ハルとナツの奏鳴曲
―Sonata for HARU and NATSU―
１８.
「泰水、待てっ、待ってくれ！」
春留の切実な叫びが届いたのか、泰水はびくんと肩を揺らして立ち止まった。春留はなるべく刺激しないよう、歩みを緩めてそっと近付く。
「俺だけだ。那津はいない」
そう言って尚もゆっくり近付く。泰水はもう逃げないという確信があった。そして数歩の距離まで近付くと、足を止めて震える背中に語りかけた。
「さっきの話は嘘だな？」
「何の……ことだよ………」
泰水の反問には直接答えず、春留は自分の考えを衒いのない口調で淡々と述べた。
「お前は、那津を解放しようとしたんだ」
「………」
「那津を縛っている罪悪感から解放しようとした。本当の自由を与えるために」
“僕のことはいいから、那津は好きなように生きて”―――その言葉だけでは不十分だということを、泰水はよく分かっていた。那津が本当の自由を得るためには、こうするしかなかったのだ。
「なんでッ………」
泰水は否定も肯定もせず、丸めた背中を震わせてぶつぶつと呟いた。が、くるりと振り向いて涙でぐしゃぐしゃの顔をさらに歪め、「あんたなんか大ッ嫌いだ！」と叫ぶ。と同時に、春留の身体に飛び付いてぎゅっと抱き締めた。
「大っ嫌い……なのになんで……なんであんたには触れるんだよぉっ……」
いつだったか、春留に肩を叩かれたことがあった。その瞬間は身構えたものの、いつものような吐き気や震えに襲われることもなく、すんなり接触を受け入れることができたのだ。
もしかしたら、その時から既に分かっていたのかもしれない。この人は那津だけでなく、自分にとっても“特別な”人になるだろうということを。
「なんで……あんたは男なのに……こんなに安らぐんだよぉ………」
春留は腕を回して華奢な背中を抱き締めた。行き場を失くした幼子のようにしがみ付いてくるこの儚い存在に、切なさ、苦しさが込み上げて胸を圧し潰す。
「分かってたんだ、いつか、こういう日が来るって………」
春留にしがみ付いたまま、泰水は苦い本心を打ち明ける。
「那津の中にあるのは、僕に対する罪悪感と同情だけ。それが本当の愛情に変わることは絶対にない。でもそれでもいいと思ってた。那津さえずっと傍にいてくれれば……」
「では、何故……」
春留の控え目な問いに、泰水は千切れんばかりの叫びで答えた。
「だって見ちゃったんだもん！ 那津が、あなたのブーツを抱き締めて泣いてるとこッ。暗い温室でうずくまって、声を押し殺して苦しそうに泣いてた。あ、あんな姿見ちゃったら……僕、僕ぅ………」
最後は嗚咽で掻き消されてしまった。激しく上下する肩を、春留は黙って撫で続けた。
「ぅっ……ぅぁ……ぁぁぁぁ…………」
言葉にならぬ悲しみを涙に乗せて、春留のシャツに沁み込ませる。春留は幾度も喉を鳴らして込み上げる熱い塊を呑み込み、
「辛いか？ 泰水。俺も………辛い」
理屈を超えた感情を正直に告げた。やがて泰水はゆるゆると顔を上げ、
「那津は優柔不断で脆い部分があるから、あんたみたいな人が傍にいないとダメなんだ。ヘンな言い方だけど、二人で僕の分も幸せになって」
春留は泰水の両肩を掴んでぐいと引き離した。そして肩を強く掴んだまま、
「阿呆。お前の分なんて要らねえよ。それは自分のために取っておけ」
泰水はクッと喉を鳴らし、力強く頷いた。そして少し乱暴に涙を拭った。
「それじゃ、僕はもう帰るよ」
「送って行くぞ」
泰水は肩を竦めて首を振り、
「僕は大丈夫。もう、この前みたいなことはしないから。那津が待ってるよ、早く行って安心させてあげてよ」
「そうか……分かった」
泰水はくるりと背中を向けると、「またね、紫堂先輩」と言って足早に去っていった。春留はこもった笑いを漏らし、
「あいつ……初めて俺の名前を呼んでくれたな」
嬉しいような切ないような感慨をくゆらせつつ、遠ざかる背中を見送った。すると、背後からカサリと草を踏み締める音が。
「……那津」
「はい……」
木の蔭から、肩をすぼめて項垂れた那津が現れた。まるで、叱責を待つ子供のように神妙な顔付きをしている。泰水との会話を聞いていたことは明らかだった。
「お前の優しさは残酷だということが、身に沁みて分かっただろう」
咎めるでもない諭すでもない淡々とした口調で語りかける春留に、那津は「はい」と答えるのが精一杯だった。
「今すぐは難しいかもしれねえが、必ず泰水と仲直りするんだぞ。お前の方から歩み寄るんだ」
「はい」
「そうすればきっと、これまでみたいに言いたいことも遠慮して言えねえような上っ面の仲じゃなく、本当の友人になれる。分かったな？」
「はいっ」
必死に頷く那津に、春留は「よし、いい子だ」と言ってふわりと笑いかけた。
「……先輩ッ―――」
那津は声を詰まらせながらも叫ぶと、春留の許に駆け寄った。そしておそるおそる手を伸ばして、まだ少し赤い頬を撫でる。
「痛かったでしょう？ すみません、すみませんっ………」
しかし春留は柔らかな笑みを保ったまま、那津の手を取って目の前に翳し、
「殴った手の方が痛かったはずだ。だから那津、これでおあいこだ。もう二度と、他人に手を上げるんじゃねえぞ。分かったな？」
那津は何度も何度も頷くと、今度こそ春留を力の限り抱き締めた。
「会いたかった……です………」
春留もゆったりと腕を回し、背中にきゅっと爪を立てた。
「俺も、会いたかったよ……」
ほんの数日間の空白なのに、互いの温もりにどれほど飢えていたか、こうして抱き合うことで改めて思い知った。
「もう、絶対に離しません……」
「ん………」
ようやく手にした確かなもの。その感触を、存在を確かめるように、二人は互いの身体にしがみ付いて離れようとしなかった。
その夜。二人は再び春留の部屋にいた。ベッドの上に身体を寄せ合って座り、取り留めのない言葉を交わしながら同じ夜空を見上げる。
「見てください。月が綺麗ですね……」
「ああ、眩しいくらいだ……」
春留はそう言って、那津の胸に頭をもたせかけた。なにロマンチックなこと言ってんだよ、こっぱずかしい―――これまでなら不貞腐れて顔を背けてしまっただろうが、こうして那津の傍にいると何故か素直になれる。感覚が自由に解放され、綺麗なものは綺麗だとそのまま受け入れることができる。
しかし、那津がじっとこちらを見詰めているのに気付くと、さすがに照れ臭いのかふいと横を向き、
「月見てんじゃなかったのかよ」
「見てましたよ。あなたの眼に映った月を。でもそれ以上に、先輩の横顔が綺麗でした」
思わず頬が赤らむ。那津のこういう言動にはだいぶ慣れたつもりだったが、やはり戸惑いは隠せない。からかっているのではないと分かってはいたが、つい尖った声で「ふざけたこと言うな」と突っぱねてしまう。
しかし那津も、春留のこういった反応には慣れてしまったのか、クス、と笑って肩を抱き寄せ、
「先輩は、何をしても綺麗です。綺麗じゃないことができない人なんだ。否定の否定はイコール、強力な肯定です」
「……花より綺麗な人間はいないんじゃなかったのか？」
那津は肩を竦めて嗤い、
「ああ、可哀想に。誰が言ったかは知りませんが、そんなことを言う人間はきっと、紫堂先輩のような人に出遭ったことがなかったのですね。ご愁傷様です」
呆れたような半目で睨んでくる春留に屈託ない微笑みを返し、
「花が美しいのは、虚栄心がないからです。花は美しいと褒められるために咲くんじゃない。花にとって、他者の目なんて関係ないのです。あなたも同じだ。他人の目を気にすることなく、自分を律して真っ直ぐ立っている」
那津の言葉に、春留は首を振って否定を表す。
「お前は俺を過大評価している。俺はそんな……強い人間じゃねえよ」
そう、これまでは大事なもの、守るべきものがなかった。だから強いフリをしていられたのだ。
しかしそれはまやかしの強さに過ぎない。春留は、自分の“強さ”が危うい均衡の上に辛うじて成り立っていることを、強く自覚していた。
春留の言葉を受け、那津は暫し黙って考えていた。やがて―――
「では、俺が強くならねばいけませんね。この手が、もう二度と誰も殴らなくて済むように」
春留の手を取って、その指先にそっと唇を押し当てる。これまで自分を叱咤し、励まし、支えてくれた手は、想像以上に小さくて繊細だった。
思わず胸が詰まる。もっともっと強くなってこの人を守るのだ、そんな決意を込めて、那津はさらに強く唇を押し付けた。
「那津、そんな慌てることはないさ。二人で……ゆっくり成長していけばいい」
“二人で”を強調した春留の想いに打たれ、那津は込み上げるものを抑えながら何度も頷いた。
「少し、歩みを緩めてくださいね。でないと俺、いつまでたっても先輩に追い付けない」
「そうだな。たまに立ち止まって待っててやるよ」
「うっ……悔しいですが、がんばります……」
がっくり項垂れ、些か弱々しい声で決意表明する那津。その姿が何だか可愛くて、春留は思わず笑ってしまった。
「……笑わないでください」
「笑ってねえよ………っく、くくく…………」
「思い切り笑ってるじゃありませんか。そういう時は、こうするしかありませんね」
那津は春留の腰を少し乱暴に抱き寄せて、笑みの形に緩んだ紅い唇を塞いだ。
「んっ……な…、つ………やめっ――――」
隙間からこぼれる甘い抗議は、あっという間に濡れた喘ぎに変じた。侵入してきた熱い舌を、初めは戸惑いつつ、やがて悦びをもって受け入れる。
春留は腕を回して那津の背中にしがみ付き、うっとりと目を閉じて深い口付けに酔い惑うた。
しんと静まり返った寝室は、濃厚な吐息と唾液の絡まる水音に支配され、次第に艶めく風情を帯びてきた。
空間全体の高揚に駆り立てられるように、那津は口付けに没頭したまま春留の下穿きに手を掛ける。そして下着ごとずり下ろして、美しく引き締まった腰となだらかな尻のラインを露わにした。
「ん、んっ」
春留は腰を振って抗議したが、その甲斐なくするすると脱がされて膝まで下ろされてしまった。そして間髪入れず股間のモノをゆるりと握り込まれ、手のひら全体でくにゅくにゅと揉まれた。
ちゅぷっ、と愛らしい音をたてて唇を離した春留は、「手ぇ放せっ」と叫ぼうとしたが、実際に唇から出てきたのは「んぁ…ン」という切ない喘ぎ声だった。
「そんな声……出さないでくださいっ………」
那津は切羽詰った掠れ声で本音を漏らすと、手の中の愛しい存在にさらなる刺激を与えた。輪っかにした指をカリの部分に引っかけてコリコリと揉んだり、と思ったら親指の腹で先端のささやかな割れ目を押し潰したり。
全ての刺激が春留の性感中枢をダイレクトに揺さぶるのか、嬌声を上げて下肢をぶるぶると震わせた。
「気持ち……良さそうですね」
「うるせっ―――」
いつもは冷たく凪いで対象を刺し抜く結晶の瞳が、官能の涙に覆われて妖しく揺らめいている。それは懶惰な色気としか呼びようがなく、那津は不穏な熱情が喉奥からせり上がってくるのを痛感した。
「俺ばっか脱がせんなっ。お前も脱げよ」
春留は精一杯の強気な声調でそう言うと、那津の股間に手を伸ばした。そして下着の奥に手を突っ込み、熱く脈打つ楔を掴み出そうとした。
しかしそれは春留の手を借りることなく、自身が意志を持つかのように飛び出してビチビチと跳ねた。
「なっ……いつの間にこんな勃たせてんだよっ」
「ずい分前からです。ずっとガマンしてました」
さらりと答える口調は爽やかとさえ言えるが、浮き上がった血管が取り巻く一物は先走りに濡れてぬらぬらと淫猥な光沢を帯び、薄闇の中で途轍もない存在感を放っていた。ずっと我慢していたのは事実だろう。ひたすら天を衝くその威容は悲壮ですらあった。
春留は無言のまま、膝に引っかかっていた下着を脱ぎ捨てた。那津の前で四つん這いになると、ちらと妖艶な眼差しを向けて「約束だったな」と微笑した。そして那津の困惑を無視して、赤黒く膨れた先端にちゅっと吸い付いた。
「ぅぁッ…………」
那津は眉間に深い皺を刻み、びくんと腰を浮かせて呻いた。春留は構うことなく徐々に深く咥え、舌を絡めてこすり上げては喉をきゅっと締めた。
すると口内に生温かい粘液がどっと溢れ、飲み切れないものが唾液と一緒にこぼれてシーツを濡らした。
もちろん、春留が望んでいるのはもっと熱い迸りだ。喉の奥にそれを叩き付けて欲しい、そして全てを飲み干したい。春留はクチュクチュ音をたてて、健気な奉仕を続けた。
「先輩……っ……だめです……出ま…す……ぅッ…………」
那津の悩ましげな呻きに応えるように、春留は舌を絡ませつつ指で根元を強めに扱いた。すると、ドクン、と口の中で大きく震え、次の瞬間にはびゅくびゅくと熱い迸りを喉の奥目がけて叩き付けてきた。
「ん、んっ…………」
春留は喉を鳴らして飲んだが、余りの量と勢いに付いてゆけず、途中からとろとろと零してしまった。
それでも最後まで口を離すことなく、那津の種が切れて漸く口の中のものを解放した。春留は四つん這いのまま、挑発的な上目遣いで那津に笑いかけた。
「ごちそーさま」
そして唇に付着した残滓を舌先でちろと舐める。しかし、たった今弾けたばかりのモノが再びむくむくと形を変えつつあるのを目の当たりにして、驚きを隠せず大きく瞬きする。
「お前……今出したばかりじゃねえか。どんだけ節操なしなんだよ」
半ば呆れて指摘する春留に、那津は少し怒ったように反論した。
「俺のせいじゃありませんよ。先輩が、そんないやらしい格好してるから……」
那津の言う通りだった。上はタンクトップを着たまま、下は剥き出しの状態で、腰をきゅぅんと反らせて四つん這いに。
腰の窪みや引き締まったラインはもちろん、その下の白いお尻がぷりんと持ち上がって、瑞々しい光沢を見せ付けている。その格好で上目遣いで見られては、静まったはずの獣欲がむらむらと再燃するのも当然だといえよう。
那津の言葉の意味がようやく理解できたのか、春留はがばと起き上がってくるりと背中を向けた。項や耳たぶが紅く色付いているのが、薄闇の中でも分かる。
那津は着ているものを素早く脱ぎ捨てて全裸になり、驚かさないようそおっと近付いて背後から抱き締めた。春留はぴくんと身じろいだが、抵抗しようとはしなかった。その耳に口を寄せて、
「先輩、すごく嬉しかったです………」
「……うるせ。約束だから仕方なくやってやったんだっ………」
那津はクス、と微笑って、
「先輩は、約束を破るような人じゃないですからね」
タンクトップの裾を捲り上げて、滑らかな胸を露わにした。そしてツンと勃ち上がった紅い実を指で摘まんでクリクリと慈しみながら、
「今度は、先輩のお尻の奥にたっぷり出したいです。いいですか？」
春留は小さく喘ぎながら那津の胸に背中を預け、そしてためらいつつもゆるゆると脚を広げた。
那津は胸を嬲っていない方の手を開かれた股間に回し、内股をなぞり双玉を弄びながらさらに奥へ、熱い楔を求めてひくひく蠢いている蕾を探った。
「ぁっ………ん、な…つ………」
襞が指先に吸い付く感触を愉しみながら、那津は情欲に荒れた低音を注ぎ込んだ。
「俺の手は、花を育むためのもの、あなたはそう言ってくれましたね。でももうひとつ、蕾を咲かせるためのものでもあるのです。ほら……」
囁きながら、すでに先刻からの愛液で濡れている蕾に一本、二本と指を埋め込んでゆく。そのたびに、大きく広げた脚をビクビクと震わせて快感を訴える春留を灼けるような眼差しで見詰め、
「指じゃ足りないでしょう？ もっともっと大きく華やかに咲かせてあげますからね」
ねっとりと囁いて、埋め込んだ指で中を掻き回し始めた。
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