たとえばこんな未来
「自分に似合うアイカラーを見つけることは、とても重要です。つい無難な色を選んでしまいがちですが、本当に似合う色があるかもしれないのに、それはもったいない。なので今日は、ちょっと冒険してみましょう。貴女のお好きな色は何ですか？」
夏野が柔らかな声で訊ねると、椅子に座り首に白いケープを巻かれた女性はぽっと頬を染め、小さな声で「赤が好きです…」と答えた。夏野は「素敵です」と笑顔を見せ、
「では、赤を貴重としたアイカラーにしてみましょう」
すると、ステージ上の夏野と女性を固唾を呑んで見守っていた観客たちの間から、驚きの声が上がる。アイカラーに赤色を使うなんて、ということだろう。ステージ上の女性も、どこか不安げだ。
しかし夏野は笑顔を崩さず、ステージ脇に視線を滑らせる。夏野の意図を汲んだ鷹志は軽く頷き、目当ての色が揃ったアイカラーパレットを広げて差し出した。
「ありがとうございます」
他人行儀な夏野の言葉だが、それも当然だ。今は仕事中。メイクアップワークショップの真っ最中なのだから。
鷹志との再会、そして結城のファッションブランド『Ｍ＋』のイメージモデルを務めたことで、夏野は鷹志と同じ道、すなわちメイクアップアーティストになりたいという夢を持った。
あれから四年。大学に通う傍らモデルと鷹志のアシスタントをきっちりやり遂げた夏野は、鷹志も驚くほどの上達と成長を見せ、瞬く間に人気メイクアップアーティストの仲間入りをしたのだ。
そして鷹志と二人でスタジオを設立。定期的に開いているワークショップは一年先まで予約でいっぱいで、参加できなくていいからせめて見学したいという要望に応えて、広い会場でデモンストレーションを行うことにしたのだ。
その会場も、妙齢の女性であっという間に埋まってしまった。いつもは鷹志が講師で夏野がアシスタントなのだが、たまに夏野に講師を任せることにしていた。
人前に出るのが苦手な夏野は初めは躊躇していたが、二回、三回と回を重ねるうちにステージにも慣れてきたようで、今回のように大胆な提案を笑顔でできるほどになったのだ。
とはいえ、ここに到るまで順風満帆だったわけではない。鷹志と夏野の人気に嫉妬し、汚い妨害工作を仕掛けてくる同業者や、何とか自分の事務所に引き込もうと画策する輩もいた。
しかし何より鷹志を悩ませたのは、夏野に近づいてあわよくば……と不埒なことを考えるぎらついた男どもの多さ。
夏野は夏野で、下心というものを全く理解せず、笑顔や優しい言葉を額面通り受け取ってしまうのだから、鷹志としては気が気でなかった。実際、危ない目に遭いそうになったことも一度や二度ではなかったのだ。
そしてついに、鷹志は決断した。というよりキレた。スタジオ設立と同時に、二人の仲をカミングアウトしたのだ。もちろん夏野の了承も得て。
同性愛的嗜好を持つ者が多い業界だから、仕事場で後ろ指さされることもない。夏野も大学を卒業して実家を出ていたし、特に問題ないと判断したのだ。事実、その後不利益を蒙ることはなかったのだが、ひとつ問題というか面倒なのが──
「きゃああっ」
夏野に何かを渡したり、ちょっと顔を見合わせて頷きを返しただけで、悲鳴のようなものが会場内のあちこちから上がる。見るからに鼻息を荒くしている女性もいて、何とも居心地が悪い。まあ、夏野は全く気づいていないようなので、鷹志が気にしなければいい話なのだが。
今も、会場の不穏な熱気など気にせず、夏野は女性の瞼にカラーを重ねていく。
「モードな赤だとキツくなりますが、アースカラーを少しプラスすると柔らかくなります。どうですか？ これなら貴女らしい個性もあって、なおかつ日常使いできるベーシックなメイクになると思いますが」
鏡を見た女性は純粋な驚きを露わにし、そして瞳を輝かせた。
「はい！ 信じられません。赤を基調としたアイメイクが、自分に似合うなんて……」
夏野は笑顔で「とってもお似合いですよ」と言い、会場に顔を向けて言葉を続けた。
「自分の可能性を自分で狭めてしまうことは、よくあります。“自分らしさ”って、口で言うほど簡単に手に入るものではありません。斯く言う僕も、どうせ自分は駄目だから、何もできないからと思い込んで、殻に閉じこもっていた時期が長かったんです。でも、きっかけさえあれば人は変われます。大袈裟かもしれませんが、このワークショップがそのきっかけになれば嬉しいです」
夏野はそう言うと、鷹志を真っ直ぐ見つめた。そのひたむきな瞳、雄弁な眼差しに込められた想いを汲み取った鷹志は、そっと目を細め頷いたのだった。
「ああ……もうこんな時間か」
帰宅後、メールの返事を書いたり雑務をこなしていたら、いつの間にか日付が変わっていた。しかしもうひとつ、片付けておかねばならない仕事がある。
鷹志は、預かっていた口紅のサンプルを取り出した。有名海外ブランドが、日本向けに開発したコスメシリーズの新製品。その雑誌向けレビューを頼まれていたのだ。
「夏野！ ちょっといいか」
開きっぱなしのドアに向かって声を張り上げると、その向こうの廊下からぱたぱたと愛らしい足音が近づくのが聞こえた。そして部屋に入ってきた夏野は、爽やかな石けんの香りをまとっていた。
床にじかに座っていた鷹志の正面にぺたんと正座し、なぁに？ と言わんばかりにちょんと首を傾げてみせる。その無邪気な仕草、呼びかけに応えて急いで駆け寄ってくる一途さに、鷹志の頬も思わず緩む。
「悪いな。風呂上りに」
夏野は一瞬きょとんと目を見開いたが、すぐにふわあっと笑って首を振った。こんな風に自然な笑顔を見せてくれるようになったのは、いつ頃からだろう。
夏野が笑顔を取り戻したのは四年前だが、その後暫くは長年のブランクのせいか、なかなか自然に笑うことができなかった。催促すると、頬をひくつかせて泣き笑いみたいな顔を作ってみせる。
それはそれで必死さが伝わって可愛いのだが、やはりこの蜜花が綻ぶような、まさに咲（わら）うといった表現が相応しい笑みには敵わない。
「また新製品のレビューを頼まれた。いいか？」
塗りやすさや発色などは鷹志が評価できるが、使い心地は実際に試してみないと分からない。モデルの仕事でメイクされる経験も豊富な夏野は、テスターに最適だった。
「うん、もちろん。口紅？」
鷹志は頷きながらキャップを外し、回してスティックを1センチほど出した。そしてまず自分の手の甲にすっと走らせる。
やや赤みのあるコーラルピンク。色白の肌は華やかに、日本人に多い黄み肌はナチュラルな美しさを演出する。パール感は抑え目で、代わりにグロスのようなシアー感がある。人気の出そうな色みだ。
鷹志は膝立ちになって夏野に近づき、片手をうなじに添えた。風呂上りのしっとり火照った素肌が、指先に吸い付く。
思わず愛撫めいた動きをしそうになったが何とか抑え、夏野の唇を彩ることに専念する。ゆっくり顔を近づけたが、口紅の先端が唇に触れる寸前でなぜか夏野は俯いてしまった。
「おいこら。なんで俯くんだ。顔を上げないと塗れねえだろ」
鷹志の当然の小言に、夏野が返したのは意外な言葉。
「だって……顔が近いから。どきどきする」
「はあ？ 今さら何言ってんだよ。もう四年も付き合ってんだぞ」
「分かってるけど……鷹志さんがかっこいいから……だから……」
語尾をごにょごにょ濁しつつ、剥き出しの膝をすり合わせる夏野が可愛くないと言えば嘘になる。初々しいにもほどがあるが、環境や状況が変わっても変わらない個性、気質というものは誰にでもあるだろう。
「しょうがねえな。これじゃ塗れないぞ」
鷹志が声を和らげると、夏野がそろそろと顔を上げた。薔薇色に潤んだ頬や耳たぶから、静かな高揚が伝わってくる。「今度は俯くなよ」と言ってもう一度顔を近づけると、夏野は窮余の策とばかりに目を閉じた。
塗りやすいよう半開きに保たれた唇と相俟って、口づけをねだるような艶冶な表情に変容した夏野に、鷹志はよろめきそうになる。しかし腹の底に力を入れて理性のよろめきを正し、口紅の先端で軽く唇をなぞった。
非常に伸びがよく、夏野の唇はあっという間に艶やかな珊瑚色に。その色と光沢を舐め取りたい誘惑を、取り敢えず仕事に対する義務感で押さえつけ、
「どうだ？ 付け心地は」
夏野はその問いに応えるように目を開けて、唇を軽くこすり合わせて感触を確かめた。
「ん……水分が多いのかな。べたつきが少なくていいね。香りもキツすぎないし。お菓子みたいに甘い匂い。あとは、落ちにくさだけど……」
言いながらちらと唇を舐め、首を傾げる。鷹志は低く笑い、
「馬鹿だな。そんなんで分かるかよ。確かめ方は……こうだろ？」
言うやいなや夏野のうなじを掴んで引き寄せ、上から覆いかぶさるように唇を塞ぐ。わざと音をたてて口内を掻き回し、奥の粘膜まで執拗にねぶると、鷹志の胸元をきゅっと掴んでいた夏野の手がびくんと震えた。
「んん……く…ぅん、ふぅ……」
かすかな喉声で訴えるのは、苦悶か快楽か。おそらくその両方だろう。二者の絶妙なバランスが、官能をより深くするのだ。
鷹志はタイミングを見計らって唇の拘束を解いた。しかしまだ舌は絡めたまま。唾液でコーティングされた舌は淫らな触手めいて、互いを求め合う動きもまた卑猥。やがてゆっくりと舌をほどけば、先端を繋ぐ銀色の粘糸がつぅっと伸びた。
「ふ……あ……」
ぺたりと尻をついて座り込み、宙にふわふわ視線を彷徨わせつつ荒い呼吸を繰り返す夏野には、快楽の縁で辛うじて踏みとどまっているような危うい風情があった。
「鷹…志さん……」
とろんと濡れた瞳で鷹志を見上げ、散々吸われて充血した唇で鷹志の名を呼ぶ。珊瑚の光沢は、口づけの激しさを物語るようにほとんど剥げ落ちていたが、口の端にわずかに付着した残滓がぞくりとするほど艶めかしい。
鷹志は「何だよ」とぶっきらぼうに返したが、その喉に絡んだような低音こそ、自分がどうしようもなく欲情している証であると分かっていた。
「ぼく、あの……」
鷹志が「はっきり言え」と促すと、夏野は恥ずかしそうに自分の股間に視線を落とした。もちろん、何を伝えようとしているのか分かっている。鷹志が四年間かけてじっくり快楽に漬け込んだ身体は、キスだけでしっとり濡れてしまうほど甘く熟して久しかった。
本当はもう少し言葉で苛めてやりたいところだが、自分も余裕がなくなってきた。硬いジーンズ地の下で、砲身が猛り狂っているのが分かる。黙って夏野に手を伸ばし、乱暴に抱き寄せて寝着代わりの短パンを下着ごと剥ぎ取った。
「ひゃっ」
慌てて下半身をひねって局部を隠そうとする夏野。細い腰や小ぶりの尻は未成熟の少年そのもので、とても23歳の男性には見えない。しかし和毛に包まれた淡赤色の性器は微妙な角度を保ったまま、透明の粘液をたらりたらりと滴らせていた。
少年のあどけなさと、成熟した大人の色気。双方が渾然一体となった夏野の魅力に、鷹志はいつも心の中で白旗を挙げるのだ。
「もうこんなに濡れてる」
耳元で囁きながら先端の小さな穴に軽く爪を捩じ込むと、片腕で抱き込んだ白い身体がぶるぶるっと揺れた。
「鷹志さぁん……っ」
切羽詰った甘え声は、催促というよりおねだりという表現の方が合う。鷹志も限界に近かったから、無言のまま頷きローションを取り出そうと手を伸ばした。
その時、先刻の口紅が視界に入った。水分と上質の油分がたっぷり配合された、伸びのよい口紅。鷹志は考えるより早くそれを掴み、夏野に四つん這いになるよう命じた。
夏野は一瞬躊躇を見せたものの、大人しく従う。明かりを消してほしいと小声で懇願してきたが、もちろん鷹志は却下。当然だ。明かりを消したら、艶やかに装った可愛い蕾を賞玩できないではないか。
目の前に差し出された、文字通り珠のような尻。鷹志は片手で器用に谷間を割り開き、期待と興奮でかすかにひくつく菊門を外気に晒した。
舌を這わせたい欲求に囚われるが、それより優先させたい欲望があった。鷹志は手にした口紅の先端で、円を描くように窄まりの周囲をなぞった。
「た、鷹志さんっ？ 何をして……！」
訊ねてる途中で気づいたのか、腰を下ろそうとする。が、もちろん許さない。乱暴に腰を抱えて持ち上げ、脚の間に膝を差し込んで広げた。結果、再び蕾を捧げる姿勢に。
「や、やだぁ……そんなのだめっ」
「何が駄目なんだ。潤滑油代わりだぞ」
「だって、口紅をそんなとこに……」
「別に、上の口だけに塗るものだって決まりはない」
我ながらめちゃくちゃな論理だと思ったが、堂々と言い切ったのが奏効したのかもしれない。夏野は「ふえ…」と情けない声を上げつつも、抵抗するのをやめた。
鷹志はほくそ笑み、再び塗りつける。珊瑚色のぬめりを帯びたそこはくらりとするほど淫猥で、色素と油分を奥まで染み込ませるように指先で強くこすりつけると、中へ誘うように薄い襞がぴたりと吸い付いてくる。
指先に伝わる感触と蠕動を愉しみながら指先を捩じ込むと、力を入れるまでもなくあっという間に根元まで吸い込まれた。
まだ強張っている筒肉を二本の指で慎重にほぐすのは、挿入時の苦痛を少しでも和らげるための準備であると同時に、夏野の熱を、蠢きを、感触を指先で感じることのできる愛しい時間でもあった。
「んっ、ゆびぃ……きもちいい……」
夏野の下腹が、ひくひくと痙攣を始めた。中もすっかりとろとろだ。頃合だろう。鷹志は素早く前を寛げ、先端まで獣欲をたぎらせた陰茎を強めに押し当てた。すると、可憐な色に染まった襞がぬくっと広がり、鷹志のものを包み込むように呑み込む。
「あ…ああ……ん、いい、おっき…ぃ……」
そんな声出すんじゃねえ、自制できなくなる、と喉の奥で悪態をついて、浅いところで軽く抜き差しする。ぬぽ、ぬぽ、と秘めやかな音をたてつつ、夏野のそこは大きく開花した。
「奥までいくぞ」
宣告と同時に腰をぐぅっと進めると、全身の毛穴が開くような、身体ごと浮き上がるような快感が襲ってくる。この四年間、数え切れぬほど身体を繋げたのに、得られる快楽は常に最上。経験を重ねることで生じる感覚の濁りや倦怠が訪れる気配もなかった。
夏野の身体に、媚薬の源泉があるとしか思えない。それに呆れるほど溺れている自分を、鷹志は強く認識していた。
「あ……あーー……いぃ……きもちいいよ…ぉ……たかにいちゃぁ…ん……」
甘くもつれた夏野の声に、鷹志は思わず目を細める。普段は澄まして『鷹志さん』と呼ぶくせに、理性が後退すると昔のように『たかにいちゃん』となる。そして後でそれを指摘してやると、だって…、でも…、と赤い顔で何とか弁解しようとするのがまた可愛い。
「ん？ どこが気持ちいいんだ？」
笑み含んだ声で問いかけると、甘えた口調で「おしりの奥ぅ」と返ってきた。そしておそらく無意識だろうが、腰をくいっと持ち上げる。
お前可愛いすぎるんだよと声に出さず毒づけば、知らぬ間に腰のピストンが勢いを増していた。長く大きいものを根元まで突き刺すと、ぐぽっと音がして中に溜まった鷹志の先走りが溢れる。腰を引けば、ところどころピンクの彩りを留めた花びらが広がる。
ただ闇雲に穿つだけではない。へその裏側辺りにあるしこりを、カリの部分で抉るようにこすってやると、夏野は「ひぃ…ん！」と悲鳴を上げて呆気なく達した。
むっちりとした筒肉全体が激しい収縮を繰り返し、鷹志の怒張を容赦なく締め付ける。全身の血が煮えたぎる感覚に、自身の絶頂を予期した鷹志は、上半身を前に倒して夏野の背中に覆いかぶさった。そして耳を食みながら、ぎりぎりと押し付けた腰を小刻みに動かしてびゅくびゅくと奥に放つ。
「んっ、ふ、ふぅ…んっ」
鷹志の律動に重ねるように吐息を漏らし、腰を揺らす夏野。見れば目尻が赤く縁取られ、涙がにじんでいる。鷹志はそれを舌で舐め取ると、ゆっくりと身体を起こした。そして交わりをほどき、夏野を起こして膝の上に座らせ、抱き締めた。
汗ばんだ首筋に顔をうずめると、甘酸っぱい果実のような匂いが鼻をくすぐる。たまらず唇を這わせると、夏野は腕の中でいやいやをするように身体をくねらせた。
「やだ、汗かいたから……」
こういう羞恥もまた、愛おしい。きっと夏野はいつまでたっても、未熟な果実のように青く初々しいままなのだろう。
確かに夏野はこの四年間で変わった。色々な意味でめざましい成長を見せた。しかしそれも、変わらぬ部分があってこその変化なのだろう。これからも自分は傍にいて、その全てを見守り続けよう。鷹志はひそかに誓った。
「分かった。なら一緒に風呂入るか」
鷹志の誘いにぽっと顔を赤らめ、恥ずかしそうに目を伏せながらも頷きを返す。その楚々たる仕草に、鷹志の雄の部分が再び反応する。今夜は長くなりそうだ。
そういえば、頼まれていた口紅のレビューがまだ書けていないが、まあどうにかなるだろうと、鷹志は苦笑混じりに呟く。よく伸びて、ほどよいぬめりもあり、滑りが最高とでも書いておけばいいのだから。
（Fin）
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