Liberation from Chains
11話
額への口づけ。それはこれまでの濃密な前戯とは比較にならないほどささやかな触れ合いだったが、込められた意味の深さを瑠羽はちゃんと理解していた。
遼牙はおそらく、瑠羽を抱くことに対してまだ幾許かの躊躇があったのだ。しかしここに到ってようやく心を決めることができた。恭しく捧げられた額へのキスは、“これからお前を抱くよ”という暗黙の宣告に他ならない。
そう、これから遼牙に抱かれるのだ。それを意識しただけで下腹部が妖しく疼き、身体のあちこちがぴりぴり尖っていくような気がする。そんな物欲しげな身体の反応を持て余し、瑠羽は膝と膝をすり合わせてもじもじした。
「あの……遼牙さまはふ、服を……」
「服？」
「はい。服を脱がないで……するのですか？ 僕だけ裸で……」
遼牙は、自分がシャツとズボンを着用したままだったことに今初めて気づいたかのように「ああ」と声を上げ、まずはシャツをするりと脱ぎ捨てた。
「ふわ……」
瑠羽の口から思わずこぼれたのは感嘆の溜め息。服の上からでもしっかり筋肉のついた逞しい身体であることは想像できたけれど、こうして実際に目にした遼牙の裸は、想像を遥かに超えて美しかった。
いつか美術の教科書で見た、西洋彫刻の傑作を想わせる雄々しい造形そのままの肉体。けれど彫刻めいた冷たさはない。かすかに汗ばんだ肌から、体温とともに成熟した男性の匂いがふわりと立ちのぼり、瑠羽の鼻孔を酔わせた。
ああ、自分は今欲情しているのだと、初めてはっきり自覚した性的な感情に恐れおののきつつも、瑠羽は吸い寄せられるように手を伸ばし、淫らとさえ言える筋肉の隆起に触れようとした。
しかし寸前でぴたりと手が止まる。遼牙の腹部に、斜めに走る傷痕を見つけたからだ。
「遼牙さまっ、この傷は……」
鋭利な刃物で斬りつけられたようなその形状に、瑠羽の頭はありもしない光景を勝手に作り上げてしまう。ナイフを振りかざす悪漢に襲われ、血を流して倒れ込む遼牙……。
「ああ、この傷は生まれた時からあるものだ。心配はいらん」
さあっと蒼褪める瑠羽を気遣ったのか、遼牙はことさら軽い口調で説明した。
「生まれた時から？」
「そう。だから傷ではなくて痣だな。もちろん痛みはない。母などは気味悪がって、子供のころ何度かお祓いみたいなものを受けさせられた。前世の因業だと言われたこともあったな」
「前世の……」
「ああ。その時は、そんなバカなことと笑い飛ばしたが、もしかしたら……“あちら”の世界の遼牙と何か関係があるのかもしれんな」
そう言っている遼牙自身、本当にそれを信じているのか瑠羽には分からない。けれどそれはある意味どうでもよかった。それより重要なのは───
「ほんと？ ほんとに痛く……ない？」
瑠羽はおそるおそる手を伸ばし、指先で痕をそっとなぞる。すると、それまで静かに凪いでいた腹筋がビクッと蠢いた。瑠羽は思わず眉根を寄せ、
「ほら、やっぱり痛いんでしょう？」
「いいや、痛くはないよ。もっと触ってごらん」
瑠羽はまだ疑っていたものの、今度は手のひらをぺたぺたと押し付けてみた。確かに、傷痕を思わせる隆起はない。瑠羽は触りながら、もっとよく見てみようと顔を近づけた。すると、下方からほのかな熱気が感じられた。
「あ、あの……遼牙さま……」
何と言ってよいか分からず、視線で困惑を伝える。遼牙のそこは大きく隆起して、テントを張ったような状態になっていた。内側から押し上げられたジッパーが、今にも破裂しそうだ。
瑠羽はもちろん、これが何のサインなのか分かる。分かるからこそ、戸惑ってしまう。対して遼牙は、瑠羽の困惑を宥めるように微笑い、
「こんな可愛い手で撫でられたら、誰でもこうなる。怖いか？ 瑠羽」
瑠羽は即座に首を振った。
「怖くないです」
「そうか。ならばお前の手でここを自由にしてくれないか。さすがに……キツくなってきた」
「は、はい」
瑠羽は速まる鼓動を抑えつつ、すっかり形の変わってしまったジッパーを何とか下ろした。そして下着をそっとずらすと、熱の源がグンッと勢いよくそそり立った。
瑠羽は思わず「おっきい…」と呟き、そのあまりに直截的な物言いに顔を赤らめる。しかし高ぶる気持ちは抑えられず、それに手を伸ばしそっと握った。
手のひらがじりじりするほど熱く、鋼のように硬く、灼けた鉄のように赤黒いそれは、まさに獣欲の象徴そのもの。いつも冷静で穏やかで紳士的な遼牙が惜しげもなく見せつける雄の本能に、瑠羽は全身が甘く竦むような思いがした。
「遼牙さま……これを、入れてくださるの？」
拙い指使いで扱きながら訊ねれば、唾液を派手に嚥下する音が聞こえた。まるで獲物を前にした猛獣のようなその反応に慄える間もなく、瑠羽は再び押し倒された。
大きな羽根枕に沈み込むようにして背中を預け、脚を抱え上げたあの恥ずかしい体勢に。そして、さっき丹念にほぐされた部分にもう一度指が埋め込まれる。今度は驚くほどスムーズで、まるでそこが意志をもって指を吸い込んでいるかのようだった。
「あっ、あん、あっ」
遼牙の指は、蜜壺をぬるぬると行き来したかと思ったら、内側から広げるように中で指を開く。徐々に身体の中がとろみを増してゆくように感じられるのは、錯覚だろうか。それともじんわり染み出した官能の酸が、強張った粘膜を溶かしているのだろうか。
「ああん……なか、とろとろになっちゃ…った……」
「ああ。とろとろになったな」
瑠羽の拙い言葉をなぞる遼牙の声には、飢えを我慢することで得られるマゾヒスティックな快楽の響きがあった。我慢して我慢して、飢えが頂点に達した時に食する悦楽を、遼牙は今まさに味わおうとしているのだ。
埋め込んだ指を抜く動作が緩慢なのも、瑠羽を焦らすというより己を焦らしているに違いない。くぷっと控え目な水音を弾かせて全て抜かれると、指数本分の空隙にひんやりした外気が入り込んできた。
思わずぶるっと震えてしまったのは、冷たい刺激のせいというより、それが経験したことのない淫靡な感覚だったからだ。
しかし、その直後に感じた熱と圧迫感に比べればそれはまだささやかなものだった。指によって作られたわずかな隙間に捩じ込むように、遼牙の尖端がぐっと押し付けられた。
しかし大きく張り出したそこは“尖端”と呼ぶにはあまりに面積が広く、いくら綻んだとはいえ瑠羽の小さな蕾がたやすく受け入れられるはずもない。そこはみるみるうちに広げられ、激しい苦痛が生じるまで時間はかからなかった。
「んっ、う、ううーーっ……」
瑠羽は咄嗟に奥歯をガチッと噛み締めて、声が漏れるのを防いだ。声が出れば、どうしたって苦しげな喘ぎ混じりになってしまう。それを遼牙に聞かれたくなかった。
「ん、くっ、くっ…ぅ……」
ここが想像以上に広がるということは、哀しい哉黒淵との経験により知っている。しかし遼牙の逸物は、これまでの経験では太刀打ちできないほど巨きくて熱くて、瑠羽は自分の身体が意思に反して硬く強張り始めるのを感じた。
どうやら、身体が本能的に怖れているようだ。遼牙の常軌を逸した情欲を受け入れることを。
すると、そんな瑠羽の変化を敏感に察したのか、遼牙がいったん腰の動きを止めた。そして顔を近づけ、瑠羽の唇を軽く吸う。予期していなかった甘い感触にふいを衝かれた瑠羽は、ぱたぱたと無邪気に瞬きを繰り返した。
それを見た遼牙は、目尻に大人の色気を漂わせてふわりと笑い、今度は唇を軽く触れ合わせたまま、舌先で唇の裏のつるつるしたところを舐めた。
「はぁ…ン……」
思わずこぼれた吐息に、苦痛の翳は露ほどもなかった。全身の強張りがほどけ、腰がふっと軽くなる。
たぶん、身体の力を抜きなさいと言葉で命じられていたら、瑠羽はどうしてよいか分からず余計に萎縮していただろう。しかし遼牙は言葉によらず、愛撫による誘導であっさり瑠羽の身体を緩めたのだ。
「ああっ……！」
筋肉の強張りが解けた瞬間を逃さず、遼牙は停滞していた腰を一気に進めた。ぬくぬくっと粘膜が広がる感覚の次に瑠羽を襲ったのは、下から内臓を押し上げるような圧迫感。それは痛みとはまた違った息苦しさをもたらした。
思わず顔をしかめ、浅い呼吸を繰り返す。そこから瑠羽の状態を察した遼牙は、再び動きを止めて顔を覗き込む。そして心配そうに声をたわめ、「今日はここまでにしておくか？」と訊ねる。
確かに、何とか全て瑠羽の中に納まったものの、この行為から快楽を得るには程遠い状態だった。それは遼牙も十分分かっているのだろう。瑠羽の身体に対する労わりの気持ちが伝わってくるが、当の瑠羽はそんな遼牙の優しさを喜ぶより、自分の不甲斐なさをこらえるので精いっぱいだった。
瑠羽はまだ子供だから子供扱いして当然だと、冷ややかな声で断じられたのが思い出され、泣きたくなってしまう。
「ごめ…なさい……ぼく、ちゃんとできなくて……」
「瑠羽？」
「ほんとは……最後までしてほしいけど、でも遼牙さま、つらそうだし……」
自分は駄目でも、せめて遼牙が気持ちいいのなら続ける意味はあると思う。けれど遼牙の眉間にはざっくり皺が刻まれ、気持ちいいどころか苦しそうだった。これ以上欲するのは自分の我がままだと、瑠羽は諦めかけたのだが、
「いや、とても気持ちいい」
「え？ だって……」
「あまりに気持ちいいから、激しくしたいという欲求を抑えなければならない。それが苦しい」
「あ……」
不思議だった。遼牙の言葉を聞いた途端、胸のつかえがすとんと落ちて、深く息をつけるようになった。腹部から力が抜け、それに伴い圧迫感も和らぐ。
眉根を寄せた遼牙の表情が、苦しいのではなく快感をこらえているせいだと分かると、それがひどく悩ましげなものに見えて、尻の奥がはしたなく疼くのを感じた。
「だい…じょうぶです。動いて……」
無理しているのではないと分かってもらうために、瑠羽は自ら軽く腰を振った。するとぺったり絡み合った粘膜全体がぬる、ぬる、と動く。じわあっと熱い痺れが腰いっぱいに広がり、瑠羽は「はぅ…ン」と小さく悶えた。
その反応に確信を得たのか、遼牙は動き始めた。最初は奥をつつくように小刻みに。それから徐々に腰の振りを大きくしていった。それもただやみくもに穿つのではなく、角度をつけて抉り、側面を絡め取るように腰を回す。
「あっ、あっ、やっ、だぁ……あんっ！」
明らかに、さっきまでと喘ぎの濃度が違っていたが、もちろん当の瑠羽は気づかない。ずるんずるんと中をこすられる感触に痛みはなかったが、ここに到るまでに感じた全ての痛みをひっくるめても敵わないほどの熱い何かが、瑠羽の全身を支配しようとしていた。
「あっ、はぁ、き…もちいい……りょうきさまぁ、もっと……」
その何かが快感なのか分からぬうちに、瑠羽の口は快感を謳っていた。きもちいい、もっとしてと呟くごとに、遼牙の腰使いは燃料を注がれたかのように激しくなってゆく。
先端ぎりぎりまで引き抜いてから、ベッドの弾みを利用して勢いよく奥まで貫く。そのたびに、ぬかるみに杭を突き立てるような音が飛び散ったが、それは瑠羽のそこが性器と呼ぶにふさわしい柔らかさとぬめりで遼牙を包み込んでいることの証左だった。
「瑠羽……瑠羽……ッ」
遼牙の声にも余裕はなく、荒い息とともに口から出る瑠羽の名には、まるでこれからお前の中に出すぞと宣告するかのような獰猛で物騒な響きがあった。
「いっ、いい！ 出ちゃ……あっ、ああ！」
瑠羽の快感を掘り起こそうと探りつつの巧みな動きも気持ちよかったが、獣性剥き出しの激しいピストンは、自我さえとろけるような熱量を生み出した。
遼牙の背中にしがみついて爪を立て、拙い動きながらも自ら腰を揺らす瑠羽は、身体だけでなく心も溶け合ってひとつになるというのが、恋愛小説などフィクションにだけ通用する表現ではないことを知った。それは紛れもない実体験なのだ。
遼牙の汗や呼吸、鼓動と同じくらい生々しく、遼牙の心を瑠羽は身近に感じ取っていた。そんなめくるめく一体感に引きずられる形で、まだ到達したことのない頂きへ瑠羽は一気に駆け上がる。
「も……いくぅ……っ、あっ、あっ、だめ、だめぇ……っ！」
訳も分からぬまま喉を反らせて叫び、身体の中で勝手に膨れ上がる熱に抗おうと首をしゃにむに振る。しかし快感の暴走を抑えられるはずもなく、びくびくっ、とひときわ激しく跳ね上がった腰から熱いものが飛び出したのは、それからわずか数秒後のことだった。
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