誰がために桜は咲く
６.
―――ふふ……可愛い寝顔………
心地よい温もりと気怠さに包まれつつ目を覚ました珠里は、すぐ間近で熟睡中の二階堂をじーっと見つめた。
長い睫毛が頬に淡い影を落とし、憂いと繊細さを添える。微かに開いた唇からこぼれるあどけない寝息が、整い過ぎた美貌を親しみやすいものにしていた。珠里は鼻をちょんと突ついて、
―――こうやって眠ってれば可愛いのに。口を開いた途端うるさくて嫌みばっかで……
溜息混じりに呟いたものの、途中で思わず笑ってしまった。もし眠っているのが珠里だったとしても、二階堂はきっと同じことを思っただろうから。
「ぅ…ぅん…………」
珠里の微かな笑い声が届いたのだろうか、二階堂が眉根を寄せて呻いた。と同時に、珠里の心臓がどくんと跳ねる。本当に、こうしてちょっとぐずっただけだというのに、どうしてこうも悩ましいというか艶っぽいというか、男心（乙女心？）をくすぐる表情ができてしまうのか。
珠里は胸に手を当てて深呼吸をすると、小さな声で「二階堂さん、起きた？」と囁いた。しかし二階堂はうぐうぐ呟いただけで再び眠りの国へ。まだ起きる気配はなさそうだ。
珠里はそおっとベッドから抜け出すと、床に落ちたままのバスローブを拾い上げてふわりとまとった。そして広いデッキに出る。
「ああ……きもちいい………」
船は緩やかな速度で進んでいた。昨夜は果てしない奈落を想わせた海も、今は朝日を浴びて軽やかに輝いている。水面で弾む光の粒が眩しい。
昼より夜を、太陽より月を好む性質ではあったが、海に関して言えば太陽を従えた昼の方が好きかもと思った。
珠里はデッキを進んで柵の手前まで来ると、大きく息を吸った。べたつくはずの海風が、何故か心地よく感じられる。そして大自然の息吹きに全身を晒しながらも、昨夜の記憶をそっとまさぐってみた。
二階堂に何度も何度も貫かれて、喉を嗄らして喘いで、もう許してと懇願しながらもねだるように腰を振って―――
「んっ……」
珠里は思わず身をよじる。尻の奥に刻み込まれた二階堂の熱と形が、どくんどくんと鼓動を始めた。と同時に、昨夜恍惚りと見入った二階堂の表情、快感に顔を歪めながら珠里の中に射精した時の表情が蘇って―――
「珠里」
突然背後から名前を呼ばれ、珠里は「ひゃっ」と悲鳴を上げて飛び上がった。その拍子に、だらしなくまとっていたバスローブがするりと脱げて舞い上がり、風に飛ばされて海の上へ。慌てて手を伸ばしたがもちろん後の祭り。
「あ……ああ……あ〜あ………」
海上をゆらゆら泳ぐバスローブを呆然と眺め、がっくり肩を落とす。そんな珠里を、二階堂は肩を揺らして笑った。
「もお……笑うなよぉ………」
珠里は俯いて背中を向けたまま、力ない抗議をぶつぶつ呟く。さすがに恥ずかしくて身体がちぢこまってしまう。
昨夜あれだけ乱れておいて今さら何が恥ずかしいとのかと自分でも思うが、明るく澄んだ朝日の振り注ぐデッキの上で全裸を堂々と晒せるほど無神経ではなかった。
「珠里、ほら。風邪ひくぞ」
思いがけぬ優しい言葉を掛けられて、珠里は戸惑いつつも顔だけ振り返る。すると二階堂は着ているガウンの前をそっと開けて、「来いよ」と誘って笑った。
珠里は羞恥に頬を染めつつも、くるりと振り向いて二階堂の許に駆け寄る。そして胸に飛び付いた。二階堂はその身体をがっしりと受け止めて、ガウンの前合わせですっぽりとくるんだ。
「どうだ。これなら温かいし恥ずかしくもないだろ？」
「ん………」
素肌をぴったり触れ合わせ、同じ布にくるまれているだけで、こんなに幸せな気分になれるのだ。
「よし。そのまま掴まってろよ」
言われた通りしがみつくと、ガウンに包まれたままふわりと身体を抱き上げられた。そしてそのまま近くにあるデッキチェアへ。二階堂がぽすんと腰を下ろすと、珠里は自然とその上に跨がるような姿勢になった。
「ふぁ……ン………」
図らずも甘い声を出してしまった珠里は、慌てて咳払いして誤魔化した。が、もちろん二階堂が聞き逃すはずもない。
「ん？ 何だよ今の色っぽい声は」
「な、何のこと？」
「そういう誤魔化し方がガキっぽいんだよ」
二階堂は嗤笑混じりにそう言うと、珠里の腰をぐいと引き寄せた。するとさっき座った拍子に触れ合った二つの性器が、さらに密着の度合いを増して擦れ合う。
「ゃっ………離し―――」
「暴れんな、こら」
腰をがっしり掴まれてしまい、身動きがとれない。珠里は仕方なく二階堂の肩に手を乗せて、その胸に身体をもたせ掛けた。平静を装ってはいるが、ぺったりと密着した股間に血液が凝集し、疼きが増すのは誤魔化しきれない。
二階堂はククッと窃笑を漏らして珠里の耳許に口を寄せ、耳たぶをぺろと舐めて、
「おい、お前のアソコ、すげえ熱いぞ」
「熱いのは二階堂さんのだもん」
「はは。まあ否定はしねえけど。これならどうだ？」
二階堂は無雑作に手を突っ込んで、抱き合う二つの性器をまとめて掴んだ。そして揉み合わせるようにくにゅくにゅと握り締める。珠里は「ひゃっ」と悲鳴を上げて二階堂の首にしがみ付いた。
「気持ち……いいだろ？ ん？」
珠里は否定も肯定もせず、ただ二階堂の首筋に顔をうずめる。気を抜くと、はしたなく緩んだ唇から喘ぎが漏れてしまいそうだ。
珠里は唇を噛み締めて耐えたが、そこに意識を集中する余り、別の部分が無防備になってしまった。
「珠里、腰がいやらしく揺れてる」
二階堂に指摘されて初めて、挿入をねだるように腰を揺らしていることに気付いた。しかも、二階堂の掌中にある珠里自身も既にむっくり膨張して愛液をこぼし始めている。
「も………やだ……も…ぉ………」
昨夜あんなに乱れて激しい交合にのめり込んだばかりだというのに、もう熱い楔を欲している。そんな浅ましい自分が恥ずかしくて、珠里は消え入りそうな声で「もう許してぇ…」と哀願した。
しかし二階堂は手を離すどころか、すっかり勃ち上がった二つの性器をきつく握り、グリッグリッとこすり合わせてさらなる刺激を与えた。
二人分の愛液が潤滑油になり、密着感とぬめり感が生じる。さらにぬちゃぬちゃと湿った音が漏れ聞こえ、それが余計に淫らな気分を煽り立てた。
「珠里、どうする？ このままいくか？ それとも尻の方でいくか？」
二階堂の囁きには、からかいより寧ろ労りが込められていた。昨夜の影響が、まだ珠里の身体に残っていることを配慮したのだ。
そのお陰か、珠里の恥ずかしさも和らいできた。そろそろと顔を上げて甘えた眼差しを向け、
「お尻……お尻の奥でいきたい………」
「分かった」
二階堂は答えると同時に片手を珠里の割れ目に滑らせ、ゆうべ執拗に咲かせた淫蕾をぬるぬると撫でた。そして指を二本ゆっくりと埋め込むと、中で大きく広げた。
「ぁっ……や、ん……広げちゃ………」
「ばぁか。広げないと入らねえだろ？」
「だ…って……潮風が……中に………」
二階堂はごくんと喉を鳴らして、
「お前……すげえいやらしいこと言ってるって自覚あるか？」
「知らなぁい………ヤダってば………ぐりぐりしちゃ………」
「ったく、可愛い声出しやがって………」
最初からそういう可愛いとこ見せろよ、と腹の底で毒づきつつ二階堂は指を抜き、くちゃくちゃにほぐれた珠里の後孔に張り出した自身の先端を宛てがった。
「力抜けよ。一気にいくぞ」
一方的な宣告と共に、持ち上げていた珠里の腰を落としていった。粘膜同士が絡み合って引き攣れる感覚を追い掛けるように、下半身全体が燃え上がるような快感が沸き上がる。
「ぁ………ぁぁぁぁ……す…ごい……すごぉい…………」
珠里は喉を反らして唾液混じりの喘ぎを滴らせ、嬉々として灼ける肉棒を受け入れた。半分ほど収まったところで、二階堂は宣告通り一気に珠里の腰を引き寄せた。
「ゃぁぁぁぁッ……」
ぐじゅっと音がして二階堂の全てが珠里の中に収まる。珠里は二階堂の上でびくんびくんと二度跳ねて、肩に爪立ててしがみついた。
埋め込まれているものの形をもっと鮮明に感じたくて、珠里はきゅぅっと後ろをすぼめる。すると頭上から、甘く掠れた吐息が降ってきた。珠里はゆるゆると顔を上げて、
「二階堂さぁん………きもちいい？」
「ああ、やばい………持ってかれそうだ………」
珠里はふふっと笑って、すぼめたまま腰を上下に振ってみせた。
「ぅぁっ………く……珠…里……やめろ………」
「やぁだ。もっと……もっと聞かせて。あなたの色っぽい声………」
二階堂の制止にも構わず腰を振り続ける珠里。業を煮やした二階堂は突然珠里の膝を抱え上げ、「しっかり掴まってろ」と命じると、身体ごと上下に揺さぶり始めた。
下ろしたタイミングに合わせて自身の腰を突き上げる。珠里の優位はあっという間にひっくり返り、涙を振りまいて嬌声を上げた。
「やあっ、ああっ、あっ、ああっ」
突き上げられるたびに、身体の芯がズゥンと重く疼く。浮遊感と崩落感が交互に訪れ、珠里は初めて快楽への畏怖に囚われた。
「やだぁっ………あたま……おかしくなっちゃぅぅ………」
「はっ……なれよ。おかしくなっても……お前なら書ける………」
実に二階堂らしい台詞だった。しかしもちろん今の珠里はそれどころではない。ゆうべ散々酷使した喉をさらに嗄らして喘ぎ、そして―――
「ああっ、い、いいっ………いく、いくっ………ぅ…………」
紅く濡れた先端からびゅくびゅくと熱い飛沫を吐き出し、二階堂の腹にたっぷり降りかけた。気が付けば二階堂の動きも止まっており、腰をビクビクと上下させて珠里の中に射精している。
「あ……はぁ……ん………ぁぁ…………」
下腹部全体に熱いものが侵蝕してゆく感覚は、くすぐったくもあり、仄かな幸せそのものでもあった。珠里はぽっと頬を染め、
「いっぱい……出たね………」
「ん？ おう。俺もまだまだ若いよな」
途端にむくれる珠里。二階堂はにやりと笑ってその顔を覗き込み、
「なんだ？ お前だからこんなにたくさん出たんだよとか言って欲しかったか？ でも男の生理ってそんなもんじゃないって、お前だって分かってるだろ？」
「ぅ………分かってるよ、そんなのっ」
ぷいっとそっぽを向く珠里の身体を抱き上げて、中に入ったままの性器をずるずると引きずり出した。
もう少しその存在を感じていたかったと、青い溜息をつく。二階堂はそんな珠里を再び膝の上に座らせて、失われた繋がりの埋め合わせをするようにきつく抱き締めた。
「……悪いな、ロマンチックな言葉とか優しい言葉が出なくて」
突然の謝罪にきょとんと目を見開き、胸と胸とぴったり合わせたままそっと見上げる。二階堂も視線を合わせてふっと笑い、
「上っ面な言葉ならいくらでも出てくるんだけどな。本気の言葉はうまくいかない。全てに完璧な俺の、唯一の欠点だ」
珠里は大きく瞬きすると、ぷっと吹き出してそのまま笑いの衝動に任せた。二階堂は憤然たる面持ちで珠里を睨み、
「なんだよ。人が真面目に謝ってるのに」
「だ、だって………あんまりあなたらしい謝罪だから………」
笑いながらも珠里は、二階堂という人間が少しだけ分かったように思えた。
人付き合いが巧みで誰からも好かれ、何でもできる器用で隙のない人間に見えるが、実は照れ屋で不器用。そして感情を面てに出すのが苦手。だからこそたくさんの“上っ面な”言葉で煙に巻いて、自分を守ろうとするのだろう。
珠里がまだ笑いの余韻で肩を震わせていると、部屋の中から仔猫が出てきた。デッキの上で格好の日溜まりを見つけ、ごろりと寝そべって目を閉じた。
「無邪気だなあ。ね、あのコの名前は何ていうの？」
「飼い猫じゃないからな。港をねぐらにしてる野良が、たまにこうして船に入ってくるんだ。だから名前はねえけど……」
二階堂はそう言って、おお、と声を上げ、
「よし、名前を決めた。“美影”にしよう」
「ちょっ………やめろよ！」
「いいじゃねえか。美影、美影……うん、いい響きだ」
「嘘つき！ ヘンな名前だって言ったじゃないか！」
「言ってねえよ。あの九条大先生がじきじきに付けて下さった筆名だろ？ ヘンだなんて言うはずねえだろ」
「もうっ、ほんっとにあなたって人は―――」
膝の上できゃんきゃん喚く珠里を、二階堂は目を細めて楽しげに見つめたのだった。
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