DECISION
７.
先頭は二人の護衛官が務め、その後ろに遼牙と瑠羽が続く。さらにその後ろには夕弥たち璃州国の部隊が続き、彼らを守るように紫衛那の武官たちが囲んだ状態で隊列を組んでいた。
付近の詳細な地図に、最新の戦闘状況を記した地図を照合させて検討し、最も安全な帰路を抽出した。
遼牙たち一行はそれに沿って順調に進んでいたが、ちょうど道程の半分ほど進んだところで、思わぬ迂回を強いられることになってしまった。
「何と……これも地震の影響なのか？」
激しい地滑りが発生したのか、堆く積まれた瓦礫や泥土、そして根こそぎ倒れた大木などが行く手を阻み、これまで進んできた道を分断していた。
夕弥は怨めしげに前方を睨み、唇を噛む。ここまで順調だっただけに、後退を強いられるのは悔しかった。しかし仕方あるまい。
「いったん戻って、もう一度帰路を検討し直しましょう。もしかしたら、さらに危険な戦闘区域に深く入り込まざるを得ないかもしれません。………申し訳ない」
遼牙に向かって頭を下げる夕弥。しかし遼牙は鷹揚に笑い、
「何も謝罪を受ける謂れはない。我々はそういった可能性も考え、あなたたちを守るためにわざわざ来たのだぞ。余計な気は遣わず、我々に任せてもらいたい。よろしいな？」
そう言って夕弥の肩を叩いた。そして全員に向かってよく通る声で、
「いったん退避する。隊列を組み直したらすぐに出発するぞ」
遼牙の号令に従い、来た道を戻り始めた。
「遼牙さまぁ、地震ってこわいですね」
眉間に皺を拵えて怯える瑠羽に「大丈夫だよ、心配は要らない」と微笑って答えつつも、遼牙は曖昧な胸騒ぎを抑えることができなかった。
何か変だ。まるで……見えない何かに誘導されているように思えてならない。
―――まだ前線には遠いが、この人数で戦闘区域に深入りするのは危険だ
遼牙は無意識のうちに、瑠羽の腰に回した腕に力を入れて強く抱き寄せた。
一行は分岐点まで戻ると、日も暮れてきたこともあってここに天幕を張ることにした。簡単な食事を済ませると、膝の上の瑠羽はあっという間にうつらうつら船を漕ぎ始める。
慣れない馬上の旅に加え、一行の張り詰めた空気を感じて緊張もしていたのだろう、心身ともに疲労しているに違いない。
遼牙はそっと抱き上げて寝所となっている天幕に運び、寝かせてやった。毛布を掛けてやると、瑠羽はうにうに言いつつゆるりと目を開けた。
「んん……りょうきさま…………」
遼牙はその頬や額を優しく撫で、
「疲れただろう。私はこれからの帰路や対策など話し合うことがまだある。お前は先に眠っていなさい」
「ん………でも、おそばに…………」
傍にいたいと訴える唇に想いを込めて口付けを落とし、
「話し合いにはそれほど時間もかからない。終わったらすぐに戻る。お前は何も考えずゆっくり休みなさい」
遼牙の言葉にこれ以上異を唱えることもできず、瑠羽はふわふわと頷いた。そして手を差し伸べ、
「お戻りになったら………ぎゅっとしてくださいますか？」
その手に軽く指を絡ませ、「もちろん、朝まで離さんぞ」と答える。それを聞いた瑠羽は嬉しそうに微笑んで、
「眠っていても起こしてくださいね。遼牙さまにおやすみなさいのご挨拶をするの」
遼牙は目を細めて頷くと、絡めた指をほどいて毛布の中にそっとしまってやった。
「では、すぐに戻るからな」
そう言って天幕から出て行く遼牙の背中が、ほんの一瞬だが儚く揺らいで見えた。
瑠羽の小さな胸に灯った不安の燠火は、ゆるりと目を閉じても消えることなく、くすぶり続けたのだった。
「やはり、さらに北西へ進んで谷を越えるしかないですね」
「……そうだな。多少時間はかかるがそれが確実だろう」
地図を広げて今後の経路を確認し合うと、ようやく僅かながら重苦しい空気が緩んだ。夕弥は疲労の色濃い笑みを向けて、
「遼牙様、今夜はもうお休みください。我々はもう少しここで火の番をしております」
「しかし、夕弥殿もお疲れだろう。身体を休めた方がいい」
「部下の者と、こうして膝を突き合わせて話す機会は滅多にありませんからね。彼らといる時間はある意味とても貴重なものなのです」
遼牙は口許を緩めて頷きを返し、
「余り夜更かしするんじゃないぞ。休息も任務のひとつだからな」
「母上のようなことを仰る」
「はは。あの方に比べれば私もまだまだひよっ子だ」
そして簡単な挨拶をして背中を向け、瑠羽の待つ天幕へ戻ろうとしたその時、大きな衝撃が大地から伝わってきた。
「地震かっ」
揺れ自体はさほど強くはなくじきに収まったが、地鳴りのような轟音が聞こえてきた。しかも変更したばかりの進行方向から聞こえたとあって、遼牙たち一行は最悪の事態を予感した。
「とにかく、様子を見てこよう」
「私も行きます」
遼牙と夕弥、そして数名の武官らが連れ立って、今の地震の影響を確かめるため天幕を離れた。
もちろんすぐに戻ってくるつもりだったが、この判断が致命的な結果を呼び込むことになろうとは、さすがの遼牙も予測できなかった。
「あ、あの……今、地震が…………」
遼牙たちが宿営地を離れた後、地震で目を覚ました瑠羽がのそのそと起き出して天幕の中から顔を覗かせた。そして入口の両脇を護衛する武官におそるおそる訊ねる。
「あの、遼牙さまは………」
武官は厳しい偵察の目を周囲に張り巡らせながら、声を優しくたわめて答えた。
「遼牙様はつい先刻、進路に地震の影響がないか確かめに行かれました。でも、すぐお戻りになりますからご安心を」
「そ、そうですか……」
眠る直前に感じた不安が、再び生々しく頭をもたげてくる。瑠羽は小さな溜め息をついて、天幕の中に戻ろうとした。その時、
「遼牙……紫衛那の＜狂える龍神＞にこんなところで遭遇するとは、運がいいのか悪いのか………」
暗闇も慄えるほど禍々しい声が、頭上から降ってきた。さすが遼牙が選抜した武官だけあって、素早く剣を構えて攻撃の体勢をとる。が、見えない敵に一太刀も浴びせることができず、肩から鮮血を吹き上げてその場に膝をついた。
「ひっ………いやあああああっ…………」
瑠羽の悲鳴を聞き付けて、待機を命じられた護衛官らが次々と駆け付けた。さらに肩を負傷した武官も立ち上がり、流れる血にも構わず剣を構えた。
「瑠羽様をお守りするぞ」
みなの想いはひとつ。天幕を囲んで、見えない敵に挑むかのように剣の切っ先を闇に向ける。
「なるほど、そこまでして守ろうとするとは。さてはその中にいる者、噂に聞く紫衛那王の酒姫だな」
その言葉と共に、見えぬ敵が彼らの前に姿を現した。否、降臨した。
「あ………アム・アザゼルかッ…………」
純白に輝く翼を波打たせて降り立った男は、薄い唇を歪めて、妖艶とさえ言える窃笑を浮かべた。
「璃州国の王子が足止めを食らい、右往左往しているとは聞いていたが、まさか紫衛那王まで同行しているとは。面白い、奴はどこにいる？」
「ここで死体になる貴様に、教える理由などない」
「面白いことを言う男だな。褒美にこれをやろう」
次の瞬間、地面から尖った岩柱が突き出て武官の腿を貫いた。
「ぐぎゃあッ、ぐっ、ぐあッ…………」
潰れた悲鳴を上げてその場に膝をつき、腿に刺さった岩の槍を引き抜くこともできずただ呻くしかできない。
「貴様ぁっ」
残る護衛官らは一斉に剣を振り上げて斬りかかろうとするが、次々と地面から生え出る岩柱に阻まれて近付くこともできない。
岩柱は着実に狙いを定め、護衛官らの脚や肩を突き刺した。致命傷となる場所を避けているのは、単に苦痛を長引かせるためだった。
「ぎゃああッ」
「ぐッ……が、が…………」
大地に縫い付けられた男たちは、それでも何とか応戦しようと必死にもがく。しかし少しでも動けばぐしゃぐしゃと肉は弾け、鮮血が溢れ出る。
「ゃぁ……ぁぁぁぁ…………」
天幕の中でガタガタ震えていた瑠羽だったが、外で湧き上がる悲鳴や天幕に飛び散る血飛沫に半ば恐慌状態となり、よろめきつつ表てに出た。そして、恐るべき光景を目の当たりにした。
「瑠羽……さま………お逃げ……くださ………い…………」
遼牙が最も信頼を置いている副官が、岩に両脚を貫かれながらも瑠羽に逃げるよう訴えた。そして剣に気を溜め、無数の波動を眼前の堕天使に放つ。しかしそれを難なく躱しながら感心したように目を見開いて、
「ほぅ。お前が紫衛那王の酒姫か。聞きしに勝る美貌だが、その白い肌、まるで我が同族のようだな」
そして懸命に剣を振るう男をちらと一瞥して、不快も露わに「邪魔だ」と鋭く吐き棄てた。すると間髪入れず地中から柱が突き出て副官の腕を貫いた。
「ぐああああッ」
もはや剣を握ることもできず、口から大量の血を吐いて失神した。他の武官らも皆、激痛と大量の失血により意識を手放して項垂れていた。
「ぃ……ゃ…………」
瑠羽は目を逸らすことなく、瞬きを忘れた瞳で全ての苦痛を、全ての流血を、全ての絶望を見据える。
「もう……やめ……て…………」
そして内なる力に促されるように立ち上がり―――
―――見よ 呼吸をするあらゆる存在の
生気に満ちた息は光の剣
「ああ………ルヒエルさま…………」
瑠羽の口からこぼれた聖なる御名に、アム・アザゼルの男は初めて表情を変えた。攻撃の手を止め、瑠羽に近付こうとする。その時、瑠羽の唇が大きくわなないた。
「見よ 呼吸をするあらゆる存在の 生気に満ちた息は光の剣―――」
「なん……だと？ この呪文はっ―――」
男の驚愕をよそに、瑠羽の唇はすらすらと呪文（ことば）を発した。
我は汝が神の内への道を取り戻す
その神の神秘の名はリー・テー
白銀に輝くステルスのこの靄が
汝が躰を浸し回復を促さん
バー・ター・イー・ヴァー・ヘー
偉大なる風の癒しの王よ
「くッ………」
瑠羽が詠唱を終えるとほぼ同時に、竜巻のような突風が起こり全てを包み込んだ。
男は翼を目一杯羽ばたかせてこらえつつ、薄目を開けて瑠羽の姿をその目に灼き付けた。暈然と輝く光輪と、純白の羽を広げた姿を。
風はすぐに収まり、その跡には気を失った瑠羽と、全ての傷が塞がった護衛官らが倒れていた。
男はゆっくりと瑠羽に近付き、その身体を抱き上げた。そしてじっと見下ろすと、突然肩を震わせて笑い出した。
「ク……ククククク…………」
―――まさか、こんなところで見つけるとは………
「羅叉様！ 今の魔力（ちから）は……まさか………」
控えていたらしき兵士たちが、蒼褪めた表情で駆け付けた。神聖高位魔族、大天使ラジエルの守護を受けし地の一族の族長、＜地を統べる黒き蛇＞の異名を持つ羅叉は、にやりと笑って頷いた。
「神聖高位魔族、風の族長だ。何故かは分からないが、紫衛那王の酒姫になっていたようだ」
羅叉の言葉に兵士らは恐慌をきたした。無理もない。十年以上前に殲滅された風の一族、その族長が現れたなんて―――
「と、とにかくすぐ本軍に連絡して、翡衛城の判断を仰ぎ―――」
口角泡を飛ばして言い募る兵士が、突然目を剥いて口から血を噴いた。鋭く尖った岩の槍に、腹を貫かれたのだ。
「ら……しゃさ…ま………？」
訳が分からないとばかりに目を見開き、指揮官であるはずの羅叉に悲愴な眼差しを送る。対して羅叉は凄絶な笑みを向けて、
「もういい加減飽き飽きなんだよ、お前らに付き合うのは。俺は今日限り、翡衛城に背叛する。セクトの仲間が待ってるんでな」
そして部下であるはずの兵士たちを、次々と岩柱で串刺しにした。その血腥い作品にちらと一瞥をくれただけで背中を向け、
「悪いな、真朱。俺の勝ちだ」
姿の見えぬ好敵手に勝利を宣言すると、瑠羽を抱いたまま羽を広げて夜空に飛び立っていった。
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