―番外編―

「雪仁くん、いらっしゃい。久しぶりだね」
「はい。お邪魔します」

ぺこりと頭を下げて靴を脱ぐ雪仁。純の後についてリビングに入ったところで、

「……雪仁くん、また背伸びた？　いま幾つだっけ？」
「歳は１４。身長は１７８センチです」
「うぅ……」

純はぷくっと膨れて、背伸びしてみせる。１０以上も歳が離れているのに、つい可愛いなと思ってしまうのは仕方がないともいえる。

「爪先立っても無理ですよ。それに俺、この前３日間で２センチ伸びたんです。まだまだ行きますよ」
「はぁ〜、遺伝子かなあ」

雪仁は淡く笑って、

「ところで成仁兄は？　まだなんですか？」
「うん。今日は遅くなるって。助教授になったら雑用が倍に増えたって愚痴ってたよ。せっかく雪仁くんが来てくれたのにね」
「そうですか。残念だな」

我ながら、心のこもっていない返答だなと思う。今日は彼が遅くなると知った上で訪れたのだから。

「伝えとくね。あ、そんなとこに立ってないで、座って。今お茶出すから」

雪仁は勧められるまま、ソファに腰を下ろして長い脚を優雅に組んだ。純はその風情に思わず見入ってしまう。座り方、脚の組み方まで、尭村にそっくりだった。

「……純さん、今どきっとしたでしょ？」
「なっ、なにゆってるの。大人をからかうなっ」

頬を微かに染めて睨んだと思ったら、くすっと笑いかけてくれた。こういう艶やかな表情の変化に、雪仁は惹かれてしまうのだ。可愛くて綺麗で輝かんばかりの……従兄弟の恋人。

純はお茶の仕度に手を動かしながら、雪仁にあれこれ話しかける。

「ね、学校はどう？」
「んー、まあいい学校だとは思うんですけどね。教師もそんなにうるさくないし。ただ……俺、新しい理事長に睨まれてるような気がする」
「え……そ、そうなんだぁ」

雪仁は、とぼけた返事を返す純をじっと見つめて、

「ね、純さん……あの綺麗な理事長と昔なにかあったでしょ？」
「なにかって……」

―――うぅ、なんでこんなに勘がいいんだ、この子はっ

表情を繕いつつも、動揺を隠すため、手は何かと無駄な動きをしてしまう。雪仁はにやりと笑って、

「純さんはすぐ顔に出るからなあ。何？　成仁兄と三角関係とか」
「こらっ、そういうこと言ってふざけるなら、もうこの美味しいロールケーキあげないっ」
「いいですよ。俺、甘いもん嫌いだし」

純は手を止めて、

「え、そうだったっけ？……ごめんね、僕知らなくて」

しおれた声でそう言うと、出そうとしたケーキを慌ててしまおうとする。雪仁はそれ以上に慌てて立ち上がり、

「冗談ですよっ、まったく、あなたって人は………」

純の背後から腕を回して、ぎゅっと抱き締めた。そして耳許に唇を近づけて、

「ね……覚えてますか？　初めてあなたに逢った時。ホットケーキ作ってくれましたよね。すげえ旨かった」
「うん、覚えてるよ。雪仁くん、たくさん食べてくれたよね。純たん、おいしいって」

純は大人しく抱かれたまま、優しい視線をうっとりと宙に漂わせて答える。

「俺あの後も、あなたのこと天使だってずっと信じてました。否定したのはきっと、本当のことを言えない事情があるんだろうって。天使の秘密の掟があって、バレたら天国に戻らなくちゃいけないんだって」
「あははっ、すごい想像力だねぇ。雪仁くん、かわいいっ」

可愛いのはあなたの方ですよ、胸の内で軽く突っ込んで、言葉を続けた。抱き締める腕にさらに力を込めて。

「天使にホットケーキ作ってもらって、一緒にゲームして、本を読んでもらって、そして………」
「あっ……」

次に何を言おうとしているか、純には分かった。思わず唇を噛み締める。

「俺の目の前で、セックスした……」
「ゆきひとくん……」
「あれ、かなりトラウマですよ。めちゃくちゃショックです」

あの行為が何なのか、はっきり理解したのはいつ頃だったろうか。たぶん、自慰を覚えたのと同時期だったような気がする。
涙をこぼして喘ぐ純を思い出しながら、いつしか想像の中で純を組み敷いて犯すのは自分になっていた。

雪仁は、黙ってしまった純をさらに責める。

「ね、知ってます？　親のセックスを見てしまった子供って、大人になって正常な異性関係を保つことができない場合が多いんですって。あなたは親じゃないけど、衝撃的な原風景って意味じゃ同じですよね」
「雪仁くんっ」

純はくるりと反転して雪仁と向かい合うと、胸に手をついて謝った。

「ごめん、ごめんね……。本当にごめ………っん……ぅっん」

震えつつも詫びの言葉を繰り返す唇を、雪仁は上から塞いだ。

「ん……っきひとく………っんふ……」

柔らかい唇と甘い喘ぎを堪能してから、雪仁はそっと唇を解放した。そして、

「俺の……ファーストキスです」
「えっ、う、うそ……」

思わずあたふたする純。

「だって、もう１４歳でしょ？」
「まだ、１４歳です」
「で、でも、あの人は１４の頃はガンガンだったって」
「成仁兄と一緒にしないでください」

純は「ごめん……」と小さな声で詫びて項垂れた。
雪仁の告白は嘘ではなかった。童貞は疾うに捨てていたが、唇へのキスだけはまだだった。頑なに拒んで、誰にも触らせなかったのだ。

「純さん、大人のキスの仕方、教えてください」
「ええっ？」
「申し訳ないと思うのなら、ちゃんと教えてください」

純は一瞬逡巡したが、小さく頷くとそっと顔を近づけた。

「んんっ………っぅん」

おずおずと舌を挿し込んで、雪仁の舌を優しく愛撫する。その余りの気持ちよさに雪仁は思わず呻いて、自分から舌を絡めていった。

「っあ……ん……っふぅ………っぅん」

唾液を混ぜ合わせ、舌の裏側をなぞり、わざとじゅるじゅると音をたてて吸い上げる。これまで何人もの女性と交わったけれど、こんな快感と喜びに浸されたことはなかった。

「純さん………」

唇を離した雪仁は、万感の想いを込めて名を呼ぶ。しかし、

「雪仁くん、すごく上手。これならきっと、想いは伝わるよ」
「え？」
「彼女とのキスの予行練習でしょ？　大丈夫。僕だってちょっとどきどきしちゃったぐらいだから、うまくいくって」
「そ、そうですよね……純さんのお墨付きなら安心、って」

雪仁は、何とか本心を偽って、おどけた声を出してみせた。が―――

「ゆ、ゆきひとくんっ、どうしたのっ？」
「あ………」

ぽつぽつと、シャツを濡らす涙。みっともねえ、何泣いてんだよ、俺は―――

「何でもねえよ。……俺、もう帰るから」

雪仁は早口でそう告げると、くるりと背を向けて部屋を出ようとした。

「あ、待って、雪仁くんっ」

純は慌てて追いかけると、雪仁の背中に縋りついて、

「まだ怒ってる？　ごめんね……」

雪仁は首をかくん、と折ると、溜め息をついて

「怒ってないですよ。……っつうか、本当のこと言うと、あの時のことあんまりよく覚えてないんです。もう１０年も前だし。トラウマなんて嘘ですよ」
「そっか……」

純はほっとした表情で肩の強張りを落とすと、

「ね……また遊びに来てくれる？　今度は彼女も一緒に」
「……はい。いつになるか分からないけど、また来ます」

そして雪仁は、純の顔を見ないまま帰っていった。




「おい、今日雪仁が来たんだって？」
「ええ。あなたに逢いたがってましたよ」
「ふーん。……それで純、何があったんだ？」

尭村は、さっき雪仁が座っていた場所に、同じ姿勢で優雅に脚を組んでいる。

「何、って……」
「お前はすぐ顔に出るからな。何かあったんだろ？　ん？」

尭村の真っ直ぐな問い掛けに、純も素直に答えた。

「大人のキスを教えてほしいって言われて、それで、キスしました」
「ほお。キスだけか？」
「当たり前でしょう。雪仁くん、ファーストキスだって言ってました」

驚くか、そんなの嘘だと決め付けるかと思いきや、尭村はそうか、と呟いて、

「で、ちゃんと教えてやったのか？」
「教えるどころか、雪仁くん上手いんだもん。これなら彼女に想いは伝わるよ、って言っ―――」
「お前……そんなこと言ったのか」

尭村は何故か痛ましげな表情でそう言うと、純を傍らに呼んで軽くキスをした。そして、

「先に風呂入ってこいよ……」

純は艶かしく潤んだ瞳を尭村に向けると、小さく頷いてバスルームに向かった。その背中を見送った尭村は、

「雪仁、同情するぞ………」

低く呟いてソファに身体を預け、そっと目を閉じた。（Fin）

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