ハロウィンの情景

（その1・Sweet Halloween）


呼び鈴に応えて渋々ながら玄関の扉を開けると、そこにドラキュラ伯爵がいた。

「よお、透麻！　Happy Halloween！」
「………間に合ってます」

扉を閉められそうになったが、すかさず間に足を挟んで阻止した。これでは怪しい物売りか勧誘である。

しかしさすらいのドラキュラ伯爵は気にした風もなく、にこにこ笑いながら「とりっくおあとりーと！」と元気よく叫んだ。

「やめてください。隣近所に迷惑です」

透麻は仕方なく閉めかけた扉を開けて、ふかーい溜息をついた。

「二階堂……あなた歳は幾つですか？」
「あん？　ピッチピチの２９歳だぜ」
「ピッチピチの２９歳が、一人で何をしているのですか」

ドラキュラ伯爵、もとい二階堂は心外だと言わんばかりに眉根を寄せて、

「何って、今日はハロウィンだろ？　ハロウィンといえば仮装、ハロウィンといえばとりっくおあとりーとだ！」

そう言ってずいと片手を差し出した。お菓子をくれ、の意志表示だろう。

透麻は額を押さえて目の前の男を眺める。ワックスで逆立てた髪には銀の粉が振りかけられ、淡いブルーグレーのカラーコンタクトをはめている。黒いインバネスに黒の燕尾服。爪には黒いマニキュアとかなり徹底している。

透麻の視線に気付いた二階堂は得意げに胸を張って、

「どうだ、なかなか堂に入っているだろう。言っとくがこれはドラキュラじゃあないぞ。オルレアンの乙女に付き従い、救国の英雄と称えられながらもその後多くの美少年を拉致、監禁して腸を抉り生き血を啜り、のちに火炙りとなったデカダンの雄、背徳の青髭公ジル・ド・レエだ！」
「分かりましたから、大声で喚くのはやめてください！　美少年を拉致だの、生き血を啜るだの、他人が耳にしたら私の人格が疑われます」
「変態耽美作家にはぴったりじゃねえか」

透麻は冷ややかな視線で突き刺したが、二階堂は知らぬ振り。この男には何を言っても無駄だと分かってはいたが、一応友人として諭してやることにした。

「いいですか、二階堂。ハロウィンの起源はケルト人の収穫感謝祭で、キリスト教でいう万聖節の前夜祭のことをいうんです。そしてこの日には、死者の霊や精霊、魔女などが人々に悪戯をしにやって来る。そういった悪い霊から身を守るための仮装なんですよ。そんな風に馬鹿騒ぎするためのものではないんです。分かりましたか？」

二階堂は素直に頷いて「分かりました」と答えた。が、その舌の根も乾かぬうちに再びずいと手を出して、

「お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ〜」

透麻は思わず腰が砕けそうになったが、二階堂が大きな紙袋を幾つも持っていることに気付いて質した。

「二階堂……もしかして知り合いの作家や編集者の家を回って、同じことをやらかしているのですか？」
「もっちろん。さっき寄ってきた藪小路文磨先生なんて、大喜びだったぜ。さすがは純文学界の重鎮だよなあ。ほら、銀座『空也』の最中もらっちった」

透麻は諦めた。ともかく飴玉一つでも与えない限りは帰ってくれそうにもない。

「分かりました。ちょうどカップケーキが焼き上がったところなんで。ここで待っててください」
「おおっ。游月ちゃんの手作りかあ」
「残念。私の手作りです」

微妙な表情を浮かべる二階堂を玄関に残して、透麻は室内に戻っていった。

もちろん、言われた通り大人しく待っている二階堂ではない。いそいそと靴を脱いで当然のように部屋に上がる。そして―――

「游月ちゃん！　Happy Halloween！」
「ひゃぁっ」

ソファで寛いでいた游月は悲鳴を上げて飛び上がった。突然の闖入者に驚いたからというより、寧ろ―――

「や、やだぁ……もぉぉ………」

顔を真っ赤にしてソファの上でちぢこまる。騒ぎを聞き付けた透麻が奥から凄い形相で現れた。

「二階堂！　玄関で待ってろと言っただろう！」

しかし二階堂は透麻の怒りをさらりとかわし、強気の姿勢で言い返した。

「なぁにがキリスト教だ。尤もらしいこと言いやがって。やっぱり変態耽美作家じゃねえか。なあ？　游月ちゃん」

游月は頷くこともできず、かと言って否定する気にもなれず、小さくなったままもじもじする。黒猫の扮装のままで。

ベロア地の光沢が美しいビスチェに同じ素材のショートパンツ。お尻からは優雅な曲線を描く黒い尻尾。もちろん頭にはふわふわの猫耳。手足にはファー素材でできた肉球付きのグローブと靴下。そして首には鈴の付いたオレンジのチョーカー。

「黒とオレンジのハロウィンカラーで決めやがって。どうせそのカップケーキもカボチャなんだろ？」
「ぅっ………」
「俺より浮かれまくってるじゃねえか。透麻、いい大人なんだからいい加減にしとけよ」

二階堂はそう言って、何も言い返せず立ち尽くす透麻の手からカップケーキを奪い取ると、「さらばだ、諸君」と芝居がかった台詞を残し、インバネスの裾を閃かせて帰っていった。

「全くあの男は……」

自分の行いを棚に上げ、透麻はぶつぶつと文句を垂れる。色々突っ込みたいことはあったのだが、取り敢えず游月は黙っていることにした。早くケーキも食べたいし。

「さ、騒々しい珍客も帰ったことですし、焼き上がったケーキでも食べますか？」
「食べた〜〜い」

嬉しそうに声を上げる游月を、何故か透麻は厳しい顔で睨む。透麻との約束を思い出した游月は「あ、」と声を上げ、頬を染めて小さな声で言い直した。

「……食べたいニャン」

すると透麻は満足げに頷いて、「すぐお茶の用意をしますからね」と言ってキッチンへ。その浮かれた背中を眺めながら、游月はぽそりと「変態耽美作家…」と呟いて溜飲を下げたのだった。
（Fin）




（その2・Bitter Halloween）


「純、今日は何の日だか知っているか？」
「えと……今日は10月31日だから……あ、ハロウィンですね？」
「違う。コスプレ記念日だ」

真顔で答えられて、純は一瞬信じそうになってしまう。もしかしたら、日本コスチュームプレイ協会とかが（そんな団体が存在するのか知らないが）ハロウィンのお祭りに便乗して勝手に制定したのかもしれない。ナントカ記念日にはよくあるパターンだ。

「そうなんですか。知らなかったです〜」

純はそう言ってにこにこ笑った。ここまであっさり信じられると、逆に良心が疼いてしまう。尭村は溜息とともに肩を落として、

「嘘だよ。んなのあるわけねえだろ。ったくお前は……」

呆れたようにぶつぶつ言いつつも、純の身体を優しく抱き寄せる。うっかり騙されそうになった純はぷくっと膨れたが、抱擁の温かさにゆるゆると融かされていった。

「日本で、ハロウィンがこんなに盛んだとは知りませんでした」

純の言葉に「そうだな」と返し、

「行事の本当の意味や起源も知らず、その華やかで楽しそうな上澄みだけを受容する。それは日本の長所でもあり短所でもあるんだろう。でも、」

尭村はゆっくり抱擁を解くと、純の頬に指を這わせてそのすべらかな感触を愉しみながら、

「でも、日本文化との類似点もある。ハロウィンの日には、死んだ人間の魂があの世から戻ってくるという伝承がある。つまりはお盆だな」
「ぁっ……」

純は思わず声を上げた。同じ言葉を以前に聞いた。誰から、なんて改めて自分に問うまでもない。


―――ハロウィンてさ、日本でいうお盆みたいなものなんだよな


「ぁぁ……」


―――死んだ人間の魂が黄泉から解き放たれて、現世に戻ってくるという伝承もあるそうだ


全て終わったこと、過去のワンシーンにすぎないと簡単にあしらえるほど、生易しい記憶ではなかった。

意識的に抑え込んでいないと、ちょっとしたきっかけで裂け目が生じて溢れ出し、頭の中が思い出に染められてゆく。

そう、今のように。

「まさ…と……」

声に出したつもりはなかった。喉の奥に留めておくつもりだった。しかし震える声帯はその名をはっきり発した。

「今……何て言った」
「あ……」
「誰の名を呼んだ」

もちろん尭村には聞こえていたはずだ。顔を上げることもできず、ただ俯いて震える純の肩を乱暴に掴んで、

「答えろ」

また同じ過ちを犯してしまった。その面前で雅人の名を呼び、激昂した尭村に無理やり身体を開かせられた時の恐怖と惨めさが蘇る。それでも純は顔を上げ、もつれる舌を必死に動かして答えた。

「ごめんなさい……昔、雅人にも同じことを言われたんです……ハロウィンの日には、死んだ人間の魂が黄泉から解き放たれて現世に戻ってくるという伝承もある、って。それを……思い出して……」

純の言葉を聞き終えた尭村は何も言わず、ソファから立ち上がった。

「尭村さんっ―――」

後を追おうと純も慌てて立ち上がったが、尭村がこちらに背中を向けたまま片手を上げて軽く振るのを見て、歩みを止めた。その仕草も、強張った背中も、それ以上近付くなと命じていた。

「尭村さん……」

ふと視線を落とすと、ぎゅっと握られた拳が微かに震えているのが見えた。

自分のものにはならない過去、他の男のものだった過去。今さらどうしようもないというのは分かっているのだが、だからといって荒れ狂う燻朱の感情から解放されるわけでもない。正面から向き合って、自力で抑え込むしかないのだ。

純には、尭村が今必死で暴走しそうな自身を抑えているのが分かった。だから下手に干渉すべきではない、安易な触れ合いでこの場を収めようとすべきでないことも。

しかし、純は駆け寄った。怒鳴られても殴られてもいい。ただ、温もりが恋しかったから。

腰にぎゅっと腕を巻き付け、背中に顔を押し付ける。尭村の匂い、喉の奥が疼くような媚薬めいた匂いに惑いながら、純は心の底から「ごめんなさい」と謝った。

尭村は何も言わず、そのまま僅かに時間が流れた。やがて尭村はふっと息をつくと、腰に回され前で祈るように組まれた純の手の甲を目一杯つねった。

「痛っ」

純は小さく叫んで巻き付けた手をほどく。そしてつねられた手の甲を見て、

「ふぇ……赤くなってる………」
「当たり前だ。お仕置きだからな」

尭村は、先刻の重苦しい怒りなど微塵も感じさせぬ屈託ない声でそう言うと、純の身体を正面から抱き締めた。

「尭村さ……ぼく………」
「もういい。何も言うな」

純は頷いて目を閉じた。すると尭村は柔らかな声で、

「死んだ人間の魂が戻ってくるのなら、お前の母親もどこかで見てるかもしれねえよな」
「……はい」
「そんな日に、お前を泣かすようなことはできねえよ」

純は唇をきゅっと噛み締めて、尭村の胸に顔を押し付ける。そう、雅人も嘗て、同じことを言ってくれた。

純のお母さん、俺はこいつを必ず幸せにします、だから安心してください―――そう夜空に誓いを立ててくれたのだ。

記憶に生じた裂け目は、簡単に塞がりそうもなかった。
（Fin）




（おまけ）


「ライアン様ぁ、さっき寄った村の人たち、何だかヘンな格好してましたね〜」
「うん？　ああ、そうだな。確か今日はハロウィンだ」
「はろうぃん？」

ライアンの懐にすっぽり収まったホイミンは、ちょんと首を傾げる。ライアンは頷いて、

「俺も詳しいことは知らんのだが、今日はハロウィンという日で、この日はみんな仮装してお祭りをするそうだ」
「かそうって何ですか？」
「うむ。何と説明すればいいのか…。自分以外の者に化けて楽しむこと、かな」
「ほえ〜〜」

ホイミンは如何にも感心したように声を上げると、突然もぞもぞと身体をくねらせてライアンの懐中から飛び出した。そして、

「ライアン様っ、僕もかそうできます！」
「え？　ホイミンがか？」
「はい！　見ててください」

言うが早いか、ホイミンはくねくねした複数の触手を一本一本折り畳んで隠していった。やがて身体を支える最後の一本を折り畳むと、ぽすんと地面に落下した。

見覚えのある形態。まさか……

「スライムです！　すごいでしょ？」
「わ、わあ〜、ホイミン、す、すごいな……」
「えへっ、僕にもかそうできましたぁ」

人間と同じ（？）仮装ができて嬉しそうなホイミン。対してライアンは、スライムもホイミスライムも大して変わらんぞっ、と思いつつも、「すごいな」と言ってその頭を撫でた。

ちなみにこの後、畳んだ触手が複雑に絡まり合ってしまい、ホイミンは自力でほどくことができず、仕方なくライアンが一時間かけてほどいてやったのだった。
（Fin）

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