BEYOND
10.
「うわぁ、遼牙さまぁ、お空が見えますね」
遼牙の膝の上にちょこんと座った瑠羽は、楽しげに夜空を指差して笑う。それに応えて遼牙も空を見上げ、
「ああ。見事な星空だな」
「何だか不思議な感じがします。こうやって星に見守られながら眠るなんて」
瑠羽はそう言ってくすぐったそうに肩を竦め、周囲をぐるりと見回した。
崩れかけた壁には、嘗ての栄華の名残りだろうか、壁画の断片がうっすら残っている。蔦が絡まり合った流麗なアラベスク文様に、おどけた表情の動物や幻獣たち。途中で折れた円柱にも、華やかな浮彫が施されていた。
琴悠が今宵の寝所として二人を案内したのは、朽ちかけた廃墟だった。恐らく昔は貴族の住居か別荘だったのだろう。
当時の絢爛たる内装を忍ばせるものといえば、剥げかけた壁画や崩れかけた彫刻だけだったが、すでに本物を知っている瑠羽には、その残滓だけで嘗てここに住んでいた人が高い審美眼を持っていたことが分かった。
床は風化して草の絨毯に覆われていたし、天井は崩れて星のシャンデリアが煌めいていたけれど、とても心地よく秘密めいた空間で、瑠羽は一目見てすっかり気に入ってしまったのだ。
柔らかな草の上に琴悠が用意してくれた毛布を敷くと、あっという間に閨が出来上がった。王宮の寝台ほどふかふかしていないけれど、遼牙と一緒に寝れるなら草の褥でも十分過ぎるほどだ。
「瑠羽よ、寒くはないか？」
「はい。風がとてもきもちいいです。遼牙さまは？」
遼牙は「大丈夫だ」と答えて瑠羽の身体をぎゅっと抱き締め、
「子供の体温は高いからな。とても温かいぞ」
「ひどいっ、遼牙さま」
「おお、怒ったのか？」
からかわれてますますむくれた瑠羽は、膝の上で身体を反転させて遼牙に向き直り、胸に頭をぐりぐり押し付けて抗議した。
「分かった分かった。こら、やめなさい。くすぐったいぞ」
遼牙は笑いながら、瑠羽の身体をあやすように揺らした。そして耳許に口を寄せ、
「お前が子供でないことは、私が誰より知っている」
含蓄ある囁きに瑠羽はぽっと頬を染め、「遼牙さまのえっち…」と綿毛のような小さな声で言い返す。遼牙は含み笑いとともに「それはどういう意味かな？」と返して、瑠羽をますます赤くさせた。
この僅かな他愛もないやり取りで、遼牙と引き離されて強張りかけていた瑠羽の心は、いつもの無邪気で屈託のない本来の姿を取り戻した。
そして遼牙もようやく、瑠羽をこの手に奪い返したという実感を得るに至ったのだ。遼牙はほぅっと息を吐き、
「審問所で処刑される寸前だったと琴悠に聞いた。瑠羽よ、さぞ恐ろしかったろう」
労りと共感の詰まった遼牙の言葉に、瑠羽ははっきりと首を振って答えた。
「いいえ。恐怖よりも絶望が勝っていました。遼牙さまを見殺しにしてしまったのに、これ以上生きていても仕方がないと。そうしたら、鴇津さまと燠亥さまが……」
「鴇津と燠亥だと？ あの二人が処刑場に？」
「はい。目は覆われていたのでお姿は見えませんでしたが、お声が確かに聞こえました。何とか処刑を中止させようとして下さっただけでなく、絶望しかけていた僕に諦めてはいけないと、遼牙さまのためにも生き続けなければならないと……」
「そう……か……」
堕天使の種族であることが分かっても尚、瑠羽を守ろうとしてくれた。そんな二人の行動には、忠義などという言葉では収まりきらぬ誠の心が、遼牙への友情と瑠羽への愛情が息づいていた。
「僕のためにあのようなことを……。そのせいでお二人に罰が与えられるようなことになったら……」
「いや、心配は要らん。紫衛那審問所の弱みは握っている。鴇津のことだ、きっとうまく利用して穏便に済ますに違いない」
遼牙の力強い言葉に瑠羽はほっと安堵の息を吐き、胸に顔をうずめて本格的に甘え出した。遼牙も瑠羽の腰に腕を回してそっと抱き寄せ、身体の密着度を高める。
「不思議だ……こうしていると、お前と初めて出逢った時のことが鮮やかに浮かんでくる。まるで昨日のことのように」
瑠羽はふふっと笑って、
「僕、遼牙さまの狩りの邪魔をしてしまいました」
「ああ。今思い出しても肝が冷える。まったくお前ときたら、獲物のヤクーを庇って突然飛び出してきて……。あと少し燠亥の反応が遅かったら、矢は確実にお前の背を貫いていたぞ」
瑠羽は「ごめんなさい…」と謝罪しつつも、ぱっと顔を上げて、
「でも、そのお陰で僕は遼牙さまと出逢うことができたのです」
「そうだな。私はあの時お前に出逢い、そして瞬く間に惹かれてしまった。お前の美しさ、純真さ、優しさ、そして清らかな歌声……」
遼牙は思い出に微睡むようにうっとりと目を細めたが、やがて瑠羽に視線を戻し、
「瑠羽よ、あの時の歌をもう一度歌ってはくれないか？」
「あの時の……」
どんな歌だったか質すまでもなかった。瑠羽が覚えていないはずがない。初めて遼牙の前で歌った、大事な大事な思い出の歌。
瑠羽は楚々と頷いてそっと目を閉じ、胸の前で手を組んで夜空に澄んだ歌声を響かせた。
薔薇の杯、菫の衣
風の竪琴、妙なる調べ
乙女は翅の袂を色に染め
石の褥に汝を誘わん―――
歌い終わった瑠羽は、余韻に濡れた唇をふわりと閉じて遼牙を見上げた。そして再び抱き着こうとしたが、思いもかけぬ光景に目を見開いて固まってしまった。
「遼牙……さま？」
遼牙は泣いていた。如何なる苦難に遭っても決して潤むことのなかった両の瞳から、とめどない涙が溢れる。ようやく我に返った瑠羽は遼牙の胸にかじりつき、
「遼牙さま、どうされたのですかっ？ どこか痛いのですか？ それとも―――」
「そうではないよ、瑠羽。お前の歌が余りに素晴らしくて……」
答えながら遼牙は、自分が真実を語っていないことを自覚していた。
この涙は、感動の涙などではない。こうして瑠羽と二人で安らかな夜に憩い、歌に耳を傾けるのはこれが最後になるだろう、そんな予感、否、確信が頭を掠めてしまったが故の、惜別の涙だった。
そんなことはない、これから封印を解いて記憶を解放し、新しく生まれ変わった世界でまた瑠羽と二人、ささやかな幸せを築くことができるはず―――遼牙は何度も自分に言い聞かせ、昏い確信に支配されまいと努めた。
「遼牙さま……たとえどこも痛いところがなくても、遼牙さまの涙を見るのは辛いです……」
瑠羽は苦しげにそう言っておそるおそる手を伸ばし、指先で遼牙の涙を受け止めた。すると遼牙はその手を掴み、少し乱暴に引き寄せた。
「ぁっ……」
バランスを崩して倒れ込んだ瑠羽に、狂おしいほどの抱擁を与える。余りの力に瑠羽の小さな胸は潰れそうになったが、ただ黙って身を任せた。
「瑠羽よ、何があっても……共に………」
頭上から聞こえる遼牙の囁きには、理性と激情の境界上で何とか危うい均衡を保っている今の精神状態が反映していた。
瑠羽は必死に顔を上げ、苦しそうな掠れ声で、それでもはっきりと言葉を濁さず答えた。
「はい。何があってもお傍におります」
その言葉はゆっくりと、しかし確実に遼牙の心身に浸透していった。それに比例して、不安からくる発作的な激情も鎮静化し、遼牙はいつもの冷静さを回復していった。
「済まなかった、瑠羽。心配させてしまったな」
瑠羽は首を振って、甘えた仕草で抱き着いた。遼牙はその顎に手を掛けて上を向かせ、無防備に綻んだ唇にそっと口づけを贈る。
初めはふわふわした弾力性を愉しむように何度も唇を押し付け、次に下唇を舌の先でなぞる。ささやかな愛撫ではあったが、瑠羽の身体に張り巡らされた快楽の弦を奏でるには十分だった。
半開きの口から「ふぅ…ン」と綿毛のような吐息をこぼし、お尻をひくんと揺らす。それに応えて遼牙は舌を挿し入れ、ふっくら甘い瑠羽の舌を吸い上げた。
さらに舌の付け根をちろちろと舐めてやると、瑠羽は無意識なのか欲求の表現なのか、微かに膨らみを帯び始めた股間を遼牙の硬く雄々しい部分にぎゅっと押し付けた。
「りょ…きさまぁ……」
唾液の糸を滴らせながら目をうっとりと細めて名を呼び、押し付けた腰を上下させる。硬くなった性器が布越しにクリックリッとこすれ合って、遼牙は図らずも低い呻きを漏らした。
「まったく、いつの間にこんな誘い方を覚えたのだ……」
すでに陥落寸前という自身の情けなさを誤魔化すため、呆れたような呟きをこぼしてみる。しかし口と違って手の方は正直で、瑠羽がまとっていた薄衣を引き裂かんばかりの勢いで剥ぎ取った。
肩から胸までがあっという間に露わになり、素肌から漂う濃厚なジャスミンの芳気が遼牙の鼻孔を蕩かした。
ツンと尖ったベビーピンクの乳首を親指でくにゅくにゅ揉むと、乳輪ごとぷっくり盛り上がって恥じらうように赤らんだ。
こうなったらもう、舌で味わわずにはいられない。胸に顔を寄せて吸い付き、舌で押し潰したり歯を立てて甘咬みしたり、小さな肉の実を存分に味わった。
そうしながらも、空いた手はしっかり瑠羽の半身を掴み、薄い包皮ごと上下に滑らせて扱く。二箇所から与えられる容赦ない刺激に瑠羽は半ば恐慌状態で、目からは生理的な涙を、そしてのぼせた性器からは蜜状の愛液を溢れさせた。
「りょうきさまぁ……も…ぅ……腰が……だめ、ですぅ………」
訴えの通り瑠羽の腰はカタカタ震え、今にもふにゃりと崩れてしまいそうだった。遼牙はひとまず愛撫を中断し、瑠羽の身体をしっかり支え直す。とはいえ、華奢な瑠羽の身体を支えるには腕一本で十分だった。
細い腰に腕を回して抱え込み、空いた手は谷間に滑らせる。そしてまだ奥床しくすぼまったままの蕾を指先で撫でたり弾いたりしながら、赤く潤んだ耳たぶに口を寄せ、
「瑠羽、済まんが両手が塞がっていてな。私の前を寛げてはくれぬか？」
瑠羽は浅く熱い呼吸を繰り返しつつ、ふわふわと頷いた。そして長衣の前合わせをほんの少しはだけると、胸から腹にかけての雄々しい輪郭が露わになった。
逞しくもあり艶かしくもある筋肉の隆起を指でなぞりながら、ゆっくりと下腹部へ。すでに大きく張り出して尋常でない熱気を放出していた雄の部分に到達すると、瑠羽は両手で恭しく掴んできゅっと力を込めた。
すると腹筋が妖しく波打って、手の中の竿がビクビクと蠕動する。瑠羽はうっとりと目を細めてその動きを手のひらで感じると、剥き出しになった自身の股間を押し付けた。
直接伝わる遼牙の鼓動に悦びを感じつつ、瑠羽は腰を揺らしては悶えた。
「ああ……瑠羽、駄目だ。そんなことをされてはもたん………」
遼牙は正直に本心を告げ、いささか性急な指使いで瑠羽の蕾を広げた。愛液で濡らした指を巧みに動かして狭い入口をほぐし、奥の柔肉を蕩かす。そうして出来上がった蜜の褥に、慎みも忘れて猟奇的な飢えを晒す怒張をずぶり、ずぶりと沈めていった。
「ああっ……あっ、ああ………おしり………きもちいい………」
瑠羽は遼牙の肩に爪立てつつ、下肢を震わせあどけない口調で快感を訴えた。
遼牙の全てを呑み込んだ陰孔は紅く充血して引き攣れ、秘めやかな夜に淫靡な花を添える。遼牙はそれを見る代わりに指でなぞり、濡れた菲膜の感触に酔い惑うた。
「りょ…きさまぁ……奥まで……どくん、どくんてゆってます………」
身体の内側で遼牙の鼓動を感じることができる幸せを噛み締めつつ、瑠羽は自ら腰を揺らした。それに応えて遼牙も腰を突き上げようとしたが、ふと動きを止めて瑠羽の背中をなぞり、
「瑠羽……お前の本当の姿を見せてはくれぬか……？」
「ほんとうの……姿？」
快楽の熱で融けかけていた頭に、遼牙の言葉がゆっくりと浸透してゆく。遼牙の求めているものを理解した瑠羽は、ちょんと頷いて身体を小さく震わせた。
次の瞬間、降り注ぐ月明かりで青みを帯びていた柔らかな夜に、眩い光の粒子が氾濫した。
「ああ……何という輝き……これが………」
遼牙の視界を覆い尽くし、聖なる光暉を放つ白い翼。その輪郭は暈然と融けて、青銀色の夜と混じり合う。遼牙は神聖な感動に胸を打たれ、光態をまとった瑠羽にただ呆然と見愡れた。
「綺麗だ……とても綺麗だよ、瑠羽………」
「遼牙さまぁ……」
熱を帯びた賛辞は嬉しかったけれど、それ以上に身体が遼牙を欲していた。瑠羽は甘えた声で名を呼びながら、遼牙の胸にきゅっとしがみついて腰を揺らした。
その可愛いおねだりに、遼牙の欲望も再び燃え上がる。「しっかり掴まっていなさい」と命じると、瑠羽の尻たぶを掴んで上下に揺さぶり、と同時に自身の腰も突き上げた。
「ふぁっ、あっ、ああっ、あっ、」
瑠羽の身体は自然と弓なりに反り返り、優美な曲線を描く。喘ぎの形に綻んだ唇からこぼれるのは、母音だけの甘美なアリア。
「ああ……瑠羽、瑠羽………」
譫言のように名を呟きながら、遼牙は角度をつけて最奥部を穿った。灼けた楔を根元までぐじゅぐじゅと押し込んで、奥の熟れた果肉を掻き回すようにゆったりと腰を揺らす。絡み付く肉の淫らさと熱さに眩暈を覚えつつ、ようやく見つけた微かな膨らみに狙いを定めた。
「きゃああッ、イイッ、イクっ、いく…ぅ………」
遼牙の先端が快楽の奥座をこするたびに、瑠羽の翼は悶えるように波打った。翼の先まで感じているのが分かるその嬌態は、神々しくまた艶かしく、遼牙は狂気じみた愛欲の高まりに囚われた。
「るうッ……」
愛しい名を叫ぶと同時に遼牙の逸物は弾け、瑠羽の奥目掛けて勢いよく精を送り込んだ。
尻が潰れるほど強く股間に押し付けて、逞しい腰を時折ビクビク揺らしながら延々と注ぎ込む。ほぼ同じタイミングで、か細い悲鳴を上げつつ射精した瑠羽も、四肢を支配する甘い疼きに翻弄されるようにぶるぶる震えた。
熱く濃厚な精を捧げ合った二人は、どちらからともなく手を伸ばして抱き合った。するとバサ、と空気が鳴り、心地よい温もりに包まれた。
冷たい廃墟にいることを忘れてしまうほどの、まろやかでどこか懐かしい温かさ。思わず顔を上げた遼牙は、自分が今、瑠羽の羽に包まれていることを知った。まるで冴えた夜気から守ろうとするかのように。
―――そう…だ……私はこうしてずっと……お前の愛に守られてきた………
遼牙は無言の感慨を胸の奥に刻み込み、静かに目を閉じたのだった。
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