を騙そうとしてんじゃねえのか？　ええっ？」
「そ、そんなこと……どして……あうっ…っふぅ……あぁっ……も…イクぅ……」

しかし、純の艶かしい声にも剣呑な表情を崩さず、尭村は手を伸ばすと、純のペニスをぎゅっと掴んで欲望の放出を妨害した。

「まだ話は終わってねえんだよ。勝手にイクんじゃねえ。お前、これからも俺に黙ってるつもりか？」
「言います……ちゃんと言います………だから、ああぁっ」

尭村は腰をひねって、中を掻き回す。ひくつく粘膜から漏れるぐちょぐちょという艶音に耳まで犯されて、純は堪らず悲鳴をあげる。

「お願い、あきむらさんっ、もうイカせてぇ………」
「ちゃんと言いますからイカせて？　は、そんなの信じられるわけねえだろ。今の快楽欲しさに、適当なこと言いいやがって」
「おねがい……おねがい……」

純は今日、まだ一度も達してなかった。尭村に、いいように身体を貪られるだけで、可愛らしいペニスの奥でずくずくと高まる欲望は放置された。

いっそのこと自分で……と何度も手を伸ばしかけたが、そんなことをしたら尭村に何を言われるか分からないと思い、ひたすら耐えて透明な蜜がこぼれるに任せた。でももう限界だ。このままでは―――

「あ、あたまがヘンになっちゃうよぉ……おねがぁい………」
「面白え。ヘンになってもらおうじゃねえか。ほら」
「やあぁぁっ、ゆるして、ゆるしてぇ……」

尭村はにやりと嗤って純の上に覆いかぶさり、その耳許に口を寄せて囁いた。これまでずっと気になっていたこと。だが、真面目に膝を正して訊ねるのは余りに女々しいと躊躇していたこと。それを堂々と問い詰める機会がようやく訪れた。

「許して欲しいのか？　なら正直に言え。……お前、初めてはいつだ？　相手の男は？」
「いっ、いや、いやぁ………」

唇を噛み締めて、ふるふると首を振る純。尭村の内の嗜虐心が騒ぎ出す。

「今さら恥ずかしがるんじゃねえよ。おら、イカせて欲しかったら言え」
「やだっ、やだあ……ゆわないっ」

尭村は少なからず驚いた。まさかここまで頑なに拒絶されるとは思っていなかったのだ。これは、単に恥ずかしがっているというレベルの拒絶ではなさそうだ。

鳩尾の辺りからむらむらと、燻朱の感情が湧き上がる。ここ最近は無縁のものであったはずの、嫉妬心。よほど大事な思い出なのか。誰にも言わず、自分一人でそっと慈しみたいと願うほどの―――

「上等じゃねえか……てめえ」

腹の底から這い上がる怒気がそのまま反映されたような低い声で唸ると、純のペニスを握ったまま奥の急所を攻めたてた。突然の非情な突き上げに、掠れた悲鳴と涙を散らす純。

「きゃあああぁっ……やめっ、ソコやめてぇ………あぅっ……あぁっ、あぁっ……」
「……言えよ、純。言えっつってんだよっ」

尭村は思わず顔を歪める。泣き叫ぶ純の内壁は乱れまくり、激しい痙攣を繰り返しながら尭村のモノを締め付ける。彼もまた、限界を迎えつつあったのだ。

しかしそれ以上に辛いのは純であった。根元を握り込まれたペニスの先端は真っ赤に膨れ上がり、割れ目はぴくぴくと喘いで涎を垂らす。

「言うからっ……言うからぁっ………」
「嘘ついたってすぐに分かるんだからな、純」

意識が半分飛んでいるのか、無言のままかくかくと力なく頷く。それを見留めた尭村は、深く突き入れると同時に手を離した。

「あっ…ああああぁぁっ………」

腰を小さく振りながらびゅっびゅっと濁った欲望を放つと、それから僅かに遅れて尭村も、純の中に熱い汁をたっぷりと注ぎ込んだ。
じゅるり、と音をたてながら火照った陰茎を引き抜き、昏い声でねっとりと囁く。

「おら、純……約束だぜ………」

純はうつ伏せのままシーツに顔をうずめ、肩を震わせている。苛立った尭村は、無理やり起こそうと肩に手をかけた。が、その時純がか細い声で告げた。

「レ……イプ、されたの………７つの時に。……それが初めて」

涙混じりのかすれた告白だったけれど、はっきり聞き取ることができた。純はそのまま顔を上げようとせず、シーツをぎゅっと掴んで嗚咽を漏らす。白いシーツの柔らかな襞に、涙と悲しみと辛い記憶を染み込ませるように。

「うぅ………」

尭村は獣じみた呻きを発すると、よろりと立ち上がり、覚束ない足取りでシャワー室へ行った。
そして暫くの間、冷たいシャワーを浴び続けていたが、終に頭を抱えて座り込んだ。身体の芯まで冷えるのも構わずに。




どのくらい泣いていたのだろうか、純は重い頭をゆっくりと持ち上げて身体を起こし、ベッドの上に座った。そして愛しい人の姿を探す。

「……ぁきむらさん」

自分でも驚くほどの衰弱した声。しんと黙して語らぬ部屋に挑むかのように、力の限り声をあげる。

「あきむらさんっ、どこぉ………」

こういうことは初めてではなかった。純が寝ている間にそっとベッドを抜け出し、簡単な朝食の仕度をするためにキッチンへ行く。そして目覚めた純は隣に尭村がいないことを覚ると、必ず軽いパニックに陥った。

迷子になった子供が、「ママぁ、ママぁ」と泣きながら探し回るように、純は尭村の名を呼びながら部屋じゅうを彷徨う。戻ってきた尭村は慌ててその冷えきった身体を抱き、優しく口づけしながら「俺はどこにも行かない」と繰り返すのだった。

「あきむらさぁん、あきむらさぁん……」

しかし尭村はなかなか現れない。純は足をもつれさせながら寝室を出たがそこにも彼の姿は見えず、浴室へ入ってようやくその姿を見つけた。

しかしこちらに背を向けてシャワーを浴びている尭村は、他人を拒絶するかのように肩を強張らせている。純はおそるおそる近づいて、その逞しい背中に触れた。冷たい。彼が浴びているのが冷水だと気付くのに、時間はかからなかった。

「あきむらさ―――」
「触るな」

鋭い拒絶に、指先が硬直する。水の流れる音と心臓の鼓動がやけに大きく響いて、鼓膜を圧迫してくる。純は直感的に、この次の言葉は聞きたくないと思った。しかしもう遅い。

「純、今日はもう帰れ。お前と……顔を合わせることができない」

何故尭村はこの時、「俺が悪かった」とひと言謝らなかったのか。つまらぬ嫉妬から、純にあのような痛い告白を強要することになった自分を責めて、悔やんで、呪ってさえいたというのに、その想いをきちんと伝えて許しを請うより先に、自分の気持ちを整理することを優先させてしまった彼の過ち。

そのせいで純は、穢れた過去により自分は拒絶されたのだという思い込みに、身を裂かれるような苦しみを味わうことになったのだ―――

「あ……ぁ」

純は掠れた喘ぎを漏らした。そして安らかな呼吸を忘れたのか、苦しそうに息を吐き出しながらそっと後ずさった。さーっと血の気が引き、身体の芯から冷たいものが湧き上がってくる。
尭村のように冷水を浴びているわけではないのに、身体は凍え、指先がぶるぶると震え始めた。

しかし純は、頽れそうな身体を叱咤しながら、帰り仕度をして尭村の部屋を出た。途中、額賀に「もうお帰りですか？」と声を掛けられたような気がしたが、何と答えたのか思い出すことはできなかった。




―――やっぱり駄目なんだ、僕は

いつかこういう日が来ることを、心のどこかで予感していたような気がする。だからこそ、「愛している。ずっと傍にいる」と繰り返して、その言葉通り深い愛情で潤してくれた尭村に対し、不安や怯えを拭うことができなかったのだろう。

『過去は現在の垢、未来は現在がみる白昼夢に過ぎないんだよ』

だから俺は今の純を愛する、そう言って笑いかけてくれた嘗ての恋人は、今もロンドンにいる。しかしその彼さえも、自分は裏切り、傷付けてしまったのだ。

穢れた過去、醜い自分。これまでは、尭村の腕の中で幸せな微睡みに包まれて、記憶の隅に追いやることができた。が、事実そのものを消し去ることなどできない。
そしてちらちらと垣間見える純の過去の断片は尭村を呆れさせ、憫笑や嘲笑を誘い、終には決定的な嫌悪を植え付けるに違いないのだ。

―――これでよかったんだ、きっと……

そう、今ならまだ引き返せる、まだ間に合う。自分のような人間を愛してくれる人がいる、そんな思い込みに溺れてしまう前に、それは余りに虫のいいお伽噺に過ぎないと気付くことができたのだから、寧ろ喜ぶべきことなのだ。

大丈夫、大丈夫。辛くない、ちっとも辛くない。その証拠に、ほら、僕は今笑って―――


「純っ、どうしたのっ。何があったの！」

純は帰宅するなり、玄関にぺたんと座り込んだ。そして環の呼びかけにも答えず、大きく見開いた目から涙をとめどなく溢れさせたまま、「大丈夫、大丈夫」と幽かに震える声で呟き続けた。

BACK　　　　　　TOP　　　　　　NEXT