あなたの全てが
＜2＞
「俺たちのクリスマスは、家でのんびり過ごそう。ちょっと高いシャンパンでも買って、こたつで乾杯するんだ」
案の定、喬允は驚いた様子で「いいのか？」と訊いてきた。奏はもちろん分かっていたが、訊き返す。
「何が？」
「だからその、せっかくのクリスマスなのに家でなんて。奏と外で食事したことはほとんどないからな。たまには洒落た店を予約しようかと思っていたんだが……」
「う～ん、俺の恋人はこんなにカッコいいんだぞって見せびらかして優越感に浸りたい欲求はあるけど、外だとイチャイチャできないしさ。でも家ん中だと何でもできるだろ？ こたつエッチとかこたつエッチとかこたつエッチとか」
「お前……もう少しロマンチストかと思ってたぞ」
喬允のぼやきを、奏は笑い飛ばした。
「そうかな。寒い冬の夜。こたつでぬくぬくあったまりながら乾杯して、手作りのクリスマスディナー食べる方がロマンチックじゃないか。いつも言ってるだろ？ 俺にとっては喬兄と過ごす『日常』こそが『非日常』なんだ。夜景の見えるレストランに、ロマンは落ちてないよ」
「こたつこそロマンか」
「そういうこと」
二人は顔を見合わせると、同時にぷっと吹き出した。この親密な空気、通い合う心。二人で少しずつ積み上げてきたものが、ようやく形になろうとしているのかもしれない。
奏はそんな感慨を噛み締めつつ、喬允の背中に腕を回した。そして意図的に声を甘くひずませて、囁く。
「あ、ごめん。ウイスキーのお湯割りだったね。今すぐ作るから」
そして身体を離そうとしたが、それに先んじて腰を抱き寄せられた。
「酒は、もういい」
背筋にぞくりと電流が走る。これだ、このくぐもった低音。秘めやかな、それでいてひどく艶めかしい欲情のサイン。
奏は、腰の奥にひたひたと熱が溜まるのを感じた。早くこれを掻き回してほしい。あの圧倒的な質量を誇る野卑な器官で、ぐずぐずに蕩かしてほしい。
「要らないんだ。じゃあ、何を飲む？」
気付いていないふりをして無邪気に訊ねると、少し苛立ったのか荒っぽく唇を塞がれた。段階を経ず深く交わった舌と舌は、半分融けかかっているのではと思われるほど濡れた音を弾かせる。そうして混ざり合うようなキスに没頭しつつも、喬允の手は奏の股間に、奏の手は喬允の襟元に伸びた。
「んうっ、ん、んんっ！」
痛いほど張り詰めたそこを大きな手でぎゅっと握られ、奏はたまらず腰をよじった。しかし喬允はやめるどころか、こうされるのが好きなんだろと言わんばかりに緩急つけた刺激を与えてくる。
悶えながらも何とか喬允のネクタイを外した奏は、ほどけた口付けの余韻滴る唇をわななかせ、「ベッドに行きたい……」とようよう訴えた。
すぅっと満足げに目を細めた喬允に静かな獣性を感じ、奏はくらりとよろめく。喬允は獰猛な陰翳を保ったまま、先にベッドに上がり奏に手を伸ばした。しかし、
「えっ？」
奏にどんと押し倒され、無防備だった喬允の身体はそのまま仰向けに倒れた。奏はすかさずその上に覆いかぶさり、外したネクタイをひらりと翳して、
「喬兄、縛ってもいい？」
「………は？」
もちろん答えを待つつもりはない。呆然とこちらを見上げる喬允の無防備さに加虐の欲望を刺激され、ああ俺も男だなあと今さらの感慨を噛み締める。男同士の関係では、抱かれる方が必ずしも“受け身”とは限らないのだ。
そんなことを考えつつ、奏は喬允の両手を頭上で縛った。どうやらまだ状況が呑み込めていないのか、まず頭で処理するのに時間がかかっているのか、抵抗する様子は見られない。奏はそれをいいことに、いそいそとシャツのボタンを外し、さらにベルトを外して下着をおろし、性器を露出させた。
そこは、ついさっきまでは濡れていたのだろう、先端がぬめりを帯びて妖しい光沢を見せていたが、いきなり縛られるという未知の体験が一時的に興奮を冷ましたのか、飢えの色は薄れて微妙な角度を保っていた。奏は思わず目を細め、
「ほんと、正直だな、喬兄のここは」
愛しさを隠さず呟くと、舌を絡めて吸い上げた。
「ぅ、ぁっ……」
冷めかかっていた官能の燠火が、一気に火の粉を巻き上げたのか、喬允は艶めいた声を上げた。喉に突き刺さるほど深く咥え込んだ肉の棒が、奏の口内でむくりと覚醒する。
舌を巻き付ければ野卑な鼓動、頬をすぼめて吸えば悶えるような痙攣。それは微かな反応かもしれないが、奏にとっては、喬允への愛おしさを増幅させる媚薬にも等しかった。
いつもより少し濃い雄の匂いも、奏を狂わせるには十分すぎるほどの催淫効果があった。夢中で舐めしゃぶるうちに、口の中は喬允から滴るものでいっぱいになり、うっとりと飲み干せば、鳩尾に温かいものが溜まっていくのが分かった。
「も……我慢できない」
奏は下穿きを脱ぎ捨て、喬允の上にまたがった。そして濡らした指を自らの後孔に突き刺し、揺らしながらグチグチと広げてゆく。
下準備をきちんとした方が快楽も大きいと分かってはいるのだが、目の前で絶大な存在感を見せ付けられては、逸る心を抑えるのは難しい。早々に指を抜いて尻を割り開き、ゆっくりと腰を落としていった。
「あ、あっ……ぬるぬるしてる……」
僅かに綻んだ窄まりと喬允の先端が密着し、その状態で腰を揺らすと濡れた粘膜同士の甘やかな摩擦が鳩尾の奥をくすぐる。
「か…なでっ……これ、ほどけ……」
恨めしげな、それでいて懇願するような眼差しを向けられ、奏は一瞬下半身を支配する肉の快楽を忘れた。それほど、喬允の悩ましげな表情は魅力的だったのだ。奏は貪るように見詰めながら、「うん、後でほどいてあげる」と優しく返す。そして一気に腰を落とした。
「ああああっ……いい、いいッ……喬兄の、なかで、びくびくしてっ……」
快楽で壊れた言葉より雄弁なのは、腰の動きだった。喬允の上で大きく二度跳ねて、刺激の大きさに戸惑うようにぶるっと震える。しかしそんな停滞も束の間。奏は腰を浮かせて、喬允の胸にそっと手をついた。
硬い胸筋を覆う滑らかな肌の感触と、そこから伝わる仄かな体温に、手のひらが歓喜する。そう、何もかもが、あらゆる細部が、奏の愛と欲望を燃え上がらせるのだ。
手をついたまま腰を上下させると、喬允の眉間が険しく寄った。ああ、感じてくれてるんだと、分かりきったことを再確認するだけで、熱い塊が喉の奥から込み上げてくる。
「喬兄、きもちいい？」
性器とアナルがこすれ合うじゅるっ、じゅるっという濁った音の隙間から慎ましげに問いを挟めば、喬允は獣が威嚇するように喉を鳴らした。そして、この屈辱的な状態を否定するかのように首を振る。
するとビジネス向けに整えられた前髪が乱れて、汗ばんだ額にかかった。しかし自由にならない手では払うことができず、ほつれた髪の隙間から情欲にけぶる瞳がこちらを見据えている。
それは優秀なMRでもなく、娘に甘い優しい父親でもない。不器用ながらも奏に真摯な愛を捧げてくれる恋人でもない。拘束され快楽に喘ぐ喬允は、鑑賞に値する一人の美しい牡だった。
「ああ……喬兄、もっといじめたい……でも、もう……ッ」
より淫らに、より激しくなる腰の動きをもうどうすることもできない。飢えた内壁がさらなる刺激を求めて蠢き、出入りする灼熱の楔にきゅっと絡みつく。そのせいで強くこすれ合い、痛みと快感の相乗効果がもたらす狂気じみた体感がどっと溢れる。
「いいッ、いく、いく……ぅぅ………！」
背中を弓なりに反らし、腰を卑猥に揺らしながら奏は射精した。びゅっびゅっと時折小さな放物線を描きながら、白くねばついた液体が飛び散る。
「あ……あ、ん、んーー……」
己の性器が悶えながら吐精するさまをぼうっと眺めていた奏は、やがてかくんと首を折って謝った。
「ごめん、先にイッちゃった」
奏の中にずっぷりと突き刺さったままの竿はまだ雄々しく反り返って、蕩けてぐずぐずになった筒肉に激しい鼓動を伝えている。取り敢えず喬允の拘束を解いてあげるのが先だと思い、奏は手を伸ばしてネクタイを外した。
と同時に視界がぐるんと回り、気が付けば仰向けで上から組み敷かれていた。
「喬兄……？ って、ちょ、待っ……あ、あっ、あっ、ああ！」
ガツガツと食らい付くようなピストン。奥まで響く激しさに、達した後で緩んでいた血流が一気に速まり、官能の酸がじわじわ溢れ身体を灼く。奏は嬌声を上げながら、喬允の背中にしがみついた。
汗と整髪剤の混じり合った匂いが鼻孔をかすめ、荒い呼吸が耳元にかかる。時折喉の奥から、喘ぎとも呻きとも異なる低くひずんだ音が漏れ聞こえる。奏はその全てを記憶に刻みながら、喬允の暴力的な突き上げを受け入れた。
「クッ……！」
喬允が息を詰めると同時に動きが止まり、狭い孔の中でビクンビクンとひときわ激しい鼓動を刻むのが感じられた。何かと問うまでもない。喬允が、奏の中で射精しているのだ。
「あ……すごい……」
奥めがけて放たれたものが、中でとろりとろりと対流する感覚。それは錯覚なのかもしれないが、喬允の種がたっぷり注がれていることは間違いない。奏はほとんど無意識のうちに括約筋を締めて、愛しい種を襞の間に染み込ませようとした。
「奏……」
全て出し終わった喬允は身体を離し、かすれた声で呼びかけた。奏は淡い笑みで応え、
「怒った？ あんなことされて」
「あ、いや……。初めは嫌だったけどな。でも、俺の上で腰を振るお前が、その……あまりに綺麗で淫靡で……途中から見惚れてた」
予想もしていなかった喬允の返答に、奏の頬が染まってゆく。性的高揚からくる火照りとは別の、羞恥の薔薇色。
「な…んだよ、喬兄も俺にめろめろじゃないか」
「ん？ ああ、そうだよ。今ごろ気付いたのか。もうずっと前からだよ」
奏はふいと横を向いて、挑むような口調で答えた。
「俺なんて、そのずっとずっとずーっと前からだよっ」
「はは、そうだな。時間では、お前にはどうしたって敵わない。だから俺は、深さと密度で勝負するぞ」
喬允は愉しげにそう言って、顔から首、肩まで赤く染まった奏を抱き締めた。
翌朝。一年で最も日の出が遅い季節。喬允がふと目を覚ますと、まだ外は薄暗かった。カラカラに乾燥した冷たい冬の朝。しかし身体は心地よい温もりに包まれ、今にも蕩けてしまいそうだ。
隣で柔らかな寝息をたてる恋人の体温ほど、心身を温めてくれるものはない。独り身では決して味わえなかった、いや、結婚してからも無縁だった喜びを喬允は噛み締めた。
ふと視線を移すと、昨夜奏がくれたプレゼントが視界に入った。
───まさか、奏があれをくれるとはなあ。
贈り物を介した淡い繋がりも嫌がるのではないかと思っていたのだが、どうやら自分はまだ、奏のことが解っていないらしい。まさか、父親としての喬兄も好きだと言われるとは想像もしていなかった。
───まさにサプライズプレゼントだったな。でも……。
喬允はベッドサイドのテーブルキャビネットに手を伸ばし、引き出しの中からびろうど張りの小箱を取り出した。
ふたを開けてそっとつまんだのは、白金の細い指輪。宝石など付いていないし、特徴的なデザインでもない。装飾を排した意匠こそ、神聖な誓いに相応しいと思ったからだ。
喬允は、隣で眠る恋人の左手をそっと取った。気配を察したのか微かに眉根を寄せてぐずったが、目を覚ますことはなかった。喬允はふぅっと安堵の息を吐き、そんな自分に苦い笑いを漏らす。まさか、こんなに緊張するとは。
改めて左手を取り、薬指に細い拘束具を嵌める。そう、これは拘束だ。それも、昨夜奏が遊び半分で両手を縛ったのとは全く異質の、もっと生々しい所有の証。これは俺のものだ。だから誰も手を出すな、と。
「ん、んっ……」
喬允の濃密な想いが届いたのか、彼が再びぐずった。薄いまぶたが震える。目覚めは近い。
目を開けた彼は、まず笑顔で「おはよう」と言うだろう。そして、自分の指にはまったものに気づく。
その時、彼がどんな表情をするか、想像を巡らすだけでドキドキする。心が浮き立つ。こんな感覚は本当に久しぶりだ。子供の頃、枕元に置いてあったプレゼントの箱を開ける時のような。
彼はきっと驚くだろう。それから顔を赤くするか、ぽかんと口を開けて指輪を凝視する。やがて、蜜花が綻ぶように咲（わら）う。
そう、その全てが、喬允にとって最高の贈り物なのだ。
（Fin.）
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