First Christmas
一日遅れのクリスマス

１.

仕方ないよ、とあいつは笑った。だって、そういう可能性もひっくるめて、僕は皇と一緒にいることを選んだのだから、と。

こういう時、俺とあいつの年齢差を思い知らされる。自分の幼さを思い知らされる―――




「……何だよ、ずいぶん簡単に承諾するんだな」

皮肉っぽく言ったつもりだったのに、口から出てきたのは拗ねる子供みたいな不貞腐れた声だった。

冴季はそんな自分への苛立ちを隠せず、くるりと背中を向ける。泰水は近付こうとしたがふと足を止めて、強張った背中に優しく語り掛ける。

「仕方ないよ、実家の大事な行事なんだから」
「俺は行きたくない。お前と一緒にいたい」
「僕だって同じだよ。皇と一緒にいたい。でも―――」

冴季は軽く頭を振って泰水の言葉を遮り、ソファにどっかりと座り込んだ。そしてふいとそっぽを向く。これではまるで、駄々を捏ねているだけではないか。分かってはいるのだが、尖った感情がなかなか収まってくれない。

二人で過ごす初めてのクリスマス。どうやったら泰水を喜ばせてやれるか、楽しく思い出深いひとときを過ごせるか頭を巡らせていた冴季に、無情にも実家から招集がかかった。

ちょうどクリスマスを挟んだ一週間は、仕事納めの時期も重なってパーティーやら会合やらがあちこちで開かれる。もちろんそこには、関連企業や取引先のトップも大勢訪れる。

冴季の父である晃三は、息子を後継者として広く知らしめるいい機会だと考えたようだ。いわば顔見世興行のようなもの。

さらにそれはただ外部へのアピールだけでなく、晃三の正妻を含め、妾腹である冴季が正式な後継者となるのを快く思わない冴季家内部への無言の圧力でもあった。

そういう込み入った事情があることは、冴季も分かっている。泰水の言う通り、“仕方ない”ということも。ただ、泰水が余りにあっさり承諾したのが不愉快なのだ。もっと包み隠さず言えば、淋しかったのだ。

クリスマスは皇と一緒にいたいと、我がままを言って欲しかった。子供っぽいところを見せて欲しかった。なのに―――

「ね、皇。皇がそういう重大な立場にいる人間だってことはよく分かってる。今はまだ学生だからこの程度で済んでいるけど、今後はもっともっと我慢しなくちゃならないことが出てくると思う。そういう可能性もひっくるめて、僕は皇と一緒にいることを選んだんだ」

ああ分かってる、分かってるよ。俺と付き合えば、そういう淋しい思いを少なからず強いることになるだろうと覚悟はしていた。心の中で返事を返す冴季に、泰水は諭すような口調で、

「皇のお父さんに認めてもらうためにも、やるべきことはきちんと果たさないと。でしょう？」

冴季は苦い溜息をついた。ここまで言われたら、駄々を捏ねている自分が馬鹿で惨めに思えてきて―――

「……そんなに行って欲しいのかよ。もしかしてお前、他の男と約束してんじゃねえのか」
「酷いっ。僕は―――」
「ああうるせ。もういい。お前の言う通りにしてやるよ。これから小野寺が来て準備するから、もう帰れ」

泰水は何か言おうと口を開いたが、哀しげに閉ざして項垂れ、「じゃあ、帰るね」とだけ言い置いて出ていった。

冴季は後を追い掛けようと腰を浮かせたが、結局そのままソファに沈み込み、思ってもいない言葉で傷付けてしまったと後悔の念を噛み締めるしかできなかった。




そうして、12月24日のクリスマスイブ。昼から二つの会合に顔を出し、夜はパーティーに出席した冴季は、ホテルに戻る車内で疲労も隠さず、革張りの座席に身体を預けて目を閉じていた。

疲れているからというのもあったが、外の景色を見たくないというのが一番の理由だった。イルミネーション、腕を組んで歩く恋人同士、店先に掲げられた“Merry Christmas！”の文字―――

「ほぅ、そういえば今日はクリスマスだったな」

隣の晃三が、さも今気付いたかのように呟いた。冴季は心の中で舌打ちする。わざとらしい芝居しやがって。

「済まなかったなぁ。クリスマスには、恋人と一緒に過ごしたかったろうに。帰るのは明後日になってしまうな。クリスマスも疾うに終わっている」

“恋人”という単語に黒い諧謔の響きを含ませて、晃三は皮肉たっぷりに言い置いた。しかし冴季が無反応なのを見ると、さらに声をひずませて挑発する。

「家を優先させるなんて恋人失格だと、相当文句を言われたのだろう。はは、仕方ないことだ。一般の人間には理解し難いだろうからな。しかしお前は―――」
「実家の大事な用事なのだから、しっかり果たしてこいと言われた」

晃三の挑発を遮るようにそう言って、冴季はじっと見返した。そして、

「あいつは、あんたが思ってるほど子供じゃない。俺の立場というものをちゃんと理解している。最高のパートナーだろ？」

眉間に皺を刻んで黙り込む父親の横顔を見て、これまでの疲労が一気に吹き飛ぶのを実感する冴季だった。




―――皇……今ごろ何してるのかなあ。ちゃんと挨拶とかできてるのかなあ。お父さんと喧嘩してなきゃいいなあ……

夜空を見上げながら呟いた泰水は、何だか可笑しくて思わず吹き出す。独りぼっちのモノローグまで、いい子でいる必要はないのに。

誰もいないのだから、思う存分弱音を吐いていいのだ。淋しいよぉ、不安で仕方ないよぉ、早く、早く会いたいよぉ……と。

しかし泰水はそういった自然な感情を努めて抑え付け、平気な振りを装った。自分で自分を騙した。でないと、ちょっとした綻びからぐずぐずに崩れてしまうと分かっていたから。

そうすればまた、依存するだけの関係に陥ってしまう。嘗て、那津との関係がそうだったように。

泰水は今、冴季の部屋にいた。寝室で、冴季の匂いのする布団にくるまれて、窓から夜空を見上げている。寝るにはまだ早い時間だったけれど、こうしていると安心するのだから仕方ない。このくらいの甘えは自分に許してもいいだろう。

この部屋で嫌な別れ方をして以来、冴季からの連絡は一切なかった。電話はもちろん、メールでさえも。きっと一日中父親に振り回されて、心身ともに疲れているのだろう……と思い込むことにした。

もちろん自分から連絡を取るなんてことはできず、それでも携帯は肌身離さず持ち歩いた。帰ってくるまで、一度くらいは連絡をくれるのではないかと期待を捨てきれず。

「声が……聞きたいなあ………」

思わず本音がこぼれてしまい、慌てて首を振る。いけないいけない。このくらいの我慢ができなければ、自分はいずれきっと彼の荷物になってしまう。

泰水は布団をばさりと被ると、枕に顔を押し付けて温もりの残滓を探した。その時、

「えっ？　あ、あっ………」

携帯の着信音。泰水はあわあわと起き上がって通話ボタンを押し、高鳴る胸を押さえつつ応じた。すると、

『泰水、メリークリスマス』

ああ、この声。鼓膜を甘く震わす媚薬。心と身体がどれだけこの声を求めていたか思い知らされる。

「皇……えと、メリークリスマス………」

不思議な言葉。ツリーもイルミネーションもケーキもプレゼントもないのに、この言葉だけでほんわかクリスマス気分になってしまう。知らず知らず、泰水の口許も綻んでいた。

「皇、今どこにいるの？」
『ああ、ホテルに戻ってきたところだ。お前は俺の部屋にいるだろ』
「え？　あ、うん……」
『で、俺のベッドの上で布団にくるまってるだろ』
「ど、どして分かるの……？」

冴季はくっくっと笑って、

『前に言ってたじゃねえか。皇がいない時、こうしてると落ち着く、ってな』

泰水は赤くなって意味もなくあたふたする。そして情けない溜息をつき、

「なんか……子供みたいだよね。ごめん、甘えちゃって……」
『何言ってんだよ。子供みたいなのは俺の方だ。泰水、あの時は……悪かった。ちゃんと務めを果たしてこいと送り出してくれたお前に感謝するどころか、あんな酷えことを……』
「皇……」
『あの時お前が言ってくれたように、俺たちの関係を認めさせるためにも義務は果たす。そのせいでお前にはこれからも淋しい思いをさせるかもしれねえけど、でも、一緒にいてくれるか？』

泰水は涙を拭いながら何度も何度も頷いた。電話で話していることも忘れて。案の定、『おい、返事は？』と不安に曇った声が聞こえてきた。泰水は慌てて、

「ご、ごめん！　頷いてた！」

泰水の返答に一拍おいて、冴季の屈託ない笑い声が聞こえてきた。

『ははっ、お前らしいな。ははははは………』
「もお。笑うなよお……」

その時、来訪者を告げる呼び鈴が鳴った。

「ね、皇。誰か来たよ」
『ん？　あ、もしかしたら荷物かもしれねえな。ちょっと出てみてくれ』

半信半疑で応対すると、冴季の言った通り宅急便だった。セキュリティを解除して、部屋まで運んでもらう。

『泰水、開けてみろよ』
「う、うん……」

ずいぶん大きな箱だ。取り敢えず電話を置いて、がさごそと開けてみる。中から出てきたのは―――

「わあ、クリスマスツリーだ！」

泰水は電話に飛びついて、

「皇っ、ツリーだよ。送ってくれたの？」
『ああ。部屋に飾っておいてくれ。俺は明後日には帰る。世間的にはクリスマスは終わってるけど、関係ねえよ。改めて二人で、な？』
「うん！　僕も頑張って、クリスマスっぽい料理作るね！」
『おお、楽しみだ。それより泰水、ツリーの他にもうひとつ、パーティーグッズが入ってないか？』

言われて初めて気付いた。確かにもうひとつ袋が入っている。開けてみると―――

「な、なにこれ……赤い服？　もしかしてサンタ？」
『よしよし、小野寺の奴、ちゃんと買っておいてくれたようだな』
「小野寺さんが買ってくれたの？」
『ああ。俺は忙しくて時間がなかったから、泰水に似合いそうなサンタ服を選んでおいてくれと頼んだんだ。で、どんなやつだ？』

皇ってほんとにコスプレ好きだよなあ…と呟きながら、サンタ服を広げてみる。

「えと……な、なんかワンピースみたいになってて……裾に白いふわふわが付いてて……スカート丈は……す、すごく短いよ………」
『おおっ、そ、それで？』
「それで……わ、これって肩が出るんじゃん。寒いよぉ……」
『最高じゃねえか。それでっ？』

妙にテンションの高い冴季に、引き気味の泰水。

「それで、白いルーズソックスと帽子が付いてて……何これぇ……サンタの帽子にうさぎの耳が付いてる。ワンピースにも丸い尻尾が付いてるよぉ………」
『でかした小野寺っ。冬の特別ボーナス支給決定だ！　いいか、泰水。明後日はそれを着て俺の帰りを待ってろよ。絶対だぞ、絶対だからな！』
「……………」

大人のムードいっぱいのクリスマスは永遠に無理かもしれないと溜息をつく泰水だった。

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