HAPPY?

「ほら、これで全部だ」
「わーい。ありがとうございます♪」

テーブルの上にどさどさと分厚いアルバムを置いて、尭村はソファに腰を下ろした。そしてむすっとした仏頂面のままそっぽを向く。

それとは対照的に純は、嬉しさと好奇心を隠しきれないわくわく顔でその中の一冊に手を伸ばした。

尭村は、純にばれないように溜め息をつく。
そもそも、誰が悪いのかと言えばもちろん自分に非があるわけで、文句の付けようもない。

マラソン大会の前日に、嫌がる純を拉致って無理やり部屋に連れ込み、欲望の赴くまま激しい行為に没頭した。そのせいで脚はがくがく、腰はふらふら。

「一生懸命練習してきたのにっ」という涙目での抗議には「悪かった」と謝るしかなく、心の中ではお前が可愛すぎるからいけねえんだ、とぼやきつつも、お詫びに何でも言うことをきくから、と宥めたのだった。

しかし尭村も狡賢いというかせこいというか、こう言えば純は困って結局うやむやになると踏んでいたフシもある。

相手に何かを要求するのは、純の最も苦手とすること。

だから何でも言うことをきいてやると言えば、ぷっくり膨れた挙句「もういいです…」と許してくれるだろうと思っていたのだ。
が、甘かった。

純はうんうんうなって考えた挙句、ぱっと顔を輝かせたと思ったら、「尭村さんの小さい頃の写真が見たいです」と言った。

思わずうっ、と詰まる尭村。しかし今さら前言撤回もできず、渋々額賀に昔の写真を探すよう頼んだのだった。

「えと……順番はどうなってるのかなあ………」
「知るかよ。適当に見ていけばいいじゃねえか」
「そうですねっ」

純は一番上のアルバムを膝の上に乗せて、めくり始めた。と同時に「うわぁ、可愛いっ」という、尭村が最も恐れていた感想を嬉々として叫んだ。

見たくはないが、やはり気にはなる。おそるおそる覗き込んでみると―――

「ああ、これか」

ベビーベッドに寝ている雪仁に、ミルクを飲ませている写真。哺乳瓶を持って、不機嫌な顔でこちらを睨んでいる。

「そんな昔の写真じゃねえな。俺が中学一年かそこらの時だ」
「尭村さん、雪仁くんのお守りをしていたんですねえ。えらーい」
「この顔を見ろよ。思いっ切り嫌そうに睨んでるだろ。朱音に無理やり子守りさせられたんだよ」

その時のやり取りを想像したのか、純は愉快そうに「ふふ、」と笑って肩を竦めた。そしてページをめくる。

「尭村さんてば、どれもみんな不貞腐れた顔でこっちを睨んでますねー」
「親父の遺伝か何か知らねえけど、写真が嫌いなんだよ」
「そういえば、尭村先生と一緒に写ってるのって一枚もないですね…………あ、」

純は思わず手を止めた。薔子と二人で写っている写真。尭村は相変わらずそっぽを向いているが、薔子は嬉しそうに頬を染めて笑っている。

「薔子さん……きれい…………」
「お前の方がずっと綺麗だ」

僅かな間もおかず言葉を返す尭村。しかし純は淡い笑みを返して黙り込む。薔子の表情には、心から愛している人の傍にいるという幸せが滲み出ていた。それが彼女に、至純の輝きを与えているのだ。

純は黙したまま暫し眺めていたが、やがてアルバムを閉じてもう一冊の方に手を伸ばした。そこには、３歳くらいだろうか、まだ幼い尭村の屈託のない笑顔が溢れていた。

「ああ……やっぱり雪仁くんに似てる……可愛い。ぎゅっとしたいなあ」
「いつでもどうぞ」

そう言って両腕を広げる尭村をじろりと睨んで、

「あーあ、この可愛い成仁くんは、えっちなこととかしないんだろうなあ」

そしてアルバムをぎゅっと抱き締める。チッと明らさまな舌打ちが聞こえてきたが無視して、次々と現れる可愛い成仁くんにうっとりと見入った。
そして―――

「あ、これは……」
「ああ、俺の母親だ」

尭村を抱っこして、その丸い頬に自分の頬をぴったりくっ付けて微笑んでいる。外見は儚げで少女のようだが、芯の強さを感じさせる女性だった。

しかし写真にはもう一人写っていた。顔は切れてしまって入っていないが、二人の後ろに立って腕を広げ、包み込むようにして肩を抱いている。

「この……後ろに立ってるのって尭村先生………？」
「ん？　ああ、そうだな。本当に写真嫌いなんだよ、あいつは。写真は人間の記憶力と想像力の敵だ、なんつってるけど、実は照れ臭いだけなんだぜ」

純はじっと写真を見つめた。貴仁の表情は判らないけれど、二人を守るように広げられた優しい腕だけで、家族への想いが伝わってくる。純はこの時ほど、尭村が羨ましいと思ったことはなかった。

「純っ？　どうしたんだ、お前―――」

涙の雫がぽつぽつと写真の上に落ちた。純は慌ててそれを拭ったが、これ以上アルバムを汚してはいけないと思って閉じてしまった。

「尭村さんは……色んな人に愛されているのですね………」

純には分かっていた。これが普通なのだ。母の写真も幼い頃の写真もない自分が異常なのだと。

「んっ、く……ぅ、ぅっ…………ぇっ…………」

声を上げまいと必死に堪えつつ泣きじゃくる純の肩を、温かいものがふわりと包んだ。

「純、こんなものは過去の遺物だ。惑わされるな。ここには何もない」

尭村は、腕の中で震える肩をさらに強く抱き締めて、

「重要なのは、今、この瞬間にお前が幸せかどうか、愛されているかどうかだ。純、お前は幸せか？　愛されているか？」

純はゆっくり顔を上げて尭村を見つめ、

「はい、幸せです。愛されています、あなたに……」

優しい輝きで潤った黒瞳に映る自分の像に、純は頷きを返した。

「それなら何の問題もない。純、俺達に写真は必要ない。幸せや愛情は、そんなものに押し込めて後で確認するものじゃねえからな」

いつの間にか、純の涙は止まっていた。うっとりと目を閉じて、

「唇を重ねた時の悦びや気持ちよさは、“今”しか味わえない………でしょう？」

尭村は「その通りだ」と答えて、愛しい唇をそっと塞いだ。
（Fin）

小部屋へ戻る　　　　　　TOP　　　　　　INDEX