Fly to Future
＜7＞
それからの数日間は、あっという間に過ぎていった。速水と一緒にベルリン市街を散策し、美術館やギャラリーはもちろん、教会や博物館を見て回った。
疲れたら大聖堂前の広場でひと休み。まだ茶色いものが少し残っている芝生にごろんと寝転んで、取り留めのない会話に興じた。
楽しくて楽しくて、気を抜くとふっと涙が溢れてしまうほど楽しかった。光が強ければそれだけ影が濃くなる論理そのまま、速水と一緒にいられる時間の幸福度が、じきに訪れる別れが落とす影の色を深めたのだ。
そしてベルリン最後の夜。ナミがささやかなパーティーを開いてくれた。大量のビールとワイン、そしてメインはなぜかお好み焼き。速水の友人たちも集まって、別れの淋しさや感傷も吹き飛ぶほど食べて飲んで騒いだ。
もちろん麻生には、明日という日への怯えを紛らわすための空騒ぎだという自覚は痛いほどあったのだが。
やがて楽しい時間にも終わりが来た。麻生はナミたちに丁重に礼を述べ、また絶対逢おうという誓いを残し、速水とともに部屋を後にした。
夜のベルリン市街は東京の繁華街とは比較にならぬほど暗く、この街の歴史に潜むさまざまな『闇』があちこちで蠢いているような気がする。しかし隣を歩く速水の存在が、そんな闇から意識を引き剥がしてくれる。
「楽しかったね。まさかベルリンでお好み焼きが食べられるなんて思ってなかった」
速水は柔らかく笑い、
「あれはナミのとっておきのもてなしなんだ。彼女曰く、お好み焼きは万国共通のパーティーフードだそうだ」
「うん、確かに盛り上がるよね。マイヤもチャンもみんな、へらの使い方上手だったし」
「ああ。ナミのお陰で慣れたみたいだ」
「でもお好み焼きにあの酸っぱいキャベツは合わないと思うけどなあ」
「はは。ナミは美味しいって言い張るんだけどね」
他愛もない会話はここで途切れた。途端に、“最後の夜”が重苦しい質感をもって二人の肩にのしかかってくる。
つい明日の今ごろは……と考えてしまい、慌てて打ち消す。麻生はそんな自分の女々しさを憎々しく思いつつも、意識の中でじわりじわりと闇が広がるのを抑えることはできなかった。
「な、なんか寒くなってきちゃった。アパートまで走ろっと」
作為的な明るさでは、内なる闇を払うことはできない。それは重々承知の上で麻生は明るい声を出し、速水の反応を待たず駆け出した。
「晶っ、ちょっと待て。一人じゃ危な───」
速水の呼びかけを背中で聞きつつ、夜のベルリンを疾駆する。アパートまでの道は分かっているけれど、視界を流れる景色のよそよそしさが、自分はこの街ではStrangerなのだという意識をより鮮明なものにした。
───明日にはもう僕はここにはいない。速水さんの傍にはいない
分かりきった事実も感傷が混じると、これほど重くなってしまうのか。そんな心の枷を振り切るように、麻生は全速力でアパートを目指した。
建物に飛び込んで螺旋階段を一気に駆け上がり、速水の部屋の前で立ち尽くす。鍵を持っていないのだから当然中には入れない。
「晶っ」
わずかに遅れて来た速水が、呼吸を乱しつつ近づく。そして麻生の肩に手を置くと、はっと息を呑んだ。
「晶、君は……」
「ごめ、ごめんね……こんなっ……」
泣くものか、絶対に泣くものかとずっと前から決めていた。一年前、速水を空港に送りに行った時はちゃんとこらえることができたのだし、そもそも麻生は、感情を欺きコントロールする術に長けているはずだった。悲しい時や苦しい時に笑うことで、自分自身をも騙すことができた。なのに、
「んっ、ふ……ぇぇっ………」
走っている途中で溢れ出した涙は、冴えた夜気にも乾くことなく頬を濡らし続けた。抑えようとすればするほど、胸の奥で疼く涙の源泉が膨張して涙腺を揺さぶる。
麻生は両手で顔を覆ったが、こうすることで物理的に涙を押さえられるかも、との笑止な、それでいて切実な願いがそうさせたのだ。
「泣かないって決めたのに……ごめ…なさいっ」
指の隙間からかすれた謝罪を捧げると、後ろから伸びてきた手が鍵と扉を開けた。そして優しく背中を押され、部屋の中へ誘導される。
「速水さ───」
麻生があらためて謝ろうとした瞬間、背中ごと包み込むように抱き締められた。
「君はまたそうやって自分に厳しくして、そして必要のない謝罪を繰り返すのかい？」
声こそ優しかったが、その口調はかすかに非難めいていた。麻生の返答も、つい弁解がましくなってしまう。
「だ、だって迷惑でしょう？ こんな風にべそべそ泣かれて。目的に向かって努力してる速水さんを、笑顔で後押ししてあげるのが恋人の本分なのに」
「人間はそんなに強くないよ。その証拠に、僕は今、泣きそうだ。明日の今ごろには、晶は僕の傍ではなく遠い日本にいる、そんな当然の事実にちょっと意識を向けただけで、喉の奥から苦いものがこみ上げてくる」
「嘘ばっかり」
「嘘なものか。ただ、僕みたいな三十路のおじさんがべそべそ泣いたらビジュアル的にかなり痛いだろう？ だから我慢してるだけさ。でも美少年の涙なら大歓迎だ」
速水はそう言って、麻生の濡れた目尻にしっとりと口づけた。さらに舌先で軽くなぞり、睫毛から今にも滴り落ちそうな涙のしずくを掬う。
「僕が傍にいる時は、こうして涙を吸い取ってあげるから。だから晶は我慢せず、感情をそのまま出していいんだよ。分かったね？」
背中から伝わる優しい言葉たちが、ゆっくりと身体の奥に浸透してゆく。それが萎縮していた心に到達すると同時に、麻生はくるりと振り向いて速水の胸に飛び込んだ。
「速水さんっ……はやみさぁん……」
まぶたの奥に留まっていた熱いものが一気に溶け出した。それらは全て、速水のシャツに吸い込まれてゆく。
「晶、いい子だ。愛してるよ」
麻生の涙を本当に吸い取っているのは速水のシャツではなく、速水の大らかな愛情そのものだった。
「ほんと、おっきいお風呂。こっちでは珍しいよね？」
「ああ、確かに。前の住人が、実家が裕福だったらしくてね。管理人の許可を得て改装したらしい。その恩恵に与っているというわけだ」
「そか。ラッキーだったね」
「全くだ。お陰でこうして、晶と二人でのんびり浸かるという贅沢を味わうことができた」
速水はそう言って、頑なに背中を向けたままの麻生を両腕で抱き締めた。
恥ずかしいから絶対にいやとそっぽを向き続けた麻生に、最後の夜だから思い出にしたいと我ながら苦しい理由を持ち出し、ほとんど泣き落としに近いやり方で風呂場に引きずり込んだ。
そしてめでたく二人一緒に湯船に浸かることができたのだが、どうやら麻生は無邪気にはしゃぐことで羞恥を抑え込もうとしているらしく、どうでもいいことを喋り続けなかなかいいムードになろうとしてくれない。そこでついに痺れを切らした速水が、会話の継ぎ目を捉えて行動に出たというわけだった。
「君の肌は本当に気持ちがいい。こうしているだけで癒される」
言葉では下心のなさを装いつつ、指先は麻生の敏感な胸元や腰のラインをなぞる。とても“癒される”のが目的とは見えぬ嫌らしい動き。すると麻生は顔だけ振り向き、
「もおっ、速水さん。くすぐったいよ」
その言葉が本心ではないのは、もちろん分かっている。くすぐったいのではなく───
「感じたかい？」
「違う！ こんなとこで感じるようなはしたない人間ではありません。そうじゃなくて…………ぁ、ゃっ……」
耳の窪みをとろりと舐めてから耳たぶに歯を立てると、ちゃぷんと秘めやかな音をたてて湯面が波立った。
「お転婆な腰だな。そんなに揺らしたら湯がこぼれてしまう」
速水は耳元に唇を押し付けて甘い咎めを流し込むと、湯の中で麻生の腰を拘束した。さらに───
「あっ、やめ……それだめっ……」
後ろから回した手で麻生の股間のものをゆるりと握り込んだ。まだあどけなさの残るそれは、速水の掌中で一途な鼓動を刻みつつ少しずつ形を変えてゆく。その変化を後押しするように、速水は上下にぬるぬると扱いた。
もちろん、空いた片手も疎かにはしない。のぼせたように紅く色づく野いちごのような乳首をくにくにと捏ね、尖り始めたその先端に爪を押し付けて弾いた。
「ひぅっ」
麻生はびくんと全身を震わせ、速水の腕と快感の縛めから逃れようともがいた。しかしもちろん速水は許さず、手の中でぴくぴくと悶える若茎へより熱烈な愛撫を仕掛けた。
「だ、だめっ、ほんとにだめっ、でちゃ…う……」
「ん？ 何が出ちゃうんだ？」
「いじわるっ、あ、ああ………もうやめてぇ………」
腕の中で麻生の腰が艶めかしく躍り、手のひらにひと際激しい脈動が伝わった。そして、
「い……いっちゃ…ぅ……あ、あああ………ッ」
恍惚の表情を浮かべ、はふぅ、はふぅ、と今にも蜜が滴りそうな吐息を漏らす。湯の中に射精してしまったのは、確かめなくても明らかだった。やがて粟立った背中がぶるっと震え、全て出し終えたことを伝えた。
「気持ちよかったかい？」
問いかけの答えは、予想通りだった。
「速水さんのバカッ」
「たまにはこういう放埓もいいじゃないか」
「よくないッ。こんな、お湯の中でなんて……」
「僕は大歓迎だけどね。晶のものが混じったお湯に浸かれるなんて最高の───」
「ほんとにバカッ！」
叫ぶと同時に麻生は立ち上がり、浴槽から出てしまった。速水も苦笑とともに立ち上がり、麻生を宥めようとした。が、
「速水さんてば、すごい……」
頬を赤らめ呟く麻生の視線の先には、傲然と屹立する速水の逸物が。もちろん速水自身はこの状態を自覚していたが、今この場で解放するつもりはなかった。しかし、
「速水さん、そこに座って」
浴槽の縁に腰掛けるように促され、速水はその思惑も分からぬまま従った。すると麻生は前に膝をつき、眼前に突き出された赤黒いものにそっと両手を添えた。そしてぬめった先端に唇をふわんと押し付けると、そのまま口を開いてとろりと咥え込んだ。
「せ、晶っ」
んふ、んふ、と愛らしい鼻息をこぼしながら、お世辞にも美味しそうとは言えない速水のものを一心に舐めしゃぶる。添えられた指は絶妙の力加減で根元を扱き、快感に拍車をかけた。
「だめだ、晶……出るっ………」
背中がざわざわと総毛立ち、下半身が麻痺しそうな強烈な射精痛に襲われた。それでも速水は何とかこらえたが、擬似的な後孔とも言える口内は熱くうねり、“本物”に勝るとも劣らぬ淫らな動きで速水を刺激する。
湯気でしんなりたわんだ睫毛の向こうから、官能に潤んだ瞳が時折見上げてくるのがたまらなく淫靡で、速水は煽られるまま抽挿めいた動きで腰を揺らしてしまう。すると先端が喉の奥に当たり、その拍子に口腔全体がきゅぅっとすぼまった。
「ぅぁっ……」
筒肉の締め付けを想わせる粘膜の蠢きに、速水は呆気なく達した。愛しい恋人の柔らかな口の中に、己の精をぶちまける。
「んくっ、くっ、ふ……」
低くこもった呻きとともに、小さな喉仏をせわしなく上下させ注がれるものを一心に飲み込む麻生。眉根の寄ったその表情は苦しげでありながら妖艶で、速水は良心の呵責とともに嗜虐の悦びが湧き上がるのを否定できなかった。
やがて、飲みきれなかった白濁が口の端からとろとろ垂れ始めた。それはまさに頽廃美そのもので、速水の獣じみた情動をさらに煽り立てた。
「ああ、こんなにこぼして。晶はいけない子だな。こういう時はなんて言うんだったかな？」
速水はざらりとした熱を帯びた声でそう言って、溢れた自身の精髄を指で掬った。そして麻生の胸の突起に塗り付ける。すると麻生はゆっくり口を離し、とろんとした危うい眼差しを向けて、
「ごめんなさい……おしおき、して？」
速水はすっと目を細め、舌先で軽く唇を湿すと、麻生の身体を反転させて浴室の壁に押し付けた。
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