再会、そして訣別
十年ぶりに訪れたその宿は、以前と変わらぬ静寂を湛えていた。外の世界と隔絶された時間の滞留が感じられるが、決して淀んではおらず、寧ろ森厳と澄んでいた。
「ああ……懐かしい……」
純はほぅっと深呼吸すると、十年分の感慨を込めて呟く。本当に、あの時訪れた時のまま。畳の清々しい匂いも、部屋から見える中庭の景色も、鼓膜を優しく慰撫する木々のざわめきも。
あらゆる感覚に刻まれた記憶がゆっくりと融け出し、純の身体に浸透していった。
「十年ぶりか……懐かしいな」
いつの間にか、尭村が隣に立って純と同じく中庭を眺めていた。二人の視線の先にあるのは―――
「やっぱり、まだあったな。『心中桜』」
「うん……」
十年前、二人がまだ高校生だった頃、同じ宿の同じ離れに宿泊し、『心中桜』に出遭った。
この宿がある場所は、嘗ては美少年に色を売らせていた男色楼で、その最盛期に最も人気のあった桜姫という娼姫と、若く美しい公爵が恋仲になった。
しかし二人の恋は実らず、思い通りにならぬ浮世を儚んで心中を遂げた。二人の遺体はこの庭に埋められ、墓碑代わりに桜の樹が植えられたという。それがこの『心中桜』の由来だった。
もし、この因縁話が人づてに聞いただけのものだったら、尭村も純も話半分で聞き流せただろう。しかし、桜姫と公爵の出逢いから心中に到るまでの全てを、尭村と純は夢の中で追体験した。
そう、夢の中では公爵が尭村で、桜姫は純だった。二人が感じた悦び、情熱、哀しみ、嘆き、絶望を、尭村と純はそのまま自分のものとして味わったのだ。
その夢は強烈な印象を二人の脳裏に刻み込んだ。敢えて言葉にすることはなかったが、身を焦がすほどの情熱をもって互いを求め合う二人の姿に、自分たちを重ね合わせずにはいられなかったのだ。
もちろん、非現実的な空想に過ぎないと分かってはいたのだが。
「ずっと怖かった。この宿を訪れるのが……」
桜の樹に視線を据えたまま、純がぽつりと本音を漏らした。するとそれに応えるように、満開という狂気じみた生の横溢をまとった枝が、ざわりと鳴った。
「僕たちは、あの夢に見た二人の生まれ変わりではないかと、そして同じ末路を辿ることになるのではないかと」
尭村は何も言わず、真直ぐ前を見据えたまま純の独白に耳を傾ける。
「下らない妄想だと自分でも思う。でもここに来て、繚乱と咲く心中桜を目の前にしたらきっと、桜によって増幅された妄想の力に引きずられ、呑み込まれてしまうような気がして……」
喉の奥に凝る熱を吐き出すように、純はふぅっと深く息をつき、
「でもやっと、こうして来ることができた。十年も掛かっちゃったけどね」
そう言って、くすっと笑う。尭村もつられて唇を緩め、
「今夜また同じ夢を見たら、二人で結末を変えてやろうぜ」
「どんな風に？」
「決まってるだろ。お前を奪おうとする男はスキャンダルでもでっち上げて失脚させ、お前は俺と一緒になって幸せに暮らす。めでたしめでたしだな」
「そううまくいくかな。相手は夢だよ」
どこか楽しげに疑念を呈する純に、尭村は不敵な笑みを向け、
「夢だろうが何だろうが関係ねえよ。お前、俺を誰だと思ってる」
「はいはい。天下無敵の俺様だもんね。成仁なら夢でも幻覚でもねじ伏せそう」
純は軽やかにそう言って、そっと腕を絡めた。
日が落ちてから二人でのんびり風呂に浸かり、浴衣姿で夕餉の膳を楽しんだ。隣の部屋にはすでに床が整えてある。
しかしさすがに欲望ぎらつく十代とは違い、すぐさま寝処には直行しない。緩やかに流れる春の夜にゆるりと身を浸し、無為の時を愉しむ余裕があった。
純は尭村の隣に足を崩してぴったり寄り添い、空になった盃に酒を注ぐ。そして繊細な白磁の盃に触れる形のよい唇や、精悍な喉仏が雄々しく上下するさまをうっとりと見上げた。
すると尭村は銚子を取り、純の前にある空の盃に注ぎ、
「ほら、お前も飲めよ」
「は、はい。じゃあいただきます……」
一気に流し込むことはせず、ちびりちびりと味わう純を、尭村は目を細めて見つめる。ようやく飲み干した純は神妙に頷いて、
「うん、まろやかで美味しいね」
尭村は「ほほう」とうなり、
「大人のコメントだな。酒にもずいぶん強くなったな」
と言いつつ、純の頭をわしわしと撫でる。言葉とは裏腹に微妙に子供扱いされた純はぷくっと膨れ、
「そりゃあ、いっつも晩酌のお付き合いをさせられてるから。嫌でも強くなります」
尭村はほんのり赤らんだ丸い頬を手のひらで撫で、
「嫌、なのか？ ん？」
「え、え？ あ、別に……嫌じゃないけど……」
純はもごもご呟きつつ、尭村のはだけた胸に顔を押し付けた。アルコールの作用なのか、硬く締まった胸はいつもより熱く、肌は微かに汗ばんでいた。
鎧のごとく強靱な肉体に息づく湿った官能は、純の五感を静かに高ぶらせる。煽られるまま唇を這わせ、指先で愛撫する。そんな純の淫らがましい姿を尭村は平然と見下ろしていたが、やがて純のうなじに手を滑り込ませ、さらに浴衣の衿をぐいと引いて肩から背中を露わにした。
純は微かに身じろいで、睫毛の奥から潤んだ瞳を覗かせる。乱された浴衣、悩ましげな曲線を描く背中、官能にけぶる瞳、たちのぼる素肌の甘い香り。それらを丹念に反芻した尭村は、ごくりと野卑な音を立てて喉を鳴らした。それが、合図だった。
「隣の部屋……行くか？」
尭村の含蓄ある問いに純はしっとりと頷き、両腕を回してきゅっとしがみついた。
中庭との間を隔てるガラス戸も障子も開け放たれ、春独特の火照りを含んだ夜気が寝処に流れ込んでくる。中庭では例の心中桜が闇を圧倒するように枝を広げ、室内で繰り広げられている痴態を静かに眺めていた。
風が通るたびに木々の枝がざわざわ鳴るのは昼間も同じはずなのに、月光に浸された夜には、それがまるで木々の密談に聞こえる。人間の感覚とは、斯くも胡乱なものなのだ。
そんな神秘のささめきに混じって、じゅる、ぬちゅ、と粘液が弾ける音が室内を満たす。それは純という淫花から滴る蜜を、尭村が味わい、咀嚼している音。
足を大きく開かせ、露わになった絖のような内股に顔をうずめ、一途に勃ち上がった花茎からとろりとろりと伝い滴る雫を丁寧に舐め尽くす。
蜜が絶えることはなく、狭い花筒にずっぷりと埋め込んだ指を上下左右に揺らして柔肉を捏ねてやるだけで、新たな蜜珠が面白いように溢れ尭村の舌を潤した。
「成仁……おねがい、も…う………」
尭村の命令に従順に足を広げ、熟した秘部を与えていた純はすすり泣きとともに懇願する。腰の芯に溜まった不穏な熱が、媚薬めいた疼きを全身に行き渡らせていた。
早く決定的な快楽の淵に、七色に輝く闇に引きずり込んで欲しい。そんな灼け付くような欲望が、この切ない懇願には込められていたのだ。
尭村は生き餌を嬲るのに飽きた獣のようにのそりと起き上がった。そして尚も愛液を溢れさせる純の尖端を口に含んで強めに吸い上げると、「きゃんっ」と仔犬めいた悲鳴とともに純の腰が揺れた。
尭村は舌を閃かせて唇に付着した残滓を舐め、
「挿れて欲しかったら、自分で濡らせ。ほら、」
そう言って、木々の甘い吐息を含んだ春夜を傲然と貫く勢いで勃起した自身を、純の眼前にちらつかせた。
わざわざ濡らすまでもなく、それは濃厚な分泌液に覆われ膜が張ったようにぬらりとした光沢を見せていたのだが、純はこくんと頷いて両手でそっと掴み、かすかに突き出した唇に尖端を押し当てた。
「くッ……」
柔らかくしっとりとした感触に包まれ、尭村の血流がさらに速まる。股間のものは限界を超えて張り詰め、周囲を取り巻く血管がさらにむっくりと浮き上がった。
「んっ……んぅ、ふ…ぅン………」
愛らしい鼻息を漏らしながら、いずれ自分を泣かせることになる憎らしい凶器を頬張って、一途に吸い上げる純。そうしながらも片手は己の股間に伸ばし、さらにその奥、さっきまで尭村の指で掻き回されていた蜜壺に指を突き入れて自ら蕩かす。
一見慎みに欠ける振る舞いも、純がやるとこれ以上ないほど強力な媚態となる。尭村は熱っぽく荒れた声で「挿れるぞ」と宣告して純の膝を抱え上げ、とろりと綻んだ花の蕊に赤銅色の塊をゆっくりめり込ませていった。
「ああ………いい、溶け……る………」
身体の下で複雑に波打つ浴衣を掴み、純は最も敏感で最も貪欲な部分が犯され、広げられる快感を謳った。
尭村はほぼ垂直の角度で、容赦なくずぶずぶと打ち込む。時には大きく張り出した部分をわざと入口に引っ掛け、薄い粘膜を引きずり出す。次の瞬間、勢いよく腰を落とすと、引きずり出した膜がもつれ合って陰茎に絡み、きゅっきゅっと締め付けた。
尭村は下半身ごと持っていかれそうになりながらも、鳩尾に力を込めて雄々しい注挿を続ける。
「んっ、あっ、ん……」
純は舌もとろけるほどの甘い喘ぎをこぼし、宙に浮いた脚を快楽の浅瀬で戯れるようにひくひく揺らしながら、尭村が与える愉悦の中を恍惚と彷徨った。
尭村がずん、と腰を落とすたびに、快感の微粒子が血流に乗って全身を巡る。指先や爪先はもちろん、胸を飾る淡い突起にまで伝播し、ぷっくり勃ち上がってふるんふるんと揺れた。
「こんな所までよがってるぞ」
尭村は視界に屹立する赤い実を指で挟み、芯を捏ねるようにしてぎゅっと潰した。するとそれはさらに硬くしこり、血を凝結させたルビーのように赤くなった。
「やッ、やめて……成仁ぉ………」
涙を振りまいて哀願する純を、尭村は冷笑とともに見下ろし、
「気持ちいいんだろ？ アソコの締め付けが尋常じゃねえ」
欲望と諧謔に濁った声で囁きながら、乳輪ごとつまみ上げて揉みしだく。純は苦痛の悲鳴を上げながらも、痛みの彼方から這い寄る被虐の快楽を確かに感じていた。
ほとんど無意識のうちに腰を振って、ずっぷり突き刺さった陵辱の楔をさらに深く、もっと奥へと誘う。
尭村は満足げに唇を舐めると、今にも弾けそうに膨れ上がった乳首から手を離して、足を抱え直した。そして最奥部に己の形と熱を刻むため、ぎりぎりと股間を押し付けた。
「ああッ、いい、いいっ……」
感極まった悲鳴を上げ、反り返った爪先で青い闇を蹴る純。その時、官能の高まりに呼応するかのように、心中桜が騒ぎ出した。ざわりざわりと枝を鳴らし、抑えきれぬ情欲に狂い出す。
「あっ、あ、んっ…………あああッ」
純が下肢を悶えるように波打たせて艶めく放出を遂げると同時に、桜の枝も乳白色の花びらを吹き上げた。それは月光を受けて霊妙な光沢を放ちつつ、二人の床までひらりひらりと飛来した。
「あふ……ぅ……ン………」
純は圧倒的な射精の快感を反芻しつつ、さらなる悦びである注入される快感にも酔い惑う。
下腹部を占領する異物が刻む雄々しい律動は、純にとってもうひとつの心臓にも等しいほど大切で、愛しいものだった。もちろん、身体の内部にじわじわと広がる熱流も。それら情交がもたらす甘美な余韻に微睡んでいた純は、眼前にちらちら閃くものに気付いた。
「あ、花びら……きれい……」
官能の涙で霞む視界を桜の雪が舞う。それは予測不可能の気紛れさを見せつつ、緩やかに上下する純の胸に舞い降りた。あるものは肌に同化するように貼り付き、あるものは肌の上で軽やかに旋回する。
純の中を己の精で満たすことに専念していた尭村は、ひと通り出し切ったのか僅かに肩を落とし、そのうちの一枚を手に取った。そしてふっと息を吹きかけて飛ばし、
「お前の花びらの方がずっと綺麗だ」
「僕、の……？」
「ああ。ほら、」
尭村は返答とともに純の腰を高く持ち上げてみせた。まだ繋がったままの陰部はこれ以上ないほど生々しい質感をもって、純の視界を淫らに染め上げた。
純は咄嗟に顔を背けたが、尭村は構わず指先を這わせ、
「ほら、見ろよ。綺麗なだけじゃなく、健気だろ。イッた後もまだ俺を離すまいと締め付けてくるんだぜ」
そう言って、太い楔によって限界を超えて広げられた粘膜の花をぬるぬると愛撫する。純は顔を背けたまま、甘えた仕草で首を振る。
「いッ、いやあ……成仁、それやめてぇ………」
しかし拒絶の言葉とは裏腹に、絶頂を味わった直後のそこは敏感で、痛ましいほどの悶えを見せた。くにゅくにゅと蠢いて、尭村の目を悦ばせる。
「ああ……最高だ、この花は……」
尭村は熱を帯びた本音を呟きつつ、桜より淫らで桜より甘い蜜を湛えた濡れ花を、さらに執拗に咲かせた。
「ああ……花びらがこんなにたくさん………」
時の経過も忘れて何度も愛し合い、熱い精を捧げ合っているうちに、気が付けば床の周囲に花びらが積もっていた。ちょっと身体を動かすたびに、無数の花弁が舞い上がり乱れ躍る。
それは美しいと同時に、どこか皮膚が粟立つような異界の情緒を湛えていた。
「桜の寝床か。なかなか風情があるじゃねえか」
「もお。成仁ってば……」
尭村の暢気な感慨に呆れつつも、深く安堵する自分がいる。心中桜のまき散らす情念に囲まれて眠るのに少なからず不安を覚えていたのだが、この人と一緒なら大丈夫。純はそう自分に言い聞かせ、開け放しの戸を閉めようと身体を起こした。その時、
「あ………」
桜の樹の前に、青白い人影が二つ。純に向かってゆらり、ゆらりと手招きしている。
さあ、一緒に参りましょう。別離の哀しみも苦しみもない永遠の世界へ―――
―――いいえ、僕はそちらへは行きません
純はそっと目を閉じ、唇を動かさず答えた。
「……純、どうした？」
尭村の問いを受けて目を開けると、人影は滅えていた。純はふわりと微笑んで「何でもないよ」と答えると、障子をぴったり閉めて尭村の腕の中に戻ったのだった。
＜終＞
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