Snow Christmas
８.
「あの……圭祐、上がったよ………」
ああ〜、いい湯だったあ、ほらお前も入ってこいよぉ―――なんて豪快に笑いながらどかどかと戻ってくるかと思っていたのだが、予想に反してほんのり上気した顔を部屋の入口からちょんと覗かせて、恥ずかしそうにもじもじしながら片瀬を呼びにきた。
こういった意外性に男は弱いもので、片瀬もご多分に漏れず、予想外に淑やかな振る舞いに呆気なく煽られてしまった。
「あ、ああ…」と生返事を返し、明らさまにうろたえつつ立ち上がると、薫は慌てて扉の陰に隠れてしまう。片瀬が「どうしたんだよ」と訊ねながら近寄ると、薫は渋々ながら姿を現わした。
その格好を見て、片瀬は不謹慎にもごくりと喉を鳴らした。そんな片瀬の反応をどう捉えたのか、薫はさらに頬を紅潮させて、
「デカいんだよッ、お前のパジャマも下着もっ」
抗議の声は勇ましいものの、大きな襟口から覗く白い肩は可憐で、ズボンがずり落ちないよう腰をひねって押さえる姿は悩ましい。
誘っているとしか思えない艶姿に片瀬は陶然と見愡れたが、きっと呆れているんだと思い込んだ薫はしゅんと項垂れて、
「どうせチビだよぉ………」
しおれた声で呟いてくるりと背中を向けてしまった。片瀬は恐がらせないようそっと近付いて、震える背中をふわりと抱き締めた。
腕の中にある身体は温かくて柔らかくて、そして胸が締め付けられるほど華奢な造形だった。改めて愛しさが込み上げて、抱き締める腕に自然と力が入る。
大事に大事にしなくては。腕の中にあるこの存在、これを守るためなら自分は何だってしてみせる。
「圭祐……あったかいよ……」
優しい抱擁と温もりを受けて機嫌が直ったのか、薫は嬉しそうにそう言ってふふっと笑った。
片瀬は耳に唇を押し付けて「お前はそのままでいいんだよ」と囁き、ゆっくり抱擁を解いた。そして薫の身体を抱き上げると、ベッドに運んで寝かせてやった。
「風呂に入ってくるから。すぐ戻る」
そう言って部屋から出ようとしたが、戸口のところで立ち止まり、
「パジャマ……着心地悪かったら脱いでても構わないぞ」
ぼそりと本音を呟いて、そのまま薫の顔を見ずばたばたと浴室へ急行した。
過度な期待はしていなかった。裸になって眩い素肌を晒し、圭祐、待ってたよ……なんて婀娜っぽく笑う―――そんな妄想めいた展開など、まあ少しは想像していたけれど実現するとは思っていなかった。しかし―――
「こ、これは……」
ベッドの上で丸まってうとうと微睡む薫の姿態に、言葉を失い釘付けになる。パジャマの上だけ羽織って、ズボンは脱ぎ捨ててあった。きっと、大きなシャツでお尻まで隠れるからいいと思ったのだろう。
片瀬は引き寄せられるように近付き、薄闇に浮かび上がる下半身の麗しい輪郭を網膜に刻み込んだ。
お尻は辛うじて隠れているものの、シャツの裾から覗く太ももは、艶やかな光沢と蕩けるような質感を見せつける。眺めているだけで、舌が甘い錯覚に悶えてしまう。
執拗に舐め上げて、歯を立てて、味わい尽くしたい………
「んっ……んん………けえすけぇ………へへ、寝てたぁ………」
「……言わなくても分かる」
内心の騒擾を覚られぬよう、片瀬は必要以上に声を低めてぶっきらぼうに言い放つ。しかし薫は気にした様子もなく、寝起きのふわふわした空気感をまとったまま、抱擁をねだるように両手を突き出してきた。
片瀬は鳩尾に力を入れ、なるべく剥き出しの脚を見ないようにしながら抱き起こしてやった。
「こんな格好で寝てたら風邪ひくぞ」
「うん、寝るつもりじゃなかったんだけどさぁ、あんまり気持ちよくて。ここ、お前の匂いもするし」
何気ない言葉にいちいち反応してしまう青臭い自分に気恥ずかしさを覚えつつ、それでも片瀬は何とか自分を保った。脱ぎ捨てられたパジャマのズボンを取って、
「ほら、これ穿いたらどうだ」
「んんー、だってずり落ちちゃうんだもん。いいじゃん、もう寝るだけなんだからさぁ」
そう言ってもぞもぞと身体を動かし、片瀬の隣にぴたっと寄り添う。一応、下半身を露出しないよう気を使ってはいるようだ。窓を指差し、
「また、雪が降ってきたよ。もしかしたら積もるかも」
「そうだな。本当にホワイトクリスマスになったな」
薫は何故か突然表情を曇らせ、しおれた声で「うん…」と返し、片瀬の腕にしがみついた。やがてためらいがちに口を開け、
「俺……謝らなくちゃ。お前へのプレゼント何にも用意してなかった。せっかくのクリスマスなのに……」
「はは、そんなこと気にしてたのか。要らねえよ、つうかもうもらった。あんなに楽しいイブは生まれて初めてだった。俺を……家族の輪に入れてくれてありがとう」
薫は腕を掴む手に力を込めて、「そんなの当たり前じゃないか！」と詰め寄る。そして真剣な顔で、
「なあ、欲しいものあったら言ってくれよ。本当はその、俺が考えて選んだ方がいいんだろうけど、俺ってあんましセンスねえし」
言ってしまってからハア、と溜息をつき、
「でも……きっとお前んちには何でもあるんだろうなあ。俺があげられるものなんてないか………」
「欲しいものはある。たったひとつ。“それ”のことを考えると、夜も眠れなくなるほど欲しいものが」
片瀬の言葉に驚きを隠せず、薫は大きく目を見開いてぽわんと見上げた。
これまでの言動や部屋のストイックな佇まいから、余り物に対してこだわりや執着を持たないように見える片瀬が、そこまで欲しがるものがあるなんて―――
「俺に……あげられるもの？」
「ああ、お前しか無理だ」
薫は眉根を寄せて、ちょんと首を傾げる。その愛らしい仕草に、片瀬の最後の枷が吹っ飛んだ。
「薫のバージン」
片瀬の口から飛び出した言葉は理解の範疇を超えていたらしく、薫はぽかんと口を開けたまま瞬きを繰り返すばかり。想定内の反応だったから片瀬はうろたえることなく、薫の腰をぐいと力強く抱きかかえた。
そして肩を枕に押し付けて、上からのっそりと覆いかぶさった。大きな枕に身体が沈み込んで、その華奢な線が余計に強調される。
薫はまだ訳が分からないらしく、ぽぅっと見上げるばかり。片瀬は押さえ付けたままちらと肩を竦め、
「まさか、もう経験済みだとか？」
そんなことはあるまいと分かってはいたが、やはり答えが気になる。片瀬は息を詰めて薫の答えを待った。
が、薫はまだ要領を得ない様子で「何をだよ」と些かつっけんどんに訊き返す。片瀬は淡々と、
「何って、セックスだよ」
「せっ……せっ、くす、て………」
どうやらようやく話が通じたようだ。薫は一気に血流が早まったのか顔を真っ赤にして、何やら意味不明のことをあわあわ呟いた挙句、
「そんなワケねえだろっ！ だって俺、俺っ―――」
「そうか、よかった……」
思わず本音を口にする片瀬。安堵の溜息をついて、改めて薫を見据える。
「駄目、か……？」
薫は口をぱくぱく動かして、何とか言葉を搾り出そうとする。
「だ、だって俺っ、俺たちまだちゅ、ちゅっ、ちゅ―――」
「ちゅ？」
「まだ中学生じゃん！」
なるほど、そうきたか。ごく真っ当な意見と言えなくもないが、この状況でそういうことを言うところが、薫らしいともいえる。
片瀬は妙に納得しつつ、再び淡々とした口調で、
「高校生ならいいのか？」
薫はとにかくこの場を切り抜けたいがために、よく考えもせずこくこく頷く。すると片瀬は「ふむ」と鼻を鳴らし、
「分かった。ではどの段階でお前は高校生になったと見なす？ ４月１日か？ それとも入学式の日、或いはお前の１６才の誕生日―――」
「し、知るかっ、そんなの！」
「ちゃんと決めてくれ。それまで我慢するから」
薫はすでに涙目だった。どうしてよいか分からず、ふるふると首を振る。片瀬はふっと睫毛を伏せて、
「それとも……俺に抱かれるのは嫌か？」
「……え？」
片瀬は拘束していた手を離し、身体を起こしてベッドの上に胡座をかいた。丸まった背中は、いつもよりうんと小さく見える。
「悪かった。その可能性を全く考えていなかった。つい浮かれて……」
「圭祐、俺………」
片瀬は素早くベッドから下りた。そして背中を向けたまま、
「俺、隣の部屋で寝るから」
「な、なんで……」
片瀬は答えず、軽く頭を振ってそのまま部屋を出ようとした。薫は慌てて追いかけて飛びつき、
「待てよ！ 一緒に寝ようよ、圭祐っ」
分かっている。薫にとっては所詮、仲のいい友だちの家にお泊まりに来たような感覚なのだ。今の“一緒に寝よう”も、その延長線上の言葉なのだろう。
「悪いが薫、俺にはお前が考えているような付き合いはできない」
「分かってるっ。だから……あの………クリスマスプレゼントあげるから………」
片瀬は思わず息を呑み、ゆっくりと振り返る。薫は恥ずかしそうに俯いていたが、すぐに顔を上げて真直ぐ視線を重ねた。
その瞬間、片瀬の心臓が早打ちを始める。こんな大人びた表情の薫は初めてだった。
「俺……お前に比べたらぜんぜんガキだから、ちゃんと伝えられなくって……。その、お前が嫌だとかそうゆうことじゃなくて、ただあんなこと言われたの初めてだからびっくりして、どうしていいか分かんなくて………」
「薫……」
「さっき、俺、お前のこと傷付けたよな？ ごめん、ごめん圭祐……」
言葉より、涙膜の向こうで震える瞳の方が雄弁だった。片瀬は瞼にキスを落とし、
「本当に……いいのか？」
薫は楚々と頷いて甘えた上目使いで見上げ、「圭祐、大好き」と言ってふわりと笑った。その眩い笑みを目にした瞬間、片瀬の頭の中は真っ白になった。そして気付いた時には―――
「薫……薫っ………」
愛しい身体を裸に剥いて、ベッドの上に組み敷いていた。
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