DECISION
１４.
俺の親父は優しくて、どうしようもなく弱い人間だった。
一族の長という立場、重責に喘ぎながら、必死になって一族の利益と幸せを守ろうとしていた。そんな親父に双子が授かってしまったのは、天の悪ふざけとしか思えない。
俺ら地の一族では双子は凶兆で、後に生まれた方をすぐに殺さないと災いが起こるという言い伝えがあったんだ。
全く下らねえ迷信で、大昔双子の兄弟がどちらが族長になるかで争った挙句、伽羅の都が荒廃したことがあったそうだ。
でもそれは、その双子とそいつらを唆した側近の連中が阿呆だっただけで、だから双子は災いを呼ぶ、殺してしまえなんて暴論だ。
なのに一族郎党みんな迷信にかぶれて、双子は殺せ、双子は不吉だと口を揃えて言いやがる。詳しくは知らんが、これまでも人知れず葬られた子供がいたに違いない。
そして俺らが生まれた。もちろんしきたりに従って、後に生まれた方をすぐに殺さねばならなかった。母親は双子を生んでしまったショックと、もともと身体が弱かったこともあって出産後数日で息を引き取った。
けれど親父は、生まれたばかりの自分の子を殺すなんてできなかった。そこで親父は、俺ら二人に＜羅叉＞という名前を与え、二人一役を演じるよう厳格に躾けた。そうして俺らは、交互に＜羅叉＞を演じるようになった。
俺らは最初、このゲームが何を意味するのかよく分からなかった。分からないながらも真剣に、楽しんでやった。
子供の順応力はすごいもんで、親父でさえ目の前の＜羅叉＞がどちらなのか判別できないことが多かった。一卵性だったから外見がそっくりな上、互いに似せようと努力しているのだから当然だな。
でも、俺らの性格は全く違っていた。俺は我が強く乱暴者で、側近の言うことを聞き入れない、典型的な悪ガキ。対して弟は物静かで控え目、自然の草花や動物を愛する優しい少年だった。
俺は聡明な弟を誇りに思っていたし、とても……愛していた。
しかし俺らが１５歳になったばかりの頃、ついに二人一役がばれてしまった。それでも当初、親父は焦らなかった。この十五年間、言い伝えにあるような災いなんて一度も起きなかった、平穏そのもの。その既成事実を楯にして、一族を納得させられると思ったからだ。
けれど分かるだろう？ 迷信に凝り固まった岩頭に、既成事実なんて無力だ。奴らは一致団結して、殺せ！ 殺せ！ の大合唱だ。
そいつらに、親父は毅然とした態度で抗することができなかった。優しく弱い族長は、不条理な声に屈するしかなかった。親父は弟を殺すことを約束した。
すると奴らは証拠を見せろと言い出した。親父は自分の手で弟の首を刎ね、奴らに差し出した。こうして俺は一人、羅叉になった………
あの時のことは、今でも鮮明に覚えている。忘れたくても忘れられねえ。いや、忘れてはいけないんだ。
弟は自分の運命を悟っていた。取り乱すことなく、恐ろしいほど穏やかにその時を待っていた。そしてたったひと言、もっと色んなものが見たかったな…と俺に言い、淋しそうに笑った。
だから俺は親父に頼み込んだ。せめて弟の片目だけでも生かしてくれないかと。そう、俺の左眼は、弟の眼なんだよ。
俺は弟に誓った。いずれ必ず、お前を殺した一族を伽羅の都ごと滅ぼしてやる。そして全てが崩壊するさまを、この左眼、お前の遺した眼に灼き付けて、俺が死んだ時返してやるからなと。
そうだ、俺はそのためだけに生きている。親父が死んだ後、俺は族長を継いだ。だからと言って、一族を守ろうなんて気はさらさらない。
何が神聖高位魔族だ、高貴な一族だ、ふざけるな！ てめえの保身ばかり考え、一族の安寧のためなら“多少の”犠牲も厭わないって？
はっ、奴らだけじゃねえ。アム・アザゼルもシェアールも、そして異端の連中も、みんな自分だけは特別だと思ってやがる。だから誰かを犠牲にしても仕方ないと。
俺はいつか必ず、この腐った愚民ども、腐った世界を全てぶっ壊してやる。そして思い知らせてやるんだ、誰も“特別”なんかじゃねえってな。
みんなみんな、どいつもこいつも生きるに値しない虫ケラ同然の生き物なんだってな――――
―――瑠羽は遼牙に寄り添い、両手で顔を覆ってすすり泣いている。遼牙はそんな瑠羽の肩を撫でながら、遠くに見え始めた伽羅の都を目を細めて眺める。
羅叉の物語を語り終えた真朱はそっと口を閉じ、疲れたのかやつれた息を吐いた。
誰もが重苦しい沈黙の虜となっている。まるで、羅叉が背負う悲しみと狂気に押し潰されるかのように。
「………憐れな男だ。何もかも全て、分かっているだろうに」
最初に口を開いたのは遼牙だった。遼牙には、羅叉やその父親の、身を灼かれんばかりの苦しみがよく分かった。
不条理な因習に屈し、愛する者を己れの手で屠る。やり場のない怒り、絶え間なく押し寄せる自責の波濤―――一国の王たる使命感により何とか踏みとどまったものの、そういった因習を強制する社会全体への怨みを募らせ、破壊衝動に取り憑かれるのも分からなくはなかった。
もちろん、そんなことをしても仕方がない、死んだ者は返ってこない、ただ虚しさに魂を食い荒らされるだけとは百も承知なのだ。
「遼牙さま………」
遼牙の呟きに過去への眼差しを察した瑠羽は、涙をこしこしとこすって遼牙の手をそっと握った。真朱は「ああ…」と感慨のこもった溜め息をつき、
「そうか、あなたも嘗て―――」
その時、下方からズゥンと轟音が響いた。地鳴りよりもっとこもったような、鈍い重低音。大地の呻きが。
「あそこだ！ 下りるぞ、しっかり掴まってろ！」
真朱の号令と共に、飛竜が急降下を始めた。遼牙はすぐさま瑠羽の身体を抱き寄せた。
「遼牙、あの岩場に飛び降りれるか？」
「無論」
遼牙は頷きを返すと、瑠羽の背中に回した腕に力を入れ、
「瑠羽、私の腰にしっかり掴まっていなさい。手を放すのではないぞ」
瑠羽はこくこく頷いて、言われた通り遼牙の腰にぎゅぅっとしがみ付いた。
「……よし、今だ。飛び降りろ！」
ぎりぎりまで降下した飛竜の背から、真朱と遼牙は見事に飛び降りて着地した。もちろん、瑠羽は遼牙の腰にしがみ付いている。
「あっちだ。羅叉の姿が見えた」
着地するとすぐに岩場を駆け上り、崖の先端へ。そこには羅叉が立って、下方を見下ろしていた。
「羅叉！ やめるんだ。そんなことをしても何にもならない」
近付きながら真朱が説得を始める。すると羅叉はゆっくり振り返ってくしゃりと顔を歪め、
「もう遅えよ。地を破壊する黒き蛇は放たれた。見ろ」
羅叉の言う通りだった。下方に広がる伽羅の都に向かって、幾筋もの亀裂が走る。まるで、黒い大蛇が獲物目がけて突き進むかのように。
「は、はは………これで伽羅の都も終わりだ。都を支える地の基盤は崩れ、美しい聖堂も家屋も学校も市場も、何もかも崩壊する。住人は瓦礫の下敷きになり、苦しみ悶えながら死んで―――」
その時、高らかに伽羅の崩壊を謳っていた羅叉が突然膝をついた。
「ぐ………が、がああああッ…………」
さらに顔を押さえ、断末魔の如き呻きを漏らす。
「どうした羅叉っ」
三人は駆け寄り、うずくまる羅叉の顔を覗き込む。そして一様に息を呑んだ。
「目が……目がっ―――」
羅叉の左眼は、濃厚な血の涙を流していたのだ。
「馬鹿……な……何故、何故なんだッ………あ、ああ………」
まるで破壊される伽羅の痛みに同調するかのように、羅叉の左眼は血の涙を流す。痛みや悲しみだけではない。血走った眼は烈しい怒りも宿していた。
「羅叉、羅叉……何故だ、お前はこれを望んでいたんじゃねえのかっ……お前は―――」
目を抉り取られるかの如き劇痛に耐えながら、羅叉は左眼に宿りし“羅叉”に悲愴な問いをかける。
何故だ、お前を殺した一族を、お前を受け入れなかった都を、何故それほどまで大事に思えるのか―――
「簡単なこと。お前の弟は誰も、何も怨んでなどいなかったのだ」
静かな威を孕んだ遼牙の声。それは劇痛の嵐に荒れ狂う神経に、何故かすっと沁み込んでいった。
「何……だと………」
「私は嘗て、母の首を自らの手で刎ねた。影道である私が王位に就くには、そうせねばならなかったのだ。母は全てを受け入れ、黙って私の前に首を差し出した。彼女は誰も、何も怨んでなどいなかった。それどころか最期まで私の苦しみを想い、民の幸せを願い、国の平和と繁栄を願っていた。お前の弟も同じだったはずだ」
羅叉はゆるゆると顔を上げ、すがるように遼牙を見つめた。左眼からは、とめどなく血涙が溢れる。その異様さにも遼牙は淡々とした口調を崩さず、
「お前の弟も、父親やお前の苦しみを想い、一族の幸せと繁栄を願い、そしてお前に託して死んでいったはずだ。後のことを頼む、と。どうか立派な族長になり、一族を守って欲しいと」
「う……うあ………あああああああ…………」
右の眼から、透明な涙が流れる。それは紛れもなく後悔の涙だった。
「羅叉、羅叉ッ！ そうなのか？ お前は本当に一族を、この都を愛していたのか？ お前を殺した地の一族を！」
羅叉のちぎれんばかりの叫びに応えるように、左の眼からはさらに濃く熱い血の涙が溢れる。羅叉はよろめきながら立ち上がり、崖の上から伽羅の都を見下ろした。
「羅叉、今からでも遅くはない。地の怒りを鎮めるんだ。そうすれば都の崩壊は食い止められるはず」
真朱の言葉に力なく首を振る。羅叉は左眼を押さえ、
「駄目だ……もう間に合わねえ。一度放たれた破壊の脈動は、止めることはできない。全てを破壊し尽くすまで大地の陵辱をやめない……」
「そんなっ………」
伽羅の都に襲い掛かった＜黒き蛇＞は、もの凄い勢いで都を食い荒らしていた。亀裂に建物が呑み込まれ、崩れた壁から舞い上がる砂塵で都全体が黄土色のベールに覆われたように見える。烈しい崩落音に混じって、微かだが人の悲鳴や叫び声も聞こえてくる。
「あ…あ………羅叉、羅叉……済まない………泣くな、泣かないでくれ………誰か……止めて……止めてくれぇ………涙が、羅叉の痛みが止まらねえ……ああ…………誰かっ―――」
その時、柔らかく微かにジャスミンの馥りのする風がふわりと舞い上がった。ずっと遼牙の背後に隠れて震えていた瑠羽が、確かな足取りで前に進み出てきたのだ。内なる何かに導かれるかのように。
「瑠羽、危険だ。戻りなさい」
崖の先端まで歩み出た瑠羽に、遼牙が戻るよう命じる。しかし瑠羽は初めて遼牙の命に背き、内なる声に従った。即ち、自分の意志に。
「オファニエルさま……お力を………」
そして、地震による崩壊が続いている伽羅の都に向かってそっと手を差し伸べ―――
大いなる光の螺旋 天宮と時空を司る蒼き天使
十二の座を統治せる汝 我に奇蹟と慈悲を与え給え
流るる時を堰き止め 現在（いま）を打ち消し 過去を現在に
天秤宮の調和と双魚宮の混沌 天蠍宮の再生をもって
新たな時の秩序を築き上げん―――
「これ…は………一体………」
真朱ですら耳にしたことのない呪文だった。しかし、瑠羽が何をしようとしているのかすぐに分かった。
土煙を吹き上げて崩壊を続ける伽羅の都を、金色に輝く光の帯が取り巻く。と同時に、その内側の動きがぴたりと止まった。壁の崩落はもちろん、舞い上がる砂塵の粒子までもが宙で止まっている。次の瞬間、
「なっ……ん………まさか―――」
遼牙も真朱もそして羅叉も、身を乗り出してその光景を眺める。光の帯に包まれた伽羅の都が、自ら修復を始めたのだ。いや、そうではなかった。これは修復ではなく―――
「時間が………戻っているのか………」
呆然と遼牙が呟く。その通りだった。伽羅の中の時間が逆行しているのだ。崩れた建物はみるみるうちにもとの堅牢さを取り戻し、都を引き裂きあらゆるものを呑み込んだ大地の亀裂は、全て吐き出すとその貪欲な顎を閉じていった。
三人の眼前で繰り広げられた奇蹟劇は、終幕を迎えんとしていた。都は蘇り、羅叉が放った＜黒き蛇＞はするすると後退してゆく。
「………確かに、瑠羽の第二級守護天使（セカンド）である聖オファニエルは、星辰の運行を司る大天使だが……。まさかこんな呪文が使えるとは……」
真朱の呟きに、全ての驚きが収斂されていた。瑠羽の潜在能力を改めて見せつけられた遼牙は、言いようのない不安に囚われた。確かに、この力を是が非でも手に入れたいと望む者は多かろう。
「瑠羽ッ、大丈夫か！」
魔力の放出を終えた瑠羽は、その場にふわりと倒れ込んだ。遼牙はすぐさま駆け寄り、ぐったり弛緩しきった身体を抱き起こす。
覚束ないながらも意識はあるようで、瑠羽は心配かけまいと必死に笑顔を拵えた。
「遼牙さま………あの都は……元通りに………？」
「ああ、全て元のまま、美しい都に戻ったぞ。お前のお陰だ」
瑠羽は楚々と首を振り、
「僕のちからではありません。オファニエルさまのお力です」
「……そうか。そうだな」
そこに、羅叉がゆっくり近付いてきた。左眼を押さえたまま、困惑の表情を隠さず、
「何故、俺のために……？ 俺を憎んではいないのか」
瑠羽は微笑みを消し、厳しい眼差しで羅叉を見据えた。そして明晰な声で、
「僕はあなたが嫌いです。でも、あなたの左眼は好き。優しい眼差しが、遼牙さまに似てるんだもの。だから、涙を止めてあげたかったの」
羅叉は返す言葉が見つからず、黙って眼を押さえていた手を離した。気付けば、左眼の疼きはすでに止んでいた。そして血の涙も―――
「涙が……止まった。羅叉が……お前に感謝している………」
羅叉の言葉に安心したのか、瑠羽は微かな笑みを浮かべ、遼牙の腕の中でふわりと目を閉じた。
BACK TOP NEXT