HolyNight Simulation
――サンタが離れにやって来た――
１.
また、今年もこの日がやってきた。日本中の子供たちが浮かれるクリスマス。本当は厳粛な宗教行事の日だけれど、彼らにとってこの日の主役はイエス・キリストではなく、赤いコートに大きな袋を担いだ白ひげのおじいさん。
そう、子供たちに贈り物を運んでくれるサンタクロースこそが、クリスマスに欠かすことのできない重要人物なのだ。
―――よしっ、がんばるぞ。今年こそっ
見習いサンタの純は、大きな袋をずるずる引きずりながら（見習いはトナカイの橇が使えないのだ）自分に喝を入れる。なみなみならぬ決意だったが、それには理由があったのだ。
実は純は、去年のクリスマスにサンタとして華々しいデビューを遂げた。しかし生来の不器用で糞真面目な性格が災いしたのか、失敗ばかり。
犬に咆えられて逃げ回るなんて序の口。家の中に入るのに手間取ってしまい空き巣に間違えられたり、プレステ３が出たばかりというのを知らずに２を渡してこんなの要らないと子供に突っ返されたり。
そんなこんなで結局、誰一人としてまともにプレゼントを渡せず、再び見習いに降格されてしまったのだ。
もし今年も駄目だったら、さらに降格してトナカイの世話係にされてしまう。それだけは何としても阻止したかった。今年にかける意気込みも、理解できよう。
「えと……確かこの辺のはず………」
純はポケットをごそごそ探って、１枚の手紙を取り出した。それは、子供からサンタに宛てて出されたもので、欲しい物が書かれていた。
しかし純が手にした手紙に書かれていることは、他の子供のとは違っていた。純はもう一度、声に出してそれを読んだ。
「さんたさん、ママのびょうきをなおしてください。おねがいします。あきむらなるひと」
そして純は鼻をすすり上げた。何度読んでも、涙が浮かんでしまう。サンタの国で偶然この手紙を見つけた純は、何としてもこの子の許を訪れて元気づけてあげようと決めた。
この願いを叶えてあげることは、自分にはできない。けれどプレゼントをあげて、ママの病気は必ず治るからねと励ましてあげたい。その一心で、色々なおもちゃを袋に詰め込んでここまでやって来たのだった。
「あ、あのおっきな家だっ。よおし、今行くからね。待っててね、成仁くん」
もうすぐ成仁くんに会えると思うと、身体に力が湧いてくる。純は軽やかに塀を飛び越えて敷地内に入ると、離れに向かって歩き出した。成仁くんの部屋は離れにあるというのは、事前の調査で分かっていたのだ。
見れば、離れはまだ電気が点いていた。子供はそろそろ寝る時間である。純は窓からそおっと顔を覗かせて、室内を窺った。すると―――
「あ、あれ…？ あの人が成仁くんなのかなあ……」
どこからどう見ても、４、５才の子供には見えない。純は首を傾げたが、家はここで間違いないはずだった。それに、パーティーだなんだとみんな浮かれているはずのこの夜に、彼は難しい顔をして一人読書に耽っている。
もしかして、誰もパーティーに誘ってくれなかったのかな、そんなことを考えた純は、ともかく彼に会ってプレゼントを渡すことにした。
最近珍しいが、離れには暖炉があった。しかも今夜はさほど寒くないせいか、使われていない。純はさっそく屋根に上がって、煙突から侵入することにした。
読書に没頭していた成仁のすぐ傍らで、携帯電話が鳴った。チッと豪快な舌打ちをして電話を取り、荒れた低音で「なんだよ」と叩き付ける。すると甲高い女性の声で、
『なんだよじゃないわよっ。あたしずっと、ずっと待ってるのよっ』
「お前とはもう終わりだと言ったはずだ。誰を待ってるのか知らねえが、いちいち電話してくるな。迷惑だ」
感情の壊死した冷たい声で言い置くと、相手の返答も待たず通話を切り、さらに電源も落とした。あと２、３人から同様の電話があるのは必至だったから。
成仁は「ったく…」と呟きながら携帯をソファの上に投げ、再び読書に戻ろうとした。その時、「うにゃーっ」という間の抜けた悲鳴と轟音と共に、暖炉から何やら赤い物体が転がり出てきた。
成仁は驚きこそしたものの、ちらと眉をひそめただけでさっき投げ捨てた携帯を取り、黙って110番通報しようとした。そういう反応に慣れている純は慌てて起き上がり、
「ま、待ってくださいっ。あの、怪しい者ではありません」
「……怪しい者じゃないなら、一体なんだよ」
「えと……えと……あの……メリークリスマス！」
成仁は無言で再び通報しようとする。純はあわあわした挙句、「成仁くんっ、サンタさんだよ！」と叫んだ。
いきなり名前を呼ばれた成仁は眉をひそめつつも、取り敢えず通報するのはやめて、突然現れた謎のサンタを見据えた。純はほっと胸を撫で下ろす。
「尭村成仁くんですか？」
「ああ。そうだ。俺に何か用か？」
純はぱぁっと笑顔を咲かせて、
「成仁くんはとってもいい子だから、サンタのおじさんが素敵なプレゼントをあげるよ。何がいいかな？」
―――これはテレビのどっきりか？ それとも親父が仕掛けた悪戯か？
成仁はそんなことを考えつつ疑わしげな目で見つめていたが、やがてにやりと笑い、
「欲しい物なら幾つかあるぜ。くれるのか？」
そしてこくこく頷くサンタに向かい、次々と欲しい物の名前を告げていった。子供の欲しがるおもちゃの名前はひと通り頭に入っている純だったが、成仁が言うものは何一つ分からない。
が、一番最後のものだけは聞き覚えがあった。大きな袋をごそごそと漁り、可愛い仔豚の写真が表紙になっているDVDを得意気に渡した。
「はいっ、成仁くん。メリークリスマス！」
「おう………って何だよこれっ。『ベイブ』じゃねえかっ。俺が言ったのはバ―――」
成仁は叫ぼうとしたが、口を噤んでがっくり肩を落とす。
「ああ、やめたやめた。アホらしい。何が目的なのか知らねえが、このまま見逃してやるからさっさと帰れ」
「い、いやです！ 成仁くんにちゃんとプレゼントをあげるまでは帰りませんっ」
「はぁ？」
予想外の反応に、さすがの成仁も戸惑いを隠しきれない。しかし目の前のサンタは使命感も露わに、じぃっとこちらを見上げてくる。
成仁は深い溜め息をつき、
「おい、お前。名前は何て言うんだ」
「……純、といいます」
「そうか。純、お前は本当にサンタクロースなのか？ その髭、付け髭だろ？」
純はびくぅんと跳ね上がり、
「な……なんで分かったのですか………」
「思いっ切りズレてんだよ。それに、顔の大きさに合ってない。耳の後ろまで髭が生えてんじゃねえか。見苦しいから外せ。ついでにその暑っ苦しい帽子も」
純は躊躇した。この髭はサンタクロースの証。勲章なのだ。しかしここで言う通りにしなければ、追い出されてしまうだろう。腹を括った純は髭に手をかけ、ぺりぺりと剥がしていった。そして帽子も脱ぐ。
すると、これまで何事にも動じなかった成仁がひゅっと息を呑むのが伝わってきた。純はおそるおそる顔を上げる。
「……これで、いい？」
「あ、ああ………」
成仁は不可視の磁力に捕えられたかのように、一歩、二歩と純に近付く。そして純の目の前で床に膝を付き、両手で頬をふわりと包み込んだ。
「す…げえ……」
露わになった素顔の愛らしさ、繊細な造形美に、成仁は我を忘れてのめり込む。こんな感動は生まれてこのかた、味わったことがない。
「お前の眼………綺麗だな。深く透き通った宝石のような紫」
「成仁くんの眼の方がずっと綺麗です。全てを包み込む静かな闇の色」
二人は暫し無言で見つめ合った。先に口を開いたのは、任務を思い出した純の方だった。
「あの……クリスマスプレゼント、何がいい？」
しかし成仁はそれには答えず、逆に問いを返す。
「なあ、なんで俺の所に来たんだ？ 見ての通り、俺はガキじゃねえぞ」
「あ、それはこの手紙を見て………」
純は大事に畳んでしまっておいた手紙を、まるで宝物を披露するかのように恭しく広げて見せる。成仁は、その向こうに広がる記憶の世界を透かし見るようにすっと目を細め、
「………ああ、覚えてる。これは確か……俺が５才かそこらの時に書いたものだ」
純は目をぱちぱちさせ、
「５才、っていうと………」
「１２年前、だな」
「はにゃ〜〜」
純は情けない声を出して、かくんと首を折る。ごく稀にだが、こういう類の事務処理ミスが起こることもあるのだ。純は手紙をじっと見下ろして、
「僕……去年は失敗ばかりで落ち込んでいたんです。誰も僕からの贈り物を受け取ってくれなくて。そんな時この手紙を見つけて、うまく言えないけど、ああ、今年は何があっても絶対に成仁くんのところへ行こう、って………」
しかし成仁は乾いた笑いを漏らして手紙を指で弾き、
「ははっ、来てどうするんだよ。病気を治してくれるのか？ 願いを叶えてくれるのか？」
「そ、それは……僕には……」
蒼褪めて首を振る純を冷たく見返して、
「だろうな。お前、この手紙がちゃんと届かなかったことに感謝するんだな。母親の病気を治して欲しいと願っている子供の所へ行って、病気は治せないけどおもちゃをあげるよ、なんて言うつもりだったのか？」
「あ………」
「それとも、ママの病気は必ず治るよ、とでも？ 生憎だが、俺の母親はこの２年後に死んだ。安易な励ましがどれほど子供の心を傷付けることになるか―――」
成仁は口を噤んだ。目の前の純が両手で顔を覆い、声を押し殺して嗚咽を漏らしていたのだ。
「………悪かった。言い過ぎた」
成仁の謝罪に純は顔を覆ったまま首を振り、指の隙間から掠れた声で、
「成仁くんの………言う通りです。僕は……ぼくはっ…………」
だぶだぶのサンタ服の下で泳ぐ華奢な肩を震わせて、心からの懺悔を捧げた。
「おもちゃをあげて、元気づけてあげようなんて簡単に思ってたんだ。母親の病気を心配してサンタにお願いするような子が、おもちゃなんてもらって喜ぶはずないのに。本当に欲しいものは、ママの元気な笑顔なのに……」
「純、もういい。お前が悪いんじゃ―――」
「ごめ…なさい、ごめんなさいっ………」
泣きじゃくりながら何度も謝る純を、成仁はそっと腕の中に収めた。純は抵抗せず、成仁の胸に顔をうずめてすすり泣く。
頭や背中を撫でてくれる手のひらの温かさが心に沁みて、純は切ないような嬉しいような、これまで経験したことのない胸の鼓動を感じた。
そのままどの位時間が経っただろう、純はそろそろと顔を上げ、泣き腫らした目を向けて切実な視線を送り、
「成仁くんは、独りぼっちなの？」
「ん？ いや、親父がいる」
「じゃあ、淋しくない？」
ああ、別に淋しかねえよ、そう答えようと開いた唇は、違う言葉を発していた。
「いや……少し淋しいな」
自分の言葉に驚いた成仁は、思わずふいと顔を背ける。すると純の手が伸びてきて優しく頬を撫で、
「今にきっと……その淋しさを埋めてくれる人が現れるよ」
「……安易な励ましだ」
「ふふっ、そうですね」
純はゆっくりと身体を離し、立ち上がった。
「僕はサンタの国に帰って、もう一度修行し直してきます。僕は子供の心を理解しようともせず、ただの自己満足で動いていました。このままでは立派なサンタにはなれません。だから―――」
すると成仁の手が伸び、乱暴に抱き締められた。驚いて息を呑む純に、成仁は淡々とした口調で、
「もうひとつ、欲しいものがあった。くれるか？」
純はかくかくと頷いて、「僕にあげられるものなら、なんでも」と答える。とほぼ同時に成仁は純を抱え上げ、
「お前の身体。もらうぞ」
凄みのある低音で囁くと、純の戸惑いを置き去りにしてそのまま寝室へ入っていった。
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