遠き日の約束
「ひゃあっ」
暗い空がピカッと光ると、純は悲鳴を上げて飛び上がった。そして追い討ちをかけるように、ゴロゴロ……と不気味な音が聞こえてくる。
怪物のうなり声のような遠雷は、二人を恐怖に落とし込んだ。
しかし秀は何とか平気な振りをして「だいじょうぶ、まだ雷は遠くにいるからね」としっかりした声で言い置いて、隣で震える純を安心させた。
「とおくに……いるの？」
「そうだよ。えとね、近くにいる時は、空が光ってすぐゴロゴロいうんだ。それまでに少し時間があるってことは、まだ遠くにいるってこと」
「すごぉい、秀くんって物知りなんだねぇ」
真っ直ぐな賛辞が照れ臭くて、秀は「そんなの誰だって知ってるよ」とそっぽを向いた。
が、つい意地悪な対応をしてしまったと反省した秀は、おそるおそる純の顔を覗き込んだ。
すると純はにっこり笑って、
「でも僕知らなかったよ。やっぱり秀くんてすごいや」
秀の手をぎゅっと握った。その途端、お腹の奥からほわほわと温かいものが込み上げてきて、秀は素直に「ありがと」と答えた。
純と手を繋いでいると、嬉しくて楽しくて……そして少しどきどきする。
このどきどきが何なのか秀はよく分からなかったけれど、きっと大人になったら分かるんだろうなと、漠然と思っていた。
その時、再び空が光った。と思ったらすぐに雷鳴が轟いた。
さっきより大きくて、鳴るまでの間隔が狭くなっている。ということは―――
「秀くんっ、雷近付いてきてるよぉ」
「うん、急ごう」
二人は手を繋いだまま走り出した。
しかし灰色の空からぽつぽつと雨粒が落ちてくるまでに、そう時間は掛からなかった。
―――ど、どうしよう……
雨はまだ本降りではなかったが、どんよりと重苦しい空を見れば、これから激しくなるだろうとは子供でも分かる。
しかも、雷は間断なく襲い掛かって、耳をつんざくような雷鳴に空気はびりびりと震えた。
純は半ば恐慌状態で、涙を浮かべて「秀くん、雷こわいよぉ」とすがってくる。
秀も恐くて、どうしてよいか分からなかったが、頼りにされているという自覚が秀を奮い立たせた。
何としても純を守ってみせる。そのためには、こわいなんて言ってられないぞ、と。
秀は必死に考えた。ここから家まではまだまだ距離がある。我聞の通っている中学は近くだったが、彼に助けを求めるのは嫌だった。
「あっ、そうだ」
秀は純の手を強く引いた。そして、
「純、じんじゃに行こう」
「じんじゃ？」
秀は頷くと、ぐいぐいと手を引いて急いだ。純も黙ってついてくる。
やがて、鬱蒼と茂る木々の中に赤い鳥居が見えてきた。秀は鳥居をくぐって賽銭箱の裏側に回り、拝殿の扉をためらうことなく開けた。
「秀くん、ここ……」
「ここはね、神さまのおうちなんだ。だから神さまが守ってくれるよ」
「神さまって……イエス様？」
「違うよ。イエス様は世界を救うお方。じんじゃの神さまはね、この土地の守り神なんだ」
純は納得したらしく、瞳をきらきら輝かせて「じゃあ安心だね」と微笑む。
秀も微笑みを返して、拝殿の奥に進んでいった。そして隅に寄り添って腰を下ろす。
「純、寒くない？」
「ん、すこし……」
「ほら、もっとこっちへおいでよ」
もっと身体を密着させようともぞもぞ動いた時、外が明るくなった。とほぼ同時にドォーンと雷鳴が響いて、拝殿自体がバリバリと音をたてて震えた。
「きゃあっ」
「うわっ」
さすがの秀もたまらず声を上げる。しかし恐怖心は僅かだった。それよりも、悲鳴と共に抱き付いてきた純を守らねばという使命感の方が強かった。
胸にすがってカタカタ震える純。腕を回してその柔らかな身体を抱き締めてやると、震えが少し弱まった。
「純、僕がいるよ。ずっと傍にいる。だから雷なんかこわくないよ」
「うん…。こわくない。秀くんがいるからこわくないもん」
純は胸に押し付けていた顔をそっと上げて、秀の方を見上げた。その時、純の言葉を試すかのように雷鳴が轟いた。
しかし純は悲鳴を上げず、ぎゅっと目をつぶって耐えた。すると唇に温かいものが触れた。目を開けて確かめなくても分かる。ついこの前、公園でしたばかりだったから、唇が感触を覚えていたのだ。
「おまじないだよ。えとね、雷がこわくなくなるおまじない」
秀の言葉に頷いて、純は唇を突き出し、
「もいっかい、おまじないして」
秀は「うん」と嬉しそうに言って再び唇を付けた。純の唇はふわふわして、あったかくて、そして仄かにいちごの香りがした。さっき食べたストロベリーシャーベットの余韻。
そうして二人は、雷が去ってしまうまでずっと唇を合わせていた。
「うわあ、青空だあ」
神社から出ると、灰色の雲の隙間から真っ青な空が覗いていた。雨に洗われた空気は透明感に溢れ、そこかしこできらきら輝いている。
「ね、純。もしこれから外で雷に遭ったら、ここに来るんだよ。そしたら僕がぜったい助けに行ってあげるからね」
「うんっ」
嬉しそうに微笑む純。秀はその手を取って、家に向かって歩き出した。
この約束は、それから１２年後に果たされることになるのだ―――
（Fin）
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