挑む月
炊事、洗濯、掃除、裁縫――いわゆる家事一般をほぼ完璧にこなすことのできる游月だったが、たったひとつ、苦手なことがあった。
それはお菓子作り。何度か試みたことはあるのだが、メレンゲがふんわり立たなかったり砂糖を焦がしてしまったり、ともかくまともなものが出来上がった試しがない。
お菓子作りは透麻の得意分野だったから、いつも傍にぴったりくっついて助手として働きつつ、その手際を観察しては、いつか自分もふんわりスフレケーキやサクサクアップルパイを作るんだと密かに決意を固めていたのだ。
そしてついに、その決意を実行に移す時が訪れた。游月は一人キッチンで、用意した材料や器具を前に気合いを入れる。
「よしっ。やるぞ」
そしておもむろに、薄力粉をボウルへさらさらと流し込んだ。
游月が苦手なお菓子作りに挑戦しようとしているのには、それなりの理由があった。仕事上のストレスで疲労気味の透麻を、甘いお菓子で癒してあげたかったのだ。
透麻は現在、連載もの二本と書き下ろし長篇を抱えていた。と同時に『ヨーロッパ幻想文学叢書』の監修、解説も引き受け、多忙を極めていたのだ。しかもいい加減な編集者が多く、苛立つことも多かった。
もちろん、そのせいで游月に当たるようなことはない。ごくたまに、ちょっとした愚痴を冗談混じりに漏らす程度。だからこそ游月は、そんな透麻に何かしてあげたかった。
仕事の面で、自分が何も助けてあげられないことは分かっている。もっと大いに愚痴って発散していいよと言ったところで、己に厳しい透麻はそんな甘えた行為を自分に許さないだろう。
「だから、せめて甘いお菓子で………」
そう、手作りお菓子で疲れを癒し、尖った心を優しく慰撫してあげたかった。
いつだったか、仕事ばかりで構ってくれないと拗ねる游月に、透麻は何も言わずシフォンケーキを作ってくれたことがあった。その優しい甘さととろける舌触りに溢れた透麻の愛情に、ささくれ立っていた心がしっとりと潤うのを感じたのだった。
だから今度は同じことを自分がしてあげるんだ。クリームを泡立てる手にも自然と力が入る游月だった。
ちなみに、今游月が作ろうとしているのはシンプルなショートケーキ。が、イチゴの代わりにマンゴーを使ってみることにした。
焼き上がったスポンジケーキを切り分け、間に生クリームを塗って小さく切ったマンゴーを挟む。さらに全体にクリームを塗ってマンゴーと生クリームを飾るのだ。
想像しただけで舌が蕩けそうになってしまう。きっと透麻も目を丸くして驚き、そして游月の腕前に感心するに違いない。
『ああ、マンゴーのショートケーキなんて思い付きもしませんでしたよ。さすがは游月ですね。しかも、素晴らしい出来映えだ』
『そんな……透麻さんの作ってくれるお菓子に比べたら、まだまだです……』
『いやいや。まだお菓子作りを始めて間もないのに、ここまでできれば大したものです。感心しました』
『ほんと？ そんなに褒められたら僕、嬉しくて……』
『ほらほら、赤くなってないで一緒に食べましょう。それとも、游月が食べさせてくれるのかな？』
『もぉ、透麻さんてば……。はい、あ〜〜ん……』
「―――なぁんて。えへへ……」
クリームを泡立てながら、甘い甘い妄想を巡らす游月。しかしその妄想も、もうすぐ実現するのだ。そうして全てが順調に進んでいる……はずだった。が―――
「な、なんで……どしてぇ……」
ミトンの鍋掴みを嵌めて意気揚々とオーブンを開け、焼き上がったスポンジケーキを取り出したが、出てきたのは狐色にこんがり……つぶれて真ん中が豪快に凹んだケーキらしき物体。
でも、もしかしたら何とか原形だけは留めているかもしれないと、半ば祈る気持ちで型をひっくり返してみた。しかし型から抜け落ちるとすぐにへにゃへにゃと崩れ、余計に何だか分からなくなってしまった。
游月は暫し呆然と見つめていたが、喉の奥から熱い塊がこみ上げてくるのを感じると、それを抑え込もうと身体を強張らせた。
泣いてる暇なんかない、何とかもう一度チャレンジして―――
「游月？ ここにいたのですか。明日の午後なのですが、打ち合わせが入って……」
キッチンの扉を開けて、透麻が入ってきた。游月は咄嗟につぶれたケーキの上にがばと覆いかぶさって隠す。
「ゆ、游月？ どうしたのですか。何が―――」
「何でもないですっ。お話は後で聞きますから、出ていってください！」
しかし透麻はゆっくりと近付き、頑なに強張った背中を優しく撫でる。
「そんな、淋しいこと言わないで。ほら、こちらを向いてください。ね？」
身体ごと包み込むような囁きに、游月の背中もゆるゆるとほぐれてゆく。やがてゆっくりと起き上がりはしたものの、背中を向けたまま、叱責を待つ子供のように項垂れる。
「游月、これは……」
「ケーキですっ。つぶれて、ぐしゃぐしゃで、何がなんだか分からないけど、でも一応ケーキのつもりなんですっ……ぅ、ぅぇ、ぇっ………」
震える肩を大きな手のひらで包み込んで、
「もしかして、私のために……？」
游月はコクンと頷いて目尻をこすり、
「いっぱいお仕事抱えて疲れてる透麻さんに、甘くて美味しいケーキを、って。でも……やっぱりだめだった。透麻さんはあんなに上手なのに、僕は………」
游月の悪い癖で、ひとつのことに失敗するとそのままネガティブな方へ思考がどんどん流れてしまうのだ。
僕なんか、お菓子作りだけじゃなくてアイロンがけも下手くそだし、ひどい方向音痴だし、ていうか普通に音痴だし、鼻は小さくてぺしゃっとしてるし、唇はぷっくりしてるし……
「も……やだ………」
ぺしゃんこにつぶれたケーキ、綺麗に泡立てられたクリーム、小さくカットされたマンゴーが並ぶ作業台の前で、游月は耳まで真っ赤にして震えるばかり。すると透麻は、その背中をぎゅぅっと抱き締めた。游月は温もりによろめきそうになる自分を律して、
「気持ちだけで十分だ、なんて言わないでください。時には、気持ちをちゃんと形で表すことだって必要なんです。なのに僕はそれができず―――」
すると透麻は後ろからぬっと手を伸ばしてつぶれたケーキの端を少し千切り、口の中へ入れた。游月は慌てて、
「だ、だめっ。こんなの食べたらお腹を壊してしまいます」
しかし透麻はゆっくり味わって呑み込み、
「うん、甘さもちょうどいいし、とても美味しいです。きっと、焼き加減をちょっと誤ってしまったのでしょう。次は成功すると思いますよ」
たとえ游月を慰めるためでも、透麻がこういう嘘を言わないことは分かっていた。もしまずかったら、○○が少し足りないみたいですねと、きちんとアドバイスしてくれる。
嘘をついて慰めたら、また同じ失敗を繰り返すことになってしまうからだ。大事な人だからこそ、適当な慰めでお茶を濁すようなことはしない。
「透麻さん……」
「また、私のために作ってくれますか？」
游月は何度も頷いて、くすんと鼻をすすり上げた。透麻は嬉しそうに目を細めてその耳や頬、首筋についばむようなキスを繰り返す。
「ここにいたら……何だか甘いものが食べたくなってきました」
「んっ……でも、ケーキはぺしゃんこだもの……他に買い置きのお菓子は……」
透麻はくんくんと鼻をひくつかせて、
「おや？ 游月はずいぶん甘い匂いがしますね。しかもシフォンケーキのようにふわふわで、しっとりして……」
ねばつく声で囁きながら、游月の素肌に舌を這わせ、所々きつく吸い上げる。游月はいやいやと首を振りながらも、拘束から逃れようとはしなかった。
「うん、やっぱり思った通り。ここに最高級のスイーツがありました」
透麻は音をたてて首筋に紅い花を散らしながら、前に手を回して游月の股間を寛げた。そしてそのまま下着ごとずり下ろして脱がせ、下半身だけ生まれたままの姿にした。
游月は小さな悲鳴を上げたものの、やはり逃げようとはせず、ミトンを嵌めたままの手で作業台に掴まっていた。
しかし透麻がエプロンの上から游月のペニスを掴んでくにゅくにゅ揉み始めると、さすがに羞恥が勝ってきてしまい、本気で抵抗を示した。
「んっ……やっ…だぁ………エプロンが汚れ―――」
「もう遅いですよ、ほら……」
エプロンの下で秘めやかに存在を誇示する游月のものを片手で握り、もう一方で先端を布越しに撫でる。すると悩ましげに腰が揺れ、透明の液体がじんわり染み出してきた。
透麻がさらに指の腹を押し付けてぷちゅぷちゅ潰すと、熱い蜜がじゅわっと溢れてエプロンに大きな染みを作った。
「ああ、すごい…。游月の恥ずかしい割れ目がくっきり透けて見えてきました」
その言葉通り、ほんのり桜色のちっちゃな割れ目がひくひく喘いでいるのが、濡れた布の下から透けて見える。透麻は逞しい喉仏を上下させて、掠れた声で伺いを立てた。
「甘い甘い游月の身体。頂いてもいいですか？」
キッチンで交わるのはこれが初めてではなかったけれど、やはり羞恥心は拭えない。それでも透麻の求めに応えたい欲求の方が強かったから、頷く代わりにお尻をくいっと突き出した。
そんな游月の控え目な媚態を愛しさと共に噛み締めつつ、透麻はボウルに入ったままの生クリームを指ですくった。そしてためらうことなく游月の蕾にたっぷり塗り付け、そのまま指をぬぷぬぷと呑み込ませてゆく。
突然の異物侵入に驚いたのかそれとも条件反射なのか、蜜壺がきゅぅっと収縮する。すると融けた生クリームが白い液体となって、花びらの隙間からじわじわと垂れてきた。
「あっ、あン……やだ、やだぁ………」
内股をとろとろと伝う感触に、游月は身悶えしつつ嫌悪を示す。つい先刻自分が泡立てた生クリームがこんなことに……
「游月、じっとして。すぐ気持ちよくしてあげますから」
透麻はせかせかと言い置いて、游月の中を掻き回し始めた。まるで、クリームを内壁全体に馴染ませるかのように。
いつもより微妙に荒っぽい透麻の指先が敏感な膨らみを抉るたびに、游月は鼻にかかった嬌声を漏らして剥き出しの太ももをぶるぶる震わせた。
「そろそろ食べごろですね……」
透麻は自分に言い聞かせるようにそう言うと、ジッパーをギシギシいわせながら張り詰めた前を解放した。下着の奥から汁を飛ばしつつ跳ね出てきた自身を掴み、クリームに塗れてくちゅくちゅ喘ぐ游月の潤みにすかさず宛がう。
「ああ……なんて甘い。舌が蕩けそうです……」
うっとりと呟きながら少しずつ沈み込ませ、透麻曰く“最高級のスイーツ”を存分に味わったのだった。
ちなみに游月の失敗作だが、透麻の手で見事に蘇った。
まず潰れたスポンジケーキを細かく砕いて型に敷き詰め、その中にマンゴー入りのババロア生地を流し込む。それを冷蔵庫で固めて型から出し、生クリームを塗りマンゴーを飾って出来上がり。
「うわぁ……透麻さんすごい、すごぉい……」
瞳を輝かせ、頬を赤く染めてマンゴーババロアに見入る游月。透麻はふわりと笑って、
「私一人の作ではありません。游月と二人で作ったものです。ほら、早速味見をどうぞ。游月、あ〜んして」
「あ〜〜ん」
スプーンごとぱく、と食べ、「おいし〜い」とじたばたする。游月の妄想とはちょっと逆になってしまったけれど、まあ実現したといえるかもしれない。透麻はさらにもうひと口すくって口許へ運んでやり、
「ね、今度ケーキを作る時には、生クリームを少し余分に用意しておいてくださいね」
「ほえ？ なんで？」
不思議そうに訊き返してから、透麻の真意にはたと気付いた。游月は顔を真っ赤にして、
「透麻さんの変態！ も、ぜっったいにケーキなんて作ってあげない！」
「じゃあ、生クリームだけでもいいですから」
「もぅっ、ばかぁ」
生クリームも、ババロアも、妄想も敵わないほどの、甘い甘い二人の日常。
（Fin）
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