BEYOND
19.
「まさかっ……」
四人は一様に絶句して、中空から勝ち誇った視線を向ける闍弥を見上げた。
「何故、ここが分かったんだ……」
古文書『瑠璃の彼方』の存在を翡衛城が掴んでいることは承知していた。しかし記憶の封印された場所は、まだ突き止めていないはずだ。もし知っていたら、早々に大量の兵士を送り込んでいるだろう。
四人の驚きを優越感とともに堪能した闍弥は、柘榴色に濡れた唇をついと吊り上げて瑠羽を見詰めた。その双眸には、飢えに苛まれた猛禽を想わせる切羽詰まった狂気が濃厚に刻まれており、瑠羽は思わず慄えた。
何という眼だろう。僅かな人間性も感じられない。魂まであのおぞましき兵器に侵されてしまったというのか―――そんな瑠羽の怯えは、強ち的外れではなかったのだが。
「あなたが私たちを導いてくれたのよ。ご苦労様」
瑠羽に向かってそう言うと、さらに唇を歪めて嗤いの度合いを深めた。その言葉に最も驚いたのは、もちろん瑠羽だった。ぎくしゃくした動きで首を振り、
「ぼ、ぼくはなにも………」
弱々しく言い返すしかできない。闍弥は目を細めてニタリと笑い、
「魔導器を一度体内に取り込んだ者は独特の魔気を発するのよ。それを諜報用のマー・レーが察知して私たちに知らせる。つまり、あなたがどこにいるか、どんな行動をしているかこちらには筒抜けだったというわけ」
「そ、そんな………」
気付かぬうちに、自分が彼らを呼び込んでしまったのだ。自責の念で胸が圧迫され、目の前が真っ暗になる。あと少しで目的が達成できるはずだったのに―――
「ったく。しつこい女は嫌われるぜ」
緊迫した場面には不似合いな軽い口調でそう言って、羅叉は一歩進み出た。そして遼牙にちらと一瞥を送る。すると遼牙は黙って頷きを返し、羅叉の隣に並んだ。
「真朱、瑠羽。お前たちは先に行け」
遼牙の言葉に、真朱は一瞬だが苦しげな表情を浮かべた。しかしすぐに「分かった」と返し、瑠羽の手を取って引いた。
瑠羽は濃厚な戸惑いを引きずったまま、真朱と遼牙を見比べる。そしてくしゃりと顔を歪め、遼牙に向かって手を伸ばした。
「遼牙さまっ、僕、僕もお傍にっ……」
しかし遼牙は振り向かない。瑠羽はそのまま真朱に腕を引かれ、封印の壁へと続く道に連れ込まれた。
「真朱、離して！ 僕はっ―――」
「駄目だ。俺たちは先に進まねばならない。二人は必ず後から追い掛けてくる」
「嫌ぁッ、遼牙さまぁ！」
瑠羽が叫んで真朱の腕を振り払おうとした瞬間、パン、と乾いた音が響いた。頬を張られた瑠羽は、たった今目を覚ましたかのような惚けた表情で真朱を見上げた。
「瑠羽、遼牙は自分が人を殺すところをお前に見られたくないんだ。その気持ちが分からないのか？」
「あ………」
瑠羽は大きく瞬きをして、項垂れた。真朱はその肩を抱き、
「あの二人なら大丈夫だ。死に損ないの俺と攻撃魔法の使えないお前がいたら、却って足手まといになる。先に進んで二人が追い掛けてくるのを待とう」
不安に恐慌をきたしかけた瑠羽を懇々と諭す。瑠羽は俯いたまま小さく頷くと、後ろを振り返りたい欲求を必死に抑えて前に一歩踏み出したのだった。
一方、谷の入口では一触即発の睨み合いが続いていた。その不穏な静寂を破ったのは、闍弥の一言だった。
「封印は……解かせない」
それを合図に、翡衛城の兵士たちは戦闘態勢に入った。身体と同化した魔導器が、まるでそれ自体が独立した意志を持っているかのように激しく蠢きつつ武器化していった。
初めて目にする魔導器に遼牙は驚きを隠せなかったが、それは羅叉も同様だった。形態のおぞましさといい、発する瘴気の凄まじさといい、前回伽羅の都で相対峙した時と比較して驚くべき変容を遂げていたのだ。これを進化と呼ぶべきか退化と呼ぶべきか分からないが。
「醜い兵器だな。反吐が出そうだ」
「まったくだ。これが科学と魔法の融合か」
羅叉と遼牙は嫌悪も露わに吐き捨てると、ゆっくりと歩み出た。羅叉は羽を広げ、エノク語を詠唱して上位アィテールへの扉を開く。遼牙は血の供出とともに龍舌刀を召喚し、ゆっくりと眼前に翳したのだった。
「ひゃぁっ」
瑠羽は悲鳴を上げてよろめき、そのまま地面に座り込んだ。立っていられないほど大地が激しく震動し、雷鳴のような地鳴りが“谷”全体に響き渡る。
「瑠羽、大丈夫かっ」
そう言って手を差し伸べようとした真朱も、自分の身体を支えるので精一杯のようだった。瑠羽は「だいじょうぶ…」と力ない声で返し、何とか自分で立ち上がろうとした。
次の瞬間、後方で耳を劈かんばかりの爆音が響いた。地面は波打ち、石の破片がばらばらと降ってくる。瑠羽は悲鳴こそ上げなかったものの、頭を抱えて再び座り込んだ。
「遼牙さまぁっ」
大地の咆哮は、谷の入口で繰り広げられている戦闘の激しさを如実に物語っていた。
今すぐあの場に戻りたい。そんな突き上げるような欲求を、戻ったところで自分には何もできないという事実の力で押し戻し、瑠羽は立ち上がるため地面に両手をついた。すると、手のひらにこれまで感じたことのない異質な震動が伝わってきた。
「……どうした？ 瑠羽」
揺れが収まったにもかかわらず立ち上がろうとしない瑠羽に不審を覚え、真朱が静かに訊ねた。瑠羽はゆるゆると顔を上げ、青ざめた顔で訴えた。
「なんか……変だよ。とても嫌な感じがする……」
「どういうことだ？」
「わ、分かんないけど、大地の下で何か大きな動きが始まろうとしているような……」
真朱は眉をひそめ、大地の鼓動を感じ取ろうと感覚を研ぎ澄ませた。大きな揺れはなく、谷全体が漣のように小刻みに震えているだけだったが、確かに瑠羽の言う通り嫌な感じがする。
嵐の前の静けさ、とでも言おうか、言葉にできぬ違和感、予兆のようなものが皮膚を突き刺す。
気にならないと言えば嘘になるが、だからと言って引き返すわけにもいかない。二人が追い掛けてくることを信じて、先に進むしかないのだ。
「大丈夫だ。とにかく進もう」
「う、うん……」
千々に乱れる心を必死に抑え込んで、瑠羽は立ち上がったのだった。
それはもはや、“魔導器を装着した人間”ではなかった。戦いの最中も魔導器は増殖し続け、本来主体であるはずの人間を呑み込んだ。それは生ける兵器そのものだった。
遼牙と羅叉は戦闘を有利に進めながらも、徐々に明らかになりつつある魔導器の“真の姿”に戦慄を禁じ得なかった。
―――まさか、魔導器とは……
「ギャアアアアアッ」
地面から生え出た岩の柱に魔導器ごと貫かれた兵士は、人のものとは思えぬ断末魔の叫びとともに、青緑色の体液を吹き上げた。もはや彼の身体に赤い血は流れていないということなのか。
羅叉はさらに、地の塔の頂点を担う聖ラジエルに由来する魔法を唱え、次々と兵士たちを串刺しにしていった。彼らは同じく不気味な色の体液を垂れ流し、二度、三度四肢を痙攣させて息絶えた。
一方、高く飛翔して羅叉の攻撃をかわした者は、空から魔法の矢を無数に降らせた。しかし矢は標的を掠めもせず、次の瞬間遼牙の放った裂空波によって真っ二つに分断された。
「闍弥っ、無駄だ！ この邪悪な兵器で俺たちを止めることはできねえよ。もう諦めて―――」
羅叉の忠告は途中で消えた。恐るべき光景を目にしたのだ。岩の柱に貫かれた屍体や二つに分断された屍体が、ビクビクと動き始めたのだ。
息絶えたはずの肉片が奇怪なダンスを踊るさまは、戦場であらゆる屍体を目にしてきた遼牙と羅叉を根源的な恐怖に落とし込んだ。
「何……だよ、これ……」
羅叉の呟きに応えるかのように、屍体はゆらゆらと立ち上がった。しかし、蘇生したわけではないことは一目で分かる。“それ”に生命の宿りは微塵も感じられない。つまり、
「魔導器が……勝手に動き始めているというのか……」
信じられない、信じたくない光景が、今目の前で展開していた。
屍体が装着している魔導器が、まるで意志を持つ生命体であるかのように互いに引かれ合い、融合してゆく。そしてついに一つの巨大な塊となった。
ゲル状の表面はぼこぼこと蠢き、すでに標的を見失って暴走しているのか、魔法の矢を四方に乱射し始めた。
その威力は凄まじかったが、何より二人を戦慄させたのは融合した魔導器の姿だった。装着者の屍体を呑み込んだまま融合したため、表面のあちこちから手や足、頭などが飛び出していたのだ。それは廃棄物と化した人間の究極の姿だった。
「やめろ、闍弥ッ。これは異常だ！ 分からないのかッ」
降り注ぐ魔法の矢をかわしながら、羅叉が制止する。それに対し闍弥は、身も凍るような哄笑を上げ、
「ええ、そうよ。魔導器は失敗だった。シェアールの科学者どもに騙されたのよ！」
噛み付かんばかりに叫んだ。と思ったら再びケラケラと笑い声を上げる。すでに正気を失っているのかもしれない。
「魔導器には恐ろしい副作用があったの。繰り返し使い続けると、身体の組織にまで浸潤して正常な細胞を喰い荒らす。やがて装着者は精神まで破壊され、廃人と化す。それでも魔導器は増殖を続け、最後には装着者を呑み込んで殺戮の意志のみを持つ生ける兵器となるのよ。どう、素敵でしょ？ 科学に人間が屈するのよ！ はは、あははははは………」
恐らく闍弥も、その副作用に侵されているのだろう。羅叉は悲愴な声で叫んだ。
「馬鹿野郎ッ、そこまで分かっていて何故そんなものを使うんだ！ すぐに外せっ」
すると闍弥はぴたりと笑うのをやめた。一瞬の静止を経て、彼女の顔に表れたのは強い怒りと悲しみだった。
「何故使うのか、と？ この邪悪な兵器の力を借りなければあんた達を止めることはできない。記憶の解放を阻止できないからに決まってるからじゃないのッ」
闍弥は肩を大きく上下させ、喉の奥から言葉を搾り出した。
「二種族間に優劣はなく本来敵対すべきものでないのなら、これまでの戦争は全て愚かな過ちだったのなら、父さんは何のために戦い、死んでいったというのよぉ！」
「闍弥、お前……」
「アム・アザゼルの繁栄を信じ、シェアールとの戦いに全てを捧げた父さんの死は無駄だったと？ ただの愚行だったと？ 許さない……許さないわ。そんなふざけた理屈が通る過去の記憶を誰が蘇らせるものか！」
剥き出しの憎悪を張り付けて大きく見開いた目から、腐緑色の液体が次々と流れ出る。羅叉も遼牙も、胸の痛みを覚えずにその“涙”を見ることができなかった。
―――哀れな女だ。やはり父親を深く愛していたのだな……
魔導器に侵されながらも父を想って流す涙に、遼牙は闍弥に残された僅かな人間性を見た。
「理想郷など……過去の繁栄など……あたしには必要ない。ただ……父さんを死に追いやった神聖高位魔族の連中をっ―――」
その時、無数の矢や砲弾を浴びた混沌の谷が、痛みに呻くように激しく鳴動した。地面には、細かな亀裂が走っている。このままでは谷自体が崩壊する恐れもある。
「もうよせっ。闍弥、あのおぞましい化け物の暴走を止めるんだ！」
羅叉の必死の訴えに、闍弥は今にも泣き出しそうな笑顔で応えた。
「無理よ。ここまで増殖した魔導器は、誰にも止められない。破壊できない。ねえ、分かる？ これもひとつの“理想郷”なのよ。アム・アザゼルの魔力とシェアールの科学。二つの力の融合が生み出した最狂の兵器」
闍弥の言葉は真実を衝いていた。二種族の結束が、必ずしも平和をもたらす力になるとは限らない。魔導器のような負の産物が、さらなる混乱と暗黒を導くかもしれないのだ。しかし―――
「我々は信念に従うだけだ。今、ここで挫折するわけにはいかん」
遼牙は静かな威を孕んだ宣告とともに、魔導器へ真直ぐ近づく。驚くべきことに、その手に龍舌刀は握られていない。が、
「な、なんだ、あの光は……」
遼牙を追おうとした羅叉は、思わず足を止めた。遼牙の右腕が銀色の淡い光に包まれるのを見たからだ。
やがてその光は輝きを増し、遼牙の右腕全体を覆った。次の瞬間、羅叉は瞬きも忘れてその光景に見入った。遼牙の右腕が、一振りの太刀に変ずるさまを。
「これが龍舌刀の第四形態、霊剣だ」
遼牙は厳かに言い置くと、魔導器に向かって大きく剣を振り上げた。
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