怒りの理由
　―喧嘩・その2―

「かなで〜〜〜、帰ったぞぉぉ」

玄関で必要以上の大声を上げ、奏を呼ぶ喬允。赤い顔、怪しい呂律、ふらつく足元。どれをとっても見事なまでのザ・酔っ払いだった。

「はいはい」

ちょうど風呂から上がってひと息ついたところだった奏は、呆れたように返事しつつ急いで出迎えた。すると喬允は一瞬目を細め、やがて眩しそうにぱちぱちと瞬きし、

「お前、風呂上がり？」
「え？　まあそうだけど」
「そっかあ、やっぱ色っぽいよなあ。クラブのお姉ちゃんよりお前の方がずっとキレーだぞ」
「そりゃどうも」

素っ気なく返す奏の頬は、みるみるうちに赤くなった。酔っ払いの戯言と分かっていても、明日になれば言ったことすら忘れていると分かっていても、つい反応してしまう。そんな自分の乙女っぷりが恥ずかしくて、奏はわざと乱暴な仕草で喬允から鞄を剥ぎ取った。そして片手を差し出して、

「ほら、掴まれば？　コケんなよ、酔っ払い」
「おお、さんきゅ〜」

奏の憎まれ口も気にすることなく、喬允は嬉しそうにがばと奏に抱き着いた。その瞬間、奏は険しく眉根を寄せて不快を露わにしたが、すぐに平静を取り戻して喬允の大きな身体を支えた。

しかし、そんな奏の微妙な揺らぎなど全く気付かぬ喬允は、奏の身体に顔を近づけてすんすん鼻を鳴らし、

「お前、いい匂いがするなあ」
「そりゃ、風呂上がりだからね」
「うう〜ん、そうかあ？　お前はいつもいい匂いだけどな」

そう言ってさらに顔を近づけようとする喬允を、奏はぐぐっと押し戻して、

「寄っ掛かんなよ。ただでさえ喬兄はデカくて重いんだから」
「んん〜、でも奏はデカいの好きだろ？」
「うわ、酔っ払いの下ネタ最低」

奏はぴしゃりと叩き付けて、ひとまずリビングのソファに喬允を座らせた。そして着替えを持ってくるとてきぱきと上着を脱がせ、ネクタイを緩めようとした。

するとそれに先んじて喬允の腕が伸び、腰をぐいと抱き寄せられた。バランスを崩した奏は喬允の胸に倒れ込む。

「なっ、何すんだよ。ほら、離せって」
「奏、抱きたい」
「酔っ払いはさっさと着替えて寝ろ！　手伝ってやるから」
「何だよ、いつもは喜んで抱かれるくせに」

喬允の言う通りなのだが、何故か今夜の奏は頑なだった。とにかく着替えろの一点張りで、いつものように妖艶な目配せとともに身を任せる気配を見せない。

しかしアルコールで血の巡りがよくなっていた上、風呂上がりの瑞々しい姿態にすっかりのぼせ上がってしまった喬允は、あっという間に我慢の限界を超えてしまった。

奏の身体をぐわしと片腕で抱え、ほとんど引きずるようにして寝室へ。そして驚いて声も出せぬ奏をベッドの上に放ると、上からのしかかって押さえ付けた。

「い、いやだ！　離せっ」

暴れて起き上がろうとする奏の両手を掴み、シーツに縫い留めて自由を奪うと、唇を荒々しく塞いだ。それでも奏は抵抗をやめず、喬允の拘束から逃れようともがく。酔った勢いで抱かれるのが嫌なのだろうと分かってはいたが、いったん暴走を始めた欲望はどうにもならなかった。

喬允は片手で素早くネクタイをほどき、奏の両手をまとめて頭の上で縛った。そして短パンを乱暴にずり下ろし、足を無理やり開かせて露わになった股間にローションを降らせた。

柔らかく項垂れたままの性器に一瞬心が痛んだが、両手を縛られ下半身を剥かれた奏から溢れる媚毒のごとき頽廃美に劣情の炎は燃え上がり、あっという間に喬允の心身を支配した。迷わず後孔に指を突っ込んで上下左右に掻き乱し、まだ頑なな肉を柔らかくほぐす。

「いや…だっ………やめ………ゃっ………ぁ、ぁぁッ…………」

奏は唯一自由な頭を振って尚も抵抗を示したが、喬允の指が時折奥の敏感な玉座を掠めると、拒絶の言葉は甘い喘ぎに変わった。

「ここか？　ん？　奏……ここが気持ちいいんだろ？」

喬允はねっとりと囁きながら、尻の奥に埋め込んだ三本の指を波打たせた。奏は喉を反らして声にならぬ悲鳴を上げ、と同時に喬允の指を包むむっちりとした肉の壁がきゅぅっと収縮した。

「はっ……すご…い……奏………」

さっきまで哀しげに項垂れていた奏の竿も、見ればすっかり勃ち上がって腹の上でピチピチ跳ねていた。喬允は息を荒らげつつベルトを外してジッパーを下ろし、ぎらりと天井を睨む赤銅色の男柱を、奏の潤みに宛てがった。

「い、いやだ、やだ………やだっ…………あ……あ、あああああーーーーーッ」

一気に奥まで貫かれた奏は、悲嘆が混ざった生々しい悲鳴を上げ、反り返った爪先で宙を蹴って衝撃を訴えた。

対して喬允は、より交わりを深くせんと奏の足が胸に付くほど折り曲げ、腰ごと打ち付けるようにしてずぶっ、ずぶっと突き刺した。そのたびに奏の腰ははね上がり、足は電流が走っているかのようにぶるぶると悩ましい震えを見せる。

「やだぁ………はぁ…ン………やっ、あ……も…やめっ………」

それでも奏は抵抗の意志を手放そうとはせず、舌がとろけそうな喘ぎを漏らしつつ拒絶の言葉を口にし、官能の涙膜で覆われた瞳で時折恨めしげに喬允を睨んだ。

しかし喬允が奥を突き上げると、勝ち気な表情はみるみるうちに融けて艶かしく歪む。喬允は白い眉間に浮かんだ淡い皺を慈しむように撫で、

「いい表情だ、奏。気持ちいいんだろ？」
「んっ……るさい……きもちよく……ないっ……」
「そうか。なら達かなくていいんだな」

喬允は冷ややかに返して、奏の雄茎を強く握り込んだ。そしてそのまま腰を振って抽挿を続ける。

「やっ、やめ…………ひ…ぃっ………」

喬允の手の中からぴょこっと飛び出した奏の先端は真っ赤に張り詰め、ひくひくと苦しげに悶えつつ薄く濁った汁珠を転がす。しかしそれ以上の解放は許されず、喬允の手に欲望の激しい鼓動を伝えた。

「かな…で………どうだ……気持ちいい、だろ……？」

きちきちに締め付けてくる奏の筒肉に陥落寸前の喬允だったが、快楽に嬲られる奏の麗貌がもう少し見ていたくて、絶頂の手前でこらえていた。

「い…やだ………手ぇ……放せ………放せよっ………」

手首を拘束され、涙を振りまきながら必死に抗おうとする姿に嗜虐欲をそそられぬ男がいるだろうか。喬允はごくりと喉を鳴らし、ぎらつく双眸で奏の艶めく肢体を視姦しつつぬちゃぬちゃと突き上げた。

「あっ、はぁ……あ、ああ、あッん」

もはや拒絶の言葉が出ることはなく、甘くこもった喘ぎが唾液とともに奏の唇を濡らす。

「助け……て………からだ………溶ける……ぁぁ………」

喬允は思わず目を細め、しつこく問いを重ねた。

「気持ちいいんだろ？」
「きもち……いいっ……ああ……達かせて………」

ついに陥落した奏は、涙とともに絶頂を乞うた。喬允は手の中のものを解放し、奏の両膝を抱え上げて勢いよく奥を抉った。

「ああっ、いい、いいッ、もっと、もっと奥っ……」

奏の求めに応じるように、喬允は角度を付けて深く重い抽挿を繰り返す。それから数分と持たず、二人はほぼ同時に果てた。

奏は時折足をビクンビクンと揺らしながら、腹の上に白い放物線を描く。喬允は腹筋を波打たせ、奏の中に延々と射精する。ようやく全て出し切った時には、結合部は逆流した淫水でぐしょぐしょに濡れていた。

喬允は奏の縛めをほどき、弛緩した身体から肉の楔をずるずると引っ張る。全て引きずり出すと、それは体液を弾かせつつ傲然とそそり立った。

喬允は、アルコールのせいで性欲が昂進したに違いないと自分に言い聞かせつつ、再び奏の中に突き立てて気怠い律動を刻んだ。

結局、その夜二人が眠りについたのは、それから数時間後のことだった。






「奏〜〜〜」
「…………」
「か、な、で、」
「…………」

起きているのは確実なのに、返ってくるのは氷のような沈黙だった。朝目覚めて、一番最初に目に入ったのは奏の白い背中。滑らかな肌や優美な肩のラインに目を奪われつつも、それが怒りに強張っていることに気付くのに、そう時間はかからなかった。

それから何度かこうして呼びかけているのだが、返事はおろかこちらを向いてもくれない。もちろん、奏がなぜ怒っているのかは自覚している。ゆうべは確かにかなり酔ってはいたが、自分が仕出かしたことを忘れてしまうほどの泥酔ではなかった。

寧ろ忘れていた方が楽だったかもしれないという考えが浮かび、そんな自分の狡さを喬允は慌てて戒めた。

「奏、その、ゆうべは本当に悪かった。酔った勢いでお前をその……む、無理やり抱くなんて……」
「…………」
「もう二度とあんな乱暴な、お前の意志や尊厳を踏みにじるようなことはしない。約束する。だから―――」
「喬兄は分かってない。何も分かってない」

喬允の謝罪と誓いを苛立たしげに遮って、奏はごろんと反転して向かい合った。そしてしなる鞭のごとき強い視線を向けて、

「酔った勢いだろうが無理やりだろうが俺は構わない。喬兄とひとつになることは、俺にとって無条件で悦びなんだ」

迷いのない言葉、迷いのない眼差しに気圧されて、喬允は思わずたじろぐ。これが奏の本心であることは疑いようがない。ならば、なぜ昨夜はあんなに拒んだのか……

喬允の困惑を察した奏は、腕を伸ばして床に脱ぎ捨てられた喬允のシャツを拾い上げて顔に押し付けた。

「匂い、嗅いでみろよ」

奏の言葉であらためて意識するまでもなく、シャツからは濃厚な香水の匂いが漂って喬允の鼻孔を刺激した。

香水の種類なんて全く分からない喬允だったが、この匂いが夜の世界で生きる女性に相応しい、重苦しく懶げな陰翳を漂わせていることは感じ取れた。きっと、昨夜の接待で行った店で、隣に座った女性から移ったのだろう。

そういえば、かなりきつい香水を付けていた上、何度も馴れ馴れしく触られた。これが彼女の接客スタイルなのだろうと思って好きにさせていたが、まさかこんなに移り香が強かったとは思ってもみなかった。

「嫌なんだよ、他人の匂いが入り込むのが」

勢い込んで弁明しようとした喬允に先んじて、奏が口を開いた。

「俺と喬兄二人の大事な空間に、他人の、しかも女の匂いが紛れ込むなんて耐えられない。だから着替えてくれって何度も頼んだのに……」
「あ、ああ……それでか……」

惚けた口調で返す喬允をじろりと睨み、奏はシーツに顔を近づけた。途端に、眉間に深い皺が寄る。

「やっぱり移ってる。あああ、もうっ」

悔しそうに頭を振って、再びごろんと背中を向ける奏に、喬允はそっと近寄り、

「奏、悪かった」
「……いいよ、別に。どうせ、何だそんなことかって思ってるんだろ？　この程度のことでぎゃあぎゃあ喚かれて面倒くせーって。俺だって分かって―――」
「今日はいい天気だな。気持ちのいい週末だ。よし、シーツと布団カバーと、あと枕カバーも全部洗濯するよ」

喬允は屈託ない声で奏の言葉を遮って、背後からぎゅぅっと抱き締めた。そして赤く染まった耳に唇を寄せ、

「いいか？　どんなに小さなことでもいいから、ちゃんと俺に伝えてくれ。言われる前に察してやれれば一番いいんだろうけど、ほら、俺はがさつで鈍感だから、言われないと分からないんだよ」
「喬兄……」
「奏、昨日はごめんな。これからは、接待があった夜はすぐに着替えるよ」

奏はこくんと頷き、もぞもぞと身体を動かして喬允に向かい合った。そして甘えた仕草で両手を差し出す。

喬允はすぐに応え、ふわりと抱き締めて上から唇を塞いだ。ちゅっ、ちゅっ、とついばむような愛らしい音を何度か響かせ、やがて唇はとろりと離れた。

「ああ、そうだ。確かお前、欲しいジャケットがあるって言ってたよな。明日にでも買いに行こうか。何ていうか……今回のお詫びだ」

喬允の提案を奏は吟味しているようだったが、すぐにふるふると首を振り、

「それより欲しいものが、というかお願いがあるんだ」
「え？　あ、ああ。いいぞ。何でも」

とは言ったものの、喬允はつい身構えてしまう。さすがに女性じゃないんだから、毛皮とか宝石とか言わないだろう。奏が欲しがりそうな高価なものと言ったら……

「あ、あのさ。これからは、最低一日一回は『愛してる』って言って」
「……え？」
「だ、だめ？　一回でいいんだけど……」

予想外の『お願い』に、喬允は一瞬固まった。奏は呆れられたと思ったのか、真っ赤な顔で弁解する。

「い、いやっ、喬兄がそういうの苦手だってことは分かってるんだけどさ。でも、そんな言葉で幸せが実感できるっていうのもあると思うんだ。ていうか俺は実感できる。めちゃくちゃできる。だから、その―――」
「奏、愛してるよ」
「あ……」
「愛してるよ」

瞳を潤ませながら、「二回も言うなんて初回大サービスだな」と皮肉る奏を、喬允は力いっぱい抱き締めたのだった。
（Fin）

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