＜25＞
僕は、見覚えのある川原にいた。懐かしいと同時に、胸が締めつけられるような切なさも湧き上がる。大好きな人と二人で、よく石集めをした思い出の場所。日の光を受けてちかちか瞬く川面も、天然の美しい色彩と艶を帯びた石も、当時のままだ。
僕は、足の裏から伝わるごつごつした感触を懐かしみながらぶらりと奥へ進む。するとどこからか、聞き覚えのある声が耳に届いた。声のする方へそっと歩みを進めると、そこにいたのは──
『泣くな、夏野。お前が駄目なわけじゃない。お前はよく頑張った』
『でも……二週続けて落ちちゃったよ。やっぱり僕は要らない子なんだ』
『何言ってんだ、バカ。いつかきっと、お前のよさを分かってくれる人が現れる。それよりほら、こんな石見つけたぞ』
『うわあ、すごい。ぴかぴかして、翠の線が入ってるよ』
『なんだ、もう泣き止んだのか。現金なヤツだな。でもそれでいい。夏野、お前の笑顔は人を幸せにする力があると俺は思う。これからも、その綺麗な笑顔を俺に見せてくれ』
そうだ、どうして忘れていたのだろう。僕がオーディションに落ちて泣くたびに、たか兄ちゃんは力強い言葉で励ましてくれたんだ。なのに僕は、自分は駄目な人間だという思い込みに囚われ、笑顔を捨ててしまった。
でも、もう大丈夫。たか兄ちゃんがいてくれれば、僕は笑っていられる。だからこれからもずっとずっと傍にいて──―
「ん、んっ……」
ゆるゆると目を開けた夏野は、ぽかんと天井を見上げた。目覚める寸前まで見ていた夢のせいか、耳の奥に川のせせらぎが残っている。
「……たか兄ちゃん」
夏野は天井を見上げたまま名前を呼んだ。しかし返事はない。布団の中を探るように伸ばした指先は、ひんやりしたシーツの波間を虚しく漂うばかり。かすかな温もりも感じられない。
夏野は慌てて起き上がった。するとソファに浅く腰かけ項垂れたまま、微動だにせぬ鷹志のシルエットが視界に入った。室内は薄暗かったが、遮光カーテンの隙間から細く射し込む光が朝の来訪を教えていた。
たか兄ちゃんおはようという挨拶が喉元まで出かかったが、夏野はためらった。気安く声を掛けるのが憚られるような張り詰めた空気が、鷹志の周囲を取り巻いているように思えたのだ。
「……夏野、起きたか」
先に声を掛けてきたのは鷹志の方だった。その声の暗さに驚きつつ、夏野は「うん、起きたよ」と答えた。そしてベッドから下りて傍へ行こうとしたが、それに先んじて鷹志が、室内に漂う曖昧な闇をそのまま反映したかのような声で続けた。
「ゆうべは悪かった。あんなことをして今さら謝罪もねえけど、とにかく謝らせてくれ」
なんで鷹志が謝るのか分からない。でも鷹志はこの上なく真剣で、その表情には悲愴感すらあった。夏野は首を傾げつつ、素直な疑問を口にする。
「どうして謝るの？」
「どうしてってお前、あんなことされて腹立たねえのかよ」
夏野は反射的に首を振った。それだけでは説明が足りないと分かっていたから、すぐに言葉を継ぐ。
「初めは怖くて痛かったけど、でもたか兄ちゃんにぎゅっとしてもらえてすごく嬉しかった」
夏野の返答に、鷹志はぽかんと口を開けた。こんな間抜けな表情をしてもたか兄ちゃんはかっこいいなあと、しみじみ感慨に耽る夏野。だがすぐ我に返り、もじもじしつつささやかな不満を伝えた。
「でも、もうちょっと優しくしてほしかったなあ、って」
言ってしまってから恥ずかしさが込み上げ、乙女よろしくぽっと頬を染める。すると鷹志は無言で立ち上がり、夏野のいるベッドに移動してきた。そして、薔薇色を通り越してりんご色に染まった頬を手のひらで優しく撫でる。
さっきまでの張り詰めた空気は消え、夏野ごと包み込むような甘い温もりがその身体から溢れていた。
どうやら行為そのものは嫌じゃなかったと伝わったようで、夏野はほっと安堵の息を漏らした。対して鷹志はわずかに眉を吊り上げ、
「でもな、お前も悪いんだぞ。俺より先に結城さんとキスするなんて」
夏野はぴんと背筋を伸ばし、何度も頭を下げた。
「ごめんなさい！ そ、そうだよね。僕なんかが結城先生とキスするなんておこがましいというか、身の程知らずというか、顔洗って出直してこいっていうか……」
「馬ぁ鹿！ そうじゃねえよ、ったく。ファーストキスを他の男に奪われたんだぞ。腹立たないはずねえだろ」
今いちぴんとこない夏野は、ぱたぱたと瞬きを繰り返してから、
「どうして腹が立つの？」
「どうしてって、お前が好きだからに決まってんだろ！」
雄々しい告白が室内にこだまする。それから一拍おいて、二人同時にぶわっと発火した。
「た、たか兄ちゃん、えと、す、すきって言うのはその、おんなへんに子供の“子”を書いた“好き”ということでいいの、かな」
「ああ、そうだよ！ そのおんなへんに子供の“子”を書いた“好き”で間違いねえよ！」
ほとんど自棄っぱちの態で答える鷹志を、夏野はのぼせた顔でぼぉっと見つめた。そして無意識のまま自分の頬をぎゅっとつねり、「痛い！」と声を上げる。
「ベタなことすんなあ、お前は」
苦笑混じりでそう言う鷹志に、夏野は勢いよく抱き着いた。
「僕もっ、僕も大好き！ 一番好き！」
「分かった分かった」
呆れたように受け流しつつも、背中を撫でてくれる手は限りなく優しい。この手はこれからもたくさんの女性を美しく変身させるだろうけど、こうして撫でて抱き締めるのは自分だけなのだ。そう思うと嬉しくて、夏野は顔を上げてふわりと笑った。
鷹志は瞬きも惜しいと言わんばかりにじっと見つめていたが、やがてゆっくりと顔を近づけてきた。
「ん、んっ……」
ゆうべの吐息ごと奪うような荒っぽいキスとは対照的な、甘い口づけ。唇の弾力性を楽しむようにふわんと押しつけ、舌先で唇の内側をとろりと舐めてくる。
夏野は少し躊躇したが、意を決してそろそろと舌を差し出した。すると舌先を軽く噛まれてから、ぬるんと吸い上げられた。
激しすぎずかといって弱くもない絶妙の力加減で与えられる舌への愛撫。次第に夏野の口は甘い唾液でいっぱいになったが、溜まってゆくのはそれだけではなかった。腰の奥で、疼きを伴う淫らな熱が徐々に膨れてゆくのが分かる。
「たか兄ちゃん、あの……あの、ね？」
執拗な愛撫から解放された舌が紡ぐ言葉は、ひどく甘ったれた響きをまとっていた。かといって、どこに力を入れたらきちんとした声になるのか分からない。夏野は仕方なく、そのままの声で続けた。
「たか兄ちゃんに……聞きたいことがあるんだけど」
「ん、なんだ？」
鷹志の形のよい唇は唾液に濡れて、官能的な艶を帯びていた。声も、熱っぽくかすれている。
これまでは意識することもなかったそういった細部に、なぜか身体が疼いてしまう。腰の奥、昨夜鷹志の楔が何度もこすり上げた場所が濡れるような感覚に身悶えしつつ、夏野は問いを発した。
「ゆうべのあれをしてほしい時は、何て言えばいいの、かな」
目を剥いたまま絶句する鷹志に、夏野は懸命に説明する。
「ゆうべ、たか兄ちゃんのが出たり入ったりしたところが勝手にうずうず動いてるみたいで、おまけにキスしたら熱くなってきちゃって、もうどうしようもなくて……」
これで分かってくれただろうかと見上げてみれば、鷹志はまだ硬直していた。この反応をどう解釈すればいいか分からない夏野は、ともかく言葉を続けた。鷹志の胸にそっと手を置いて、とろりと濡れた瞳で見上げ、
「おしりに……入れてくださいって言えばいいの？」
「お前っ……」
鷹志の喉仏が大きく上下するのが見えた。それから鷹志はがしがしと頭を掻き、
「これだから天然は手に負えねえ」
彼には珍しい覇気のない声でぼそっと呟いた。しかしすぐに、弱々しい呟きを払拭する不敵な笑みを浮かべ、
「言葉だけじゃ足りねえな。お前がしてほしいことを、身体で表してみろ」
「身体で、って……」
「あそこに入れてほしいんだろ？ でもその姿勢じゃできないぞ」
鷹志の言わんとすることは何となく分かったが、実行はまた別だった。昨夜は無理やりしたくせに、とほんのちょっと恨めしい気持ちになって見上げれば、「できないならいいぞ」と冷ややかにはねつけられた。
「できなく……ないもん」
夏野は羞恥と困惑を抑えつけて、まずは布団をはねのけた。それから、着ていた鷹志のシャツを脱いで裸身を晒す。
問題はこの後だ。昨夜は確か仰向けで足を広げたが、徐々に明度を増している室内で局部を晒すなんて正気ではとてもできない。そこで夏野は、窮余の一策。うつ伏せになって尻を少し持ち上げた。しかし、
「何だよそれ。まるで団子虫だぞ」
「ふぇぇ……」
夏野は仕方なく、背中を伸ばして尻をさらに持ち上げた。
「まだまだだな。膝を立てて脚を広げてみろ。胸は上げなくていい」
夏野は言われた通り、膝を立てて脚を広げた。するとクチュ、と秘めやかな音がして、かすかな熱を帯びたあの部分をひんやりとした外気が撫でた。
「なかなか……いいじゃねえか」
低く笑み含んだ声には、不穏な熱が感じられた。怖い、けれどどうしようもなく惹かれてしまう。夏野は自分が、鷹志の視線という檻に閉じ込められた幸せな生き餌になったような気持ちになった。
「夏野、これが何だか分かるか？ 一緒に泊まったホテルで、お前が全身に塗りたくったやつだ」
鷹志はそう言いながら、紫色のボトルの中身を手のひらに出した。それは透明のゼリーのようなどろりとした液体。確かに、夏野がボディソープと間違えて使ったものに似てる。
「これの本当の使い方を教えてやるよ」
その言葉の意味を考えるまでもなかった。無邪気な丸みを晒す尻の谷間に、ひんやりぬるぬるしたものが塗りつけられる。
未知の感覚に夏野は驚きの声を上げそうになったが、開いた口から出てきたのは「ああ…ん」というあえかな喘ぎだった。
「あっという間に指が吸い込まれたぞ。一本、二本……もう一本いけるか？ そら」
ゼリー状の液体をまとった鷹志の指が、夏野の秘部を内側から広げてゆく。圧迫感や異物感は昨夜の比ではないが、内壁を捏ねてとろかすような指の動きに、入り口の襞が慎みを忘れて淫らに収縮してしまう。
鷹志は「吸うように締めつけてくるぞ」と言いながら、今度はぷちゅぷちゅ音を立てて抜き差しを繰り返した。
「や、あ、あん！ それだめぇ……」
一定のリズムを保ったその動きは、昨夜夏野を狂わせたあの行為と、それが生み出す熱病のような快感を思い出させた。
腰が勝手に浮き上がり、下肢ははしたないほど悶える。中にいる指の太さや関節の形が分かるほど締めつければ、背後から低く押し殺した呻きが聞こえた。
「……っ！ くそ、指入れただけでイキそうだ」
鷹志は不甲斐ない己への不満をぶつけるように吐き捨てると、指を抜いて夏野の双丘に五指を沈め割り開いた。あの部分が物欲しげにひくつくのを抑えられず、夏野は羞恥からシーツに顔を押しつけた。次の瞬間、
「あっ！ ん…」
ぬるっとしたものが押し当てられ、入り口の襞をあやすように上下にこすられた。粘膜の密着から生まれた甘美な電流が、尾てい骨から背筋を通ってうなじまでぴりぴりと灼く。
夏野は「はぅ…ん」と鼻にかかる喘ぎをこぼし、背中をきゅんと反らせた。するとそれを合図にしたかのように、入り口と戯れていた熱い楔がぐっと侵入してきた。
「ん、あ、ああーーー……んっ！」
文字通り身体が開かれるような感覚に、全身の皮膚がざわっと粟立つ。早く異物を馴染ませるため、鷹志は腰を小さく揺すりながら奥を目指す。そのせいで中がうずうずとこすられ、夏野は快感と飢餓感に酔い惑った。
BACK TOP CrystalPrincess INDEX NEXT