第六話
近衛はゆっくりと広間の中央に歩み出た。その動きは緩慢だったが、若干反り気味に伸ばした背筋や、無駄な揺れのない逞しい上半身、そして何より、やや色素の薄い酷薄そうな双眸が、磨き上げられた白刃のような鋭く禍々しい印象を醸していた。
黒々とした髪は丁寧に撫で付けられ、前髪のみ緩やかにうねって額に蒼い影を落としている。切れ長の目元は涼やかで、菲膜のようなものに蓋をされた瞳はいかなる感情の湧出も許さない。かといって、決して濁っているわけではなかった。むしろ徹底的に澄んでいるがゆえに底が見えず、対峙する者に不安と恐怖を喚起するのだ。
近衛は現在四十四歳。しかし端麗な容姿や引き締まった身体のせいか、三十代前半に見える。それでも、そんな外見の若々しさとは裏腹に、彼の一挙手一投足からは濃厚な倦怠と頽廃が感じられた。
それは、全てを思い通りにできる独裁者の宿痾なのかもしれない。もちろん、それさえも近衛朱雀という男の劇薬めいた魅力を構成する一要素であることは確かなのだが。
近衛は全く表情を変えず、来賓や招待客たちからの挨拶に鷹揚に頷きを返す。その後ろには、近衛の第二の愛人と噂される付き人の美青年が、稚児のように付き従っていた。
ゆったりとした足取りで会場を巡りつつ、やがて近衛は蒼舞の方へ近づいてきた。すると、蒼舞の斜め後ろに控えていた鷲塚は大きく一歩前進し、脱帽して胸に押し当てた。そして右手を前方に真っ直ぐ突き出し、長靴の踵を音をたてて合わせると同時に肘を曲げて敬礼した。
全ての動作が機械じみていて、蒼舞はついさっきまで鷲塚に対してほのかに抱いていた親近感のようなものが一気に崩れ去るのを感じた。
ああ、やはり彼は朱衛軍に所属するエリート軍人、総統の狗なのだ。そんな分かりきった事実に今さら打ちのめされる自分が滑稽で、蒼舞は思わず笑い出しそうになってしまった。
「妃月君、パーティーは楽しんでいるかね」
近衛が、社交の場で自分から話しかけることはまずない。周囲からは好奇の視線が、付き人の美青年からは嫉妬に尖った視線が注がれる。と同時に、傍らに控える鷲塚の緊張が伝わってきた。蒼舞は軽く一礼して、
「いえ。さっきも会場を抜け出して、彼に連れ戻されたところです」
周囲がしんと静まり返る。ひりひりした空気が肌を刺し、鷲塚の緊張がさらに高まったことが分かった。蒼舞はざまあ見ろと心の中で快哉を上げる。
「そうか。あまり護衛の者に迷惑をかけぬように」
近衛は抑揚に乏しい声でそう言うと、蒼舞の元から去っていった。その背中を見送ってから、蒼舞は鷲塚に向き直り、
「さあて。これからパーティー終了まで、僕は何をしてればいい？ 鷲塚さんの言う通りにするよ」
皮肉を込めた問いを振ると、鷲塚は苦々しく眉をたわめた。彼が、こんな分かりやすい表情をするのは珍しい。
「君は、私が言ったことを全く理解していない」
「何が？ 総統からの質問に、正直に答えただけだ。あんな機械みたいな心のこもってない敬礼をする人間に、たしなめられる謂れはない」
「滅多なことを言うな。私は──」
「あれは、単なる記号なのかもしれない。でも人間がやる以上、たとえわずかでも感情が入るはずだ。なのにあんたはまるでゼンマイ仕掛けの人形だった。薄気味悪い」
蒼舞は吐き捨てるようにそう言って、鷲塚に背中を向けた。背後から溜め息が聞こえたが、そのまま無視し続けた。分かっていた、これも子供の癇癪に過ぎないと。軍隊式の敬礼に、いちいち感情なんて込めるはずがない。
ただ、鷲塚も“あちら側”の人間だという現実をあらためて突きつけられて、哀しくなったのだ。それを紛らわすために鷲塚に当たっただけ。
「薄気味悪くて結構。とにかく、あとは大人しくしていてくれ。私の心臓がもたん」
そう言う鷲塚の口調は、やっぱり癇癪を起こした子供を宥めるそれだった。蒼舞は不貞腐れつつも「分かってるよ」と返して、ボーイが運ぶシャンパンやワインをがぶ飲みしたのだった。
やがてパーティーも終わり、招待客たちは談笑を交わしつつ各々迎えの車に乗り込んだ。鷲塚も部下に命じて早々に車を手配させたのだが、それは必要なかった。帰り際、近衛の秘書が背後から音もなく近づき、鷲塚の耳元で二言三言囁いた。
鷲塚はかすかに眉根を寄せたが、すぐに小さく頷いて了承を伝えた。そしてテラスでまだワイングラスに口を付けている蒼舞の元へ行き、事務的な口調で告げた。
「総統閣下がお呼びだ」
蒼舞はとろんとした上目使いで鷲塚を見返したが、やがてゆっくりと瞳が翳っていった。伏し目がちになると、長い睫毛が頬に蒼い影を落とす。
一気にやつれたように見えたのかもしれない。鷲塚が「大丈夫か」と訊ねると、蒼舞は口端を吊り上げて、
「何が？」
「あ、いや……」
珍しく口ごもる鷲塚を、蒼舞の瞳が真っ直ぐ射抜く。その眼差しに、酔いの名残りは微塵もなかった。蒼舞は「分かった」とだけ返して、扉の近くで待っている近衛の秘書の元へ向かう。が、途中で立ち止まり、
「分かってると思うけど、明日のお迎えは総統官邸だから。よろしく」
「承知した。で、何時ごろ行けばいいのか」
鷲塚の問いに、蒼舞は眉を吊り上げ、
「レッスン開始時間はあんたのスケジュール表に書いてあるだろ。それに間に合うように来てくれればいい」
「……身体は大丈夫なのか」
鷲塚が何を慮っているのかようやく察した蒼舞は、凄絶な笑みを浮かべ、
「大丈夫かどうかは問題じゃない。重要なのはこんなことでレッスンを休むわけにはいかないってことだ」
さらりとそう言って、秘書とともに広間から出ていった。
「あの男とはうまくやっているみたいだな」
近衛の話には前置きというものがない。いきなり問いを振られたり違う話題に飛んだりする。蒼舞も最初は戸惑ったが、慣れてしまえばどうってことはなかった。
「ええ、まあ。僕の癇癪に我慢強く付き合ってくれています。軍人としては理想的ですね。命令には忠実で、冷静沈着。感情がない。心は岩石でできているのでしょう」
蒼舞は答えると、宝石のように美しいブランデーをちろりと舐めた。おそらく最高級の部類に入る銘柄なのだろうが、舌がぢりぢり灼けるだけで美味しさはさっぱり分からない。ブランデーと悪戦苦闘する蒼舞を、近衛はちらと一瞥し、
「感情がないのではない。私や国家への忠誠心を鎧のように身にまとって、皮下でたぎる激情を隠しているだけだ」
「激情を……」
「そうだ。あれは鷲塚公爵の妾腹で、母親は独逸人。士官学校時代は、そのことを揶揄されると相手が最上級生だろうが構わず挑みかかった。青臭い矜持だ。そのエネルギーを勉学や訓練に費やすことにしてからは問題行動はなくなったが。つまり元々は激情家ということだ」
「そうだったんですか。でも何だか実感が湧きませんが」
蒼舞は正直に伝えた。すると近衛は物憂げな仕草で前髪をかき上げ、蒼舞に含蓄ある視線を向けた。
「そうか？ お前とは似た者同士だがな」
「僕と、ですか？」
「そうだ。お前もバレエ学校時代は出自のことでからかわれると掴みかかっていった」
「え、それは、まあ」
「しかしそういった輩を黙らせるには、己が精進し実力をつけるのが最も手っ取り早い。そうしてお前は練習に励み、今の名声を得るに到った。だがお前の中には今でもなお、憎しみの感情が渦巻いている。あの男の中に、自分を厄介者扱いした本家の人間や母親を馬鹿にした者たちへの憎しみが未だ残っているように」
「僕が、誰を憎んでいると？」
この問いは、蒼舞にとっては挑戦、いや賭けだった。近衛は、彼にしては珍しく芝居がかった間をおいて、おもむろに口を開いた。
「決まっているだろう、お前を鳥籠の中で飼っている私だ」
「あなたを憎むなんて、そんな恐ろしいことできるはずがない」
「自己欺瞞が上手くなったな。以前のお前はもっと、私への憎悪を露わにしていた」
近衛の声にも表情にも、怒りや不快の色はないが、だからといって安心などできるはずもない。眉ひとつ動かさず、数十人単位の処刑を命じる男なのだ。表情からその真意を読み取ろうなどとは、所詮無駄な足掻きだ。
「お言葉ですが、僕の中にそういった感情はありません。そしておそらく鷲塚さんも、恨みや憎しみは疾うに消化していると思います」
前半はともかく、後半の言葉は蒼舞の本心だった。するとそれを聞いた近衛は瞳を凍らせ、
「なるほど。憎しみはないと言うのだな」
近衛の声が蒼舞の耳に届くと同時に、背筋がゾッと総毛立った。何がまずかったのか分からないが、蒼舞の何かが彼の神経を逆撫でしたことは分かった。
「ならば私を憎んでもらおうか。蒼舞」
近衛はそう言って、柘榴色のカットグラスが美しい小瓶を蒼舞に見せつつ近づいた。そして小瓶の蓋を外して蒼舞の口許にあてがう。甘ったるい中に独特の突き刺すような刺激臭がたちのぼり、蒼舞の鼻孔と記憶を刺激した。蒼舞はわずかに顔を背け、
「それは……それは嫌です」
「嫌だと？ お前に拒絶する権利があると思っているのか？」
「いいえ。ただ、懇願しているのです。それはお許しください、と」
近衛は面白くもなさそうに鼻を鳴らし、
「つまらんたわ言を吐くな。お前には許しを乞う権利もないことが分からんのか」
そして瓶の中身を蒼舞の口に注いだ。
それがもたらす熱風のような快感は、すでに知っているはずだった。鳩尾に灼熱の心臓でも飼っているかのようにずくんずくんと疼き、そこから媚薬混じりの血液が全身に送り出される。
快楽とは普通、他者との交わりによって生まれるものだ。なのに暴走する蒼舞の身体は誰にも触れられぬまま、次々と快楽を湧き上がらせる。
「あ……ひぃ、っ……ん……」
蒼舞は全裸でベッドの上に四つん這いになり、時折腰をひくひくと震わせては挿入をねだった。腹に密着するほど勃ち上がった性器の根元はきつく縛められ、真っ赤にのぼせた先端から粘度の高い体液がとろりとろりと垂れる。そのせいで、シャンパンゴールドの光沢に波打つシルクのシーツに大きな染みができていた。
近衛は着衣のまま肘掛け椅子に座り、グラスを弄びながら、
「まるで気の触れた獣だな。そんなに犯されたいのか」
皮膚を切り裂くような侮蔑の言葉に、蒼舞は夢中で頷いた。誇りも尊厳も理性も、放置されたままの性器や秘孔の嘆きには敵わない。行き場のない快感はまるで拷問のように、蒼舞の心身を内側から責め苛む。
蒼舞は早く早くと言わんばかりに尻を突き出し、欲情の薔薇色に染まった谷間をさらした。
近衛は気だるげに立ち上がり、卑猥な形をした黒い玩具を手に近づく。その先端にはゼリーがたっぷり塗られ、てらてらと光っていた。
しかしその大きさも太さも、近衛の淫物には遠く及ばない。これを挿入したとしても、近衛に飼い馴らされた蒼舞の内襞は到底満足できないだろう。それどころか、中途半端な刺激は苦悶を煽るだけだ。
「は、ふっ……ぅ……」
それでも、ずっと放置されたままでかすかに充血したそこは、ようやくあてがわれた異物を嬉々として迎え入れた。ひんやりとしてぬめったものが押し当てられ、そのままぬるりぬるりと円を描くようにして窄まりを弄ぶ。
「はっ、はやく、はやく入れてっ……」
蒼舞は脚をさらに開いて尻を高く持ち上げ、いよいよ淫獣めいた姿になった。近衛は玩具をひねって襞を巻き込むようにしながら押し込み、ぬるり、ぬるりと回してなかを攪拌した。
快感と興奮でむっちりと膨らんだ内膜がこすられると、ざわぁっと音をたてて全身の皮膚が粟立つ。
「ああっ、いい、それいいっ……もっと、もっと……」
「もっと、何だ。ちゃんと最後まで言いなさい」
「もっと奥をぐじゅぐじゅってしてくださ…い……」
近衛は呆れたと言わんばかりに鼻を鳴らすと、奥に押し込んだまま上下に小刻みに揺らした。とぷっ、とぷっと粘っこい音が聞こえ、筒肉の熟し加減を伝えた。
「あひっ、ああーー……んっ、ん、もっと、もっとえぐって……」
母親譲りの白く滑らかな肌に、日ごろの鍛錬が生んだ美しく引き締まった肢体。回転や跳躍をしなくても、その存在だけで芸術的鑑賞に堪え得るまさに宝石のような身体が、発情期の牝のような痴態をさらす。近衛はそれを眺めながら、肩頬だけかすかに吊り上げて嗤い、
「さすが、毛唐の血が入ってるだけあって凄まじい淫乱ぶりだな」
叩きつけられた侮蔑の言葉は、蒼舞の心を刃のごとく切り裂いた。それは事実だった。しかし、
「あっ、はあ、ん、ああっ、あんっ」
意識が心の傷に向かおうとしても、絶え間なく吹き上がる快感と情欲の奔流に押し戻されてしまう。正気に戻った時、そんな自分に対する胸を掻き毟らんばかりの嫌悪に襲われると分かっているのだが、どうしようもない。
「入れ…てくださいっ……あなたの……大きいのが欲し……」
「穢らわしい夷狄の血が入ったお前の身体に、私のものを入れろというのか」
近衛は黒い張り形をぬるんぬるんと出し入れしながら、
「お前の母親もきっと、そうやって白い尻を男に向けていたのだろうな」
「ああ……やめ…てくださ……」
母親のことを侮辱されるのは我慢ならない。しかし媚薬と淫具でぐずぐずに溶け堕ちた身体は、そんなことどうでもいいとばかりに近衛に餌をねだる。
せめぎあう肉体と精神の葛藤に悶える蒼舞はひたすら艶めかしく、近衛の幾重にも重ねられた仮面の奥に潜む猛々しい獣性を揺り起こした。
「望み通り、お前の親を迫害し死に到らしめた男の欲望を、その身体にたっぷり注いでやろう」
近衛は無造作に取り出した己の逸物を、蒼舞の熟した蜜壺に何の躊躇もなく突き刺した。
「ひ…いぃっ……」
近衛の腰使いは傲慢なほど激しく、そして淫らだった。奥を突き上げたと思ったら、側面を抉るように腰を回す。全ての動きに蒼舞は呆気なく高められ、近衛に命じられるまま卑猥な言葉を口走った。
やがて性器の縛めを解かれると同時に、全身の血が逆流し、肌がびりびり灼けるような狂乱の瞬間を経て絶頂を迎えた。
「あっ、あっ、ああーーっ……あ、ふ…ぅン……」
そしてきゅぅっと内壁がすくみ、びく、びく、と痙攣する。すると蒼舞の腰を掴んでいた手にぐっと力が入り、次の瞬間、尻の奥で凄まじい熱が弾けた。
「ああ……」
狭いそこの容量など関係ないとばかりに注がれるその勢いは、これからの長く執拗な営みの強制を暗示していた。
BACK TOP Bird INDEX NEXT