キスの見解
―喧嘩・その1―
＜2＞
「これで二度目だな。お前の涙を見るのは」
「…………」
「いや、そんなことないか。セックスの最中に何度も泣いてるからな。まああれは、気持ちよくて泣いてるんだろうけど」
「………喬兄、うるさい」
愉しげにネチネチ絡んでくる喬允を、奏はばっさり切り捨てた。とはいえ、顔は言葉のように勇ましさを装うことはできず、首まで真っ赤になって、今にもぱん、と羞恥に弾けてしまいそうだった。
喬允はゆっくり顔を近づけて、耳たぶをちゅるんと吸った。奏の反応は予想以上で、「んっ」と鼻にかかった喘ぎをこぼして腰をくねらせた。その拍子に、尻の曲面が喬允の股間とこすれ合う。
二人同時にビクッと身じろいだが、そのままどちらからともなく密着させ、布越しに淡い温もりを交換した。
喬允は奏の腰に腕を巻き付けて拘束し、耳から首筋へ唇を這わせた。火照った肌からほの甘い香りがたちのぼり、喬允の鼻孔をとろかす。同じボディシャンプーを使っているはずなのに、何故こんなにもいい匂いなんだろう。素肌の下に、馥郁たる香りの源が流れているとしか思えない。
喬允はうっとりと酔いながら、首筋に二つ、紅い所有の花を咲かせた。そしてシャツの下に手を差し入れ、こんもりと盛り上がった乳輪を指でなぞる。さらにその中心できゅぅっと勃ち上がった乳首を優しく撫でたすぐ後に、先端に強く爪を立てて引っ掻いた。
「あッ………は…ぁ……」
奏はひと際悩ましげな声を上げ、喬允の腕の中で腰を躍らせた。その誘うような揺らめきを賞玩しながら、喬允は耳元で囁く。
「痛くされた方が、感じるんだよな？」
「んぅ…るさい………」
「分かってるよ。こういう場所で乱暴にされるの、好きなんだろ？」
喬允は言葉通り乱暴な手付きで奏の下穿きをずらし、下着の奥から赤くのぼせた性器を取り出した。それはすでに天空を睨み、喬允の手の中でとくとくと一途な鼓動を刻んでいた。喬允は見せ付けるようにゆっくり扱きながら、
「やっぱり、もうビンビンじゃないか」
奏は快楽に潤んだ瞳を必死に尖らせて、背後の喬允を睨み付け、
「喬兄、だんだんタチ悪くなってる」
「どういたしまして。恋人がさらにタチの悪い女王様なもので」
喬允はからかうように言い返すと、かすかに濡れた目尻に唇を押し付けた。そして、つるりと剥けた奏の尖端をあやすように撫でる。すると腕の中の腰が揺れ、尖端の小さな孔から蜜珠がくぷりくぷりと生まれては竿を伝って滴り落ちた。
「奏、ナンか出てる」
「分かってるっ……」
今にも腰が砕けそうなほど感じてるくせに、尚も強気な声を返す奏が可愛くて仕方ない。本当は寝室に移動するつもりだったのだが、珍しく“嗜虐スイッチ”の入ってしまった喬允は、中途半端にずり下ろした奏の下穿きを無理やり脱がせた。
思わず撫で回したくなるほど滑らかで、芸術的な曲線を描く双丘が露わになる。喬允は目敏く見つけたオリーブオイルのふたを爪で弾き、中身を指にたっぷり掛ける。それを見た奏はさすがに喬允の意図を察し、慌てた様子で、
「喬兄っ、まさかここでやる気？」
喬允は答える代わりに、濡れた指を淡い陰翳を見せる裂け目に滑らせた。もちろん、奥に潜む淫らな孔にも。
「い、いやだ、こんなところで……」
嫌だと言いつつも、大人しく拘束されている奏に、喬允は嗤いを含んだ声で囁く。
「嫌なら俺を突き飛ばして逃げればいい」
奏は肩を強張らせたが、すぐにかくんと項垂れて、
「やっぱり喬兄はずるい。そんなの、俺にはできないって分かってるくせに……」
タチの悪い女王様、男を翻弄する妖艶な＜ファム・ファタル＞も、惚れた男の前では従順な仔犬だった。喬允は、ひくひくと収縮して指先に吸い付く窄まりを弄びながら、
「奏、片足を上げて膝をシンクの縁に乗せて……そう、いい子だ……」
鼓膜を愛撫するような極上の低音に誘われるまま、奏は腰をわずかにひねって右膝をシンクの上に乗せた。この姿勢によって、必然的に起きること。それは―――
「奏、よく見えるよ。お前の一番嫌らしいところが……」
足を上げたせいで谷間が自然と開き、蜜壺の入口が喬允の視界に晒された。そこはまだ誰も受け入れたことのない未通の花のように窄まったままだったが、塗り込められたオイルのせいで艶めく光沢を放っていた。喬允は逸る欲望を抑え、視線と指先でゆっくりと犯してゆく。
「んあ……あ……ぅ…ン………」
喬允の指がぬるり、ぬるりと奥に沈められるにつれて、奏の唇から漏れる喘ぎの糖度も増してゆく。
喬允は三本の指をいったん根元まで呑み込ませ、関節を屈伸させて奥をこね回した。トプン、トプン、と筒肉が騒ぐささやかな蜜音に、喬允の雄は激しく反応した。ここに突き刺した時のとろける肉の感触、熱い締め付け、目眩く快楽の記憶が、この淫らな音によって一気に浮上してきたからだ。
喬允を昂らせたのは音だけではない。指を何度か出し入れするうちに、ついさっきまで淑女のごとく取り澄ましていた菊花は妖しく糜爛し、男を誘う濡紅に染まり上がっていた。
オイルの効果なのか、降り注ぐ太陽光のせいなのか、いつもより鮮やかな色沢で喬允の目を狂喜させた。
喬允は息を荒らげつつ片手で前を解放し、ガチガチに勃起した陰茎の尖端を奏の熟した部分にぐいと押し付けた。しかしまだ奥には進まず、奏の耳許に口を付けて、
「奏……入れるぞ。ほら……」
ねっとりと囁きながら、焦らすようにゆっくりめり込ませてゆく。
「あ………はっ………入って、きた………ああ、すご…い……大き…い……」
「まだまだ先端部分だ。もっと奥まで犯すぞ。さあ………」
大きく張り出したカリの部分がすっぽりと奏の中に収まった。喬允はあらためてぐっと腹の底に力を入れ、くねくねと蠢く奏の筒肉を掻き分けて奥の秘蕊を目指す。
「ふあ………あ、ああ……喬兄の……硬くて……熱…い………」
「お前ん中の方がずっと熱いよ……熱いだけじゃなく、嫌らしく波打って……。さすが、淫乱な女王様だな」
「んっ……何言って―――あっ、あ、ああああーーーーッ、そこっ、いい、いいッ」
剥き出しの下肢をぶるぶる震わせて快感を訴える奏は、くらくらするほど綺麗だった。喬允は軽く頭を振って眩暈の余韻を振り払い、シンクに乗せていた奏の足を下ろした。そして「しっかり掴まってるんだぞ」と命じると、緩やかな律動を刻み始めた。
しかし緩やかなのは最初の数回だけ。あっという間に抽挿は激しさを増し、奏の腹を突き破らんばかりの勢いに。
「うぁッ、あ、あっ、あああッ」
喬允の激情に翻弄され、奏はシンクにすがって時には苦しげに、時には艶かしく喘ぐばかり。ほとんど凶器のような喬允の肉杭がぬちゃぬちゃと奥を突き上げるたびに、瞼の内側で閃光が弾けた。
陽光溢れる明るいキッチンでの淫行は、背徳の自意識を否応なく高める。それは精神の愉悦を喚起し、肉体の快楽を増幅させる媚薬のような効果をもたらした。
わずかな時間で二人ともに絶頂まで駆け上がり、ほぼ同時に欲望の奔流を放った。喬允は激しく収縮する奏の肉壺の奥に。奏は鏡と見紛うほどぴかぴかに磨かれたシンクの側面に。
「はぅ……ぅ、ぅ…ん………」
奏は蜜状の吐息を漏らしながら射精を続け、と同時に尻の奥にドクドクと溜まってゆく喬允の精漿の重量を反芻した。
「かな…で……」
艶っぽく掠れた声で名を呼ばれ、奏は顔だけゆるゆると振り向いた。すると待ち構えていたように唇を吸われ、射精を終え冷めかけていた情慾の熱が再び呼び覚まされた。
「ん……ぁ…ふ………」
繋がったままの濃密な口づけにすっかり逆上せてしまった奏は、ほとんど無意識のうちに後ろの孔に力を入れ、突き刺さったままの陰茎を喰い締めた。
喬允は喉をぐッと鳴らし、唇と舌をほどいて「それは反則だぞ」と抗議する。そしてこれ以上翻弄されないよう、奏の中に入れっぱなしの陰物をずるりと引き抜いた。
奏の唇から、「ああ…」と悲嘆めいた呟きがこぼれ出る。自分の一部になったかのように馴染んでいたのに。別れを惜しむように、尻の奥がくにゅくにゅ蠢くのが自分でも分かった。
「やだ……もう一回、もう一回挿れて……」
尻を突き出して挿入をねだる奏。双丘はほんのり色づき、割れ目はオイルと体液に塗れて淫猥なぬめりを帯び、注いだ白濁が逆流して溢れてまるで“お漏らし”したみたいに内股を伝って垂れている。
その痴態と呼ぶべき姿の催淫効果は絶大で、目の前で汁を滴らせる果実に今にも突っ込みそうになったが、喬允は何とか衝動を抑えて奏の身体をふわりと抱き込み、
「奏、寝室に行こう。ベッドの上でもう一度じっくり味わいたい」
「でも……仕事は？ まだ途中じゃ……」
「何事にも優先順位ってのがあるんだよ」
喬允の答えに奏は頬を赤らめ、嬉しそうにこくんと頷いて抱き着いたのだった。
「奏、ゆうべは悪かった。俺は……嘘をついた。朝のキスをやめようと提案したのは、男同士でみっともないなんて理由じゃない。なんて言うかその……か、身体が反応しちまうんだよ。朝っぱらから股間膨らませて出社、なんてみっともいいもんじゃないだろ？」
あれから何度も身体を繋げ、すでに日が翳り始めた頃。ようやく欲望の矛を収めた喬允は、腕の中で幸せそうに微睡む奏にそっと語りかけた。奏は長い睫毛をたわませつつ見上げ、
「それほんと？ 喬兄、俺に気を遣ってるんじゃ……」
「馬鹿。本当だって。思春期じゃあるまいし、いい年した男がキスで勃起したなんて恥ずかしくて言えないだろ？ ま、お前のキスも出掛けの挨拶にしちゃ相当濃いけど」
「あ、あれは……だって……」
奏は珍しくもごもごと口ごもった挙げ句、真直ぐ喬允を見つめ、
「俺さ、毎朝出掛ける前喬兄にキスする時、これが最後のキスかもしれないって思ってるんだ。だからねちっこくなるんだろうな。唇の感触、柔らかさ、輪郭、甘さ、全てをできる限り鮮明に感覚に刻み込んでおこうとするから」
「最後の……キス？ 何で最後なんだよ」
奏の真意が分からず、質す喬允の口調はつい尖ったものになってしまう。しかし奏は臆することなく真剣な眼差しを返し、
「だってさ、いったん外に出たら何があるか分からないだろ？ 事故とか事件に巻き込まれたり、災害に遭ったり。朝の別れが最後の別れになる可能性は、低いとはいえゼロじゃない。朝のキスが最後のキスになる可能性だって……」
奏は途中で口を噤み、喬允の胸に顔をぎゅっと押し付けた。耳たぶや首筋がみるみるうちに真っ赤に染まってゆく。ぽかんと口を開いた喬允の顔を見て、自分の言葉の大仰さに今さらながら気付いたのだろう。
「わ、分かってるよっ、重いって。自分でもそう思うし。でもさ、しょうがないじゃないか。一度そういう考えに取り憑かれたら、もうどうしようもなくなるんだ」
「あ、ああ、いや……別に重いとは……」
胸にかじり付いて必死に弁明する奏を宥めつつ、喬允は妙に納得していた。ああ、そうか。だから『お帰りなさい』のキスは軽かったんだな、と。
「でも……喬兄が迷惑してるんなら自重するよ。なんか……ごめん」
奏は消え入りそうな声で謝って、小さな小さな溜め息をついた。
週が明けて月曜日。新たな一週間の始まり。喬允はいつものように身仕度を整え、朝食を済ませた。そして時計をちらと確認し、「そろそろ出るか」と誰にともなく呟く。すると奏がすかさず、鞄を持ってきてくれた。
「帰りは？」
「ん、今夜は特に接待もないし。９時には戻れるかな」
「了解」
奏はふわりと微笑んで鞄を差し出す。そして喬允に一歩近づこうとしたが、ふと足を止めて淋しげに目を伏せた。
「行って……らっしゃい」
「…………ああ」
挨拶を返すまでのわずかの間に、喬允の脳裏を奏の言葉が掠めた。『朝の別れが最後の別れになる可能性はゼロじゃない』―――確かにそうだ。自分が仕事に行っている間、奏に何か起きないとは言えない。便利屋という職業柄、突拍子もない事件や事故に巻き込まれるおそれだって―――
「……喬兄？」
いきなりずいと近づいてきた喬允を、不思議そうに首を傾げて見上げる奏。そのはんなり綻んだ唇に、喬允は熱烈な口づけを贈った。
毎朝自分がされていたように、唇の輪郭を舌先でなぞり、口内をねっとり舐め回してから驚きに縮こまる舌を搦め捕り、何度か吸い上げてからようやくほどいた。くちゅっと唾液を弾かせて唇が離れた時には、二人の体温は確実に上昇していた。
「じゃ、じゃあなっ、行ってくる」
喬允は慌てて背を向け出て行ったが、奏は暫しその場に呆然と佇んでいた。が、やがてへなへなと座り込み、唇や舌に残る喬允の余韻にうっとりと酔い痴れた。
一方、まさにミイラ取りがミイラになった状態の喬允は、見事に反応した股間を隠しつつ駐車場へ。
「あああ……何をやってるんだ俺はッ」
もしかしたらこれが奏との最後の別れかもしれないと思うなんて、俺も相当毒されてるな。そんな自嘲を浮かべながらも、奏の影響で少しずつ変わり始めている自分はけっこう嫌いじゃない喬允だった。
（Fin）
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