真昼の情事
―休日編―
１.
「雪仁くん、いらっしゃい」
「あ……お邪魔します」
玄関まで迎えてくれた純に強張った声で挨拶し、頭を下げる雪仁。ホワイトハウスに招かれても、こんな神妙な態度は見せないだろう。純はクス、と軽やかに笑って、
「どうしたの？ 何か固まってる。いつもと違うよ」
「別に……そんなことないです」
不貞腐れた声でそう返しつつ、そんな自分に悔しさを覚える。いつも純の後ろから優雅な長身を現わし、「おう、よく来たな」と迎えてくれる彼は、今日は海外出張中で不在。この家に二人きりで休日を過ごせると思うと、嬉しさはもちろんだが緊張も高まって、ゆうべはロクに眠れなかった。
まるで遠足前日の子供みたいだと自分を揶揄しつつ、明日はそんな心理を覚られないよう普段通り振る舞おうと言い聞かせていたというのに、いきなりこの体たらく。
恋敵であり畏敬の対象でもある従兄弟のように、きちんと自己抑制できる大人になれるのは一体いつのことなのか………
「雪仁くん？ どうしたの？ ぼーっとして」
「え？ あ、いや。何でもないです。すみません」
純は眉根を寄せた悩ましげな表情で雪仁の顔を覗き込み、
「もしかして……来たくなかった？ ごめんね、せっかくの休日なのに―――」
「違いますっ。俺はあなたに会いたくて会いたくて………」
声を荒げた雪仁だったが、はたと口を噤んで剣呑な眼差しで純を見据え、
「……ずるい人だ、あなたは。何もかも分かっているくせに。俺が来たくないと思ってるわけないと―――」
雪仁の苦しげな非難を、純は温かな抱擁で遮った。胸に顔をうずめたまま、
「分かってる……けど、そうやって言葉に出してもらわないと不安で……。ごめんね。来てくれてありがとう」
不思議だった。在り来たりな「ありがとう」のひと言で、自己嫌悪とか悔しさとか嫉妬とか、そういった負の感情全てが洗い流されてしまうのだから。その後に残った真っさらな本心を、雪仁は素直に告げた。
「俺の方こそ……。本当に会いたかったんです。昨夜は嬉しくて緊張して、余り眠れませんでした。ははっ、まるでガキですよね」
すると純はくすぐったそうに笑って、
「僕も。明日は雪仁くんが来るんだって思ったら、わくわくして目が冴えちゃった」
そう言って子供みたいに雪仁の腕にじゃれついて、早く早くと室内に引っ張り込んだのだった。
「すげえいい匂いがする。シチューですか？」
「うん。野菜たっぷりクリームシチューとチキンのトマト煮込み。食べ盛りの男の子だから張り切っちゃった」
キッチンで得意げに胸を張って鍋を掻き回す純が愛おしくて、考えるより先に身体が動いてしまった。後ろから抱き締めて、柔らかな後れ毛が掛かる耳に唇を押し付ける。
純はぴくんと身体を揺らして首をひねり、上目使いで「めっ」と怒ってみせた。しかしすぐに表情を和らげ、
「そうだ、雪仁くんに嫌いな食べ物訊いておくの忘れてた。何かある？」
雪仁は一瞬詰まったが、子供っぽいと思われるのを覚悟で正直に告げた。
「……ニンジン」
純はぱたぱたと大きく瞬きしてから、「僕とおんなじだあ」と無邪気に笑った。しかし雪仁は冷たい声で、
「嘘だ。俺に合わせてそんなこと言ってくれたんでしょう？」
「嘘じゃないよお。ほら、見て？」
そう言って、おたまでシチューをすくって見せた。ジャガイモ、ブロッコリー、芽キャベツはゴロゴロと大きいのに、ニンジンだけは小さく切ってある。雪仁は思わず吹き出した。
「子供みてー」
「うるさぁい。お互いさまでしょ？」
純はむくれて抗議しつつ、ニンジンを幾つか鍋から拾った。そして雪仁にちらと意味深な視線を送り、
「ね、二人でニンジン克服しようか」
雪仁の返答を待つことなく、ニンジンを口の中に放り込む。微かに眉根を寄せて数回咀嚼すると、雪仁の方を向いて唇を突き出した。
「まったく、あなたって人は………」
呆れたような口調で嬉しさを無理やり押し隠し、唇を塞ぐ。そして舌を差し入れて、熱くとろける口腔をまさぐった。
「ぁぅ………ぅ…ふ…ん…………」
口内にあるニンジンを奪い取り、咀嚼してからまた返す。そんなことをしている間にニンジンは跡形もなく消え、いつしか互いの舌を絡ませ唾液を交換することに没頭していた。
柔らかくて仄かに生クリームの味がする舌を、雪仁は夢中で吸い上げる。気が付けば純のシャツを捲り上げ、胸に爪を立ててツンと尖った実を嬲っていた。
「だぁ……め………ぁ…はぁ…ん………も…ぅ…………」
指で挟み込んで強めにコリッと捏ねると、重ねた唇の隙間から「あふっ」と愛らしい喘ぎが漏れる。
続けて親指の腹で押し潰したり、爪で引っ掻いたり弾いたりしてその弾力性やぷるんと揺れるさまを愉しんでいたが、やがてたまらず腰を屈め、直接吸い付いて味わった。
「ああっ、だめ、だめっ………も、離してぇ………」
ちゅっちゅっと音をたてて胸を吸う雪仁の肩を、純は両手で押し返した。雪仁は、濡れた乳首を名残惜しそうに見つめつつもすんなり身体を起こし、捲り上げたシャツを下ろした。そして咎めるような口調で、
「あんなことされて我慢できないですよ………」
「でも、ニンジンは克服できたでしょ？」
紫色の瞳をくるんと大きく見開いて訊ねてくる純に、雪仁は心の中で白旗を挙げた。いや、もう疾うに“負け”は認めているのだが。
「ええ、お陰さまで。これからはニンジンを食うたびにあなたの舌の柔らかさを思い出して、興奮するに違いありません。立派な変態だ」
皮肉を込めて答える雪仁の唇をそっと塞ぎ、
「舌だけじゃないでしょ？」
婀娜っぽい口調で返すと、シャツの下から微かに存在を誇示している胸の突起を指差して、ふふっと笑った。
「……っ、あなたって人は………」
さっきと同じ台詞だったが、込められた感情はより濃厚で、且つ切羽詰っていた。純はもちろん気付いていたが、くるりと背を向けて食事の仕度に専念する。
「雪仁くん、向こうで待っててね。もうすぐ出来上がるから」
「………分かりました」
雪仁は自分でも呆れるほど不貞腐れた声で答えると、逸る股間を宥めつつとぼとぼとリビングへ戻ったのだった。
「お待たせ〜。できたよぉ」
笑顔全開で呼びにきた純に、雪仁も精一杯の笑顔で応える。本当は、さっきからずっと身体が疼きっぱなしで食事どころではなかったのだが、一生懸命作ってくれた純をがっかりさせたくはなかったから、「すげえ腹減った」などと言って育ち盛りの健全な男子を装ってみたりした。
「ね、ダイニングテーブルで食べる？ それともリビングでソファに座って食べる？」
「そうですね、純さんが食べさせてくれるなら、どっちでもいいです」
純は「こら」と言って怒ってみせたが、すぐに口許を緩めて「じゃあリビングで」と言い、てきぱきと皿を運ぶ。
雪仁も手伝おうとしたが、純に「座ってていいよ」と言われ、自分はまだお客さん扱いなのかと軽く落ち込む。さらにそんな自分の女々しさを怨めしく思っていたら、全て運び終えた純がとすんと隣に腰を下ろした。そして雪仁の膝の上に手を置いて、
「ホントにしようのない子。すぐ悪い方に考えるんだから。雪仁くんのために色々お世話できるのが楽しくて、その楽しみを独り占めしたいだけ。分かった？」
「……何でもお見通しかよ」
「だって、顔に書いてあるもん」
そう言って頬を撫でる純の指をそっと掴んで唇を押し当て、
「すぐ悪い方に考える、か……。不安しいの純さんに言われたらおしまいだな」
「あっ、ひどいー」
「だって事実だろ？」
手を握ったままふわりと淡く笑う雪仁を、純は切なげに目を細めて見つめた。
「そんな風に……笑わないで………」
途端に雪仁の黒瞳は険しく凍り付く。さらに同じ冷たさを有する声で、
「今日は、あの人のことを思い出すな」
純ははっと息を呑んだが小さく頷いて、
「ん……分かりました。ね、食べよ。せっかくのシチューが冷めちゃうよ」
「はい。ではいただきます」
礼儀正しく食前の挨拶をして、ゆっくり口に運び始めた。
「美味しい？」
不安げに訊ねる純に屈託ない笑みを向けて、
「旨いです。純さんの唇には敵わないけど」
「すぐふざけるんだから」
「至極真面目ですけど」
「それがふざけてるの。じゃあもうあげないっ」
唇をへの字に曲げて、雪仁の前にある皿をテーブルの向こうへ遠ざける。雪仁はスプーンを握ったまま腹を押さえ、
「ううー、腹減ったぁ。朝から何も食ってないのに。倒れそうです」
純はくすっと笑って「食べたい？」と訊ねる。すると雪仁はちらと濃厚な眼差しを返して、
「意味深な問いですね」
「バカ。すぐそういうことに結び付けるんだから」
「妄想逞しい年頃なんです」
純はシチューの皿を雪仁の前に戻して、
「もう一度訊くね。食べたい？」
「はい。このシチューも、あなたも食いたいです」
純は雪仁の胸に手を置いて身体をすり寄せ、甘く掠れた声で囁いた。
「好きなだけ食べて。どっちも……」
せっかく収まりかけていた股間が再び騒ぎ出すのを自覚しつつ、雪仁は高まる欲求を無理やり食欲に変換して、ガツガツとシチューを平らげていった。さらにチキンのトマト煮込みもミモザサラダも。
純は嬉しそうに目を細めて、雪仁の食事を眺めながら自分も食べ始めた。
「あ、ニンジンちゃんと食べてる。えらいえらい」
きれいに空になった皿を見て、純は雪仁の頭をなでなでした。しかし雪仁は渋い顔をして、
「純さんは残してるじゃないですか。さっき克服したんじゃなかったんですか？」
「誰かさんがえっちなことしようとするから、克服できなかったんだもーん」
「うわっ、大人気ねー」
雪仁の指摘を思い切り無視して立ち上がり、空いた皿を重ねて運ぶ。そしてキッチンからいそいそと持ってきたのは―――
「じゃん。一粒二百円の赤い宝石っ」
つやつやと輝く大粒のイチゴだった。純のイチゴ好きは重々承知していたから、雪仁は苦笑を浮かべつつ「俺の分もどうぞ」と譲る。
案の定、純はぱあっと瞳を輝かせて「いいのっ？」と飛び付き、笑いながら頷く雪仁にお礼を言いつつ美味しそうに食べ始めた。
「んーと、３粒はこのまま食べて、あとは練乳かけようかなあ。うう、迷うー」
贅沢な悩みを巡らせながら、あっという間に全て平らげた。そしてそおっと雪仁の顔を見上げ、
「ホントに全部食べちゃった……。ごめんね。えと、何か雪仁くんのデザートを……」
「いいですよ。イチゴの香りだけもらいますから」
言うが早いか、イチゴの果汁でみずみずしく潤う唇に噛み付いた。舌先で唇を丁寧に舐めてから中に滑り込ませ、ねっとりと掻き回して口腔じゅうに広がる甘酸っぱい春を味わい尽くした。
「あ……ん………んっ…ふ……ぅ……ん…………」
イチゴの香りがする喘ぎを漏らしつつ、純も積極的に舌を差し出す。くちゅくちゅと音をたてて唾液を混ぜ合わせ、最後は喉を鳴らして注がれた分全てを飲み干した。
どちらからともなく唇が離れると、深い口付けに酔ったのか、純はとろんとした危うい眼差しを雪仁に送った。そして舌足らずな口調で、
「ねえ……ゆきひとくんのデザート………なにがいい……？」
雪仁はテーブルの上の練乳をちらと見ると、
「純さんに練乳かけて食べます」
至極真面目な声でそう答え、不思議そうに首を傾げる純を抱き上げてテーブルの上に座らせた。そして迷わず純の前を寛げる。
「ひゃんっ、何するの―――」
「だからデザートですって。イチゴみたいに大人しくしててください」
ぴしゃりと言い置くと、純の戸惑いを置き去りにしてあっという間に下穿き全てを脱がせてしまった。明るい陽光射し込むリビングという日常的な空間に、妖しくも美しい白昼夢が顕現した。
「いや……ゆきひとくん、恥ずかしい………」
「駄目です。俺の分のイチゴも食べたんだから、俺に食べられてください」
そう言ってぴったり閉じられた白い膝を力任せに割り開き、露わになった艶めかしい太ももの内側にやんわり歯を立てて味わい始めたのだった。
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